【 Mötley Crüe /Wild Side】 Message from Hell. History & 和訳 Lyrics

断捨離するのが好きで定期的にするLyraです。お片づけしていたら久し振りに懐かしいTシャツが。

そうしたら頭の中で彼らが暴れ出した!

どうやら私を離してくれなそうな彼らを静かにさせるために和訳をしたよ。

でも、凄く真面目な気持ちになりました。

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今日Lyraが和訳&紹介するのはアメリカ合衆国のHeavy Metal Band、Mötley Crüe モトリークルー。

Mötley Crüeは、1980年代前半から後半にかけアメリカのロックが、一大音楽産業ムーブメントになった時代の代表的なバンド。日本ではLAメタルと呼ばれてブームが来た。

Mötley Crüeは、全米だけでアルバム総売り上げ2500万枚以上、全世界で8000万枚以上を売り上げているビックバンドでありながら、ドラッグやアルコール依存から起こす事件、事故、ゴシップにも塗れたお騒がせバンドでもあった。

2015年を持って、ツアー活動を終了することを正式に発表し、2015年12月31日の最終公演を最後に、あれからバンドとしてのツアーはしていないのは非常に寂しいことだけど、今、現在、ハリウッドで彼らの映画を人気俳優達が演じて製作中だし、また再評価されて再結成したりして、、、と密かにニヤついているLyraです。

( To amazon ↓ ↓ )

今日、和訳した曲は彼らがイメチェンに成功し、人気を不動のものにした4thアルバム『Girls,Girls,Girls』の大ヒットした”Wild Side”。

アルバムのオープニングを飾る曲だ。

Lyraの和訳の後に又お話しましょう。

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= Wild Side =

[Verse1]

Kneel down you sinners to streetwise religion
Greed’s been crowned the new king
Hollywood dream teens, yesterday’s trash queens
Save the blessings for the final ring, amen

[Chorus]
Take a ride on the wild side
Wild side

[Verse 2]
I carry my crucifix under my death list
Forward my mail to me in hell
Liars and the martyrs lost faith in the Father
Long lost is the wishing well

[Chorus]
Take a ride on the wild side
Wild side

罰当たりな奴らめ、膝づけ、処世術の宗教の前にな

貧欲な奴が新しい王と継承され続けて来た

ハリウッドの夢を抱えた10代の若者に

過去の栄光から捨て去れた女王達

最後の試合に神の祝福を祈りたまえ!

了解!

ヤバそうな方へ走りだそうぜ

ワルな奴らの世界へ

俺は死の目録の下に自分の十字架を持ち歩く

地獄で俺宛の手紙を貰う前準備さ

愚者や殉教者は神への信仰を無くしちまった

長い破滅は、願い井戸さ

ヤバそうな方へ走りだそうぜ

ワルな奴らの世界へ

[Verse 3]
Fallen angels so fast to kill
Thy Kingdom come on the wild side
Our Father, who ain’t in heaven
Be Thy name on the wild side
Holy Mary, Mother, may I
Pray for us on the wild side?
Wild side, wild side

[Verse 4]
Name dropping no names, glamorize cocaine
Puppets with strings of gold
East LA at midnight, papa won’t be home tonight
Found dead with his best friend’s wife, fuck it

[Chorus]
Take a ride on the wild side
Wild side
Take a ride on the wild side
Wild side

[Verse 5]
Gang fights, fatal strikes
We lie on the wild side
No escape, murder rape
Doing time on the wild side
A baby cries, a cop dies
A days pay on the wild side

[Outro]
Wild side, wild side
Tragic life on the wild side
Wild side, wild side
Kicking ass on the wild side
No going back on the wild side

早死にするには勿体ない堕天使

なんじの王国が危険な世界へ現れた

我らの神は、天界にはおられない

なんじの名前を危険な世界へ刻みたまえ

聖なるマリア様、母なる大地よ、

我ら危ない世界に生きる者達に救いがあるのか?

ヤバイ世界

ワルな世界

言いふらして良いような有名人の名前はねぇし、

ロマンチックなコカインもねぇ

金に操られた手先たち

ロスの東の真夜中は、パパもおウチには帰りたくないってよ

そんでもって、パパは、親友のカミさんと死んでるのを見つかるだろう

クソ野郎だな!

ヤバそうな方へ走りだそうぜ

ワルな奴らの世界へ

ヤバそうな方へ走りだそうぜ

ワルな奴らの世界へ

ギャングの闘争、致命的な打撃

俺たちはヤバイ世界にハマってるんだ

逃げ道はない

人殺し 強姦

ヤバイ世界で臭い飯を食うのさ

赤ん坊が泣いてる、

サツが死んでる

ヤバイ世界で毎日のこと

ワルな世界、ワルな世界

ヤバイ世界は、悲惨な人生

ヤバイ世界をぶちかませ

ヤバイ世界には2度と戻るな

Translator: Lyra Sky 和訳

 

 

ビデオは、Dirty & SexyでGorgeous。

それに炎が上がるわ、Dr.のTommyは宙吊りで一回転してくれるわ、若いにいちゃん達へのサービスに Nasty Habitsが(コーラスのお姉ちゃん達)ダンスしながらVo.のVinceに絡むしね、目の保養までありんす。

