チバユウスケ『モアビート』感想 【ビート】との比較

チバユウスケが大好き。

ずっと、ずっと好きだから本音で書かないといけない…

そうでしょ?

前にこのブログでチバユウスケ詩集の第1弾『ビート』の感想と、チバユウスケへの愛情(thee michelle gun elephant)を熱っぽく語ったLyraですが、今回は、どうしようか迷った。

 

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『モアビート』は、チバユウスケ詩集の第2弾で2015年9月22日に発刊。モアなのよ、モア。

みんながもっと、もっと言ったから発売になったのね。

大人気、チバユウスケ。

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『ビート』を読むと嬉しくて騒つく、心が。

thee michelle gun elephantの頃の歌詞からThe Birthdayの始めの頃の歌詞までが載ってるの。載せてくれてる。

中には「CD持ってるからいいわ」っていう人もいるだろう。

それ、、、

完璧に間違い!

『ビート』を読んで、

文字にし、本としての媒体の力の凄さに改めてLyraは気がついた。

活字の威力は凄いわ、やっぱ!

知っている歌詞が、彫塑のように尖って読む私に刺さって来る!

 

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プラス、全ての歌詞ではないけど作品の多くに、その時々のエピソードをチバ自身が言葉を添えているのが粋なの。

独り言を聞いているかのよう。

落書きみたいなチバ画伯(笑)の絵もチラホラ載っていて、落書きなんだけど、彼が頭の整理整頓をしている作業がLyraには見えた。それが面白い!

そして、ラストの「あとがき」に胸が痛くなる。

Lyraもこれを読んだ時期にMamaが天国へ旅立ったのでズキズキハートが痛んだし、読みながら涙が溢れでた。

全体の曲の詩が、それぞれ独立した歌詞なんだけど、トーンが似ているせいか(作者が1人なんだから当たり前と言わないで、、、時代によりミッシェルガンエレファントはイメージが変化していったから違うのもあったでしょう?だから。)、一冊がまとまっていて力を蓄えて行くかのように、このラストの「あとがき」へと向かって行く。

あとがきが、この「ビート」の心臓部なのだ。

そこへ向かっていった無数の言葉たちは、愛という一つの力となって光を放つ。

言葉の威力。

活字にしないとわからない良さや優しさがあるんだな、って改めてLyraに教えてくれたのは、この「ビート」と言う一冊の詩集なわけ。

それが、読んだ人たちの心を揺さぶり、「もっと、チバユウスケの詩を本にして欲しい」となったのだろう。

まぁ、ミッシェルガンエレファントは、伝説のバンドみたいに祭り上げられているし、そのバンドのVo.だったチバユウスケは、いわばミッシェルの顔なわけだから、今もロックンローラーとして転がり続けていると余計にミッシェルやチバユウスケのマジなファンじゃない、ミーハーな人たちも「読ませて」となっているかもしれないよね。

そんな人たちは、手放しでどんな本が出てもチバユウスケ印がついてさえいれば「素晴らしい!」と言うのだろう。

「モアと言わずに、『モア・モア・ビート』も読ませてとお願いするんだろう。

これで良いのでしょうか?

『ビート』と同じくチバユウスケが、沢山あるThe BirthdayやGolden  Wet Fingersなどの最近のバンドの曲と自分のソロやPuffyや他の人に作ってあげた楽曲の中から、チバが良いと思う作品をセレクトして掲載している。

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ビートよりも作品数が多く、チバユウスケの曲に対するコメントも全てに掲載してあるし、チバユウスケ画伯の絵も前より多い。カラーになってるし!

そう、前の『ビート』より本当に内容数がモアになった『モア・ビート』なのよ。

だが、盛り込んだ数に反比例するかのように、本の中身は薄いコーヒーになってしまった。

アメリカン。

そうね。デビュー当時から、『カサノバスネイク』が出る前までは、ミッシェルガンエレファントは、イギリスやヨーロッパの香りがした。

それが巷でバカ売れしてからは、イメージも歌詞の世界観もが変化した。

ヒースローから飛行機に乗って、アメリカと南米の砂漠に行ってしまったのだから、アメリカンコーヒーで「良し!」なのかもね。

って、良いわけないじゃないの!

本の内容が薄くなったらダメでしょうが⁈

詩集よ、詩集!

詩は、熱く思いが煮えたぎっているものなのよ!

