先日バースデイだったこのお方。
名ヴォーカリストであり、カッコイイ低音ヴォイスに合う、包容力があるベースを弾くベーシストであり、詩人であったPhil Lynott。
お祝いを兼ねて、彼の沢山ある名曲の中から、Lyraが1番好きな曲を和訳して祝っちゃお〜。
彼の優しい歌声で、恋愛や街の人々の生き様を描く歌詞を歌われると、アイルランドの街の風景が浮かぶようだ。
今日Lyraが選んだ曲は、ヤバい男の歌。
裏街道を真っしぐらの人間を描くのも、Philのお得意分野だった。
どんなヤバさかを、Lyraが紹介するから、一緒にRockしようよ!
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今日Lyraが和訳&解説するのは、アイルランド、ダブリン出身のロックバンド Thin Lizzy シン・リジィ 。
アイリッシュ音楽を取り入れたツイン・リードギタースが人気を博し、「アイルランドの英雄」と形容された、アイルランドを代表する国民的グループとして知られる。
*Thin Lizzy / The Boys Are Back In Town 和訳 解説 The Rock’s been Shining! 詩人は輝き続ける
そしてそのヴォーカリストであり、ベーシスト、ソングライターのPhil Lynott フィル・ライノット (1949年8月20日 – 1986年1月4日)は、アイルランドの詩人としても有名で、英国圏では、特にバンドの創始者としても知られているだけでなく、Phil Lynott 没後30年以上が経過した現在でも、レジェンドとして大きな支持を得ている。
今日Lyraが和訳する曲は、Thin Lizzy の9th スタジオ・アルバム 1979年リリースの『Black Rose』からの1st シングル【Waiting For An Alibi】(1979年2月23日リリース)。
詳しい解説は、LyraのHipな和訳の後に又お話しましょう!
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“Waiting for an Alibi” is a song by Irish rock band Thin Lizzy, and the first single from their 1979 album, Black Rose: A Rock Legend. Black Rose was the only Thin Lizzy album recorded while Gary Moore was a member of the band, and he left soon after.
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= Waiting For An Alibi=
Valentino’s got a bookie shop
And what he takes he gives for what he’s got
And what he’s got he says he has not
Stole from anyone
It’s not that he don’t tell the truth
Or even that he misspent his youth
It’s just that he holds the proof
But you know something’s wrong
Waiting for an alibi
Waiting for an alibi
Waiting for an alibi
Waiting for an alibi
Valentino’s in a cold sweat
Placed all his money on that last bet
Against all the odds, he smokes another cigarette
Says that it helps him to forget he’s a nervous wreck
It’s not that he misses much
Or even that he’s lost his lucky touch
It’s just that he gambles so much
And you know that it’s wrong
Waiting for an alibi
Waiting just to catch your eye
Waiting for an alibi
Tried to say I told you, I told you
Waiting just to get you
Waiting for an alibi
Waiting for an alibi
To say I told you
Waiting for an alibi
Waiting for an alibi
Oh my, my, my, my, my, my, my
My, my, my, my, my, my, my, my
ヴァレンティーノは
賭け屋を経営していた
アイツの才能ってのが
欲しいものを手に入れるためには
与えるって奴さ
奴が誰からも盗んじゃいないって
言うのはアイツが持ってるからさ
別にアイツが真実を話していないって訳じゃないぜ
だからと言って若さをすり減らした訳でもねぇ
ただ単に奴が証明できるってことさ
だがお前は知ってんだよな
何かが間違っていることをさ
言い訳が欲しいんだろ?
言い訳を待ってんだな
言い訳が欲しいんだろ?
言い訳を待ってんだな
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ヴァレンティーノは冷たい汗をかいていた
その最後の賭けに
奴のすべての金を出したのさ
全ての賭けに対してな
アイツはもう一本
タバコを吸う
奴は言う
神経が高ぶり壊れた自分を
ソイツが忘れさせてくれるんだ、と
アイツが多くを逃す訳じゃないぜ
それに幸運を掴むのを失敗するのでもねぇ
ただ単に奴が賭博し過ぎって話さ
そしてお前は知ってんだよな
それが間違っているって事をさ
言い訳が欲しいんだろ?
お前の目を引くようなやつをさ
言い訳を待ってんだな
俺はお前に話したって言おうとしたんだ
話したってさ
言い訳が欲しいんだろ?
お前が納得するようなやつをさ
言い訳を待ってんだな
言い訳が欲しいんだろ?
俺はお前に話したことさ
言い訳を待ってんだな
言い訳が欲しいんだろ?