Mötley Crüeのコピーバンドに呼ばれてLyraはNasty Habitsをやったこともあるから、彼らがサーカスみたいに盛り上げてやってる楽しさもわかる。

SexyさとHeavy MetalやRock’n’Roll は見てる方も演じてる方もかなり楽しいものだ。盛り上がる。

でも実際のこの曲の歌詞の言いたいことは、そこじゃない。この”Wild Side”という曲は、見かけと違う。

ある意味、難解な曲だといえよう。全部を通して聴かないと、飛んだ間違いを侵してしまう歌詞なのだ。

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彼らはこのアルバムの前と全く違う大変身を遂げた。

インディ1枚とメジャー発売3枚とこの “Girls,Girls,Girls” とは違う。

今までは、イギリス風のヘビメタ風とドラマティカルなルックスをわざとMixしていたが、実際は3枚目の”Teater Of Pain”はLAメタルとしては大成功したが、本人達は方向性が見えなくなり何をしたら良いか、先がわからなくなって迷いに迷ったと言う。

丁度、私生活でも破茶滅茶な自堕落な事をやり問題も出て着ていた矢先だった。ドラッグやアルコール中毒が原因で逮捕されたり、暴力事件を起こしたり、ある時はVinceの飲酒運転が原因でHanoi RocksのRazzleラズルが死んでしまうという悲劇まで起きてしまった。

(*詳しいMötley Crüe Historyは最後の方に書いておきます。参考にしてください。)

どん底の中、アルバム制作に入る彼ら。

アイディアが浮かばないならば、今現在の置かれている状況や、自分たちのことをそのまま作品に投影してみようと、作ったのがこのアルバム”Girls,Girls,Girls”だった。

普段、自分らが着てる革ジャンに、ハーレー、ジャックダニエルズ、ドラッグにパーティーなど日常生活でやっていたリアルな自堕落さをそのまんま見せることに腹を決めた。

その変化は、観客やHeavy Metalファンには魅力的に写り大ヒットする。格好良いファッションに最高なロックと。

真実より、皆んな派手なそちらに目がいってしまうのも無理はない。

Sex,Drug,Rock & Rollを面白くやってるVideoにLiveは、ファンが期待していたRock像だったから。

でも、真実は違う。

手を切りたいドラッグとは切れない。人気ロックスターに群がる金の匂いにつられてくるディーラーやプレイメイト達、それに裏街道のヤバイ連中、、、一度ハマってしまった地獄からそう簡単には抜け出せないのだ。

Lyraは、この”Wild Side”は宗教的な懺悔の歌だと思っている。許しを乞う歌、真実を語る歌だ。

この曲の歌詞は1番、2番の途中までは、ロスの歓楽街の老若男女は最悪だが、その最悪な連中をネタにして面白可笑しくネタにしてる歌詞だ。

だが、2番途中から神様に救って欲しいのに救って貰えないと嘆いている歌詞にシフトしていく。

マリア様にまで祈りが届くか聞き始める始末だ。

行くか!と言ってたヤバイ世界が実は悪の世界だと仄めかし始める。

Wishing Wellとは、願いが叶うようにとトレビの泉みたいに井戸に願い事をしてコインを投げることだよ。だから、Lyraは「願い井戸」とした。とうとう、願わないと生きていけないのだ、この主人公は。

そして3番目の歌詞では、Wild Sideは悲惨な世界だと真実を暴露した。ついに、自分たちの行った世界=Wild Sideは悪の蔓延る世界だと暴露したのだ。

それは、聴いてるもの達に真実を語り「こちら側に来るな!Wild Sideには来るな!蹴り飛ばして阻止しろ!」と忠告しているのである。

赤ん坊が泣き叫ぶ、のは、きっと母親が死んでお乳をあげられないからだろう。もしくは母親がジャンキーで育児放棄だろう。

殺人が起きてレイプされる事件が多発するWild Sideには来るな、と言っているのだ。

警察官が死んでる、というのは限りなく悪が圧政している恐ろしい無法地帯を表しているのだ。

「オマエら、俺たちが見てる世界はこんなんだぜ?こんな世界に来たいのかよ?やめろや!」と自らの最悪な状態を語りながら私たちに忠告している歌なのだ。

言ってる彼らが糞まみれになっていたのだから、彼らのゴシップを知っていた私は、この曲の歌詞に彼らの真剣さを見た気がして、頭が上がらない気分になった。

もし、彼らのドラッグ問題や殺人事件や裁判沙汰を知らなかったら、宗教をネタにした悪っぽい歌、としか思わなかったかもしれない。

最悪、ビジュアルの格好良さや、ライブビデオのノリノリなレザーファッションに気を取られて、「Sex,Drug,R&R」とStupidな、お馬鹿な事を一緒に言っていたかもしれない。怖い、コワイ。

