今朝、カズオイシグロがノーベル文学賞を受賞した。『わたしを離さないで』で馴れ親しむ作家の受賞だから妙に親近感を覚えて嬉しく思う、、、村上春樹受賞よりも。
イシグロ氏は、自宅の台所の机でメールを書いている時に知らせが入り「今流行りのFake News(偽のニュース)なのかと思った。BBCからの連絡を受けて本当だと思った」と話し、笑いを誘った。12月にストックホルムで開かれる授与式には「ぜひ参加したい」とほほ笑んだ。
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カズオイシグロ(石黒 一雄、1954年11月8日 – )は、長崎県出身の日系イギリス人作家。1989年に長編小説『日の名残り』でイギリス最高の文学賞ブッカー賞を受賞した。
代表作にLyraが好きな『わたしを離さないで』や【私たちが孤児だったころ』などがある人気作家でロンドン在住。昨夜、2017年10月5日8:00pm 過ぎノーベル文学賞受賞。
現在は新作小説を執筆中で、漫画を共同制作する計画もあるのがファンとして期待大だ。「グラフィックノベルの制作について話し合っているところだ。自分にとって新しく、日本で漫画を読んでいた子ども時代と再会させてくれることでもあるため、とても興奮している」と語っている。
そして「価値観や(政治などの)指導力が不安定な時代。文学が少しでも何か道を探すことにつながればと思っている」と語ってるように、カズオイシグロの作品を読んでいくと不安定な世の中に認められる特徴が作品にあるのに気づくだろう。
今日は、カズオイシグロ受賞のお祝いとして、彼の作品の特徴を作者と作品からLyraなりの考えをまとめてみよう。
日本を懐かしむイギリス人が真実。だが揺らぐアイデンティティ
イシグロ氏は62歳。5歳の時、海洋学者だった父の北海油田の仕事の為に日本人の両親とともにイギリスに渡り、その後、1982年『遠い山並み』が王立協会文芸賞を受賞した後、イギリス国籍を取得したのだから、土壌には日本語を話す両親に育てられた日本人気質がありながらも、イギリス現地の学校に通い、ケント大学やイーストアングリア大学で英文学などを専攻した、普通にイギリスで生活して来たイギリス人であり、日本国籍ではなくイギリス帰化を選んだ、イギリス人作家だ。
日本人とは違う。
酷い事に「カズオイシグロ氏は、英語で長編小説を書いて来ました」と書いている批評家や記者がいるが、それは間違っている。彼はイギリス人なのだよ。
日本人は直ぐに「私たちと同じ」を強調したがる国民性がある。この「みんな一緒が好き」なのは悪くないし協調性があることは争いを避ける意味でも良い事。
ただ、日本人だから、とか、日本と縁があるから日本人と同じ、と勘違いしない方が良い。
アイデンティティほど不確定で未確定なものはない。
カズオイシグロの作品は明らかにイギリスと言う外国から見た日本を描いているだけだ。彼はイギリス人なのである。日本を懐かしむイギリス人だ。
本人がリップサービスで、「わたしを離さないで」の日本公開に合わせて来日の記者会見で、「街を歩いても食事をしても、幼いころにいた日本の記憶がよみがえってくるようでほかの国に行くのとは全く違った感じです」と言ってるように思い出の外国なのである。(日本に戻ったのは30代の時だったらしいし)
2017年10月ノーベル文学賞の受賞後のインタビューで「予期せぬニュースで驚いています。日本語を話す日本人の両親のもとで育ったので、両親の目を通して世界を見つめていました。私の一部は日本人なのです。」というのも一部の思い出を懐かしむイギリス人のサービス精神である。日本のTVニュースでも同じことを言っていたが、ニュースでは繰り返し、「5歳でイギリスに渡った日系人作家カズオイシグロさんが日本への想いを語っています」と放送しているのが恥ずかしくなってしまった。(別に5歳でイギリスに渡った、と連呼したっていいじゃん、と突っ込む人もいるだろうが、何か日本がノーベル文学賞受賞と勘違いしてるようで情けないような何とも言えん気持ちになったのだ)
日本語は殆ど話すことができないがヒヤリングはできる、と日本のニュースでは言ってるが実際は話せるようだ。2015年1月20日に英国紙のガーディアンで、英語が話されていない家で育ったことや母親とは今でも日本語で会話すると述べているから。
