【Billy Joel/ Say Goodbye To Hollywood】 和訳 Life’s a series Hello & Goodbye’s 悲しみよ さようなら

たまーに聴くと、歌の上手さに釣られて一緒に歌い上げてしまい、めっちゃ疲れてしまうくらい歌がうま過ぎなヴォーカリスト、Billy Joel (^-^)

そんな上手い歌い手の数ある名曲の中で1番好きな曲を和訳解説しちゃいます〜!

今日Lyraが紹介するのは、アメリカ合衆国ニューヨーク州ブルックリン生まれ、ヒックスビル育ちのシンガーソングライター、歌手、ピアニスト、作曲家の顔を持つ Billy Joel (William Martin “Billy” Joel 1949年5月9日- ) ビリー・ジョエルです。

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一度聞いたら耳に残るPopな メロディと、都会的なアダルト・コンテンポラリー・サウンドで、1970年代後半から1990年代前半にかけてヒットを連発した名歌手&作曲家だ。

全世界で1億枚以上のレコード・セールスを記録し、アメリカでのレコード総売上第6位のアーティストである。

Billy Joel と言う歌手を知らなくても彼の代表的なヒット曲である

「ピアノ・マン」、

「素顔のままで」、

「アップタウン・ガール」、

「ストレンジャー」、

「オネスティ」などは、良くCMに使われたりTVやラジオで流れているから、耳にして記憶されてる人が多いんじゃないかしら?

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アメリカの大都市らしい曲を書かせたら、Billyほどキャッチーでありながら少しスノップで、綺麗なメロディを作れる人はいないんじゃないかな。

都会育ちのBillyだからこそかけるメロディや歌詞なんだよ。

Lyraも都会生まれの都会育ちだから、Billyの歌詞は自分の原風景と重なる。

そんなBilly Joelが書く詩はどんな世界が広がっているのだろう?

それは、Lyraの和訳の後にお話しましょう。

今日Lyraが和訳したのは、Billy Joelの4枚目のスタジオアルバムである1976年リリースの”Turnstiles”のオープニング曲【Say Goodbye To Hollywood】だよん。

 

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邦題は「さよなら ハリウッド」。そのまんま(笑)。

ただ歌詞は不思議とNYの景色なんだよ。面白いから和訳を読んでみて!

William Martin Joel (born May 9, 1949) is an American singer-songwriter, composer and pianist. Commonly nicknamed the “Piano Man”, he has been making music since the 1960s, releasing popular albums throughout the ’70s, ’80s and ’90s.

“Say Goodbye to Hollywood” is a song written and performed by Billy Joel, first released in 1976 on his album Turnstiles.

It was originally released as a single with “Stop in Nevada” as a B-side. However, the song achieved greater recognition in 1981 when a live version from Songs in the Attic was released as a single, with the live version of “Summer, Highland Falls” as a B-side.

Joel wrote the song after moving back to New York City in 1975; he had previously relocated to Los Angeles in 1972 in an attempt to get out of an onerous record deal

Mainly influenced by the sound of The Ronettes’s “Be My Baby”, “Say Goodbye to Hollywood” from 1976’s Turnstiles was written shortly after Billy Joel moved out of Hollywood and went back to New York City in 1975. He had relocated there to try and boost his career.

 

=Say Goodbye To Hollywood =

Bobby’s driving through the city tonight
Through the lights in a hot new rent-a-car
He joins the lover in his heavy machine
It’s a scene down on Sunset Boulevard

[Chorus]
Say goodbye to Hollywood
Say goodbye, my baby
Say goodbye to Hollywood
Say goodbye, my baby

Johnny’s taking care of things for awhile
And his style is so right for troubadors
They got him sitting with his back to the door
Now he won’t be my fast gun anymore

[Chorus]

[Bridge]
Moving on is a chance that you  take every time you try to stay
Together
Say a word out of line and you find that the friends you had are gone
Forever

[Verse 3]
So many faces in and out of my life
Some will last, some will just be now and then
Life is a series of hello’s and goodbye’s
I’m afraid it’s time for goodbye again