Lyraは、Nasty Habitsを誘われてやったのはMötley Crüe の歌が好きだったから、、、ただそれだけだ。

そして、真剣にアルバムを作るために身を削り曲に投影させた彼らにリスペクトの思いもあったからだ。

だが、歌いながらいつも頭のどこかで彼らに敬意を払っていた。

Sexy Danceをしながら頭の中はCool。それは、この歌詞が恐ろしかったから。

NikkiやVinceの犯した事件は、取り返しのつかない事だし、やってはいけない事だ。彼らも物凄く反省している。

それなのに抜け出せないで何度も何度も、もがき苦しんでるのだ。

抜け出しては、舞い戻る、悪の世界。

そんな世界があるのを目の当たりにしてしまった。

そんな世界が実際にすぐ側にあるのだから、背筋が寒くなる。

それも手を伸ばせば直ぐそこにだ。

こちら側には来るな、と言ってる歌詞がね、身につまされるわけ。

いちいちバンドやってる人達には話さなかったよ。わかってる奴はわかっていたし、、、わかっていない奴は一生理解できないだろう(笑)。

だけど、和訳をしたからには、歌詞の意味を説明した方が良いと真面目なLyraは(笑)いつも考えているので、ちゃんと真実をお伝えした方が良いと思い書きました。

長くなっちゃったね。また、熱く語ってしまったよ、ごめんね。

でも、みんなには理解して欲しかったの。

彼らの辛さ、

彼らの凄さを!

真剣にロックし、地獄から這い上がり、またもがくMötley Crüe 。

Gのミックの体調のせいという噂が本当ならばカムバックは無理かもしれないが、彼らの音楽活動をこれからも期待して応援して行きたいし、彼らの音楽をとうして生きる事を諦めずに、学び、挑戦していこう!

決して負けない。

Mötley Crüeのように!


( To amazon ↑ ↑ Limited Edition)限定盤 『Girls,Girls,Gils』

= Mötley Crüe =

出身地 アメリカ合衆国
カリフォルニア州 ロサンゼルス
ジャンル
LAメタル
ヘヴィメタル
ハードロック
グラム・メタル
活動期間
1981年 – 2015年
レーベル
エレクトラ・レコード
Mötley Records
Eleven Seven Music
公式サイト
motley.com
メンバー
ヴィンス・ニール (Vo)
ミック・マーズ (G)
ニッキー・シックス (B)
トミー・リー (Ds)

デビューまで (1981-1982)
1981年、ロサンゼルスのクラブシーンで活動していたバンドLondonから脱退したBのニッキー・シックスは、自らのバンドを作る為、Suite 19のドラマー、トミー・リーを誘い、雑誌広告を見てWhite HorseやVendettaなどローカルバンドでプレイしていたG.のミック・マーズと連絡を取る。 Vo.にはRockandiのヴィンス・ニール(トミーの高校時代の友人でもあった)をマーズが気に入り、二度目のオーディションを経て加入。(一度はすっぽかし)

バンド名はマーズのアイデアMottley CruをニッキーがMötley Crüeと決定。

4月自主制作シングル ‘Stick Your Guns / Toast Of The Town’ をリリース。 12月自主制作による1stアルバム “Too Fast For Love” を発表。

この頃からドラッグ、アルコール漬けの日々を送っており、ヴァン・ヘイレンのデイヴィッド・リー・ロスやラットのスティーヴン・パーシー、ロビン・クロスビーらと共に自堕落なパーティを繰り広げていた。

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HR/HM ブーム(1983-1986)
1982年、メジャーレーベルのエレクトラと契約、7月に”Too Fast For Love” をリミックスしなおし再リリース。

グラム・ロックのメイクにヘアスプレーで膨らませた髪、レザーのステージ衣装、ステージパフォーマンスなど、彼らのスタイルは多くのフォロワーを生み出しLAのサンセット・ストリップを中心として若者たちにファッションや音楽を含めた一大ムーブメントが生まれることとなった。日本で言う「LAメタル」だ。

1983年3月にキッスのサポートとしてツアーするもドラッグ・アルコール癖の酷さを理由に僅か数公演で外される。

5月、『USフェスティバル』出演。この頃のステージ衣装は映画『マッドマックス2』や『ニューヨーク1997』からヒントを得たもの。

9月、2ndアルバム “Shout At The Devil” を発表。タイトル曲、ペンタグラムの描かれたアルバムジャケットのせいで「悪魔主義だ」とPMRCから名指しで批判されたが、バンドはこれを否定(ジャケットは後にメンバー4人の写真に変更)。アルバムは全米チャート最高17位を記録、プラチナムを獲得。

この頃ニッキーは友人であるラットのロビン・クロスビーと共同生活を始め、共にドラッグに溺れる生活を送っていた。

8月、イギリスのドニントンで行われた『モンスターズ・オブ・ロック』にオープニング・アクトとして出演。 10月、アイアン・メイデンのサポートとしてヨーロッパ・ツアー。

12月8日、ヴィンスが飲酒運転で起こした交通事故によりハノイ・ロックスのドラマーであるラズル  Razzle が死亡。ハノイ・ロックス解散の原因となる。

1985年1月、ヴィンスが裁判所の命令でアルコールのリハビリセンターに30日間入所。

6月、3rdアルバム “Theatre Of Pain” 発表。このアルバムは全米チャート最高6位、プラチナ獲得。ステージ衣装はスパンコールをちりばめたグラマラスなものになりバンド・ロゴも変える。(これ以降バンド・ロゴはアルバム発表ごとに変わっていく)

