追悼 Crosby Stills Nash& Young【Déjà Vu】和訳解説デヴィッド・クロスビーについて David Crosby R.I.P.

David Crosby デヴィッド・クロスビーが亡くなったと聴いて、やはり真っ先に浮かんだのがこのバンド、Crosby Stills Nash& Young だ。

1960年代から活躍していたDavid Crosby。The Byrdsなど様々な有名バンドに参加しての偉業は沢山あるのにNeil Young好きのLyraとしては、やはりこのフォークの風を吹き起こすこのバンドに身を委ねてしまいたくなるの。

アメリカの泥臭さと、世知辛い世の中をざらついた風に吹かれながらも、マイクを並べて歌う彼ろに歌ってもらうのだ。

世界の不思議を

社会の過ちを

私たちの気持ちを。

きっと天国でもアコギを抱えて歌っていてほしい。

満天の星空の向こうで。

幸せな歌を歌って

先に逝ってしまったアーティスト達と。

今日Lyraが和訳&解説するのは、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロスアンジェルス出身のミュージシャン、シンガーソングライターのDavid Crosby デヴィッド・クロスビー(本名:David Van Cortland Crosby 1941年8月14日 – 2023年1月18日)。

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The Byrds バーズ、Crosby, Stills, Nash & Young クロスビー・スティルス・ナッシュ & ヤング(CSN&Y)といった1960年代から1970年代を代表するロックバンドで活躍したシンガーソングライターである。雑誌Qの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第99位。

今日Lyraが和訳する曲は、Crosby Stills  Nash の2nd アルバムであり、Neil Youngが加入してCrosby Stills Nash & Youngとカルテットになってからは初のアルバムでる、同タイトルアルバムに収録されている曲【Déjà Vu】(1970年3月リリース)。

詳しい解説は、LyraのHipな和訳の後にまたお話しましょう!

 

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Crosby, Stills & Nash (CSN) was a folk rock soupergroup made up of American singer-songwriters David Crosby and Stephen Stills and English singer-songwriter Graham Nash. When joined by Canadian singer-songwriter Neil Young as a fourth member, they were called Crosby, Stills, Nash & Young (CSNY). They are noted for their intricate vocal harmonies and lasting influence on American music and culture, as well as their political activism and often tumultuous interpersonal relationships.

=Déjà Vu=

If I had ever been here before

I would probably know just what to do

Don’t you?

If I had ever been here before

On another time around the wheel

I would probably know just how to deal

With all of you

And I feel like I’ve been here before

Feel like I’ve been here before

And you know, it makes me wonder

What’s going on under the ground

Do you know?

Don’t you wonder

What’s going on down under you?

We have all been here before

We have all been here before

We have all been here before

We have all been here before

 

 

前にここに居たなら

多分俺は

何をすべきか分かっただろうに

だろ?

前にここに居たなら

運命の輪が回る別次元に

多分俺は

どう扱えば良いか

知っていただろうに

君たち皆んなと一緒にさ

だから俺は

以前ここに

居たような気がするのさ

前にここに

居たような気がするんだって

わかるだろ?

それが俺を

不思議な思いにさせるのさ

 

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地下で何が起きているのか?

知ってるかい?

不思議じゃないのか?

お前らの腹の底では

何が起きてんだ?

俺たち皆んな

前にここに

居たことがあるんだよ

俺たち皆んな

前にここに

居たことがあるんだよ

俺たち皆んな

前にここに

居たことがあるんだよ

俺たち皆んな

前にここに

居たことがあるんだよ

 

Songwriter: David Crosby

Translator: Lyra Sky 和訳

美しいサウンド

美しいサウンドと聴きやすいのに難解な小技で、「ちゃんと聴いているかい?」と問いかけてくるようなテクニシャンな曲が多いCrosby Still Nash & Young。特にこのアルバム『 Déjà Vu』は「オッ」とうなってしまうサウンドや、カントリーとフォークのナチュラルさが素晴らしいアルバムだ。

その中でもこの【Déjà Vu】は、面白い曲でDavid Crosbyならではのサイケデリックな要素が濃い曲だと言える。

大人気アルバム『Déjà Vu』

このアルバム『Déjà Vu』は、1970年3月にアトランティックレコードから、クロスビー、スティルス & ナッシュによる 2 枚目のスタジオ アルバムとしてリリースされた。ニール ヤングを加えたカルテットとしては最初のアルバムになる。

ポップ アルバム チャートで 1 週間トップに輝き「ウッドストック」、「ティーチ ユア チルドレン」、「アワー ハウス」の 3 つのトップ 40 シングルを生み出した。

人気が高く、1977年に再リリース、50周年記念として2021年に増補版がリリースされている。  RIAA によって 7 倍のプラチナに認定されたこのアルバムの売り上げは、現在 800 万枚を超えている。これまでの各メンバーのキャリアの中で最も売れたアルバムになっている。