[Chorus]

[Bridge]

[Verse 3]

[Chorus]

 

ボビーは夜の街をドライブしながら夜通し走り抜けて行く

最高にイカした新車のレンタカーでネオンを通り抜ける

彼の重機の中で恋人と落ち合う

それが、サンセットブルーバードの光景さ

 

[コーラス]

ハリウッドにさようならを言いな

サヨナラって言いなよ、愛しい君

ハリウッドにさようならを言いな

サヨナラって言いなよ、愛しい君

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しばらくの間、ジョニーは気にかけてくれた

彼の生き方は、吟遊詩人には、うってつけさ

奴らは、彼をドアに背を向けて座らせた

今は、もうこれ以上、彼は俺の忠実な銃代わりにはならないだろうね

[コーラス]

ハリウッドにさようならを言いな

サヨナラって言いなよ、愛しい君

ハリウッドにさようならを言いな

サヨナラって言いなよ、愛しい君

 

 

どんどん先へ進むって事はチャンスだ

君は、いつも 一緒にいるために時間を割いてくれたね

何か言葉にしてくれよ、

君も永遠に居なくなる友達を見つけるかもな

 

俺の生きてきた人生には、色んな顔が出たり入ったりしてたな。

何人かは、これっきりかもしれないし、

何人かは、これからも時々一緒に居るだろう

人生は、こんにちは、とさようならの連続さ

残念だけど、さようならの時間が来たみたいだよ

 

[コーラス]

ハリウッドにさようならを言いな

サヨナラを言いなよ、愛しい奴

ハリウッドにさようならを言いな

サヨナラを言いなよ、愛しい奴

 

Songwriter: Billy Joel

Translator: Lyra Sky 和訳

 

 

ナイスな、原曲レコーディングに近い映像を見つけたので、追加しますね。

1981年のSparksでのライブだよん。

 

最後のシャウトする所がめちゃくちゃ良くて鳥肌もの。

完璧な演奏!

完璧な歌声だ。

 

この曲はアルバム「Turnstilles」、邦題「ニューヨーク物語」の一曲目。

正にBilly Joelの人生を歌っているようだ。

NYで上手くいかず、レコード会社に勝手な事をされて人間不信になり、当時の妻と一緒にロスアンジェルスに渡って音楽活動をやり直しして行くBilly。

すると、次に出したアルバムが売れまくったからと生まれ故郷のNYに舞い戻ることになってしまった Billyのある時期を切り取ったような作りになっているアルバムなの。

だから、Billy自身のハリウッドの思い出を描いている歌詞だ。

そして、この歌詞は、NYに帰れる嬉しい気持ちと、少し寂しい気がするお世話になった(?) ハリウッドの街や人に  “Goodbye Hollywood”と別れを告げているのだよ。

NYとは違って車社会のカリフォルニア。

Billyはレンタカーで回っていたんじゃないかな?と思った。

車買うよりレンタカーな気分だったんじゃないかしら、いつかNYに帰りたいから。

そんなBilly Joelのハリウッドの生活と人付き合いが垣間見れる歌詞が、都会の人達の表情を表していて面白い。

Billy Joelは人間や街を描くのが上手いな〜と感心するLyraですよ。

それは、色んな経験をして来た彼ならではの味なんだ。

ここから、ビリーについて書いてみよう。

ナチスから逃れるため、ドイツ南部からスイス経由でアメリカに亡命したアシュケナジム系ユダヤ人のハワード・ジョエルを父に、宝石商を営んだイギリス系ユダヤ人のハイマン(HeimanまたはHyman)家の出身である母との間にニューヨーク市ブロンクスで生まれ、ロングアイランドの新興住宅地に育つ。

ジョエル家はユダヤ系ではあるがユダヤ教には無関心(non-observant)。 親子ともユダヤ教徒ではない。

 

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父はクラシック音楽のピアノ演奏に長けており、ビリーも母の要求で幼時にピアノを習い始めた。これが、今のアーティストBilly Joelを作ったのだ。

