私は驢馬に乗って下着を売りに行きたい

鴨居羊子さんのエッセイ本を読み、海風の中に立ってるような気持ちになりました。

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下着の(特に女性下着)先駆者であり、昭和初期からのキャリアウーマンの開拓者である鴨居さん。

 

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読み始めると初めから関西の気の強いおばさちゃん気質がビンビン伝わってきます。

しかし、中盤から、武勇伝ぽい文体が変わり、仕事から来るプレッシャーやストレス、大好きだけど反抗してしまう母親との関係や、女として生きることへの羨望と嫌悪の入り混じったアンビバレントな感情が渦巻き、一気に世界観が変わってしまいました。

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関西弁炸裂までいきませんが、難波の商人の精神が鴨居さんの中に息づいていて、全てを金儲けへと繋げられる手腕がある、

だけど、

根は芸術家のような繊細な才能の持ち主だから、心の中で二つの個性がぶつかりあってしまうのでしょう。

読んでいくにつれ、辛いだろうな、と読んでいれうちに鴨居さんの相談話を聞いてあげてるような気持ちになってきました。

彼女がどんな派手な格好をしても(当時で.すでに金髪にしてモンローのような格好をして関西から東京に仕事の話をしに来たり、ピンクの革ジャン着たりするなんて勇気あるし、cute!)馴染んでしまう。

それは、派手な顔立ちのせいと、鴨居さんは思ってるようですが、私はその二面性が何でも吸収してしまう柔軟性と相まって国境を超えた全てを手に入れてしまう才能なんだと思います。

人間より犬を愛していたような気さえしてしまう洋子さん。

鴨居羊子さんが、、世間で、メデイアで、誰もやらないようなドデカイことをしてきた為に、社会的地位を手に入れたかわりに、ドデカイ存在になってしまったから鴨居の名前だけ一人歩きしてしまい、鎧を脱ぎ捨て素の羊子には戻りたいのに、戻れなくなったのでしょう。

今の時代だって、女性は仕事かそれとも女として生きるべきかと、選択を迫られることがあります。

結局何も変わってないのだろうか?時代はこんなにたっているのに。

なんか虚しくなってしまう。

頑張っても頑張っても、報われない。

そんな気分に苛まれたのか?

 

小さい一坪しかない仕事部屋から出て、アメリカ村真ん前のビルに3フロア借りて、屋上に社旗を掲げるくらいなり、しまいにはデカイ社屋を借りれる迄になったのに、それと反比例するかのように、周りを蹴散らすくらいのパワーが、蝕まられていったように見えました。

地味すぎな機能性重視の割に使いにくいデザイン性のない、選択肢もない女性下着を、

色彩豊かで、個性的な、沢山の種類や新しい素材を選んで創造していく彼女のパワーは、無限のパワーだったのに。

下着だけじゃなく、下着が日陰の存在だったのを、明るい世界=ファッションショーという日向の世界に引きずり出し、それを、ただのショーでなく今のライブや演劇仕立てにしてしまう。

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売り場がなければ、狭いデパートの空間をつかい、下着の個展をしてしまう。

発想力と思想の展開が私は見習いたいくらいなのに、、、

自分の人生の迷いを察知すると、おとなのおもちゃを作ろうと魔女の縫いぐるみを作ったり、クチビル型の灰皿を作ったり雑貨を作り出す。

迷い迷い、孤独に苛まれていく姿を誰かが救ってあげられなかったのかな?と、私は身につまされていきました。

枯れてきたなら水をあげしょう!私ならそう言ってあげたかったな。

水を得るためか、初めの会社を立ち上げる時のエピソードと打って変わり、海やギリシャや、スペインへ彼女の意識が飛んでいく。

旅で出会った人達は、本当にいたのだろうか?

不思議なシチュエーションに変わり、フラメンコに傾倒していく鴨居さんは、最終章で、悲しい別れをします。

あまり悲しすぎるエンディングだから、文字にしないでおこう。

書くつもりだったんだけど。

このエッセイは、初めと中盤から最後へと文体も世界も変化があるので、最初がキツイ性格の女作家だから苦手と思うかもしれませんが、とにかく真ん中辺まで読んでください。

そのあとは一気に読めて鴨居ワールドがどうなるのか?気になり初めますよ。

生きるって何だろう?

女性の幸せって何なんだろう?

と、今更ながら考えてしまう一冊でした。

爽やかだけどあの海の向こうには何があるんだろうか?何しかないんだろうか?と不安な気持ちになりました。チュニックの社旗を掲げて、ビルの上から、創造な海を私も見た気がします。

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