パティ・ボイドについて。寂しい人はどうなるの?こうなるの… Patty Boyd 前編

 The Beatlesの”The Hard Day’s Night”(邦題『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』または、『ハードデイズナイト』)のネタバレあらすじと感想レビューを数日前に書きましたが、パティ・ボイドについても書きたくなっちった、、、。

Lyraの憧れの女性ではないけれど、とっても気になる人ではあります。

だって、世界中に「尻軽女」と言われた人、、、そうそういない。

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パティ・ボイド、久しぶりに見た彼女が私に思い出させたこと

本名、パトリシア・アン・ボイド(Patricia Anne Boyd、1944年3月17日 – )は、イギリスのモデル、写真家。

名前と職業を言うより、ジョージ・ハリスンとエリック・クラプトンの前妻と言った方がわかりやすいくらいゴシップネタで有名でしょう。

そして、ロッカーにとっては、名曲を生み出すミューズでもあったパティ。

ハリスンの「サムシング」や「フォー・ユー・ブルー」、

クラプトンの「いとしのレイラ」、「ワンダフル・トゥナイト」 や「ベル・ボトム・ブルース」

といったラブソングにインスピレーションを与えて来ました。

(サムシングは、別れてから違うとジョージが言っていますが、、、)

実はパティ、今年の2017年に、3/29〜5/14に個展を開いていました。

日本のリコーイメージスクエア銀座ギャラリーA.W.P.で来日しトークもしたらしい。タイムリーと言っちゃタイムリーな話題だったね。

私が久しぶりにパティ・ボイドが話しているのを見たのは、去年のロン・ウッドの番組にゲスト出演した時の彼女です。

その時の彼女は、昔の、か細くてでも顔は丸顔でぽってりした頬が可愛い、ホンワカな女性ではなくて、

割腹が良く(笑)力強い笑い声が大きいのが特徴のイカツイ女性でした。

「はぁー、これがパティ・ボイド?」とびっくりしたのが事実。

ただね、ロン・ウッドとパティ・ボイドのこの二人の様子が、ただ事じゃない事があったんだろうなぁ〜って感じなんだよね。

何なのこの雰囲気⁈

えっ?出来てたの?となる私。

独特の間がある。

ぎこちない。

2人ともモジモジしている!

あのローリングストーンズのムードメイカーの、いつも明るいロン・ウッドがね、全くいつものロニーじゃないんだよ!

シドロモドロ。

パティを、レイディとして扱っているのがまずビックリ!

誰にでもペラペラ喋るロニーが、口籠もったり、どうも言葉を選んで喋っているのが手に取るようにわかるから、Lyraは、見ていてドキドキしちゃった!

どこか「姉御〜」みたいなんだよね、ロニーの上目遣いが!それも憧れの姉御って感じなんだよ。(深読みしすぎ?)

あの気配りロニーだから、ありえない対応ではないんだけど、、、

昔なんかあった二人が無理してるのがわかる。

無理矢理、明るくしてんの!

本当は、泣きたい気持ちもあるんじゃなかろうか?

たまに、思い出話が出ると二人とも口数減るから「おい、おい、放送中よ、喋らないと!」と見ている、こっちのほうが焦ってしまったよ。

この時まで、ロン・ウッドとも、パティボイドは関係していて、出来ていたとは知らなかったからLyraは、この放送見て、ドビックリした。

ジョージ・ハリスンと別れたきっかけは、エリック・クラプトンとの不倫だとずっ〜と思っていたLyraだったけど、真実は、その前にロンとパティができちゃったのが、直接的な二人の(ジョージとパティの)別居→ 離婚に繋がったのでした。

そんな複雑な関係が30年以上たって再会したんだから、、、そりゃ気まずいだろうね。

でも、ロンがまだ、パティに恋してるみたいだったのよ!

ありゃ、まだ、ロニーはパティにマジでLOVEしてる。

パティは、気まずい感じなだけで、特に恋愛モードでもなくて、昔を振り返る時も寂しそうなんだけど、ロンは全くの逆だったよ。

あのタバコの吸い方や、あの眼差し、独特なパティを気遣う仕草は、当時の燃え上がる恋愛を思い出して、いまだ、ときめいている男子を見ているようだった!キャー!

♪───O(≧∇≦)O────♪

あんな色々遊んできたプレイボーイ(死語)の70代の男性を少年に戻しちゃうなんて、パティは凄い女性だな〜って思わない?

本気もあそびも数多くの恋愛して来た人間をシュッと、ウブな人間に戻しちゃうパティ・ボイドってどんな女性か知りたくない?