この頃から、デビュー前からのメンバーのドラッグ・アルコール問題が深刻になる。特にニッキーのドラッグ中毒は深刻でヘロイン、コカイン等に金と時間を費やしていた。当時は数グラムのコカインが5000ドルにもなるほど高騰していたという。ロンドンでのライブでは途中で意識を失うこともあった。

このロンドンのライブでは、ドラッグディーラーの家でドラッグを摂取している際に意識を失い、死亡したと思われたためにゴミ箱に捨てられていた、とニッキー本人が語っている映像がある。その頃の状態は後にニッキーが「ヘロイン・ダイアリーズ」として発表する。 7月、初来日。

1986年5月、トミーが女優のヘザー・ロックリアと結婚。(1993年に離婚)

6月、ヴィンスが前年起こした事故のため入獄。(模範囚として19日後に出所)

全盛期 (1987-1991)
1987年5月、4thアルバム “Girls, Girls, Girls” 発表。メイクをやめステージ衣装もレザーを基調にしたワイルドなものになり、このアルバムは全米チャート最高2位を記録。ワールドツアーではバック・コーラスに女性デュオ「ナスティ・ハビッツ」(ドナ・マクダニエル&エミ・キャニオン:1990年にマーズと結婚、1993年に離婚)を帯同、トミーは360度回転するドラムセットで演奏。「ハイ・エナジー、ロー・IQ」と称されていて、本人も苦笑しつつ認めていた。ツアーのサポートは6月からホワイトスネイク、11月からはガンズ・アンド・ローゼズ。

12月には二度目の来日公演。

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12月22日、ニッキーがラットのロビン・クロスビー、ガンズ・アンド・ローゼスのスラッシュらとのドラッグ・パーティーの途中、過剰摂取により心臓が一時停止してしまう。

1988年1月、マシュー・ジョン・トリップなる男が「怪我をしたニッキーの代わりにベースを弾いていた、その間の報酬が支払われていない」と発言しバンドとマネージメントを訴え裁判になる(当然バンド側が勝訴)。これは、車の運転中に意識を失って事故を起こし、鎖骨を骨折してしまった事故が実際に当時起こっており、ニッキーはしばらくの間楽器を演奏する事が出来ない時期があった。

1989年8月、ボン・ジョヴィ、オジー・オズボーン、スキッド・ロウ、スコーピオンズらとともに当時のソビエト連邦首都モスクワで行われた『モスクワ・ミュージック・ピース・フェスティバル』に参加。

9月にはメンバー全員がドラッグを絶ち、初めて正常な状態で制作された5thアルバム “Dr.Feelgood” を発表。エアロスミスのスティーヴン・タイラー、スキッド・ロウ、ブライアン・アダムスらがゲストとして参加したこのアルバムは遂に全米チャート第1位を記録し、アメリカだけで700万枚以上のセールスを記録した。収録曲の「ドクター・フィールグッド」と「キックスタート・マイ・ハート」はグラミー賞のベスト・ハード・ロック・パフォーマンスにノミネートされるも受賞は逃している。

10月からのワールドツアーでは、ヴィンスは白衣を羽織りナスティ・ハビッツはナース姿で歌い踊り、ナース姿の観客も見られることもあった。トミーのステージ衣装は、ほぼTバックの黒のレザーブリーフ一丁というものであった。(サポート・アクトはホワイト・ライオン、スキッド・ロウ、ウォレント、ファスター・プッシーキャットなど)

ツアーが始まる直前、出演した『MTV Video Music Awards ’89』のバックステージでヴィンスがガンズ・アンド・ローゼズのイジー・ストラドリンに対し、ヴィンスの妻を侮辱されたとして殴り倒す。この話を聞いて激昂したアクセル・ローズとメディアを通じてヴィンスを挑発。ヴィンス自身もメディアにてアクセルに決闘の申し込みをしていた、日時、場所を指定しそこで決着を付けようと持ちかけるが実現はされたという報道はない。

1990年5月には三度目の来日公演。ニッキーがプレイメイトのブランディ・ブラントと結婚。(1996年離婚)

1991年8月、再び『モンスターズ・オブ・ロック』に出演。ヘッドライナーのAC/DC、この年に全米No1アルバム “Metallica” を発表していたメタリカの前の演奏だった。 この年10月に結成10周年を記念したベストアルバム “Decade Of Decadence” 発表。全米チャート2位を記録。

低迷期 (1992-2003)
1992年2月、ヴィンス・ニール解雇。表向きの理由は「ヴィンスがバンド活動よりも趣味であるカーレースに没頭したため」であったが、当時のグランジが音楽業界のメインストリームを席巻し始めていたため、これを意識したバンド側の音楽路線変更にヴィンスが従わなかったことによる、と噂された。 ヴィンスは不当解雇の裁判を起こし、両者の中は険悪となった。

