【花束みたいな恋をした】ネタバレ 考察「始まりは終わりの始まり」あらすじ感想

大人気俳優W主演!売れること間違いなしの恋愛映画『花束みたいな恋をした』。2021年1月29日公開当時の菅田将暉と有森佳純は、今よりも超アイドル的な人気俳優であったこともあり(今も勿論大人気俳優さん達ですが今はアイドルというより実力派俳優な気がしますので)、この2人が恋愛する映画なら見たいと言う人が溢れていたのもわかる!キラッキラした俳優さん達ですものね。

公開されたら予想通りの大ヒット。「はな恋」という略称も生まれたほどだ。

Lyraは邦画は余程見たい物ではないと映画館では見ない為、当時興味もなかった事もあり公開が終わった頃に知り合いに見せて貰ったのが初『はな恋』だった。

この後暫くして偶然、いくつかの邦画作品を見る事になるのだが、この『花束みたいな恋をした』から邦画やドラマで明大前界隈が頻繁に使用され始めたと感じる。それも下北沢とセットで邦画の舞台に使われるようになった。今はあの時ほどのブームは去ったようだが。

地味な場所。こじんまりした町が何故こんなに人気があるのか?

何となくこの映画がウケた理由と似ている気がする。それは『狭い世界』が、キーワード。それもどこにでもある普段の生活内という限られた世界。

今日も映画の詳しいあらすじと感想・解説を書きますね。

小さな世界の普通の人々の話。

今日Lyraが詳しいあらすじ&解説するのは、2021年1月29日公開の日本映画『花束みたいな恋をした』です。監督は土井裕泰、菅田将暉と有村架純のダブル主演

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1.概要

監督は土井裕泰、菅田将暉と有村架純のダブル主演。脚本家・坂元裕二のオリジナル脚本による映画で、主人公の男女による5年間の恋を描く恋愛映画。略して「はな恋」と呼ばれブームにも?なった映画。

2.作品について

2017年にある受賞式で菅田将暉と脚本家の坂元裕二が再会し、菅田が「ラブストーリーをやりたい」と話した事で、しばらくして恋愛映画の企画がリトルモアのプロデューサーの元で動き出したこともあり、相手役は菅田と同世代で坂元脚本の『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』で主演を務めた有村架純、監督は菅田、有村、坂元と映像作品の制作経験があり3人と縁の深い土井裕泰。

坂元は舞台挨拶において「もし、あの時(菅田が)『サスペンスがやりたい』と言っていたら、この映画はサスペンスになっていました」とジョークを飛ばしている。そして、制作発表時坂元は「憧れでも懐かしさでもない、現代に生きる人々のラブストーリーを描きたいと思った。この物語は2人の男女がただ恋をするだけの映画であるが、出会った2人の5年間の恋模様を純粋に描き出したつもりだ」と語っています。

また、本作の劇場販売のパンフレットも、絹と麦が行けなかったお笑いライブのチケットや、演劇のダイレクトメールなどが挟んであり、遊び心満点の手の込んだものとなっていました。

3.『花束みたいな恋をした』あらすじ:前編 *ネタバレ無し

2015年の冬から〜

東京調布市。大学生の山音麦 (菅田将暉)は、Googleのストリートビューに自分が写りこんでいたのを発見。気になるあの子にも話しかけ絶頂の喜びを噛み締める。

だが、時間が経てばいつもの生活で気分は落ち、交通調査のアルバイトをしながらボート過ごしていた。ぼーとし過ぎて大好きな天竺鼠のお笑いワンマンライブにも行きそびれてしまいガッカリモードに更に突入。

同じ頃、映画や小説が好きな大学生、八谷絹(有村架純)は、お笑いコンビ・天竺鼠のワンマンライブに行く途中、知り合いと遭遇し、ご飯を食べに行くことに。お笑いライブ蹴ったのは自分に気があるかも?と期待したからだったが絹の期待は見事にハズレ、彼は別の女性とデートに行き、絹はがっくりしてしまう。

