エドワード・ゴーリィの絵本【The Doubtful Guest/ Edward Gorey】エドワード・ゴーリーの魅力について

キモカワが流行ったり、

昔は変人扱いされていた監督ティム・バートンの映画がメインストリームになったり、、、。

不気味な話が好きな方や、

不思議ちゃんは、

今日、紹介するLyraのおきにいり作家エドワード・ゴーリィEdward Goreyの絵本が好きになるでしょう!

 

 

エドワード・ゴーリィは、アメリカの作家。

その皮肉れた作風や暗いクラシックな雰囲気の世界観のせいか、ヨーロッパ人だと思っている方が多いです。

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ゴーリィ本人も、エドワードと言う名前からイギリス人だと思われやすいと言っていたそう。

クラシカル名前だよね、エドワード国王と同じだし。イングランドのセレブ、上流階級男子にも多い名前です。

部屋の書き方やキャクターたちの服装や風景が、これまたイギリスっぽいんですよ。

間違われて当たり前だな、この重厚感、重圧感!(^-^)

 

そんなクラシカルな世界観に、シニカルなお話が怖いぐらいにマッチしていて、見るものの心をつかまえて鷲掴みにして逃しません。

人によっては、気味が悪くて拒絶するかも。(グロいから)

トラウマになる本、間違いなし(笑)。

しかし、1度気に入ったら、もう、、、普通の絵本じゃ満足しなくなるんじゃない?

このゴーリィの作品の中で1番手っ取り早く読みやすく、気持ち悪すぎない(笑)のが、今日、紹介する【The Doubtful Guest】です。

日本語でも【うろんな客】というタイトルで翻訳された絵本が出ています。

翻訳は、意識したのでしょう、短歌。

気にしていならどちらでも良いですが(明らかに誰が見ても短歌だが)原作の方が、日本語訳の短歌ぽい訳より読みやすいと思います。

この絵本は、良く子供に対する皮肉だと言う人がいます。

ゴーリィは、子供を描く事が多い作家です。

それも「貴方は、皮肉を通り越して、子供が嫌いなんだねっ」と断言出来るくらい、可哀想な子供や虐げられた子供をわざと描く作家です。

「ゴーリィは、子供嫌い」そう世界中の人が認識しているでしょう。憎んでいるとさえ、思っている人がいるんじゃないかしら?

だけれど、この作品だけは「子供嫌い」と言うより、「よく観察してるな」とLyraは、思います。

だって、ここまで子供の行動、やることなす事を描けるには、よ〜く子供と言う存在を観察して見てないとわからないよ!

Lyraには、この人、子供が嫌いなんじゃなくて、「ずっと子供でいたいと思ってたんじゃないのかな?」って気がしてならないよ。

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この絵本は、突然やって来た風変わりな生き物が、居座り、変な行動の数々をして行く、という話。

風変わり、まさにそれ。

ツートーンのマフラーを巻いてバッシュー(バスケットシューズ)履いているワニのような得体の知れない、風変わりこの上ない生物。

こやつが、暴れる。やりたい放題し放題。

引っ掻き回しながらも17年経ってもどこに行く気配もない。

彼は?何者?

他人や自分以外の人間と同居する事を意味しているとか、子供への風刺とか、深読みすれば何でもできる。

でも、これ、自分の事かも知れないね。

得体の知れない生き物は、どうしようもない自分自身や、手に負えない自分自身の感情の形状なんじゃないかなって、思います。

子供と言う、言うこと聞かない存在を表しているのかも知れないけれど、、、。

ゴーリィの言葉遊びやアナグラム好きから、相容れない自分自身の持て余した感情の形状だと思います。

得体の知れないものや、不思議な存在を見たいなら、Edward Goreyの、この「The Doubtful Guest」というキモカワ絵本から、入ってみてはいかがですか?