スポーツより音楽に興味があるのを理由に、少年時代はいじめを受けていた為、自衛目的でボクシングを習う。

そして、アマチュアのボクサーとして試合に出場し、22勝の戦歴を重ねたが、24回目の試合で鼻の骨を折られボクシングの道を断念したBilly 。

14歳、エコーズというバンドに参加。ヒックスヴィル高校で学んだが、バーでピアニストとして働いていたために英語の単位を落とし、中退を余儀なくされた。

「俺はコロンビア大学に行くんじゃなくてコロムビア・レコードに行くんだから高卒の資格なんか必要ない」と言ったが、本当にコロムビア・レコードと契約してしまったのだから、なんでも言ったもん勝ちな気がして来ちゃう。

だが、中退から25年後の1992年、ビリーは同校にエッセイを提出して卒業資格を認定された。

その後、故郷のロングアイランドを拠点に活躍していたハッスルズのメンバーになり、それ以外にバンド内のDs. ジョン・スモールとユニット、アッティラを結成、2枚のアルバムを発表。しかし、全く売れない為に、解散。

このバタバタした下積み時代に、Billyは鬱病に悩まされていて、極度の神経衰弱から精神病院に入院している。心の問題は、大ヒットを出してからも彼を悩ませていく。

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アーティ・リップに才能を見出され契約を交わし、彼のプロデュースによって制作された1971年のアルバム『コールド・スプリング・ハーバー』で、ビリー・ジョエルはソロ・デビューする。

だが、このアルバムは、所属レコード会社に勝手な判断で録音テープの再生速度を上げられてしまい全く別人のような歌声で発表されてしまった。

その上、ヒットにも至らず、人間不信から鬱病が進行し自宅に引き籠りがちになってしまう。

発売後に後に妻となるマネージャーのエリザベス・ウェーバーと共にロサンゼルスに移住する。

それが、この【Say Goodbye To Hollywood】のベースになるのだ。

Billyは名前をビル・マーティンにして、クラブ中心のライヴ活動をしていた。

その後コロムビア・レコードと契約を更新、そして、1973年に、アルバム『Piano Man ピアノ・マン』で再デビューを果たす。表題曲が全米トップ30のスマッシュ・ヒットし、セールズが伸びて、彼にとって初となるゴールド・ディスクを獲得。

同じくマイケル・スチュアートがプロデュースを手がけた1974年発表のサード・アルバム、『ストリートライフ・セレナーデ』もゴールド・ディスクに認定。

1975年に、この4枚目のアルバム『ニューヨーク物語』を制作する。このアルバムは、当初シカゴのプロデューサーだったジェイムズ・ウィリアム・ガルシオがプロデューサーとして携わっていたが、最終的にジョエル1人によって仕上げられた。

翌年リリースされ、彼にとってキャリア中唯一のセルフ・プロデュース作品となったこのアルバムは、後にヒット曲となる「さよならハリウッド」「ニューヨークの想い」などを収録しながらも、この時は、商業的に不振に終わっている。

翌年1977年に5枚目のアルバム『ストレンジャー』発売により、ビリーは一躍スターダムにのし上がり、大きな成功をポール・サイモンのグラミー賞受賞作『時の流れに』などを手がけたフィル・ラモーンをプロデューサーに起用して制作されたこのアルバムは、全米2位まで上昇する大ヒット!

