【Light My Fire / The Doors】 和訳 Burn with Love! for Jim’s Deathday 身を焦がす愛 ジム・モリソンに捧ぐ

3rd of July is Jim Morrison’s deathday.

I’ll translate a doors’ song for relating to or marking  anniversary.

今日は大好きなJimジムの命日なのでドアーズの曲を記念に和訳して捧げます。

今日Lyraが和訳 &解説するのはアメリカ合衆国カリフォルニア州ロスアンゼルスで結成されたThe Doors ザ・ドアーズ。

1965年に結成してVocalのJim Morrison ジム・モリソン がなくなる1973年までがロック史上に輝く痕跡を残していたメインの活動だ。

スポンサーリンク[ad#go1]

Jim亡き後も、残されたメンバー3人だけのThe Doorsを続けたが人気が下降していくのは止めらず解散。

その後、1978年から8回再結成と休止を続け、3人だけだったり、何回もこのブログで紹介しているThe Cult ザ・カルトの Ian Astbury イアン・アストバリーをVocalに迎えて好評を得たりして人数編成にバラツキがありながはも、2016年 にKey.キーボードのRay Manzarek レイ・マンザレクが亡くなるまで不定期の活動をしていた。

*詳しい The Doors Historyは前に書いた記事をご覧下さいね!

 

今日Lyraが選んだ曲は、Rolling Stone ローリング・ストーンのオールタイム・グレイテスト・ソング500(2010年版)では35位にランクされている大ヒット曲【Light My Fire】。

前に紹介した【Break On Through(To The Other Side)】と並ぶThe Doorsの代名詞と言っても過言ではない曲だ。

このブログに良く来て下さる皆さんにはお分かりでしょう?

Lyraはマニアック好きでしょ?だから、本当は違う曲をJim に捧げようと思ったの。

そうしたら、選ぶ曲選ぶ曲、邪魔が入ってね。

あった筈なのに今日に限って見つからなかったり、

「じゃ他にも良いのが…」別の曲を見つけてアップしようとしたらアップ出来なかったり、色々と邪魔が入ってしまうの。

「もう、何でかな!」と言いながらつい「じゃ、どれが良いの?」と何となく宙を仰いで聞いたら、この【Light My Fire】が現れたの。

で、やってみたら、いつものようにアップ出来たからビックリ‼

「王道過ぎて嫌だなぁ。」とブツブツ言ったら何か声が聞こえた。
これで良いんだって。
Jimが言うんだから仕方がない!
きっと色々あった曲だから🤭
思い入れがあるんだろうね。
Jimがこの大ヒット曲でどんな内容の歌を歌っいたか?
あのエドサリバンショーで擦った揉んだあったのは何故か?
それは、Lyraの和訳の後にお話ししましょう。

Billboard ビルボードでは、1967年7月29日に週間ランキング第1位を獲得して3週連続で1位。1967年の年間ランキングでは第2位のサイケデリックなカルチャーを代表する大ヒット曲なの。

でも、巷で言われてるDrug Songじゃないのよん!

( Click to amazon ↓ ↓ ) 50th Anniversary Delux Japanese Edition, 1st Album”The Doors”        クリックしてアマゾンへ ↓ ↓

Light My Fire” is a song by the Doors, which was recorded in August 1966 and released in January 1967 on their self-titled debut album. Released as an edited single on April 24, 1967,  it spent three weeks at number 1 on the Billboard Hot 100 chart in late July, and one week on the Cash Box Top 100, nearly a year after its recording.

スポンサーリンク[ad#go1]

[ad#go4].