しかし。おかしな事に英語が母国語のインタビュアーに「I’m pretty rocky, especially around vernacular and such. 」など「言語学的には同じくらいの堅固な(英語の)基盤を持っていません」と返答していたり、曖昧さが伺えるのが不思議だ。
カズオイシグロは未だにアイデンティティが定まっていないと自問自答しているのかもしれない。イギリス人なのに。
良くバイリンガルが陥る現象に思えるが、このアイデンティティの曖昧さや、揺らぎがカズオイシグロの小説の根底にある物で、その揺らぎをある特徴を持って書く事でメッセージを伝えようとしていると私は推測している。
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カズオイシグロ作品の特徴と魅力
1982年デビュー作「遠い山なみの光」は、戦後まもない長崎の混乱の中をたくましく生きる女性の姿を描き、
1986年発表した2作目「浮世の画家」では、戦前の日本人画家が主人公。終戦をきっかけに社会の価値観が大きく変わる中をもがきながら生きる姿をみずみずしく表現。
1989年のブッカー賞受賞の【日の名残り』は、第2次世界大戦後のイギリスの田園地帯にある邸宅を舞台に、そこで働く執事の回想を通して失われつつある伝統を描き、イギリスで最も権威のあるこの賞を獲得した。
2000年の「わたしたちが孤児だったころ」、ロンドンで育った孤児が探偵となり、日中戦争で揺れる中国に渡り両親の行方を捜す姿が書いた。
また、2005年『わたしを離さないで』は、臓器移植の提供者となるために育てられたクローン人間の若者達が、運命を受け入れながら『生き続けたい」と葛藤して行く苦悩を描いたフィクションで、2010年にキーラナイトレイやスパイダーマンでお馴染みのアンドリュー・ガーフィールド主演で映画化され、翌年日本でも公開されたり、綾瀬はるかでTBSでドラマ化されたのでカズオイシグロを知らない人でも、このドラマを知ってる人はいるだろう。(内容は全く小説の良さを出せずに、変な解釈がなされ別物の下品な作品になってしまった)
そして、久しぶりの長編作2015年「忘れられた巨人」を発表し、老夫婦が何度も困難に直面しながらイギリスで旅を続ける姿を描いた。
このように、彼の作品には二通りのパターンがある。このパターンは、いずれ生きていれば作風が変わるだろうけれど、2017年までは2パターンだ。
①戦後の混乱期を生き抜く日本人や、その時代の日本を懐かしむイギリス人の話。
②イギリス人でイギリスを舞台にして、近未来と現在、過去へ行ききする主人公の話。
この二つが主だ。
最初の2作は日本を舞台に書かれたものであるが、自身の作品には日本の小説との類似性はないと言うカズオイシグロ。
1990年に「もし偽名で作品を書いて、表紙に別人の写真を載せれば『日本の作家を思わせる』などという読者は誰もいないだろう」と言ってる。
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1989年に国際交流基金の短期滞在プログラムで再来日し、大江健三郎と対談した際、最初の2作で描いた日本は想像の産物であったと語り、「私はこの他国、強い絆を感じていた非常に重要な他国の、強いイメージを頭の中に抱えながら育った。英国で私はいつも、この想像上の日本というものを頭の中で思い描いていた」と述べているように、やはり推測通り日本は彼には【他国】なのだ。
他国の日本を懐かしむイギリス人がカズオイシグロだ。
日本に関連性がある①パターンでは、他国の日本を描いているイギリス人や戦後の日本の描き方も、どこか客観的な異国情緒がある表現が異質だ。
ただ、この異質さが他の作家にはない魅力を放っている。
日本を描いているのに、何処か違う別世界の匂いがプンプンして来る。
この異国や異質さがカズオイシグロの持ち味なのだ。
そして、イギリス人をイギリスを舞台にして描いている②パターンは、土地は本国イギリス、、、だが、まるで別世界や別次元のイギリスを描いているような描き方をしている。
Lyraが好きな「わたしを離さないで」は、イギリスのどこかのパブリックスクールのような雰囲気を醸しながら読んで行くうちに普通の学校ではない異様な施設であり、まるで近未来の監獄のようなクローン教育施設であることがわかる。
