【 Mötley Crüe /Wild Side】Message from Hell. History & 和訳 Lyrics

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低迷期 (1992-2003)

1992年2月、ヴィンス・ニール解雇。表向きの理由は「ヴィンスがバンド活動よりも趣味であるカーレースに没頭したため」であったが、当時のグランジが音楽業界のメインストリームを席巻し始めていたため、これを意識したバンド側の音楽路線変更にヴィンスが従わなかったことによる、と噂された。 ヴィンスは不当解雇の裁判を起こし、両者の中は険悪となった。

ジョン・コラビ(Vo) 2013年
ヴィンスの後任にはThe Screamのジョン・コラビが決定。

ヴィンスはソロ活動を始め、1993年4月に1stアルバム “Exposed” を発表。全米チャート13位を記録した。

1994年3月、メンバーチェンジ後初のアルバム(6thアルバム) “Mötley Crüe” を発表。全米チャート7位。

発売当時の音楽ムーブメントに近いサウンドであったことから、サウンドガーデンのキム・セイル は「彼らはこれを80年代に作るべきだった。」とコメントしている。2010年が過ぎたころ、トミー・リーは本作が自身のキャリアの中でもかなり満足している作品だと語った。

6月から始まったワールド・ツアー(サポートはタイプ・オー・ネガティヴ、キングスX)は不入りが続き途中で中止。

11月、再びドラッグに手を染め始めたトミーがドラッグの過剰摂取による緊急入院。 12月、トミーが付き合っていたモデルのボビー・ブラウンに暴力行為で訴えられ逮捕される。

1995年2月、トミーが女優のパメラ・アンダーソンと再婚。(2000年に離婚)

8月、ヴィンスが2ndアルバム “Carved In Stone” 発表。が直後にレーベルとの契約を失う。

1996年12月、ニッキーがプレイメイトのドナ・デリコと結婚。(2007年離婚)

1997年1月、ヴィンスがバンドに復帰。6月に7thアルバム “Generation Swine” 発表。(当初、ジョン・コラビのヴォーカルを前提として作られていたが、作業途中でヴィンスの復帰が決定。ヴィンスのヴォーカル・サポートとメンバー間の不仲を取り持つため、暫くは解雇された後のコラビもレコーディング作業に参加していた。)全米チャート4位。チープ・トリックとの全米ツアー中にヴィンスが一時脱退するがすぐ復帰。

1998年よりエレクトラ・レコードを離れ、自らのレーベル「Mötley Records」を設立。

5月にトミーが妻である女優パメラ・アンダーソンへの暴行容疑で投獄される。

リー出所後の11月に2枚目のベストアルバム “Greatest Hits” をリリース。全米チャート20位。 ツアー中にトミーが脱退をほのめかす。

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1999年4月、トミーが正式に脱退。 12月にトミーはリンプ・ビズキットのフレッド・ダーストやキッド・ロック、ビースティ・ボーイズのミックス・マスター・マイクをゲストにヒップホップを主体としたソロプロジェクト “Method Of Mayhem” にてソロアルバムをリリース。

バンドはトミーの後任に元オジー・オズボーン・バンドでプレイしていたランディ・カスティロ(英語版)を迎え、『マキシマム・ロック・ツアー1999』でスコーピオンズとともに全米ツアー。

2000年、5月にニッキーのサイド・プロジェクト58、1stアルバム “Diet For A New Amrica” をリリース。

6月、加入したばかりのランディ・カスティロが緊急入院。癌と診断される。

7月にはカスティロ加入後初となるアルバム(8thアルバム) “New Tattoo” を発表。しかし全米チャートは41位。サポート・ドラマーとして元ホールのサマンサ・マロニー 加入。『マキシマム・ロック・ツアー2000』でメガデス、アンスラックスとともに全米ツアーを行う。

2001年バンドの自伝本、”The Dirt” 発売。

2002年3月にカスティロが癌により死亡。

5月、トミーの2ndソロ・アルバム “Never A Dull Moment” リリース。

2003年ニッキーは元L.A.ガンズのトレイシー・ガンズとともにブライズ・オブ・ディストラクション(Brides Of Destruction)を結成。

モトリー・クルーの司令塔でもあるニッキーが新バンドを結成したためバンドはほぼ解散状態に。

ブライズ・オブ・ディストラクションは3月に1stアルバム “Here Come The Brides” 発表。がニッキーはツアー終了後の12月に脱退。

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メンバー再結成 (2004-2012)