CSNY

初めはクロスビー、スティルス & ナッシュ (CSN) として始まったバンドで、アメリカのシンガーソングライター、デヴィッド・クロスビーとスティーブン・スティルス、イギリスのシンガーソングライター、グラハム・ナッシュからなるフォークロックのスーパーグループだった。

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このトリオにカナダ人シンガーソングライターのニール・ヤングが4人目のメンバーとして加わり、このアルバムをリリースしたクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング(CSNY)と呼ばれるようになったのだ。

複雑なハーモニーと特徴のある歌い方をする声と、アメリカの音楽と文化への永続的な影響、政治活動で有名なバンドになって行った。そして時々、対人関係でバチバチやってしまうバンドとしても知られている。

David Crosbyについて

The ByrdsやこのCSN&Yなど1960年代から1970年代を代表するロックバンドに在籍して現在まで音楽活動をして来たアーティストであり、「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第99位でもある人気シンガーでもあった。
カリフォルニア州ロサンゼルス出身で、父親は『真昼の決闘』などハリウッドで多くの作品の撮影監督として活躍し、1930年にはアカデミー撮影賞も受賞したFloyd Crosbyである。Davidは、はカーピンテリアのケイト・スクール卒業後、サンタバーバラシティカレッジに入学。
1960年代初頭にシカゴのコーヒークラブでフォークシンガーとして出演するようになり、テリー・キャリアーと親しくなる。フォークブームに乗っかり(笑)、2人は、ニューヨークのグリニッジ・ビレッジに引っ越しデュオ・デビューやレコーディングをしようと目論むが、夢は叶わなかった。
Davidは、そのままニューヨークに残り、テキサス生まれの作曲家、編曲家、指揮者である Les Baxter(1922年3月14日 – 1996年1月15日)のグループ等に一時在籍(兄弟のイーサン・クロスビーが当時メンバーであった)。その後、幾つかソロ・シングル・リリースしたがヒットせず、シカゴに戻る。
そしてテリー・キャリアーの紹介で Roger McGuinn (1942年7月13日 – )に出会う。後にジーン・クラークも入れてThe Byrds 結成。
Mr. Tambourine Man】等のヒットにより、一躍1960年代のアメリカンミュージックシーンを代表するグループとなった。Davia Crosby の甘いテナーボイスによる高音パートのハーモニーは、The Byrds の3部コーラスを特徴づけるもの。リズム・ギタリストとしても独特のカッティングでサウンドに変化をもたらした。
また、自作曲では先進的なサウンドや実験的な取り組みをし、シタール導入、アカペラ、変則チューニング、モード的コード進行など、The Byrds サウンドの一面を担った。
この時期のクロスビーの作品として代表的なものに【Everybody Has Been Burned】、【Draft Morning】、【Lady Friend】、【Eight Miles High】(共作)などがある。
人気の最中1967年10月 The Byrds 脱退。アルバム『名うてのバード兄弟』にて、クロスビーの曲「Triad」のアルバム収録をメンバーから反対されたこと(近年のリマスターによる再発でバーズバージョンもリリース)や、外部ライターの曲【Goin’ Back】(Gerry Goffin &Carole King作)を採用したことなどが脱退の原因らしい。1968年 Buffalo Springfield や俳優Peter Fonda 等、バーズ在籍時からバンド外での交友が広かったDavid Crosby は、Joni Mitchell ジョニ・ミッチェルの1st アルバムのプロデュース等を経て、元 Buffalo Springfiela のStephen Stills スティーヴン・スティルス、元 The Hollies のGraham Nash グラハム・ナッシュと Crosby Still & Nash (通称:CS&N)を結成。

1969年5月1st アルバム「Crosby Stills & Nash』リリース、Miles Davis マイルス・デイヴィスにカバーされた【Guinnevere】や、Stills と Paul Kantner ポール・カントナー(Jefferson Aeroplane のメンバー)との共作で【Wooden Ships 木の舟】などが収録された。【Wooden Ships】はジェファーソン・エアプレインのアルバム『Volunteers』(1969)にも収録されている。

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1970年 CS&N にNiel Young ニール・ヤングが参加、Crosby Stills Nash & Young クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング(通称:CSN&Y)となる。

1970年3月『Déjà Vu デジャ・ヴ』リリース。全米第1位を記録。クロスビーは、アルバムのタイトルナンバーとなったジャジーでプログレッシブな【Deja Vu】、現在ではロック・クラシックとなっている【Cut My Hair】などの個性的な楽曲を提供し、グループの成功に大きく貢献した。

1971年2月 Jefferson Airplaneや Grateful Deadグレイトフル・デッド等が参加した初ソロアルバム『I Could Only Remember My Name』をリリース、全米第12位を記録。このソロでは、スキャットを駆使したジャジーな楽曲や、「嘲笑」などの印象的なナンバーが聴ける。

このアルバムセッションは、Planet Earth Rock & Roll Orchestra セッションと呼ばれ、後のJefferson Airplane や Grateful Deadのアルバムにおさめられることになる曲のいくつかの原型が作られた。