描いている文章は、淡々としている。淡々としているからつい読み流してしまうが、実は異様な世界なのだ。
日常のイギリスの片田舎。日常のイギリスの港町。日常のイギリスのスクール。だが、それは別次元で行われている異様なこと。異質なことだ。
ただ、リアルだ。実際にイギリスにこんなクローン牧場があるのでは?と思えてしまう。
彼のリアルさが異質さや異国を読み手に信じ込ませるパワーになっている。
「忘れられた巨人」もイギリス人の老夫婦が色んな困難に遭遇しながらイギリスを旅するのだが、アーサー王の死後の世界で、老夫婦が息子に会うための旅をファンタジーの要素を含んで書いてあり、彼らの思い出が現在・過去・未来を行ききするため、現在のイギリス旅行がタイムスリップをしている異質な旅に思えて来るのだ。
私には、どこか別の国、異国を旅しているタイムトラベラーの老夫婦を描いているように感じてきてしまう。
それは、リアルで映像を見ているようだ。
谷崎潤一郎などカズオイシグロは、多少の日本人作家の影響を認めてはいるものの、むしろ小津安二郎や成瀬巳喜男などの1950年代の日本映画により強く影響されていると語っている。
それは、まるで日本の監督に影響を受けたと言ってるいるタランティーノみたいだ。(タランティーノと映画の趣味は違うけど。あちらは黒澤)
カズオイシグロの作品を読んでいると描写がみずみずしくリアルで、どこか情緒的なのは、この小津や日本映画の影響なのだろう。
彼が描く異国や異質さは、「違和感」を生む。まるで自分は誰なのか?何者なのか?とアイデンティティが揺らぐ作者のようだ。
そしてその計り知れないアイデンティティの揺らぎや不安定さは巨大な「むなしさ」を生む。
カズオイシグロは、その全てを映画のようなリアルな描写で持ってキャラクターたちの感情をみごとに描いて行く。
そこには、人間らしい、思い出の間違った記憶や過去の思い込みがあり、セリフまわしや映像的な描き方で、人間の弱さや、互いの認知の齟齬を紐解いて行く悲しさや面白さがある。
その曖昧さ、不安定さがどこか別世界、別次元を体験している気持ちなるのがカズオイシグロの魅力なのだ。
ノーベル文学賞の選考委員会は「カズオイシグロは、壮大な感情の力を持った小説を通し、世界と結びついているという、我々の幻想的感覚に隠された深淵を暴いた(who, in novels of great emotional force, has uncovered the abyss beneath our illusory sense of connection with the world)」と受賞理由を発表。
彼の異質感やアイデンティティの揺らぎの魅力が全世界に認めらた瞬間だ。
昨年6月に決まった英国の欧州連合(EU)離脱については、移民や多様性を否定しかねない面を批判していた。「自由民主主義が揺らぐような出来事が増えている。作家として私の役割は、一歩引いて、普通の人々と権力の関係、個人間の責任などについて考察することだ。誰もが忙しい日常を送っている。自分の小さな生活における責任がどう始まり、どう終わるのか。考えることを全くしなくなれば、いつか大きな事故が起きてしまう」と語っているイシグロ氏。
カズオイシグロの揺らぎは、現在の自由民主義の揺らぎとシンクロしているのだ。
まさに、彼の受賞は時代が呼んだのだ。
世界と結びついている、という考えは幻想的な私たちの希望なだけであり、実際には黒く深い隠された深淵があるのかもしれない。
その深淵を紐解く鍵はカズオイシグロの世界にあるのかもしれない。
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カズオ・イシグロ Kazuo Ishiguro
誕生 1954年11月8日(62歳)
日本の旗 日本 長崎県長崎市
職業 小説家
言語 英語
国籍 (日本)→ イギリス
最終学歴 ケント大学
イースト・アングリア大学大学院
活動期間 1981年 –
ジャンル 小説
主な受賞歴 ブッカー賞(1989)
ノーベル文学賞(2017)
デビュー作 『遠い山なみの光』
ノーベル賞受賞者ノーベル賞
受賞年:2017年
受賞部門:ノーベル文学賞
生い立ち