= Light My Fire =

[Intro]

[Verse 1]
You know that it would be untrue
You know that I would be a liar
If I was to say to you
Girl, we couldn’t get much higher

[Chorus]
Come on baby, light my fire
Come on baby, light my fire
Try to set the night on fire

[Verse 2]
The time to hesitate is through
No time to wallow in the mire
Try now we can only lose
And our love become a funeral pyre

[Chorus]
Come on baby, light my fire
Come on baby, light my fire
Try to set the night on fire
Yeah…

[Bridge]

[Verse 2]
The time to hesitate is through
No time to wallow in the mire
Try now we can only lose
And our love become a funeral pyre
[Chorus]
Come on baby, light my fire
Come on baby, light my fire
Try to set the night on fire
Yeah
[Verse 1]
You know that it would be untrue
You know that I would be a liar
If I was to say to you
Girl, we couldn’t get much higher
[Chorus]
Come on baby, light my fire
Come on baby, light my fire
Try to set the night on fire
Try to set the night on fire
Try to set the night on fire
Try to set the night on fire
これが不実な事になるって分かってるんだろ
俺が嘘つきになるって分かってるよな
もし俺がお前に言ったなら、
なぁ、俺たちもっとイケルんじゃないのか?
早く、ベイビー、俺に火をつけてくれよ
早く、ベイビー、俺に火をつけてくれよ
今夜こそ、燃え上がる夜にしようぜ
ためらう時期は終わったぜ
ぬかるみに、のたうちまわる時じゃないし
今こそ夢中になれることをやってみようぜ
俺たちの愛は、身を焦がしてあの世行き
早くベイビー、俺に火をつけてくれよ
早くベイビー、俺に火をつけてくれよ
今夜こそ、燃え上がる夜にしようぜ
さあ、早く

ためらう時期は終わったぜ

ぬかるみにのたうちまわる時じゃないし

今夜こそ夢中になれることをやってみようぜ

俺たちの愛は、身を焦がしてあの世行き

 

 

早くベイビー、俺に火をつけてくれよ

早くベイビー、俺に火をつけてくれよ

今夜こそ燃え上がる夜にしようぜ、

さあ、早く

 

これが不実な事になるって分かってるんだろ

俺が嘘つきになるって分かってるよな

もし俺がお前に言ったなら、

なあ、俺たちもっとイケルんじゃないのか?

 

早くベイビー、俺に火をつけてくれよ

早くベイビー、俺に火をつけてくれよ

今夜こそ燃え上がる夜にしようぜ

今夜こそ燃え上がる夜にしようぜ

今夜こそ燃え上がる夜にしようぜ

今夜こそ燃え上がる夜にしようぜ

Translator: Lyra Sky

うーん、やっぱJim Morrison は、1st Albumのこの『The Doors』のころが1番カッコイイ!

Sexyなだけでなく、弱さや繊細な性格が見てとれるから母性本能をくすぐられてLyra はキュンキュンしてしまう。

声も甘く囁いてくる。

この【Light My Fire】はシンプルなLove Songだ。

良く「ドラッグソングだ」とか、「セックスだけを歌っている」と言われ、Drug絡みのロック史の記事には必ず出てくる【Light My Fire】。

だが、この歌詞は笑っちゃうくらい素直でストレートな男の愛の歌なのだ。

燃え上がる気持ちを彼女に切々と訴えているだけのこと。

好きなら愛し合うのが当たり前でしょう?

いまいち乗り気じゃない彼女に、色んなしがらみは忘れて、俺と愛し合う事にだけに集中してくれよ、と言ってる男の歌。

それのどこがおかしいの?

何が過激?

Highなんてドラッグに取る方がやってんじゃないの?

とLyraはJimじゃないんだけど、同じようにイライラして来たわ(笑)。

あれ、Ed Sulivanを思い出したのよ。

スポンサーリンク[ad#go1]

皆さんもご存知のように、この【Light My Fire】は、『Ed Sulivan Show エド・サリヴァン・ショー』の擦った揉んだ事件のTV ライブで知られている。

もう知ってるでしょ?でも、知らない人のために説明しますね。

 

出演前にメンバーの所へTV局側から要請があったの。

麻薬の使用から昂揚感を得たように思わせる歌詞

➖ girl, we couldn’t get much higher

を「girl, we couldn’t get much  better」に変更するよう依頼され、バンドメンバー全員で変更して歌うことを承諾したが、実際のオンエアーでは、Jimは歌詞を変えずにそのまま歌ってしまったのだ!