このアルバムは売上に比して当時は批評家からこき下ろされていたが、後に再評価され、現在では当時の雰囲気を感じられながらも時代を超えた音楽性と独自の美学で貫かれた精神性が高く評価されている作品となっている。

また現在フリーク・フォークと称されるジャンルの初期の例としても再評価を受けている。

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メンバー間の軋轢からCSN&Yは活動停止。その後、盟友ナッシュと「Crosbey & Nagshクロスビー&ナッシュ」(1972年 – )でThe Byrds の再結成(1973年)を挟みつつ活動を行い、お互いの曲調を尊重しながらサポートしあうスタイルで、アルバムのうち2作を全米10位以内に送り込んだ。

1977年、CSN(クロスビー・スティルス&ナッシュ)を再結成し、アルバム『CSN』リリース。全米第2位を記録。

だが長年の薬物中毒により創作活動に支障をきたすようになってしまう。当初スティルス&ナッシュ名義でリリース予定であった1982年のCSNの再結成アルバムは、大半の曲でクロスビーのコーラスパートをイーグルスのTimothy Bruce Schmit ティモシー・シュミットや、Simon & Garfunke  サイモン&ガーファンクルのArthur Ira Garfunkel アート・ガーファンクルのハーモニーで補っている。

アルバム『Daylight Again』は全米8位とヒットし、ツアーも行われたが、David はライブ演奏中も時折薬物によって酩酊しているような有様だった。

1985年、銃器法違反で実刑判決を受け、刑務所生活の後、薬物中毒の治療を果たし社会復帰。

1988年、David の社会復帰を祝福するかのように18年ぶりにCSN&Yを再結成し、『アメリカン・ドリーム』発表。全米16位を記録した。

運命の輪

ドラッグの後遺症により、1995年肝移植手術。手術をきっかけに、ジェイムス・レイモンドという若い男と会う。彼は、なんとクロスビーと1960年代に関係を持った女性が養子に出した実の息子であった。レイモンドは以前、実の母親と面会した際、実の父親がクロスビーであることを知らされており、手術のニュースをきっかけに会うことを決心したという。

ジェイムス・レイモンドはクロスビーのDNAのせいか、幼少から音楽の才能を開花させ、LAシーンでJAZZ/R&B系アーティストのセッション/ツアー・キーボーディストとしてや、TV・映画の音楽作家として活躍し始めていた。

再会した親子は交流を深め、その後、ジェイムス・レイモンド(キーボード)、ジェフ・ピーヴァー(ギター)とのユニット「CPR」を結成。モントレー・ジャズ・フェスティバルへの出演等、精力的にツアーをこなした(因みに、CPRは2枚のオリジナル・アルバムと2枚のライブ盤をリリースし、スティーリー・ダンに近いジャジーなサウンドを持つ。インディーズからのリリースでヒットにはつながらず、2004年に解散)。

2004年断続的に行われていたCPRの3枚目のアルバム・セッションは、クロスビー&ナッシュのアルバム・セッションとして再開され、約30年ぶり、2枚組アルバム『Crosby*Nash』リリース。全米142位記録。 2000年代は主にCSN及びCSN&Yでのライブ活動がメイン。

2014年約20年ぶりソロ・アルバム『Croz』リリース。実の息子ジェイムス・レイモンドとの共作が多く収録し、プロデュースもレイモンドが担当。全米36位記録。

2016年 CS&N、C&Nと平行して、精力的に音楽活動をして来たが、David Crosby とNeil Young 、David Crosby とGraham Nashとの不仲から、Crosby Stills & Nash (& Youngも) の活動停止をGraham Nashが公表した。

10月ジャズ・フュージョングループのSnarky Puppy との交流を経て、リーダーのMichael Kellyrea League マイケル・リーグとのコラボレーションに発展し、ソロ・アルバム『Lighthouse 』をリリース。全米117位を記録。また、英MOJO誌の2016年の年間ベスト・アルバム TOP50にランクイン。

2017年9月にニューアルバム『Sky Trails』(ジェイムス・レイモンドのプロデュース)をリリース。Independent Albumsチャート10位、Americana/Folk Albumsチャートでは11位、Top Album Sales57位を記録。

2018年10月マイケル・リーグとのコラボレーションを発展させ、同アルバムに参加していた Becca Stevensベッカ・スティーヴンス、Michelle Willis ミシェル・ウィリスとの共同制作によるニューアルバム『Here If You Listen』リリース。BillboardチャートのIndependent Albumsチャートは12位、Top Album Sales87位、UKチャート88位を記録。

2019年1月26日サンダンス映画祭でドキュメンタリー映画『David Crosby; Remeber My Name』が公開。

2021年3月コロナウィルス影響下、アイコニック・アーティスツ・グループに、全バック・カタログの出版権と録音された音楽の権利を売却。「目下のところ、ライヴ活動が出来ないことを考えると、この契約は私と家族にとって有り難いものであり、アイコニック・アーティスツ・グループが契約相手として最良であると信じています」と発言。

 

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