東日本大震災からもう6年もたったなんて、信じられない気持ちです。
あの時、何をしていましたか?
[ad#go4]同じ日本人なのに、TVをとおしてだけで、現地の真実は何もわからないのが現状です。
心から「頑張って!」と思っていてそれを言葉にしても、余計なお世話だとか、おもわれそうで迂闊に介入してはいけない感じがしてブログに、今の気持ちを書いても良いのか迷います。
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2011年3月11日、午後2時46分18.1秒。東北地方太平洋沖地震が起こりました。
波高10m、最大40.1mにもなる津波が押し寄せ、多くの人の命が奪われました。
今更、画像を貼り気持ちを害したくないから写真は載せませんが、あの時の津波の映像は、いま頭の中で鮮明に思い出す事が出来ます。
人の記憶は時と共に薄れてしまう、と言うけれど、本当に辛かった衝撃は簡単に脳裏から失われるはずがありません。
連日、TVから放送される、簡単に流される筈のない、家や車や人間の造ってきた物が流されて行く映像や、人々の過酷な状況を見て胸が痛み、なにか出来ないかと、どうしたらよいのか、と困惑したのを覚えています。
あの時は、小さい子供と、まだ生きていた家族と一緒に、たまたま家にいたから良かったと思います。
大きな地震が来た時、私は二階にいました。揺れが始まり、急いで下に降りて行ったのですが、今まで経験したこともない大きな揺れの中で、階段が不思議にも、へびのように畝っていたので足を取られたような感覚がし、なかなか下に降りていけなかったのを記憶しています。
怖い、という気持ちもあったけれど、とにかく階下にいる家族たちの元へ行かないとと、必死だった、あの気持ちは忘れてはいけない気持ちだと今でも思っています。
家族を守る、と言うことは簡単に口にできる事だけど、実際に行動に移すのは勇気と決意が必要な事だと思います。
寒くて、計画停電に悩まされた事や地震後、直ぐに、日持ちする食料を買いに行きましたが、どこも停電でシャッターを閉めてしまって中に入れないようにするスーパーばかりで困った事を覚えています。
地震直後に、外へ出て、信号が停電でついていなく、車が蛇行運転してる中を、手を上げて掻き分けて渡ったことは、災害の真っ只中に今、自分がいるんだと1番感じた出来事だったかもしれません。
主人は、会社から出先へたまたま行っていたせいで、かなりの距離をかけて真っ暗の寒い中を歩き続けながら帰宅しました。
そんな時、、、大通りの道に面している店の中で、暖かい飲み物を出してくれてるお店があったそうです。
真っ暗な中、ただただ家路を目指して歩く人々の心細さは、たまらないものがあったでしょう。
実際に宮城や岩手などの現地で怖い、苦しい、思いをした方々に比べたら、関東地方なんてまだまだ被害なんて比べたら申し訳ないほど、微々たる物かもしれません。
でも、何が起きてるかわからない状況では、不安な気持ちで夜、あるいて帰宅するのは揺れの中、怖くてたまらなかったと思います。
TVは停電で見れなかったし、ラジオだけで何があったのかわからず、少ない情報だけ頼りに、次のすべき行動がわからないのは、辛かったのを覚えています。
そんな時、寒い東京の星空の下で、暖かい想いの人たちがいるなんて聞いた時は感動で言葉もありませんでした。
ほんの少しの思いやりと行動が、真っ暗な道を歩いていくことに、一筋の光と、希望と、力を与えることがあるんだなと痛感しました。
ほとんどのスーパーは、シャッターを閉めて、中に人がいるのに訪れた人たちに対応しなかったから、この話を聞いた時は、感動したと共に、自分も誰かの光をともすお手伝いを、少しでも出来たらと思いました。
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あれから、6年。今年のメディアは、あの時の事を少し振り返り、少し、現場の状況を流し、復興は中々進んでいないけれど、少しずつ、元の姿に近づいて行ってると取り上げていました。
本当なのでしょうか?
年々、時が経過していくにつれ、取り上げ方も情報も尻窄みになって来たように感じます。
何かの誰かの圧力がかかっているのかもしれませんが、真実を伝え、現実を知り、それと直に向き合って対処していくべきではないのでしょうか?
地震が原因で、あんな悲惨な原発事故を起こしたにも関わらず、なんでまだ、原子力発電所を稼働してるのでしょうか?
節電を経験して電気ってそれほど沢山なくても生きていけるってわかったのに、何でまだ動かしているんでしょうか?
又、いまの節電が前ほど言われなくなり、少しずつ無駄な電力を使うようになっても、稼働数減らして電気を賄えているのが分かっているのかなに、何でまた稼働数を増やそうとしているのでしょうか?
いい加減、目を覚まして欲しいです。
このまま行ったら、日本、なくなっちゃいますよ?
核の恐ろしさ、日本人良く知っているでしょう?
私は、未来の子供達に、日本を残して上げたいです。
クリーンではいられないかもしれないけれど、地球の一部として、美しい自然や美しい思いやりの心を持った日本人を残して生きたいです。
その為には、時が経ったからと、東日本大震災の事を風化させてはいけないと思います。
メディアは、現在の状況を日本人全ての人に行き渡るようにリポートして行かなくてはいけないのです。
そして、余計な目先の楽しさやレジャー的な建設よりも、まだ、全く機能していない東日本の地域の復興の方に力を注ぐべきなのではないでしょうか?(あのまま、放置しておく気なのかもしれないと、不信な感じがします。)
そして、もう、2度と同じ被害を起こさないように、原子力発電所は無くす方向で動いていくべきです。
また、同じ事を繰り返そうとしてるから怖くて仕方ありません。
もう一度、3月11日のこの日に、あの時の事を思い出して、今やるべき事を真剣に考えて行動していくことが、生き残ることが出来た、私たちに課せらた義務だと思います。
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