それが、今日、Lyraが紹介した有名なTV公開番組のビデオなの。

生放送だからやり直しがきかないわけ。

映画『The Doors』にもやたら誇張されて、Jimが”Yeah!”なんて大袈裟にしてやったり〜♪ のていで演じられていましたが、あれはJimはやってないからやり過ぎで可笑しいけど、スタッフのてんやわんやは、マジだったでしょうね。

Jim自身は、「神経質になりすぎたから」と理由を述べていたけど、、、まぁ、違う気がする。

さっき、Lyraがイライラしたようにシンプルでストレートな愛情の表現や熱烈な愛する人への思いをただ歌っただけなんだから、Highがどうだこうだは、可笑しいでしょう?

人が人を愛するのが、欲するの姿のどこがおかしいなの?

そう思ってJimは歌っただけだよ、、、きっとね。

だけど、司会のEd Sulivan エド・サリヴァンは激怒してジムとの握手を拒絶。

The Doorsは、この後2度とこの番組に出演することはなかった。

あのイギリスの不良、不良言われていたThe Rolling Stonesでさえ、ちゃーんとTV局の言う事を聞いて歌詞を変えて歌ったのに、、、全くJimったら、、、最高じゃん!

素直で嘘がつけない貴方だから好きなのよ!

でも、その嘘のつけなさが、自分自身を苦しめる事になったのかなあ、ともLyraはみているの。

( Click to amazon) Single Collection Box Set “The Doors Box Set”               クリックしてアマゾンへ ↓ ↓

 

【Light My Fire】は、事件云々より楽曲自体にも、ものすごい特徴がある。

曲の中に、ロック史では当時ありえなかった長い印象的なインストゥルメンタル・ソロ (GのRobbie KriegerのギターソロとKeyのRay Manzarekの左手が特徴的なオルガンサウンド)がある。

あれは、東洋の禅の影響下にあったPsychedelic Rock サイケデリック・ロック とJazz ジャズの融合であった。

実際は、7分あるオリジナルのヴァージョンでラジオで流されるなんて其れ迄はありえなかったが、リスナーの要望でヘビロテされていく。

ついにラジオ用にと7分から3分に短縮されたRadio Versionが作られると、人気に一気に火がつき大ヒットして行ったのは、いかにThe Doorsが人気があったか、彼らの楽曲がいかに素晴らしかったかが分かるだろう。

作詞作曲はドアーズ名義となっている。

だが、その大部分は、GuitarのRobbie Krieger ロビー・クリーガーの作と言われている。

Jim が、関わった部分は少ないとRobbyは言っている。

「作詞は殆ど僕がした。Jim は僕が作詞するのをちょっと手伝っただけさ。作曲は僕とRay が主にやった」と述べている。

この前、和訳した【Touch Me】がRobbie Krieger作で、Jimに「歌詞のHit Me が良くないから書き直せ」と言われて書き直したのや、曲調の感じからしてRobby作、と言うのは理解できる。

だが、これは個人的な意見なんだけど、この【Light My Fire】の歌詞はJimのものじゃないのかな。

だって、この言い回しや言葉使いと良い、身を焦がすような愛の意味で、わざわざ変な言葉「Funeral Pyre」なんかを使うのは、まともなRobbieじゃ無理。

変わり者で、読書家で、変な単語を使いたがる、変人の、Lyraが愛するJim Morrison以外には考えられないChoiceよ!

別にRobbyが嫌いな訳じゃない。彼のギターは最高だから!大好きよ。

ただ、The Doorsを代表する曲でJimが曲作りで関わってないとか、歌詞は二番目の所だけ、チョコっと彼がイジっただけ、、、と言うのはおかしいからよ。

死んだ人を悲しませないでほしい。まだ、全員で作ったと言う方が綺麗なまとめ方だ。

まぁ、RobbyもJimに殴られたり思う所があるのだろう。

人間関係、色々あるよね。

スポンサーリンク[ad#go1]

Live で面白い話がある。

実は、初め、ソロの部分はRobbyのギターソロだけだったらしい。

やって行く内に、Rayのジャズのようなあのオルガンが合わさるように変化したのだ。

『Live at the Matrix 1967』だと、ギターだけのイントロで始まるバージョンを聞くことができるから、時間がある人は聞いてみて!

どちらが好み?