Lyraが知ってるパティのこと、ロックな恋愛で考えたことを描いて見たくなったので良かったら読んで下さい。

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パトリシア・アン・ボイドからパティ・ボイドへ

イギリスのサマセットのトーントンにて、コリン・イアン・ラングドン・ボイド (Colin Ian Langdon Boyd) とダイアナ・フランシス・ドライスデール(Diana Frances Drysdale)(1942年8月結婚)の間に長女として生まれたパティには、コリン(1946年)、ヘレン・メアリー(1947年、後にジェニーと呼ばれ、ミック・フリートウッドと結婚する)、ポーラ(1951年)の3人の妹がいます。

パイロットであった父。第二次世界大戦での負傷によりイギリス空軍から除隊された後、1948年から1953年の間、パティは、ケニアのナイロビで生活していましたが、1952年に両親が離婚。

母ダイアナは1953年にタンガニーカ(現在のタンザニア)にて、ロバート・ゲイマー・ジョーンズ (Rober Gaymer-Jones)と再婚し、2人は4人の子供を連れてイギリスへと帰郷。

複雑な家庭環境の中、パティは、修道院付属の寄宿学校に1961年まで、そして、1962年にロンドンへ移住し、雑誌にスカウトされモデルとしての活動を始めます。

初仕事はエリザベス・アーデンのシャンプーの宣伝。(作家のマイケル・グロスの取材では、美容師志望のパティはエリザベス・アーデンの経営する富裕層向けのビューティサロンでシャンプー係として勤務していたときに、ファッション雑誌の関係者にモデルになることを勧められたとかかれている)

1962年からファッションモデルとしての活動を開始。

やや出っ歯であったため、当初はカメラマンたちに受け入れられず、「モデルたちはウサギに似てなどいない(ウサギのような前歯のパティは、モデルにふさわしくない)」と言う者までいて仕事があまりなかったそう。

しかし、数年の活動を経てモデルとして、ロンドン、ニューヨーク、パリ(マリー・クワント等)で活躍。撮影は主にデヴィド・ベイリー(David Bailey)やテレンス・ドノヴァン(Terence Donovan)が行った。

1964年には、ヴォーグのイギリス版およびイタリア版の表紙に登場。

ジョージ・ハリスンの恋人になった後は、グロリア・スタヴァーズ (Gloria Stavers) からシックスティーン・マガジンへの連載の話も出たそう。

モデルのキャリアもジョージのお陰でステップアップって事か?

ジョージ・ハリスンとの出会い

1964年、19歳のときに『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ! 』にビートルズと電車の中で同室になる女学生役で出演したのがジョージ・ハリスンとの出会い。

しかし、パティは、エリック・スワイン(Eric Swayne) と一年近く付き合っていて婚約寸前であったため、エリック・スワインへの愛情から最初のデートの誘いは断ります。

ジョージは、今まで出会った中で最も美しい男性だと語ったパティ。一目惚れは彼女もって事でしょうね。

ジョージが彼女に初めて声をかけた言葉は、「結婚しないかい?」だった。パティが笑ったため、「じゃあ、結婚してくれないなら、今夜夕食でもどう?」と言ったという。

数日後、パティが映画の撮影に呼び戻された時、ジョージは、彼女を再び誘い、パティは、スワインとの関係を終わりにすることを決めたんだそう。

二人の初めてのデートは、コヴェント・ガーデンにあるギャリック・クラブ(会員制の紳士向けクラブ) 。でも、ビートルズのマネージャーであるブライアン・エプスタインを交えたもの。

時代は60年代。付き合ってる中にドラッグの影が。1965年、パティはジョージ、ジョン、そしてシンシア・レノンが初めてLSDに遭遇した場に居た。原因はロンドンの警察官の息子で歯科医のジョン・ライリー (John Riley)が彼らのコーヒーにLSDを混入させたこと。

4人は怒り狂い、激しい恐怖感を覚え、興奮状態の中で、パティは店の窓を壊すところであったが、ジョージが彼女を引き戻したそう。

1965年12月、ロンドンをドライブしていた時、ジョージはパティにプロポーズをしたが、ビートルズのツアー予定が無いことを確認するためにまずエプスタインと話さなければならないとも言った。

1966年2月21日、サリーのエプソムにて、ポール・マッカートニー(付添人)とエプスタインの出席のもと、2人は結婚。

1965年、パティはジョージとの生活をキンファウンス(Kinfauns)にて始める。二人は後にエプスタインと共に休暇を取り、フランス南のエズ近くにあるキャプ・エステル(Hotel Cap Estel)に滞在した。

1966年9月、レノンがスペインで僕の戦争(How I won the War)を撮影している間、パティとジョージはシタールの名手であるラヴィ・シャンカルの客人としてボンベイに滞在しており、1966年10月23日にロンドンに戻って来た。