サイズもティッシュBOXくらいのお手軽サイズだから、これまた、手軽に読みやすいよ。

不思議な形だよ、この本は。

子供の遊び心がゴーリィにはあったんだと思うな。

ゴーリィのエピソードで、「ペンネーム」のことがあります。

ゴーリーは本名での名義以外にも、幾つものペンネームを用いて作品を発表することがあり、そのほとんどはアナグラムによって自身の名前(Edward Gorey)のつづりを入れ替えて作られたものだそうです。

以下はゴーリーが用いたペンネームの一例。

Ogdred Weary(オグドレッド・ウェアリー) – 『The Curious Sofa』(1961)、『The Beastly Baby』(1962)等で使用
Regera Dowdy(リゲラ・ダウディー) – 『The Evil Garden』(1966)、『敬虔な幼子』(1966)等で使用
Dogear Wryde(ドギア・ライド) – 主にポストカードに使用
Raddory Gewe(ラドリー・ギュウ) – 『The Eleventh Episode』(1971)で使用
D.Awdrey-Gore(D・オードリー=ゴア) – 『The Awdrey-Gore Legacy』(1972)で使用
Garrod Weedy(ギャロッド・ウィーディー) – 『The Pointless Book』(1993)で使用
Aydwyrd Goré(エイドワード・ゴレ) – 『Figbash Acrobate』(1994)で使用
これらの他にも、Eduard Blutig(エドゥアルド・ブルティグ)やEdward Pig(エドワード・ピッグ)といったペンネームも用いている。

変身願望があったんでしょうね。

1つのイメージに決めつけらたくなかったのか?

好奇心も子供みたいに、旺盛だったようで、バレエ振付師のジョージ・バランシンの熱心なファンでもあり、彼が主催するニューヨーク・シティ・バレエ団と交流を持ち、公演にはほぼ欠かさず通ったといいます。

舞台演出も手がけていたゴーリーは、自身の作品をベースにしたミュージカル『ゴーリー・ストーリーズ』を上演していたらしいです。

見てみたいな〜。ジョニーデップとヘレナボナムカーターが歌うんじゃないの〜〜?ってね、♪(๑ᴖ◡ᴖ๑)♪

そして、ゴーリィは、子供の頃から猫好きで、生涯独身を通し、軍隊生活以外では生涯猫と共に生活していた大のネコ好きらしい。

Lyraは、ゴーリィの猫のキャラクターの絵本を持っているけど、猫はスっごく可愛く描いてるのよねー。

可愛いし楽しい、ゴーリィじゃないみたい。

変わり者でも、愛情にあふれていたのではないでしょうか?

ゴシックテイストが好きな方なら、ゴーリィ好きになりますよ。

不思議好き、変わったもの好きな方も是非、この絵本を読んで見てください。

 

エドワード・ゴーリー
Edward Gorey

 

誕生 1925年2月22日
アメリカ合衆国 イリノイ州 シカゴ
死没 2000年4月15日(75歳)
アメリカ合衆国 マサチューセッツ州
職業 絵本作家
国籍 アメリカ合衆国

ジャンル 絵本
代表作 『ギャシュリークラムのちびっ子たち』
主な受賞歴 トニー賞
ドイツ児童図書賞
公式サイト http://edwardoreyhouse.org/

エドワード・ゴーリー(Edward Gorey, 1925年2月22日 – 2000年4月15日)は、アメリカの絵本作家。本名はエドワード・セントジョン・ゴーリー(Edward St.John Gorey)

絵本という体裁でありながら、道徳や倫理観を冷徹に押しやったナンセンスな、あるいは残酷で不条理に満ちた世界観と、徹底して韻を踏んだ言語表現で醸し出される深い寓意性、そしてごく細い線で執拗に描かれたモノクロームの質感のイラストにおける高い芸術性が、「大人のための絵本」として世界各国で熱心な称賛と支持を受けている。

また、幻想的な作風とアナグラムを用いたペンネームを幾つも使い分けて私家版を出版したことから、多くの熱狂的なコレクターを生み出している。

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略歴

1925年、イリノイ州シカゴに新聞記者の息子として生まれる。

1943年、高校卒業後にシカゴ美術館附属美術大学に入学するが一学期で退学、のち1946年までの3年間陸軍に服務。工兵隊員として毒ガスのテスト等に従事した。除隊後はハーバード大学に入学し、フランス文学を専攻する。詩人のフランク・オハラとはルームメイトであったほか、同じく詩人のジョン・アッシュベリー、作家のジョージ・プリンプトンやアリソン・ルーリーとも交友があった。