今まで話題にしなかったので…Drumsの John Densmore によれば、自動車メーカーのゼネラルモーターズのクルマ Buick ビュイックの1967年のTVコマーシャル 「Come on, Buick, light my fire」でこの曲を使いたいと申し出があったの。

Jimは、イギリスツアーからまだ帰ってこなくて、アメリカを離れていたんだけど、他のメンバーは、CMの話をOKしてしまった。
で、帰って来たJimが、彼以外全員がコマーシャルでの使用に合意したと知ると激怒して、ビュイックを製造しているゼネラルモーターズに電話をし、「もしコマーシャルを放送するなら、テレビに出てビュイックをハンマーを使ってぶち壊してやる」と脅かしたんだって。
( to amazon ↓ ↓) 50th Anniversary Delux Japanese Edition, 1st Album “The Doors” クリックしてアマゾンへ ↓ ↓

この話聞いて、ますますLyraの予想が当たってる気がして来ない?
自分がチョットしか携わっていない楽曲使用に対して、一体誰が、ここまで馬鹿なクレイマー紛いの行動に出ると思う?
Jim Morrisonが作ったんだよ。
全部とは、言えない。
だってJimは今、天国にいるから、証明できないんだもの。
だけど、曲の大部分はJim作だろう、、、特に歌詞に関しては!
ああ、そうなんだ!
James Douglas  Morrison!
貴方は、Lyraにこれを言わせたかったのね⁉
貴方が【Light My Fire】に思い入れがある事をLyraに今日、分からせて、
Lyra に貴方への記事を書かせて、そして、貴方自身がこの【Light My Fire】を作り上げた事を世間に知らしめたかったんでしょう。
してやられた〜。
でも、良いの。
今日は特別な日だもの。
貴方の命日。
Lyraは、今日フランスの貴方が眠っているお墓にはお参りに行けない。出来ない。
でも、この想いをこの記事に託して広めることならば出来るわ。
Lyraのヘッポコな微力じゃ、世界を動かせない、、、けれど、貴方の気持ちがこれで済むならば、
LyraのThe Doorsへの愛を、
LyraのJim Morrisonへの強い愛を、これからも書き続けて行くわ。
それで良いでしょ?
だったら、James Dougles Morrison!
その天上の高みからLyraを見ていてね!
ずっと、ずっと!
I’ll continue to write about The Doors . and Your Love Forever, James Dougles Morrison!
So please watch over me from high place of heaver for me & you!
R.I.P.
Love,
Lyra Sky
スポンサーリンク[ad#go1]
= Jim Morrison =
ジェームズ・ダグラス・”ジム”・モリソンJames Douglas “Jim” Morrison、1943年12月8日 -1971年7月3日 )は、アメリカのミュージシャン、詩人。ロックバンド、ドアーズのボーカリスト、ソングライターとして知られる。また、バンド活動とは別に数冊の詩集を発表している。

米ローリング・ストーン誌の選ぶ「史上最も偉大なシンガー100人」において第47位、

英Q誌の選ぶ「史上最も偉大なシンガー100人」において第40位。

ジェームズ・ダグラス・モリソンは、アメリカ海軍の軍人であり後に提督となるジョージ・スティーヴン・モリソンと、クララ・クラーク・モリソン夫妻の息子として、フロリダ州メルボルンで生まれた。後に妹と弟が一人ずつ生まれた。

モリソンは厳格で保守的な両親によって育てられたが、両親の教育とは徹底的に異なった価値観に基づく作品表現を行うことになる。

モリソンによれば、彼の人生で最も重要な出来事は1947年のニューメキシコ州への家族旅行中に起きたと言う。

一家は父の職業の影響で転居を重ね、そのためかジムは家に閉じこもって読書にふけることが多くなった。高校卒業後はフロリダ州立大学に入学するが、哲学や詩にのめり込み、1964年の1月に家族の反対を押し切りUCLAの映画学科に編入する(同級生にフランシス・フォード・コッポラがいた)。

1965年夏、UCLAでレイ・マンザレクに出会ったモリソンは、彼に自作の詩を読んで聞かせた。マンザレクは彼の詩に惹かれ、バンドを組むことにする。モリソンはマンザレクと彼の兄リック、メディテーションセンターで出会ったジョン・デンズモアと共にデモ・レコードを制作。その後リックがバンドを辞め、代わりに同じメディテーションセンターの仲間だったロビー・クリーガーが参加。こうしてドアーズが誕生した。