長崎県長崎市新中川町で、海洋学者の父・石黒鎮雄と母・静子の間に生まれる。祖父の石黒昌明は滋賀県大津市出身。祖父・昌明は東亜同文書院(第5期生)で学び、卒業後は伊藤忠商事の天津支社に籍を置き、後に上海に豊田紡織廠を設立するに当たって責任者となる。幼少期には長崎市内の幼稚園に通っていた。1960年、5歳の時にイギリス政府に国立海洋学研究所(en:National Oceanography Centre)に招致されて勤務する父が北海で油田調査をすることになり、一家でサリー州・ギルドフォードに移住、現地の小学校・グラマースクールに通う。 卒業後にギャップ・イヤーを取り、北米を旅行したり、デモテープを制作しレコード会社に送ったりしていた。1978年にケント大学英文学科、1980年にはイースト・アングリア大学大学院創作学科に進み、批評家で作家マルカム・ブラッドベリの指導を受け、小説を書き始めた。卒業後に一時はミュージシャンを目指すも、文学者に進路を転じた。
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1982年、処女作『女たちの遠い夏』(日本語版はのち『遠い山なみの光』と改題、原題:A Pale View of Hills) で王立文学協会賞を受賞。イギリスに帰化する。
1986年第2作『浮世の画家』(原題:An Artist of the Floating World) でウィットブレッド賞を受賞。イギリス人のローナ・アン・マクドゥーガルと結婚する。
1989年、第3作『日の名残り』(原題:The Remains of the Day)で英語圏最高の文学賞とされるブッカー賞を35歳の若さで受賞。
2017年、ノーベル文学賞を受賞。
1995年に大英帝国勲章(オフィサー)、1998年にフランス芸術文化勲章を受章している。
2008年には『タイムズ』紙上で、「1945年以降の英文学で最も重要な50人の作家」の一人に選ばれた。
作品
長編小説
邦題 原題 出版年
●遠い山なみの光(英語版)A Pale View of Hills 1982年
●浮世の画家(英語版) An Artist of the Floating World 1986年
●日の名残り The Remains of the Day 1989年
●充たされざる者(英語版) The Unconsoled 1995年
●わたしたちが孤児だったころ(英語版) When We Were Orphans 2000年
●わたしを離さないで Never Let Me Go 2005年
●忘れられた巨人 The Buried Giant 2015年
短編小説
邦題 原題 出版年
●’A Strange and Sometimes Sadness’, ‘Waiting for J’, and ‘Getting Poisoned’ in Introduction 7: Stories by New Writers 1981年
●戦争のすんだ夏 ‘The Summer after the War’ 1990年
●夕餉 ‘A Family Supper’ 1990年
日●の暮れた村 ‘A Village After Dark’ 2001年
●夜想曲集―音楽と夕暮れをめぐる五つの物語(英語版) Nocturnes: Five Stories of Music and Nightfall 2009年
脚本
●A Profile of Arthur J. Mason (1984年) テレビ作品
●The Gourmet (1987年) テレビ作品
●世界で一番悲しい音楽 The Saddest Music in the World (2003年) 映画
●上海の伯爵夫人 The White Countess (2005年) 映画
作詞
Stacey kent / The Ice Hotel
Stacey kent / I Wish I Could Go Travelling Again
Stacey kent / Breakfast on the Morning Tram
Stacey kent / So Romantic
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