Kurtの命日は、彼のお誕生日と同じようにLyraにとってはKurt Cobainを偲ぶ日。
毎年この日は、Nirvanaの曲を和訳解説して、毎度、Kurtの素晴らしさ、やばさ、優しさ、自分勝手さに触れ、死んだはずなのに隣で話してるかのような錯覚に陥る。親しげに話しかけて来るKurtは、少年のようだし、笑顔が魅力的。そして、たまに老人のように憔悴し切っている。
「彼が今、生きていたら?」
皆んな同じ問いにぶつかりイマジンする。あり得ない話なのにね?
ただリアルに声が、歌詞が、ギターが胸に今も「こんなに」突き刺さるのだから、生きていても糞まみれだろうと輝いていたと信じてる。
信じてるのよ、Kurt。だからお休み。
もう痛いことも痛いことをする者もいないよ。
今日はKurtのお気に入りの曲を選んだよ。又あの笑顔が蘇る。