1967年8月24日、かねてから東洋神秘学に関心があり、スピリチュアル・リジェネレーション・ムーブメント(Spiritual Regeneration Movement)に参加していたパティは、ビートルズをインドの神秘論者マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーと会わせることを思い立つ。(結果として彼らはバンガーを訪れ、彼と交流を持つこととなった。)

1967年6月25日、ボイドはわれらの世界での愛こそはすべての放送に参加。1968年、インドのリシケーシュ(Rishikesh)にあるマハリシのアシュラム(ashram)をビートルズが訪れた際にも同行した。

つまり、ビートルズにインドやスピリチュアルムーブメントや民族音楽への傾倒を起こしたのはパティ自身だったのです。

まさか、後々、ジョージが、宗教に傾倒していくなんて、その結果を人が作った張本人になるなんて思ってもみなかったのでしょう。

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ジョージとの別れ

ジョージは、イングランド北部の保守的な労働階級出身であり、妻は妻は家にいるべきだという考えであったので、モデルの仕事を減らして、意思を殺してまでハリスンの意向に従っていたのもパティを苦しめた原因の一つだったのです。

パティは、ジョージの為にモデルの仕事を全くしなくなったそう。

代わりに写真を趣味として撮り溜めていったと言います。

ジョン・レノンとミック・ジャガーもまた、パティに惹かれていたと発言しており、ミックは、1980年代当時の恋人であったグルーピーで有名なあのベベ・ビューエル(Bebe Buell)に、彼がパティを数年に渡って誘惑したがダメだったことを告白しています。(後に、ベベ・ビューエルは、トッドラングレンと交際中に、エアロスミスのVo.との間の娘を身ごもっていたので、トッドの娘として、ご出産なされたのがあの女優です。)

1973年、後にローリング・ストーンズのメンバーとなるロン・ウッドと浮気をしたせいで、パティとジョージは破局しました。

パティによると、ジョージが病気という名目でパティとの休暇の約束を取り消し、ロンの妻であるクリシーを誘ってサルバドール・ダリに会いにスペインに行っていたのがそもそもの原因だったと言っています。

ジョージは、クリシーと関係を持ったことは否定しているけど、、、

パティは、ジョージがクリシー・ウッドとスペインに行っている間、妹のポーラと共にバハマへ旅行しており、そのときにロン・ウッドが同行したいと言ってきたと言っていますが、どちらが本当かは、神のみぞ知る、、、ですね。

パティとロンが、ロンドンに帰るとパパラッチに嗅ぎ付けられ、1973年11月25日に二人のことが報道されてしまいました。

パティは、ジョージの宗教への加熱と性格の変貌が、取り返しがつかないほど彼女を遠ざけたと今も言っています。

全ての歯車が狂ったせいで、収拾がつかなくなった2人は、1974年の6月に離婚。 パティは、ロサンゼルスにいた妹のジェニーのもとに身を寄せたらしいです。

ミューズとしてのパティ

パティ・ボイドは、ジョージ・ハリスンやエリック・クラプトンが作り出した名曲へインスピレーションを与えたミューズとして有名です。

ジョージのビートルズとしての楽曲、「サムシング」にインスピレーションを与えたとパティ自身が言っています。

この曲はフランク・シナトラに、ここ50年で最高のラブソングと言わしめたほどであり、ハリスンの代表曲と呼ばれていますが、ジョージは、離婚後に、この曲はレイ・チャールズのための曲として考えていたと言っていて意見が食い違っています。

実際はどちらが本当なのかわかりませんが、ジョージの言っている方が真実じゃないかな〜、と。

でも、世界的にはパティへの曲として認識されています。

名曲だもの。素敵な恋の歌であってほしいと人は願うものだから、、、

クラプトンの曲だと、「ベル・ボトム・ブルース」もパティをイメージして作られた曲と言われています。

クラプトンがマイアミからの旅行帰りにパティにジーンズをプレゼントした後にこの曲を書いたそう。

そして、同アルバムの「いとしのレイラ」は、もう確実たるクラプトンのパティへの熱情の歌というのはロック史上に君臨する語り継ぐ話です。

曲名はクラプトンが友人から聞いたペルシアの伝説からヒントを得ました。

報われない愛の物語『ライラとマジュヌーン』の話を聞いたクラプトンは、その美しさに心を打たれ、自分の叶わないパティへの思いを重ね合わせて書き上げた曲です。

Lyraの名前と同じだから気になる曲だって言うだけでなく、世界的に才能あるミュージシャンでありギタリストである男性(クラプトン)が、愛する女性(パティ)の為には膝まずき、すがりつくような魂の歌を書かずにはいられないと言うことが人間の情の深さであり、その深い情念の歌が永遠に素晴らしいと言われ続ける事に感動します。

激しい愛。

手になかなか入らないから燃え上がるのか?