ジョン・コラビ(Vo) 2013年
ヴィンスの後任にはThe Screamのジョン・コラビが決定。

ヴィンスはソロ活動を始め、1993年4月に1stアルバム “Exposed” を発表。全米チャート13位を記録した。

1994年3月、メンバーチェンジ後初のアルバム(6thアルバム) “Mötley Crüe” を発表。全米チャート7位。

発売当時の音楽ムーブメントに近いサウンドであったことから、サウンドガーデンのキム・セイル は「彼らはこれを80年代に作るべきだった。」とコメントしている。2010年が過ぎたころ、トミー・リーは本作が自身のキャリアの中でもかなり満足している作品だと語った。

6月から始まったワールド・ツアー(サポートはタイプ・オー・ネガティヴ、キングスX)は不入りが続き途中で中止。

11月、再びドラッグに手を染め始めたトミーがドラッグの過剰摂取による緊急入院。 12月、トミーが付き合っていたモデルのボビー・ブラウンに暴力行為で訴えられ逮捕される。

1995年2月、トミーが女優のパメラ・アンダーソンと再婚。(2000年に離婚)

8月、ヴィンスが2ndアルバム “Carved In Stone” 発表。が直後にレーベルとの契約を失う。

1996年12月、ニッキーがプレイメイトのドナ・デリコと結婚。(2007年離婚)

1997年1月、ヴィンスがバンドに復帰。6月に7thアルバム “Generation Swine” 発表。(当初、ジョン・コラビのヴォーカルを前提として作られていたが、作業途中でヴィンスの復帰が決定。ヴィンスのヴォーカル・サポートとメンバー間の不仲を取り持つため、暫くは解雇された後のコラビもレコーディング作業に参加していた。)全米チャート4位。チープ・トリックとの全米ツアー中にヴィンスが一時脱退するがすぐ復帰。

1998年よりエレクトラ・レコードを離れ、自らのレーベル「Mötley Records」を設立。

5月にトミーが妻である女優パメラ・アンダーソンへの暴行容疑で投獄される。

リー出所後の11月に2枚目のベストアルバム “Greatest Hits” をリリース。全米チャート20位。 ツアー中にトミーが脱退をほのめかす。

1999年4月、トミーが正式に脱退。 12月にトミーはリンプ・ビズキットのフレッド・ダーストやキッド・ロック、ビースティ・ボーイズのミックス・マスター・マイクをゲストにヒップホップを主体としたソロプロジェクト “Method Of Mayhem” にてソロアルバムをリリース。

バンドはトミーの後任に元オジー・オズボーン・バンドでプレイしていたランディ・カスティロ(英語版)を迎え、『マキシマム・ロック・ツアー1999』でスコーピオンズとともに全米ツアー。

2000年、5月にニッキーのサイド・プロジェクト58、1stアルバム “Diet For A New Amrica” をリリース。

6月、加入したばかりのランディ・カスティロが緊急入院。癌と診断される。

7月にはカスティロ加入後初となるアルバム(8thアルバム) “New Tattoo” を発表。しかし全米チャートは41位。サポート・ドラマーとして元ホールのサマンサ・マロニー 加入。『マキシマム・ロック・ツアー2000』でメガデス、アンスラックスとともに全米ツアーを行う。

2001年バンドの自伝本、”The Dirt” 発売。

2002年3月にカスティロが癌により死亡。

5月、トミーの2ndソロ・アルバム “Never A Dull Moment” リリース。

2003年ニッキーは元L.A.ガンズのトレイシー・ガンズとともにブライズ・オブ・ディストラクション(Brides Of Destruction)を結成。

モトリー・クルーの司令塔でもあるニッキーが新バンドを結成したためバンドはほぼ解散状態に。

ブライズ・オブ・ディストラクションは3月に1stアルバム “Here Come The Brides” 発表。がニッキーはツアー終了後の12月に脱退。

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メンバー再結成 (2004-2012)

2004年にHollywoodにある「Tenth Street Entertainment社」が、モトリー・クルー オリジナルラインアップでのリユニオンライブを企画する。すでに会場を抑えたが、その段階ではメンバーへの交渉が始まっていない状態だった。

モトリー・クルーのリユニオンには大きな利益がうまれることが彼らの実績を見ても確信があったと同社CEOが見込んでいたが、本人たちには数曲の新曲を含めたベストアルバムのリリースをしてもらうことが条件となっていた。

企画してからライブまで5カ月という段階から、ニッキーへの企画説明をしたが、当時はBrides Of Destructionで日本ツアーの最中で、トミーはソロアルバムをリリースした直後、ヴィンスはソロの歌手として全米各地でライブを行っており、ミックは行方不明という状況だった。

トミーとヴィンスの関係が険悪だったこと、トミーは正式にバンドを脱退していることなど、多数の課題があった。

同社は一つずつ解決するため、メンバーを招き同じテーブルでの食事会を開く。その時の映像はメンバーへ告知なしで隠しカメラにより撮影されておりドキュメンタリー映像として残されている。