それが、暑苦しい雄叫びであろうが、

静かに思いの丈を綴る冷ややかな青い光であろうが、

熱くても冷たくても、詩は、頭に思い描く世界や心に浮かぶ感情を表現するものだ。

バンドを売るための品評会ではない。

バンドTシャツや物販を売るためのカタログではないのだ。

無論、掲載されているライブTシャツや写真は、「過去にこんなんありました〜え」(何故、京都弁?)と、記録がてらに掲載したのかもしれない。

載せている絵もそう。

前よりもカラーだぜ、サインペンいっぱい使いましたよ。

「ゴージャスだろぅー!」(何故、スギちゃん?)というノリというか、ファンサービス、そう、サービスしてくれてるのだろう。

でも、その「アレもコレも入れときました」感が、ただの洋服や通販のカタログにしか見えないのだ。

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載せた量が多いから変と言っているのではない。(ファンとしては情報量が多い方が嬉しいもの。)

思いが伝わって来ないのだ。

『ビート』との時とは違う。

『ビート』には、熱いロックやバンドや作品に対する思いも、愛も詰まっていた。

一つの人間の愛が全てに広がった。たった一冊の本で。

だが、『モアビート』にはそれが欠落してる。

落書きと物販のカタログ。

詩の世界は言わずもがな、、、カタカナの羅列。

誰だか知らないカタカナ名前、日本にいる外国被れの人達がアメリカ砂漠に憧れて高円寺界隈を歩く世界。

それでも良いの。

あの世界に楽しさや、喜びはあったから。

でも、それすらも見えない。

感情が見えてこないのだ。

言葉の羅列。

単語の羅列。

たまに、その言葉遊びに、キラッと光る言葉が出てくる。

私は、その光を逃すものかと走って捕まえにいく。

すると、スルッと手からすり抜け、その芸術にも似た詩の光、心の光は、また、カタカナの言葉の瓦礫の中へ埋もれていってしまうのだ。

彼の詩が好きだった私には残酷な仕打ち。ファンには寂しい。

チバは敢えてそうしているのだろうか?

 

もしかしたら、もう、思いのたけを綴る必要がないのかもしれない。

熱い思いがなくたって生きていける。

そっちの方が普通だろう。

特に大人として社会的地位があれば普通が一番だ。

怒る必要もないし、

熱い愛を叫ぶ必要もない。(叫ぶ人いますけど^_^)

安泰の二文字が全て。

それで良いのだ。

周りもYes Manばかりになるだろう。

誰も「それは違うんじゃない?」とはアドバイスしないのだろう。

スタッフがそうならば、ファンは尚更おだてていくだろう。

ミーハーでチバやミッシェルの詩が好きではないが有名だから好き〜という人は尚更祭り上げる。

ミッシェルは伝説だの看板が上がる。

ノリで出版しちゃうよね、そりゃ。

「アレもコレも載せちゃえ!」になるよね。

ノリで作ったにせよ、一冊の本だ。

一個の作品になる。

作品を出すにはそれなりの覚悟もあるはずだ。

だから、敢えて言わせてもらう。

『モアビート』には【ビート】がないと、、、

 

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ビートは、ハートのように作者の鼓動が聞こえる一冊で、私達読むもののハートに届いた。

読む者のハートに突き刺さり、ハートを鷲掴みにした。
モアビートには、作者のハートはないし、私のハートには突き刺さらず宙ぶらりんのまま、なんだかモヤモヤしたまま一冊を読み終えてしまった。

熱狂的ファンの方にはお叱りを頂くことになるだろう。

イライラして読む人もいるだろう。

でも、ずっとチバユウスケの作品が好きで音楽を聴いてきた私としては、もっと素晴らしい作品を生み出した欲しいから敢えて本音の感想を書いたのだ。

また、感動したいのだ。

 

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素晴らしい詩人の1人としてチバユウスケを見ているからだ。
本音の言葉を見てみたい、また。

また、ハートを揺さぶるような詩に、ハートを鷲掴みされたい。

ただそれだけ。

それだけだ。

生きている言葉を聞きたい。

ハートのある言葉を読みたい。

格好つけた言葉じゃなく、心臓の鼓動=ビート、から湧き上がったような言葉だ。

【ビート】が鳴り響く。

それは、私達のハートの鼓動。

【ビート】なのだから。

 

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