そして、クラプトンの曲でもう一曲、パティをモデルとして有名なのが、『ワンダフルトゥナイト』。

1976年9月7日、クラプトンはポール・マッカートニーとリンダ・マッカートニーの年一度のバディ・ホリーパーティに出席する際、ボイドの準備が済むのを待っている間に、ワンダフル・トゥナイトを書いたと言われています。

この曲についてパティは、「私は何年もあの曲に傷つけられているわ。エリック、その前はジョージにああいう曲を書くインスピレーションを与えたことは、私にとってとても嬉しかった。『ワンダフル・トゥナイト』は、二人の関係を最も強く思い出させるの。だから、うまくいかなくなってしまった今では、聴くことがとても苦痛だわ」と言っています。

どれだけ愛し愛されていたのかがわかるエピソードです。

何故、愛は永遠に続かないのだろう?

勿論、永遠に続く愛も勿論あります。

でも、激しい燃え上がる愛は、何故か燃え尽きるのも早いのが悲しい。

パティとクラプトンの話は長くなったので次回にします。

パティって、当時のイギリスののミュージシャン全てに愛されていたのよね!

妖艶でもないし、セクシーってわけでもない。

勿論、モデルをしているだけあってスレンダーな足が美しいスタイルの良さが売りって言えば美点なんだけど、何故、こんなにジョージも、ミックも、ジョンレノンも、ロン・ウッドもデイブ・ギルモアもそう!

みんなパティを手に入れたかったのよ!

何故?って。

Lyraが思うに、まずは、周りにいないタイプだったから!

当時のイギリスのロッカーって言ったら世界中の注目を今より浴びていたわけで、、、スターたる行動をしていたし許された。

才能あり、地位もあり、そうすりゃ、世界中から色んな種類の女が集まって来て言い寄って来る訳でしょ?

ほんどがセクシーさを売りにしてやって来る女たち。

それを、当たり前のように遊びまくるロッカーたち。

そんな中、パティは、セクシーさを売りにはしてなくて何方かと言えばぶりっ子なんだよね。芋っぽいかわい子ちゃん。

良い子なんだよ。下手すりゃ妹分みたいな感じで側にいたんじゃない?

良い位置にスタンバイしていたんだよ。側にいるかわい子ちゃん。

それプラス、強運の持ち主でもあったんでしょう。

ビートルズの映画に出れたんだから!

おまけにセリフを喋ってんのパティだけだからね!女学生役でセリフありはパティだけなの!

まぁ、モデルとしてダメ!と言われていたのを、自力で表紙を飾るまで頑張ったんだから努力家でもあるんだろうしね。

それに、ジョンやポールが求愛ポーズするのはパティにだけなのよ!

強運!

選ばれたのだから!

見てればわかる!

ジョンはあれ、マジでパティに惚れていた顔よ!

可愛らしくて、だからと言ってお色気で言い寄らないのが男たちには、珍しかったんだよ!

嫌な時は、バシッと誘いを断るし、、、ホイホイ付いていかない。

そして、ギャップがあったのも魅力だったんじゃないかな?

可愛らしいぶりっ子ちゃんなんだけど、蓋を開けて見たららインドやスピリチュアルなことに興味があり深い知識もある、、、。

そんなところは、アニタ・パレンバーグと同じじゃ!

アニタにしろ、パティにしろ、2人とも幼少期から海外で暮らしたり、グローバルなんだよね。

イギリスって歴史がある素敵な国だけど、島国気質が強いと言うか、知識が自分の国中心な人が多い傾向がある。

そんな閉鎖的な人が多い中で、異文化に詳しくて知らない世界を教えてくれる女性が居たら、、、

おまけに女性としても魅力ありならば、男性はイチコロだよ!

断わる勇気もあるし焦らすのも上手い (笑) 。

だから、皆んなパティが好きになったの〜。

そう Lyraは、確信している。

じゃあ、そんな魅力的な女性が、なんで永遠の愛を貫けなかったのか?

それは、寂しかったから!

寂しい人はどうなるのか?

それは、パティみたいになるの。

極論すぎるかもしんないけど、寂しい人間は、寂しさを埋めるためにおかしな行動を取る。

激しい愛情やキツすぎる恋愛劇から生まれた寂しい思いは根が深すぎて、、、埋められないならばと、おかしな行動を取るしかない。

その良い例がパティ・ボイドの恋愛行動なんだよ!

寂しい思いを埋める為の行動に出てしまうパティ、、、。

その深く長い話は、次回に!

*『パティ・ボイドについて。愛憎劇の後に残ったもの…Patty Boyd 後編』も読んでみてね!

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