その夜、うっかりして終電を逃しそうになり、絹と麦は、終電に駆け込もうと改札へ向かうも乗りそびれてしまう。

そこには、サラリーマン、会社員風の女性、絹、麦の4人がいた。なんとなく4人はカフェで時間を潰すことになる。

するとで麦は、店内で押井守を発見。興奮したまま、3人にこそこそと話すか、サラリーマンとOLは「誰、それ?」と知らない。

カフェを出て、サラリーマンと会社員の女性は妙な雰囲気になりタクシーで言ってしまう。残された麦と絹。

麦はそのまま帰ろうとするが、絹は、同じように、押井守を見た興奮を伝えなければ、と話しかけた。

麦と絹は居酒屋に入り、お互いのことを語り合うとまるっきり同じなので驚いてしまう。履いているスニーカー、好きな小説、映画の趣味、行きそびれた天竺鼠のライブなど、余りにも共通点があり過ぎてカラオケまで行っても足りず、ついに麦の部屋まで行ってしまう絹。

麦の本棚は絹の本棚とそっくりでそれにも驚いてしまう絹。そして麦の書いたイラストも見つけ、それがとても良いと褒めてあげた。初めて褒められた麦は嬉しくて照れてしまう。

そして雨に降られた絹の髪を、麦はドライヤーで乾かしてあげた。それから麦が大好きだと言うガスタンクの話をして、ガスタンクを題材にした作ったと言う「劇場版ガスタンク」を一緒に観て寝落ちしてしまう。麦はそっと毛布をかけてやった。

 

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気が合うと言う理由で2人は仲良い友達のような、恋人のような微妙な距離感のまま、デートを重ねて行く。だが、このままでは友だちのまま終わってしまうと絹は物足りなさを感じはじめる。

しかしある晩、終電間際のファミレスで麦が絹に付き合おうと告白。帰り道、初めて2人は手をつなぎ、信号待ちをいいことに唇を重ねた。

この時期、就活をしなければならなかった絹は、恋の楽しさにかまけ出遅れてしまった。両親は、「就職浪人を許さないからな」と言い、連日の圧迫面接もあって絹は追い詰められて行く。

見かねた麦は、疲れ果てた絹に一緒に住もうと提案。多摩川沿いのマンションを借り、たまたま捨てられていた猫にバロンと名付け、うちに連れて帰る。駅から徒歩30分もある不便な場所ながら、その30分も楽しむ楽しい日々を送る…初めのうちは。

2016年

大学を卒業しフリーターになった麦と絹。麦は知人の紹介でイラストを描くバイト、絹はジェラート屋で働く。

貧乏ながらも2人は穏やかな幸せを感じていたが、娘を心配している絹の両親に就職を勧められてしまい、また同じように麦は麦で父親に実家の新潟へ帰らないなら仕送りを止めると言われてしまう。追い詰められる2人。

イラストのバイトも上手く行かなくなり単価が下落し、麦はお金の心配も出て来た為に就職を決意した。絹も就活を始め歯科医院の受付の仕事をするようになったものの、麦は全く就職出来ないまま年越ししてしまった。

2017年・2018年すれ違い

やっとのことで麦の就職先が決まった。そこはネット通販中心の物流会社で営業になった麦は、仕事に追われる日々。

一番大事にしていたはずの絹との時間がなくなってしまい、更にそのことすら忘れるほどに忙しく飛び回る麦だった。

絹は、就活中から2人で楽しむことが減っていたことや、歯医者の事務の仕事がつまらないと言う理由で、イベント会社に転職を決めてしまった。だがそのことは麦には内緒にし、絹は仕事をしながらも、映画や読書など、自分の好きなことを1人で楽しんでいく。