オー
俺の、俺の、俺の、俺の、俺の、俺の、俺のさ
俺の、俺の、俺の、俺の、俺の、俺の、俺の、俺のさ
Songwriter: Philip Parris Lynott
Translator: Lyra Sky 和訳
ダメ男の悪い癖を世間話のように話しているようにも思えるし、ヤバい世界の男の犯罪と闇賭博を暴露してる、危険な歌にも聞こえるために、聞き手の経験値で色々と振り幅が広くなる歌だと思う。
話をしている対象も聞き手より変わると思う。
同じギャンブル癖がある男にも取れるし、敵対しているギャングやマフィアの陥れようとしているヤバい奴にも取れるし、真逆な、話に出てくるギャンブルするヤバい奴の女にも取れて、面白い歌詞だと思う。
Philの描写のうまさが、私達に色々な想像力を働かせるのだ。
映画のように聴いていると浮かんでくる。
ギャンブル男の栄光と転落の歌。
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Thin Lizzyは、1969年Phil(ベース&ボーカル、作詞・作曲 元Skid Row)を中心に、彼の学生時代のバンド仲間であるドラムスのBrian Downey ブライアン・ダウニー、元Them ゼムのギタリスト、Eric Bell エリック・ベルとともにダブリンで結成。
当初は Orphanage(孤児院)というグループ名で、パブなどで演奏を開始。
ある日、John Mayall & The Bluesbreakers ジョン・メイオール・ブルース・ブレイカーズの2ndアルバム『Bluesbreakers John Mayall with Eric Clapton』のジャケットで、Eric Clapton エリック・クラプトンが読んでいる雑誌『Beano』に興味を持ち、買って読んでみると、そこに掲載されていた漫画の中に「Tin-Lizzie(ブリキのエリザベス)」という名のロボットの名前を、アイルランド人が発音しやすいように綴りを変え、シン・リジィ (Thin Lizzy)としたのだ。
1970年7月31日、アイルランド・パーロフォン・レーベルからシングル【The Farmer】でデビュー。
たまたまあるアイルランド人シンガーのレコーディング・セッションに呼ばれ、そこでの演奏を気に入られUKデッカ・レコードとレコーディング契約した。
1971年4月、1stアルバム『Thin Lizzy』リリース。
初期はアイリッシュ・フォークとロックの融合を軸にしたサイケデリック・サウンドを展開、ロンドン初ライブも行う。
8月には、EP『New Day』、
1972年3月、『SHADES OF A BLUE ORPHANAGE)』リリース。
名曲名歌詞だったが、売れない為、バンドは次第にステージ・パフォーマンスを含め、ロック・バンドへと変化していき、詞もダンディズムを押し出したものへと変貌。
同年トラディショナルなアイリッシュ・フォーク・ミュージックをロック風にアレンジした【Whiskey In The Jar】がシングル・カットされ、アイルランドで1位を獲得、英国国内でもスマッシュヒットとなるり、善くも悪くもこのヒットでショウ・ビジネスの中で生き残ることに余儀なくされた。BBCテレビの長寿音楽番組Top Of The Popsにも初登場。
1973年9月『Vagabonds of the Western World (西洋無頼(ごろつき)』リリース。
だが、精神的・身体的な理由からEric Bell がこの年いっぱいでバンドを離れる。(後にEric はNoel Redding ノエル・レディングのグループ The Noel Redding Band に参加。)
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1974年1月Ericの代役に同じく北アイルランド人のギタリスト、Gary Moore ゲイリー・ムーアにオファーし、Gary は約5ヶ月の間ツアーとデッカ・レコードでの最終レコーディングに参加した。
だがGary はライフスタイルの相違から直ぐに脱退してしまう。
新たにギタリストのオーディションを実施。スコットランド人のBrian Robertson ブライアン・ロバートソン、アメリカ・カリフォルニア州出身のScott Gorham スコット・ゴーハムが加入。ツイン・ギターの4人編成となる
ワールド・ワイドでの活躍を求め新たにUKフォノグラム傘下のVertigo ヴァーティゴと契約、10月、グループ4作目『Night Life』リリース。
この時から、レス・ポール・ギターによるツイン・リード・ギター・スタイルと、Philの表現力豊かな歌詞とヴォーカルが目玉となる。
1975年8月発売の『Fighting』で、そのスタイルは確立される。
前後して1975年3月、初のアメリカ・ツアー、Bachman-Turner Overdrive、Bob Segar のサポートをすることに。Thin Lizzyは、Bob Segarの【Rosalie】をカバーしているから運命だったのか(『Fighting!!』収録)。
1976年3月代表作『Jaikbreak 脱獄』リリース。全世界で200万枚を超えるセールスを記録。
4月にはシングル「Thin Lizzy / The Boys Are Back In Town 和訳 解説 The Rock’s been Shining! 詩人は輝き続ける」(ヤツらは町へ)リリース。さらに5月には全米ツアーなど色々なアメリカンツアーに参加しながら、同年8月、コンセプト・アルバム色の強い『サギ師ジョニー』(Johnny The Fox)を制作、10月リリースする。
11月よりプロモーション・ツアー。この時期の熱狂的なライブは後に『ライヴ・アンド・デンジャラス』としてリリースされる。
1977年、前年末に負傷したBrianの代役に、再びGary Mooreにツアー参加を依頼。
Colosseum Ⅱ コロシアムIIのメンバーだったムーアは同バンドを脱退しないまま参加。1月より全米ツアー “The Queen Lizzy Tour” に参加。帰国後、バンドは再びロバートソンとともにレコーディングし、9月『Bad Reptation 〜悪名』発表。
1979年4月アルバム『Black Rose a Rock Legend』リリース。
タイトル曲はケルト・ミュージックと独自の叙事詩を融合した曲であり、シン・リジィの集大成ともいえる曲。
4月より全英ツアー、9月Journey、AC/DC、The Doobie Brothersらとの全米ツアーを行うが、ツアー中に、バンド内でのトラブルからGary Moore が失踪。
急遽Visage、UltravoxのMidge Ure ミッジ・ユーロを呼びスケジュールを消化、既に日程を組まれていた日本公演にもメンバーとして来日させている。
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ここまで紆余曲折あるバンドってあまりいない気がする。
Gary Mooreの失踪って何だかなあ〜。嫌なら逃げないで、ハッキリやめる、って言ってあげるべき、と思うが、言えないくらいPhilがやばかったのか?