2004年にHollywoodにある「Tenth Street Entertainment社」が、モトリー・クルー オリジナルラインアップでのリユニオンライブを企画する。すでに会場を抑えたが、その段階ではメンバーへの交渉が始まっていない状態だった。

モトリー・クルーのリユニオンには大きな利益がうまれることが彼らの実績を見ても確信があったと同社CEOが見込んでいたが、本人たちには数曲の新曲を含めたベストアルバムのリリースをしてもらうことが条件となっていた。

企画してからライブまで5カ月という段階から、ニッキーへの企画説明をしたが、当時はBrides Of Destructionで日本ツアーの最中で、トミーはソロアルバムをリリースした直後、ヴィンスはソロの歌手として全米各地でライブを行っており、ミックは行方不明という状況だった。

トミーとヴィンスの関係が険悪だったこと、トミーは正式にバンドを脱退していることなど、多数の課題があった。

同社は一つずつ解決するため、メンバーを招き同じテーブルでの食事会を開く。その時の映像はメンバーへ告知なしで隠しカメラにより撮影されておりドキュメンタリー映像として残されている。

ニッキーは乗り気だと二人に話すが、トミーとヴィンスはどうしていくかまだ決められないが前向きであるということだった。

ギタリストのミックは依然行方不明だったため、ニッキーも協力し多方面からコンタクトを試みた結果、彼は自宅で療養している事が判明。

ニッキーがマネージャーらと訪問し、リユニオンについて説得し承諾を得た。

しかし、その後発表されるが、ミックは血清反応陰性関節炎を17歳から患っており、当時の時点で首を横に回すことが出来ない状態となっていた。

スタジオに姿を現した際に、トミーはその姿を見てとても怖くなったと語っていた。

演奏そのものは可能だったことから、新曲のレコーディングが実施されたが、レコーディング途中でトミーが姿を現さなくなることがあった。

ニッキーらは冷静に彼を説得し、再びバンドとして活動を始め、同社の企画したライブは「Carnival of Sins」と題され本格的なオリジナルメンバーによる再結成のワールドツアーが始まり、大きな成功を再び手にする。

翌年2月に3枚目のベストアルバム “Red White & Crue” をリリース。全米チャート6位。

10月、ローリング・ストーンズの『ア・ビガー・バン・ツアー』に2公演だけオープニング・アクトとして出演。

2005年8月、トミーの3rdソロ・アルバム “Tommyland:The Ride” リリース。

9月、アメリカ南部を襲った超大型ハリケーン・カトリーナの被災者救済イベント『ReAct Now:Music&Relief』に賛同。リンキン・パークのチェスター・ベニントンをゲストに迎えた ‘Home Sweet Home’ を発表。

2006年4月、ライブアルバム “Carnival Of Sins” をリリース。 9月にはエアロスミスと『ルート・オブ・イーブル・ツアー』で全米各所を廻る。

2007年ニッキーが1986年~1987年までのドラッグ中毒だった自身の日記 “The Heroin Diaries : A Year In The Life Of A Shatterd Rock Star” を発表。 同年8月にそのサウンドトラック “The Heroin Diaries Soundtrack” をDJアシュバ(現ガンズ・アンド・ローゼス)とプロデューサーのジェームス・マイケルとバンドSixx:A.M.を結成しリリース。

2008年6月、8年ぶりとなる9thアルバム “Saints Of Los Angeles” リリース。全米チャート最高4位に。表題曲「セインツ・オブ・ロスアンゼルス」はグラミー賞のベスト・ハードロック・パフォーマンスにノミネートされた。

2010年6月ヴィンスが3rdアルバム “Tattoos & Tequila” リリース。

2011年3月ニッキーのSixx:A.M.が2ndアルバム “This Is Gonna Hurt” リリース。

結成30周年を迎えたモトリー・クルーは同じく結成25周年のポイズンと共にニューヨーク・ドールズをゲストに迎え全米ツアー。 9月には10度目の来日公演を行った。

2012年2月、ラスベガスにて常駐公演。

7月、新曲 ‘Sex’ を配信限定で発売。キッスとダブルヘッドラインを組みアメリカツアーを開催。

活動停止へ〜現在 (2013- )