アメリカでは、2003年に各フォーマット総合で1,000万枚以上も売り上げ、ダイアモンドディスクに認定された。

この『ストレンジャー』にも収められていたのが、全米3位の「素顔のままで」で、1978年度のグラミー賞で最優秀楽曲賞と最優秀レコード賞を受賞し彼にとって30年以上のキャリアの中で最大級のヒット曲となっている。

1978年には、アルバム『ニューヨーク52番街』を発表。このアルバムで、彼は初の全米チャート1位を獲得しただけでなく、同年度のビルボードの年間アルバムチャートでも首位を記録。

グラミー賞の最高賞をや様々な賞を獲得して行き、シンガーソングライターの地位を築いて行ったのは、ご存知であろう。

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快進撃を続けて行くBilly 。

だが、成功の裏には鬱病の進行に苦しむ彼がいた。

マネージャーであった妻との分かれに苦しんだり、事故を起こしたり、、、再婚して幸せになったかと思うと、また病気が再発し事故を起こす。

シンガーソングライター、それも大ヒットをぶちかまして行くヒットメイカーになれたのに、もがき苦しまなければいけないのは、辛かっただろう。

Billyの歌詞は繊細だ。

きっと壊れやすいハートの持ち主なのかもしれない。

そのせいか、現在は、新曲を出したりする作詞作曲はしないそうだ。

第一線を退いた風にも言われているが、主にライブやクラシックの創作などに今は力を注いでいるという。

やはり、音楽からは離れられないのだろう。

でも、彼の歌声の素晴らしさ、楽曲のクオリティの高さ、詩の世界の魅力は、今も色褪せない。

Billy  Joelの曲にはPopだったり、Jazzだったり、Rockだったり色んな色があるが、全てにおいて古臭さがないリアリティがある。

人を見、街を見続けた優しい瞳が見て来たものだからだ。

真実、リアリティは強い。

人の心に直接入ってくる。

Lyraのハートには1番、この【Say Goodbye To Hollywood】が響くの。

きっと人生を描いているからだ。

人生はこんにちは、とさようならの繰り返しだろう。

でも、そこには希望がある。

この歌詞のようにサヨナラを行った街との別れは悲しいが、これから行く街NYには、明るい未来が待っているのだから!

サヨナラの向こうには、又、新しい世界、出会いが待っている。

だから、どんなに辛くても頑張ろう。

きっとこの苦しみの向こうには、明るい明日が待っているのだから!

そう、【Say Goodbye To Hollywood】を聴いていると勇気づけられるLyraです。

貴方も落ち込んで辛い時や、

都会の雰囲気を感じたい気分の時は、Billy Joelの【Say Goodbye To Hollywood】を聴いてみてね。

きっと懐かしい想いと新しい希望への想いで力が湧いてくるだろう!

 

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= About “Say Goodbye To Hollywood =

Influence

Joel has stated in his university lectures that he wrote the song with Ronnie Spector and The Ronettes song “Be My Baby” in mind.

Indeed, Joel notes that the two songs share a very similar beat. Recognizing Joel’s tribute, Ronnie Spector recorded her own cover version of “Say Goodbye to Hollywood” in 1977 with the E Street Band, soon after Joel released his first recording of the song on Turnsti

Personnel

Adapted from the AllMusic credits.

  • Billy Joel – piano, electric piano, Moog synthesizer, clavinet, organs, harmonica, vocals
  • Jerry Abramowitz – cover photography
  • Ken Ascher – orchestral arrangements
  • John Berg – cover design
  • Bruce Botnick – mixing
  • John Bradley – engineer, project supervisor
  • Jo Buckley – production coordination
  • Richie Cannata – saxophones, clarinet
  • Liberty DeVitto – drums
  • Howie Emerson – electric and acoustic guitars
  • Russell Javors – electric and acoustic guitars
  • Mingo Lewis – percussion
  • Don Puluse – engineer
  • Brian Ruggles – basic track consultant
  • James Smith – acoustic guitar
  • Doug Stegmeyer – bass guitar
  • Lou Waxman – tape engineer
  • Phil Woods – saxophone on “New York State of Mind” (on 1998 CD reissue and subsequent issues)

参加ミュージシャン

  • ビリー・ジョエル – ボーカル、ピアノ、キーボード
  • ダグ・ステッグマイヤー – ベース
  • リバティ・デヴィート – ドラムス
  • ハウィー・エマーソン – ギター
  • ラッセル・ジェイヴァース – ギター
  • ジェイムズ・スミス – アコースティック・ギター
  • ケン・アッシャー – オーケストラ・アレンジ
  • ミンゴ・ルイス – パーカッション
  • リッチー・カナータ – サックス