Philは、良い意味でも悪い意味でも絵に描いたような昔のいわゆるロックンローラーを地でいく人で、ドラッグとアルコールの依存症が酷く、女性関係も派手であった為にメンバーが彼のライフスタイルについて行けないから、脱退したり、メンバー交代にまで発展したと言われているくらいだった。
真面目なGary Mooreが逃げるしかなかったほど、酷かったのかもしれない。
ただ不思議なことに、逃げたり(笑)脱退したメンバーもPhilの人間性は慕っていたと言われている。
解散最終公演(ライブ盤”LIFE”として聴くことができる)に歴代のギタリストが全員集合しプレイしたのも彼が好きだっだからだろう。
ソング・ライティングの部分では歌詞のテーマとメロディセンスに長けており、シン・リジィでのカウボーイ・ソングやヒーローをイメージした曲などはJon Bon Joviに多大なる影響を与えているし、Bon Joviのライブで、アンコールに【The Boys Are Back In Town】(→ 和訳 解説 The Rock’s been Shining! 詩人は輝き続ける)をプレイしていたのも、彼へのリスペクからだたろう。
日本では海外と同じかは分からないが、本国アイルランドやイングランドや、ヨーロッパでは、いまだに人気が高い為、今年10月に新たにベスト盤がリリースされるのが決定している。
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Philは才能がある後輩達にも優しかったと言われている。
イングランドで大人気であったThin Lizzyは、その最中でU2を発掘したり、アイルランドの若手ミュージシャン育成に力を注いだ。
それにイングランドのGraham Parker & Rumourや、アメリカのHuey Lewisのバンド、Clover など実績のある若手を前座にわざと起用するなど、バックアップをしていたと言う。
Thin Lizzy でもJohn Sykes
もちろんシン・リジィとしてもJohn Sykes ジョン・サイクスを加入させたり、先見の目があったと思う。
Philがこのような助力を行っていたことも、「アイルランドの英雄」と呼ばれ続ける由縁であろう。
1996年からJohn Sykes ジョン・サイクス、Scott Gorham スコット・ゴーハムが核となり、Thin Lizzy として活動を開始。
2004年ディープ・パープルのサポートとして全米ツアーに参加。この時期、追悼盤や新たなベスト盤が多く発売された。
2005年8月20日、Phil Lynott のアイルランドへの功績を記念し、ダブリン市内にブロンズ像が建立。
式典ではGary Moore ゲイリー・ムーアを中心に過去のメンバーが集結しThin Lizzy の曲が演奏された。
皆に愛され、素晴らしい才能を開花させ、名曲を沢山生み出して周りに尊敬されていたにも関わらず、生き急いでしまったPhil Lynott。
だが彼の作り出した名曲達は、今も愛され続けて歌われ続けているのだ。
そして彼のフォロワー達は、ロックし続けるであろう。
これから先も、今迄通り、、、
永遠にずっと。
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Personnel (studio version)
- Phil Lynott – bass guitar, lead vocals
- Scott Gorham – lead guitar
- Gary Moore – lead guitar
- Brian Downey – drums
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何十年前、初めて行ったライブがThin Lizzyでした。とても印象に残っています。とくにBrian Downeyのドラムが最高で、未だに僕の1番好きなドラマーです。前座がエディーマニーでした。
Brianのドラムは凄いですよね。見ていてワクワクするドラマーの1人です。
Lyraはドラマー好きでもありますが背中を見て上手い下手がわかるですよ。←アホ。
Philも好きだし、Garyもいて、1番好きなScottもいるから堪らんです。