2013年8月、インタヴュー内で翌年度のツアーを以て、バンドの活動を終了することを仄めかした。

ヴィンスは、その理由を「デカいことがやれる最高の状態のうちに止めておきたいんだよ」としているが、一部には、マーズの健康上の問題と言う説も流れている。なお、再結成の可能性は示唆してはいるものの、キッスのように頻繁に行うつもりはないとも付け加えている。

10月には、シックスからも解散についてのコメントが出されている。ニッキーは、解散する理由を「オリジナルメンバーが一部欠けたまま、客足が少ない状況で活動を続けるよりも、オリジナルメンバーがそろったままで解散するほうが、もっと嬉しいから」と説明している。

2014年1月、7月からファイナルツアーを行うことが正式に発表。

2015年12月末、地元ロサンゼルスの最終公演をもって活動休止。

2016年、最終公演のドキュメンタリー映画『THE END』を劇場公開。

同ライブ作品『The End: Live in Los Angeles』をリリース。

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Members メンバー

オリジナル及び最終ラインナップ
ヴィンス・ニール Vince Neil – ボーカル (1981-1992, 1997-2015)
(本名Vincent Neil Wharton、1961年2月8日カリフォルニア州ロスアンゼルス出身)
ミック・マーズ Mick Mars – ギター (1981-2015)
(出生名Robert Alan Deal、1951年(1955年説あり)5月4日インディアナ州テレホート出身)
ニッキー・シックス Nikki Sixx – ベース (1981-2015)
(出生名Frank Carlton Serafino Feranna,Jr、1958年12月11日カリフォルニア州サンホセ出身)
トミー・リー Tommy Lee – ドラムス (1981-1999, 2004-2015)
(出生名Thomas Lee Bass、1962年10月3日ギリシャ・アテネ出身)

ヴィンス・ニール(Vo) 2008年

ミック・マーズ(G) 2012年

ニッキー・シックス(B) 2013年

トミー・リー(Ds) 2012年

旧メンバー
ジョン・コラビ – ボーカル (1993-1996)
(1959年4月26日ペンシルベニア州フィラデルフィア出身)
ランディ・カスティロ – ドラムス (2000-2002)
(1950年12月18日-2002年3月ニューメキシコ州アルバカーキ出身,51歳没)
サポート
サマンサ・マロニー Samantha Maloney – ドラムス (2000) 元ホール

ニッキー・シックス
ある男が「バイクの事故を起こし、ベースが弾けなくなったニッキーの代わりに自分がベースを弾いた」と主張。印税を巡り、男が裁判所へ訴えたことがある(上の項で説明されている1988年の訴訟事件のこと)。もちろんその訴えは取り下げられたが、それ以来ニッキーは偽者と間違われないよう全身に刺青を施していった。
小学生の頃は、いじめられっ子だった。ある時上級生がニッキーを押し倒し、昼食代を渡すまで踏みつけにする、ということが7回あった後、もう許すまいと誓った彼は、翌朝アポロ13号の絵の付いた金属製の弁当箱に石をいっぱい詰めて学校に持参し、学校に着くやその弁当箱を振り回し、いじめっ子達を殴打するという仕返しを行った。
『シャウト・アット・ザ・デヴィル』リリース前、当時元ランナウェイズのリタ・フォードと同棲していたニッキーは、黒魔術に凝っていた。本人は軽い気持ちでの行為だったが、部屋でコップや皿が飛んだり、不吉なことが多発したため、フォードや当時のマネージャーの懇願により黒魔術からは手を引いた。
ヘロインの過剰摂取で、心臓が2分間停止した事がある。元ガンズ・アンド・ローゼスのスティーヴン・アドラーによって発見され、周りが慌てている最中、張本人のニッキーは幽体離脱していたが、救急車で運ばれる瞬間に、「誰かに足をつかまれるような感じがして、それに引っ張られて自分の体に復帰した」という。しかし、蘇生した直後、あまりの激痛により、また気を失う。次に目を覚ましたのは病院であり、そこに事情聴取に来ていた警察と口論になり、また失神。次に目を覚ました直後に病院を脱走。病院まで心配で駆けつけていたファンを目の当たりにしたニッキーは感動、「二度とドラッグはしない」と約束し、家まで車で送ってもらう。しかし、周りは彼が死んだと思っており、家に沢山のマスコミが駆けつけていたため、バレないように裏口から家に入る。そしてその光景がなんとも愉快だったニッキーが最初にしたことは、留守番電話のメッセージを「やあ、こちらニッキー。死んじまったんで、家にはいません。」に変えることだった。そしてバスルームに行き、電話から鳴っている「やあ、こちらニッキー。死んじまったんで、家にはいません」というメッセージを聞きながら、ヘロインを打ち、また気絶。
プレイメイトのブランディ・ブラントと結婚。子供も生まれる。その後離婚。その後、同じくプレイメイトのドナ・デリコと再婚し、再び離婚。