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=Billy Joel’s background=

Birth Name: William Martin Joel

Born:May 9,1949  The Bronx, New York City

Origin: Hicksville, New York

Genres: Rock, Soft rock, piano rock, pop

Occupations: Musician, singer-songwriter, composer

Instruments:Vocals & piano

Years active:1965-present

Labels: Columbia, FamilyProductions, Sony Classical

Associated acts:.The Echos, the Hatssles,Attlla, Billy  Joel Band, Elton John

 

Born in the Bronx, New York, and raised on Long Island, New York (both places which have heavily influenced his songs), Joel took part in two short-lived bands, The Hassles and Attila, before beginning a solo career in 1971 with his first solo release, Cold Spring Harbor.

In 1972, Joel grabbed the attention of Columbia Records after a live radio performance of the song “Captain Jack” became popular in the West Coast, prompting him to sign a new record deal with the company and release his second solo album, Piano Man, which contained his first hit single of the same name.

After releasing two more albums, Streetlife Serenade and Turnstiles, Joel released his critical and commercial breakthrough album, The Stranger, in 1977; this album became Columbia’s best-selling release, selling over 10 million copies and spawning several hit singles, including “Movin’ Out (Anthony’s Song)”, “Just the Way You Are”, and “Only the Good Die Young”. A year later, Joel’s album 52nd Streetwas his first album to peak at #1 on the Billboard 200 charts. After receiving slack from critics for being soft and releasing too many slow ballad songs, Joel released his seventh studio album, Glass Houses, in an attempt to further establish himself as a rock and roll artist. His next album, The Nylon Curtain, was released in 1981, and stemmed from a desire from Joel to create more lyrically and melodically ambitious music. An Innocent Man, released in 1983, served as an homage to genres of music which Joel had grown up with in the 1950s, such as Rhythm and Blues and doo-wop. In 1993, Joel released his twelfth and final solo album, The River of Dreams. He went on to release Fantasies and Delusions, a 2001 album featuring classical compositions composed by Joel and performed by British-Korean pianist Richard Hyung-ki Joo. Joel also provided voiceover work in 1988 for the 27th animated Disney film, Oliver & Company, in which he provided the voice of the character Dodger.

Across the 20 years of his solo career, Joel produced 33 Top 40 hits in the US, all of which he wrote himself, and three of which (“It’s Still Rock and Roll to Me”, “Tell Her About It”, and “We Didn’t Start the Fire”) managed to top the charts. He is also a six-time Grammy Awardwinner who has been nominated for 23 Grammy Awards. With over 150 million records sold worldwide, he is one of the best-selling artists of all time  as well as the sixth best-selling recording artist and the third best-selling solo artist in the United States.

His 1985 compilation album, Greatest Hits Vol. 1 & 2, is one of the best-selling albums in the US.

Joel was inducted into the Songwriters Hall of Fame (1992), the Rock and Roll Hall of Fame(1999), and the Long Island Music Hall of Fame (2006). In 2001, Joel received the Johnny Mercer Award from the Songwriters Hall of Fame. In 2013, Joel received the Kennedy Center Honors, the nation’s highest honor for influencing American culture through the arts. Since the advent of his solo career, Joel has held a successful touring career, holding live performances across the globe in which he sings several of his written songs. In 1987, he became one of the very first artists to hold a rock and roll tour in the Soviet Union following the country’s alleviation of the ban on rock and roll music. Despite retiring from writing and releasing pop music following the release of The River of Dreams (with the exception of the two singles “All My Life” and “Christmas in Fallujah”, which were released in 2002 and 2007, respectively), he continues to tour, with the Madison Square Garden in Manhattan freguently  serving as a performance spot. Joel has been in several relationships, including marriages to Elizabeth Weber Small, model Christie Brinkley, and Katie Lee, all of whom he divorced from; he is currently married, since 2015, to Alexis Roderick, his 4th spouse.

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