1950年、メリル・ムーアの詩集『Illegimate Sonnets』の見返しにイラストを描き、これが最初の商業出版となる。1953年、ペーパーバックを出版するダブルデイ社の専属アーティストとして、挿絵やブックデザインなどの仕事を始める。同年、絵本デビュー作品となる『弦のないハープ またはイアブラス氏小説を書く』を発表。1959年、評論家のエドマンド・ウィルソンによる最初の賞賛記事がニューヨーク・タイムズに掲載される。

1960年、童話を多く出版するルッキング・グラス・ライブラリー社に移籍。H・G・ウェルズの『宇宙戦争』などのジャケット画やイラストレーションを担当した。1962年、『The Beastly Baby』を出版するため自身の出版社Fantod Pressを立ち上げ独立する。

1972年、最初のアンソロジー本『Amphigorey』が出版され、ニューヨーク・タイムズのブックレビューにおいて「今年最も注目すべきアートブック5冊」に選ばれた他、「ベスト・デザイン・ブック15」として、アメリカン・インスティテュート・オブ・グラフィックアーツ賞を受賞[2]。1974年、最初の回顧展がエール大学にて開かれる[2]。1978年、ブロードウェイの舞台『ドラキュラ』のセットと衣裳デザインを担当し、トニー賞を受賞したが、授賞式を欠席する。

1980年、アメリカの教育テレビ放送局PBSの番組『Mystery!』のオープニング・アニメーションを制作。1983年、ニューヨークからマサチューセッツ州のケープ・コッドに引っ越し、1985年にヤーマスポートの館を買い取り移転。終の棲家とする[2]。1997年、『The Haunted Tea Cosy』出版と同時にハーコート社から過去の作品が再版され始める。1999年、最後の作品となる『The Headless Bust』が出版される。

2000年4月15日、マサチューセッツ州の病院にて心臓発作で死去。75歳。同年10月、初の邦訳本『ギャシュリークラムのちびっ子たち』が出版される。

ヤーマスポートにある自宅はゴーリーの死後、「エドワード・ゴーリーハウス」として一般公開さている。

翻訳されている絵本作品

河出書房新社。柴田元幸訳。
『ギャシュリークラムのちびっ子たち―または遠出のあとで』 The Gashlycrumb Tinies: or After the Outing (2000年)
『うろんな客』 The Doubtful Guest (2000年)
『題のない本』 The Untitled Book (2000年)
『優雅に叱責する自転車』 The Epiplectic Bicycle (2000年)
『不幸な子供』 The Hapless Child (2001年)
『蒼い時』 L’Heure Bleue (2001年)
『華々しき鼻血』 The Glorious Nosebleed (2001年)
『敬虔な幼子』 The Pious Infant (2002年)
『ウエスト・ウイング』 The West Wing (2002年)
『弦のないハープ またはイアブラス氏小説を書く。』 The Unstrung Harp: or Mr. Earbrass Writes a Novel (2003年)
『雑多なアルファベット』 The Eclectic Abecedarium (2003年)
『キャッテゴーリー』 Categor Y (2003年)
『まったき動物園』 The Utter Zoo (2004年)
『おぞましい二人』 The Loathsome Couple(2004年)
『ジャンブリーズ』 The Jumblies (2007年) ※1
『輝ける鼻のどんぐ』 The Dong with a Luminous Nose (2007年) ※2
『悪いことをして罰が当たった子どもたちの本』 Cautionary Tales for Children (2010年) ※3
『むしのほん』 The Bug Book (2014年)
『蟲の神』 The Insect God (2014年)
※1と※2は、エドワード・リアの詩、※3は、ヒレア・ベロックの詩を基にしている。

その他の作品

『憑かれた鏡 – エドワード・ゴーリーが愛する12の怪談』

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