ニッキーは乗り気だと二人に話すが、トミーとヴィンスはどうしていくかまだ決められないが前向きであるということだった。

ギタリストのミックは依然行方不明だったため、ニッキーも協力し多方面からコンタクトを試みた結果、彼は自宅で療養している事が判明。

ニッキーがマネージャーらと訪問し、リユニオンについて説得し承諾を得た。

しかし、その後発表されるが、ミックは血清反応陰性関節炎を17歳から患っており、当時の時点で首を横に回すことが出来ない状態となっていた。

スタジオに姿を現した際に、トミーはその姿を見てとても怖くなったと語っていた。

演奏そのものは可能だったことから、新曲のレコーディングが実施されたが、レコーディング途中でトミーが姿を現さなくなることがあった。

ニッキーらは冷静に彼を説得し、再びバンドとして活動を始め、同社の企画したライブは「Carnival of Sins」と題され本格的なオリジナルメンバーによる再結成のワールドツアーが始まり、大きな成功を再び手にする。

翌年2月に3枚目のベストアルバム “Red White & Crue” をリリース。全米チャート6位。

10月、ローリング・ストーンズの『ア・ビガー・バン・ツアー』に2公演だけオープニング・アクトとして出演。

2005年8月、トミーの3rdソロ・アルバム “Tommyland:The Ride” リリース。

9月、アメリカ南部を襲った超大型ハリケーン・カトリーナの被災者救済イベント『ReAct Now:Music&Relief』に賛同。リンキン・パークのチェスター・ベニントンをゲストに迎えた ‘Home Sweet Home’ を発表。

2006年4月、ライブアルバム “Carnival Of Sins” をリリース。 9月にはエアロスミスと『ルート・オブ・イーブル・ツアー』で全米各所を廻る。

2007年ニッキーが1986年~1987年までのドラッグ中毒だった自身の日記 “The Heroin Diaries : A Year In The Life Of A Shatterd Rock Star” を発表。 同年8月にそのサウンドトラック “The Heroin Diaries Soundtrack” をDJアシュバ(現ガンズ・アンド・ローゼス)とプロデューサーのジェームス・マイケルとバンドSixx:A.M.を結成しリリース。

2008年6月、8年ぶりとなる9thアルバム “Saints Of Los Angeles” リリース。全米チャート最高4位に。表題曲「セインツ・オブ・ロスアンゼルス」はグラミー賞のベスト・ハードロック・パフォーマンスにノミネートされた。

2010年6月ヴィンスが3rdアルバム “Tattoos & Tequila” リリース。

2011年3月ニッキーのSixx:A.M.が2ndアルバム “This Is Gonna Hurt” リリース。

結成30周年を迎えたモトリー・クルーは同じく結成25周年のポイズンと共にニューヨーク・ドールズをゲストに迎え全米ツアー。 9月には10度目の来日公演を行った。

2012年2月、ラスベガスにて常駐公演。

7月、新曲 ‘Sex’ を配信限定で発売。キッスとダブルヘッドラインを組みアメリカツアーを開催。

活動停止へ〜現在 (2013- )
2013年8月、インタヴュー内で翌年度のツアーを以て、バンドの活動を終了することを仄めかした。

ヴィンスは、その理由を「デカいことがやれる最高の状態のうちに止めておきたいんだよ」としているが、一部には、マーズの健康上の問題と言う説も流れている。なお、再結成の可能性は示唆してはいるものの、キッスのように頻繁に行うつもりはないとも付け加えている。

10月には、シックスからも解散についてのコメントが出されている。ニッキーは、解散する理由を「オリジナルメンバーが一部欠けたまま、客足が少ない状況で活動を続けるよりも、オリジナルメンバーがそろったままで解散するほうが、もっと嬉しいから」と説明している。

2014年1月、7月からファイナルツアーを行うことが正式に発表。

2015年12月末、地元ロサンゼルスの最終公演をもって活動休止。

2016年、最終公演のドキュメンタリー映画『THE END』を劇場公開。

同ライブ作品『The End: Live in Los Angeles』をリリース。

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メンバー

オリジナル及び最終ラインナップ
ヴィンス・ニール Vince Neil – ボーカル (1981-1992, 1997-2015)
(本名Vincent Neil Wharton、1961年2月8日カリフォルニア州ロスアンゼルス出身)
ミック・マーズ Mick Mars – ギター (1981-2015)
(出生名Robert Alan Deal、1951年(1955年説あり)5月4日インディアナ州テレホート出身)
ニッキー・シックス Nikki Sixx – ベース (1981-2015)
(出生名Frank Carlton Serafino Feranna,Jr、1958年12月11日カリフォルニア州サンホセ出身)
トミー・リー Tommy Lee – ドラムス (1981-1999, 2004-2015)
(出生名Thomas Lee Bass、1962年10月3日ギリシャ・アテネ出身)

ヴィンス・ニール(Vo) 2008年

ミック・マーズ(G) 2012年

ニッキー・シックス(B) 2013年

トミー・リー(Ds) 2012年

旧メンバー
ジョン・コラビ – ボーカル (1993-1996)
(1959年4月26日ペンシルベニア州フィラデルフィア出身)
ランディ・カスティロ – ドラムス (2000-2002)
(1950年12月18日-2002年3月ニューメキシコ州アルバカーキ出身,51歳没)
サポート
サマンサ・マロニー Samantha Maloney – ドラムス (2000) 元ホール