ヴィンス・ニール
自宅でリーやマーズ、ハノイ・ロックスのメンバーらを招いてパーティーを開いた。パーティー開始からの3日目、酒を買い足しにヴィンスは飲酒運転で、ハノイ・ロックスのラズル (Razzle (musician)) とともに出かけた。その帰り道でスピードを出しすぎたヴィンスの車はスリップ、中央分離帯を超え対向車線の車と正面衝突してしまった。この事故により対向車の一般人2人は重傷を負い、ラズルは死亡。事故後、ヴィンスは自宅に引きこもり、後の裁判で賠償金270万ドル、30日間の禁固刑等の判決が下りた(入獄後、模範囚として刑期は18日間に短縮された)。
1989年のMTVミュージックアワード授賞式のバックステージで、当時ガンズ・アンド・ローゼズのイジー・ストラドリンを殴打。理由は、ヴィンスの当時の妻がバーでストラドリンに暴力を振るわれた、と聞かされたため。ストラドリンを殴り倒し、帰ろうとするニールを見たアクセル・ローズは激高し、それ以降公の場でニールを罵倒しはじめる。ストラドリンとの一件は水に流したニールだが、今度はローズとの喧嘩にシフト。MTVを通じて双方合意の決闘の日時・場所を決めたが、現れたのはヴィンスのみだった。
1992年にモトリー・クルーを解雇されてからクラブ経営を展開、渋谷にストリップ・バー「ガールズ・ガールズ・ガールズ」を作る計画も浮上していた。
ポルノ女優との性行為を映したプライベート・ビデオが流出したことがある。
愛娘のスカイラーを癌で亡くしてから、病気の子供たちを支援する「スカイラー・ニール基金」を設立。
2010年、短距離専門の航空会社を設立。

 

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トミー・リー
「ウィズアウト・ユー」はニッキーが、トミーとトミーの2番目の妻で女優のヘザー・ロックリアに捧げたものだったが、2人は破局。後にロックリアは、ボン・ジョヴィのリッチー・サンボラと再婚。トミーはウォレントのジェイニー・レインの元妻でモデルのボビー・ブラウンと婚約した後、ポイズンのブレット・マイケルズの元恋人でプレイメイト・女優のパメラ・アンダーソンと再婚。
付き合っていたボビー・ブラウン、妻だったパメラ・アンダーソンからそれぞれドメスティックバイオレンスで訴えられたことがあり、アンダーソンに訴えられたときは禁固刑で収監された。
当時の妻パメラ・アンダーソンとの性行為を映したプライベート・ビデオが流出したことがある。
ド派手なドラム・ソロで有名なトミーだが、ショーの最中に高所のドラムセットから落下、意識を失ったことがある(ワイヤーで吊るされたトミーがドラムセットから飛び降り、床ぎりぎりで止まった後再び空中のドラムセットへ飛び移る、という演出だったが、落下時にワイヤーを止めるのが間に合わなかった)。
あるツアー中滞在したホテルで、ドラッグとアルコールで正気を失ったトミーは全裸で廊下を走り回った。しかし逮捕されたのはなぜかマーズだったと言う、嘘のような本当の話がある。