= under the story “Light My Fire” =

Single by The Doors
from the album The Doors
B-side “The Crystal Ship”
Released April 24, 1967
Format 7″ vinyl
Recorded August 22, 1966
Genre Psychedelic rock
Length
  • 7:06 (Album Version)
  • 2:52 (Single Version)
Label Elektra
Songwriter(s) Jim Morrison, Robbie Krieger, John Densmore, Ray Manzarek
Producer(s) Paul A. Rothchild

A year later, it re-entered the Billboard Hot 100 in 1968 following the success of José Feliciano’s version of the song (which peaked at number 3 on the Billboard chart), peaking at number 87. The song was largely written by the band’s guitarist Robby Krieger, and was credited to the entire band. The single was certified gold by the Recording Industry Association of America in September 1967 for 500,000 units shipped.  As of December 1971, it was the band’s best-selling single; with over 927,000 copies sold.

A live version was released in 1983 on their album Alive, She Cried, the first of several live albums released in subsequent decades to include the song. “Light My Fire” achieved modest success in Australia, where it peaked at number 22 on the ARIA chart. The single originally reached number 49 in the UK in 1967, but experienced belated success in that country in 1991, when a reissue peaked at number 7. This reissue was more successful in Ireland, peaking atop the IRMA chart for two weeks in June. The reissue occurred due to a revived interest in the band following Oliver Stone’s film biopic The Doors. The song is ranked at number 35 on Rolling Stone’s list of the 500 Greatest Songs of All Time.

It was included in the Songs of the Century list, ranking number 52. Feliciano’s cover versionwon a 1969 Grammy Award for Best Male Pop Vocal Performance, the same year he wonanother Grammy for Best New Artist.

 

The song originated as a Robby Krieger composition, with Jim Morrison writing the second verse. Although the album version was just over seven minutes long, it was widely requested for radio play,  so a single version was edited to under three minutes with nearly all the instrumental break removed for airplay on AM radio.

Ray Manzarek played the song’s bass line with his left hand on a Fender Rhodes Piano Bass, while performing the other keyboard parts on a Vox Continental using his right hand. After the recording session, producer Paul A. Rothchildbrought in session musician Larry Knechtel to overdub  a Fender Precision Bass guitar to double the keyboard bass line.

When the Doors played the song at live concerts, Manzarek used the Fender Rhodes Piano Bass without augmentation.

The Ed Sullivan Show

The band appeared on various TV shows, such as American Bandstand, miming to a playback of the single. However, “Light My Fire” was performed live by the Doors on The Ed Sullivan Show broadcast on September 17, 1967. The Doors were asked by producer Bob Precht, Sullivan’s son-in-law, to change the line “girl, we couldn’t get much higher”, as the sponsors were uncomfortable with the possible reference to drugs.

The band agreed to do so, and did a rehearsal using the amended lyrics, “girl, we couldn’t get much better“; however, during the live performance, the band’s lead singer Jim Morrison sang the original, unaltered lyrics.

Ed Sullivan did not shake Jim Morrison’s hand as he left the stage. The band had been negotiating a multi-episode deal with the producers; however, after violating the agreement not to perform the offending line, they were informed they would never do the Sullivan show again. Morrison’s response was “Hey man. We just did the Sullivan show.”

This performance was portrayed in the 1991 Oliver Stone film The Doors, but without Morrison’s subsequent retort to Sullivan and the show’s producer.

Buick TV commercial

John Densmore recalled that Buick offered $75,000 in October 1968 to adapt the song for use in a Buick TV commercial (“Come on, Buick, light my fire”).

Morrison, however, was still in London after a European tour had just ended on September 20 and could not be contacted by the other band members, who agreed to the deal in his absence. As the band had agreed in 1965 to both equal splits and everyone having veto power in decisions, Morrison consequently called Buick and threatened to personally smash a Buick with a sledgehammer on television, should the commercial be aired.

スポンサーリンク[ad#go1]

[ad#go5]

Please send me your message♪(๑ᴖ◡ᴖ๑)♪