ニッキー・シックス
ある男が「バイクの事故を起こし、ベースが弾けなくなったニッキーの代わりに自分がベースを弾いた」と主張。印税を巡り、男が裁判所へ訴えたことがある(上の項で説明されている1988年の訴訟事件のこと)。もちろんその訴えは取り下げられたが、それ以来ニッキーは偽者と間違われないよう全身に刺青を施していった。
小学生の頃は、いじめられっ子だった。ある時上級生がニッキーを押し倒し、昼食代を渡すまで踏みつけにする、ということが7回あった後、もう許すまいと誓った彼は、翌朝アポロ13号の絵の付いた金属製の弁当箱に石をいっぱい詰めて学校に持参し、学校に着くやその弁当箱を振り回し、いじめっ子達を殴打するという仕返しを行った。
『シャウト・アット・ザ・デヴィル』リリース前、当時元ランナウェイズのリタ・フォードと同棲していたニッキーは、黒魔術に凝っていた。本人は軽い気持ちでの行為だったが、部屋でコップや皿が飛んだり、不吉なことが多発したため、フォードや当時のマネージャーの懇願により黒魔術からは手を引いた。
ヘロインの過剰摂取で、心臓が2分間停止した事がある。元ガンズ・アンド・ローゼスのスティーヴン・アドラーによって発見され、周りが慌てている最中、張本人のニッキーは幽体離脱していたが、救急車で運ばれる瞬間に、「誰かに足をつかまれるような感じがして、それに引っ張られて自分の体に復帰した」という。しかし、蘇生した直後、あまりの激痛により、また気を失う。次に目を覚ましたのは病院であり、そこに事情聴取に来ていた警察と口論になり、また失神。次に目を覚ました直後に病院を脱走。病院まで心配で駆けつけていたファンを目の当たりにしたニッキーは感動、「二度とドラッグはしない」と約束し、家まで車で送ってもらう。しかし、周りは彼が死んだと思っており、家に沢山のマスコミが駆けつけていたため、バレないように裏口から家に入る。そしてその光景がなんとも愉快だったニッキーが最初にしたことは、留守番電話のメッセージを「やあ、こちらニッキー。死んじまったんで、家にはいません。」に変えることだった。そしてバスルームに行き、電話から鳴っている「やあ、こちらニッキー。死んじまったんで、家にはいません」というメッセージを聞きながら、ヘロインを打ち、また気絶。
プレイメイトのブランディ・ブラントと結婚。子供も生まれる。その後離婚。その後、同じくプレイメイトのドナ・デリコと再婚し、再び離婚。

ヴィンス・ニール
自宅でリーやマーズ、ハノイ・ロックスのメンバーらを招いてパーティーを開いた。パーティー開始からの3日目、酒を買い足しにヴィンスは飲酒運転で、ハノイ・ロックスのラズル (Razzle (musician)) とともに出かけた。その帰り道でスピードを出しすぎたヴィンスの車はスリップ、中央分離帯を超え対向車線の車と正面衝突してしまった。この事故により対向車の一般人2人は重傷を負い、ラズルは死亡。事故後、ヴィンスは自宅に引きこもり、後の裁判で賠償金270万ドル、30日間の禁固刑等の判決が下りた(入獄後、模範囚として刑期は18日間に短縮された)。
1989年のMTVミュージックアワード授賞式のバックステージで、当時ガンズ・アンド・ローゼズのイジー・ストラドリンを殴打。理由は、ヴィンスの当時の妻がバーでストラドリンに暴力を振るわれた、と聞かされたため。ストラドリンを殴り倒し、帰ろうとするニールを見たアクセル・ローズは激高し、それ以降公の場でニールを罵倒しはじめる。ストラドリンとの一件は水に流したニールだが、今度はローズとの喧嘩にシフト。MTVを通じて双方合意の決闘の日時・場所を決めたが、現れたのはヴィンスのみだった。
1992年にモトリー・クルーを解雇されてからクラブ経営を展開、渋谷にストリップ・バー「ガールズ・ガールズ・ガールズ」を作る計画も浮上していた。
ポルノ女優との性行為を映したプライベート・ビデオが流出したことがある。
愛娘のスカイラーを癌で亡くしてから、病気の子供たちを支援する「スカイラー・ニール基金」を設立。
2010年、短距離専門の航空会社を設立。