ミック・マーズ
そのルックスから「悪魔」や「食人鬼」との異名を持つが、実際はシャイな性格。
強直性脊椎炎を患っていることから、他のメンバーのように派手なパフォーマンスは出来ない。
他のメンバーと同じく、ドラッグもアルコールも経験している。特に一時期はアルコール依存症を患い、当時のマネージャーをして「ミックはこの業界で最も優しい男だ。ただしアルコールが入ってなければ」と、手を焼いていた。しかし最年長メンバーだからか、それ以外では、結成当時から他のメンバーのようなパーティ三昧とは距離を置き、破天荒な問題を起こすことはあまりない。

= Discography ディスコグラフィー =

オリジナル・アルバム

1981年 『華麗なる激情』 Too Fast For Love
77位 プラチナム (US)
1983年 『シャウト・アット・ザ・デヴィル』 Shout At The Devil
17位 4Xプラチナム (US)
1985年 『シアター・オブ・ペイン』 Theatre Of Pain
6位 4Xプラチナム (US) 36位(UK)
1987年 『ガールズ、ガールズ、ガールズ』 Girls, Girls, Girls
2位 4Xプラチナム (US) 14位(UK)
1989年 『ドクター・フィールグッド』 Dr. Feelgood
1位 7Xプラチナム (US) 4位(UK)
1994年 『モトリー・クルー』 Mötley Crüe
7位 ゴールド (US) 17位 (UK)
1997年 『ジェネレーション・スワイン』 Generation Swine
4位 ゴールド (US)
2000年 『ニュー・タトゥー』 New Tattoo
41位 (US)
2008年 『セインツ・オブ・ロスアンゼルス』 Saints Of Los Angeles
4位 ゴールド(US)

ベストアルバム

1991年 『デケイド・オブ・デカダンス』 Decade Of Decadence
2位 2Xプラチナム (US) 20位(UK)
1998年 『グレイテスト・ヒッツ』 Greatest Hits
20位 ゴールド (US)
2005年 『レッド・ホワイト&クルー』 Red White & Crue
6位 プラチナム (US)
ライブアルバム

1999年 『ライヴ・エンターテイメント・オア・デス』 Live:Entertainment Or Death
133位 (US)
2006年 『炎上ライヴ~罪への宴』 Carnival Of Sins
2016年 『THE END ラスト・ライヴ・イン・ロサンゼルス』 The End: Live in Los Angeles

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シングル

Stick To Your Guns (自主制作盤) [1981]
Live Wire [1982]
Looks That Kill [1984]
Too Young To Fall In Love [1984]
Smokin’ In The Boys Room [1985]
Home Sweet Home [1985]
Girls,Girls,Girls [1987]
Wild Side [1987]
You’re All I Need [1987]
Dr.Feelgood [1989]
Kickstart My Heart [1989]
Without You [1990]
Don’t Go Away Mad (Just Go Away) [1990]
Same Ol’ Situation (S.O.S.) [1990]
Primal Scream [1991]
Anarchy In The U.K. (The Sex Pistols cover) [1991]
Hooligan’s Holiday [1994]
Misunderstood [1994]
Smoke The Sky [1994]
Afraid [1997]
Beauty [1997]
Glitter [1997]
Bitter Pill [1998]
Enslaved [1999]
Teaser [1999]
Hell On High Heels [2000]
New Tatoo [2000]
If I Die Tomorrow [2005]
Sick Love Song [2005]
Saints Of Los Angeles [2008]
Mutherfucker of the Year [2008]
Sex [2012]

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“【 Mötley Crüe /Wild Side】Message from Hell. History & 和訳 Lyrics” への2件の返信

  1. 深い、深すぎる記事。私の聴いてた中で最高にヤバい人達です。2~3枚しか聴きませんでしたがその当時のゴシップだけで凄すぎました。トミーの「2週間派を磨かないこともあった」という記事を読んで卒倒しそうになったことあります。

    1. 深い記事と言って下さり有難うございます。
      この歌詞を最後まで聞かないとわからない世界だよーん、と思って、ただのR&Rだぜーと思わないで欲しかったんです。だから、わかって頂けて凄く嬉しいです。
      Tommyもそうだけどメンバーの何人かはドラッグなハマり過ぎて路上生活したから歯磨かないは序の口でしょう。マジでヤバイ世界見たんじゃないかな。

Please send me your message♪(๑ᴖ◡ᴖ๑)♪