トミー・リー
「ウィズアウト・ユー」はニッキーが、トミーとトミーの2番目の妻で女優のヘザー・ロックリアに捧げたものだったが、2人は破局。後にロックリアは、ボン・ジョヴィのリッチー・サンボラと再婚。トミーはウォレントのジェイニー・レインの元妻でモデルのボビー・ブラウンと婚約した後、ポイズンのブレット・マイケルズの元恋人でプレイメイト・女優のパメラ・アンダーソンと再婚。
付き合っていたボビー・ブラウン、妻だったパメラ・アンダーソンからそれぞれドメスティックバイオレンスで訴えられたことがあり、アンダーソンに訴えられたときは禁固刑で収監された。
当時の妻パメラ・アンダーソンとの性行為を映したプライベート・ビデオが流出したことがある。
ド派手なドラム・ソロで有名なトミーだが、ショーの最中に高所のドラムセットから落下、意識を失ったことがある(ワイヤーで吊るされたトミーがドラムセットから飛び降り、床ぎりぎりで止まった後再び空中のドラムセットへ飛び移る、という演出だったが、落下時にワイヤーを止めるのが間に合わなかった)。
あるツアー中滞在したホテルで、ドラッグとアルコールで正気を失ったトミーは全裸で廊下を走り回った。しかし逮捕されたのはなぜかマーズだったと言う、嘘のような本当の話がある。

ミック・マーズ
そのルックスから「悪魔」や「食人鬼」との異名を持つが、実際はシャイな性格。
強直性脊椎炎を患っていることから、他のメンバーのように派手なパフォーマンスは出来ない。
他のメンバーと同じく、ドラッグもアルコールも経験している。特に一時期はアルコール依存症を患い、当時のマネージャーをして「ミックはこの業界で最も優しい男だ。ただしアルコールが入ってなければ」と、手を焼いていた。しかし最年長メンバーだからか、それ以外では、結成当時から他のメンバーのようなパーティ三昧とは距離を置き、破天荒な問題を起こすことはあまりない。

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= Discography ディスコグラフィー =

オリジナル・アルバム

1981年 『華麗なる激情』 Too Fast For Love
77位 プラチナム (US)
1983年 『シャウト・アット・ザ・デヴィル』 Shout At The Devil
17位 4Xプラチナム (US)
1985年 『シアター・オブ・ペイン』 Theatre Of Pain
6位 4Xプラチナム (US) 36位(UK)
1987年 『ガールズ、ガールズ、ガールズ』 Girls, Girls, Girls
2位 4Xプラチナム (US) 14位(UK)
1989年 『ドクター・フィールグッド』 Dr. Feelgood
1位 7Xプラチナム (US) 4位(UK)
1994年 『モトリー・クルー』 Mötley Crüe
7位 ゴールド (US) 17位 (UK)
1997年 『ジェネレーション・スワイン』 Generation Swine
4位 ゴールド (US)
2000年 『ニュー・タトゥー』 New Tattoo
41位 (US)
2008年 『セインツ・オブ・ロスアンゼルス』 Saints Of Los Angeles
4位 ゴールド(US)

ベストアルバム

1991年 『デケイド・オブ・デカダンス』 Decade Of Decadence
2位 2Xプラチナム (US) 20位(UK)
1998年 『グレイテスト・ヒッツ』 Greatest Hits
20位 ゴールド (US)
2005年 『レッド・ホワイト&クルー』 Red White & Crue
6位 プラチナム (US)
ライブアルバム

1999年 『ライヴ・エンターテイメント・オア・デス』 Live:Entertainment Or Death
133位 (US)
2006年 『炎上ライヴ~罪への宴』 Carnival Of Sins
2016年 『THE END ラスト・ライヴ・イン・ロサンゼルス』 The End: Live in Los Angeles

シングル

Stick To Your Guns (自主制作盤) [1981]
Live Wire [1982]
Looks That Kill [1984]
Too Young To Fall In Love [1984]
Smokin’ In The Boys Room [1985]
Home Sweet Home [1985]
Girls,Girls,Girls [1987]
Wild Side [1987]
You’re All I Need [1987]
Dr.Feelgood [1989]
Kickstart My Heart [1989]
Without You [1990]
Don’t Go Away Mad (Just Go Away) [1990]
Same Ol’ Situation (S.O.S.) [1990]
Primal Scream [1991]
Anarchy In The U.K. (The Sex Pistols cover) [1991]
Hooligan’s Holiday [1994]
Misunderstood [1994]
Smoke The Sky [1994]
Afraid [1997]
Beauty [1997]
Glitter [1997]
Bitter Pill [1998]
Enslaved [1999]
Teaser [1999]
Hell On High Heels [2000]
New Tatoo [2000]
If I Die Tomorrow [2005]
Sick Love Song [2005]
Saints Of Los Angeles [2008]
Mutherfucker of the Year [2008]
Sex [2012]

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“【 Mötley Crüe /Wild Side】 Message from Hell. History & 和訳 Lyrics” への2件の返信

  1. 深い、深すぎる記事。私の聴いてた中で最高にヤバい人達です。2~3枚しか聴きませんでしたがその当時のゴシップだけで凄すぎました。トミーの「2週間派を磨かないこともあった」という記事を読んで卒倒しそうになったことあります。

    1. 深い記事と言って下さり有難うございます。
      この歌詞を最後まで聞かないとわからない世界だよーん、と思って、ただのR&Rだぜーと思わないで欲しかったんです。だから、わかって頂けて凄く嬉しいです。
      Tommyもそうだけどメンバーの何人かはドラッグなハマり過ぎて路上生活したから歯磨かないは序の口でしょう。マジでヤバイ世界見たんじゃないかな。

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