絹が共通のはずだった趣味の話をしても、麦は疲れたと言って取り合ってくれない。すれ違う2人の心の距離は、遠くなるばかり。

そしてある日、麦に転職したことを打ち明けるが、麦に「仕事は遊びじゃない」と怒鳴られてしまう。

麦は苦労しながら堅実に働いていた分、簡単に仕事を手放す絹のことが理解できないのだ。楽しく働きたい絹と、仕事は遊びではないと言う麦。

その勢いで自分が働くから、絹は仕事を辞めて、結婚して好きなことをしたらいいと、最悪なプロポーズをする麦。プロポーズはなかったことになり、彼らの間には重い空気が流れ始める。

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2019年 別れ

出会いから4年が経った2019年冬。絹はイベント会社であのまま働いていて給料は少ないが上手く日常をこなしていた。麦は昇進し仕事がますます忙しくなり、すれ違い、2人の間からは会話が消えていた。

ある日友人の結婚式に参列した2人は、式の最中に、この幸せな気持ちのまま別れようと、それぞれ別れを決意した。帰り道、出会ったファミレスに立ち寄って別れ話を始めた。

あらすじ:後編*ネタバレ有り

*この先、ネタバレしています↓↓

 

すると絹が別れた後のことを淡々と話しはじめる。何故か麦は「やっぱり別れたくない。恋人としては無理でも家族なら大丈夫だから、結婚しよう」とまた話し出した。

その時、たまたま店内にいた若い男女が近くに座っているのが目に入った。互いの趣味を恥ずかしそうに熱く語っているのが耳に入って来た。

その光景は、まるであの日の麦と絹のよう。たまらず絹は店を飛び出してしまう。麦は絹を追いかけ抱きしめた。2人はもう戻れないことを理解して涙を流しついに別れた。その後2人は別れが決まってスッキリしたのか晴れやかな笑顔で笑えるようになった。

2020年 別離の後

2020年、麦は、新しい恋人を連れてカフェへ。そこに偶然、彼氏を連れた絹も同じ店にやって来た。

席の向こうで、イヤホンのLRを分けて音楽を聴いているカップルが目に入る。すると、そのカップルを批判しようと立ち上がる絹。何か気配を感じ横を見ると同じように立ち上がってカップルに注意をしようとしている麦ぐいた。だがお互いに何も見なかったかのように自分の席に戻って行く。

イヤホンを分けるカップルの姿は、昔の自分たちのようだった。カフェから出てもすれ違った2人は、挨拶すらしない。だが後ろ向きで手を振り合う…互いに相手を全く見ていないが。そして全く違う道を今の恋人と歩いて行った。

その後、麦は、ふと以前よく絹と一緒に行ったパン屋を思い出した。気になり、Googleストリートビューを見る。すると人生2度目の奇跡を発見した。それは、多摩川沿いを歩くかつての自分たちの姿だった。

【Lyraの感想と解説】

昭和レトロ

前評判も良く大人気俳優W主演で売れること間違いなしの恋愛映画。2021年1月29日に公開。予想通りの人気で、花恋という略称も生まれたほど。この映画から明大前界隈が注目されて下北沢とセットで邦画の舞台に使われるようになったと思う。
今どきの恋愛をふんわりした雰囲気で淡々と描くのも今どき。「エモいー」という言葉をやたら使ってしまう人にはグッとくる映画でしょう。

そして今時だけど少しレトロな感じもするのは、はっぴいえんどを聴いたり、昭和ロマンな喫茶店周りをしてしまう学生さん向けにしたのではないか?と見ながら思ってしまった。それが良い味付けとなっているため、地味な主人公達をPOPにしていました。

 

制作発表時、坂元氏は「憧れでも懐かしさでもない、現代に生きる人々のラブストーリーを描きたいと思った。この物語は2人の男女がただ恋をするだけの映画であるが、出会った2人の5年間の恋模様を純粋に描き出したつもりだ」とコメントを残している。

坂元氏が言うように男女の恋愛模様を淡々ではあるが感情が変わって行く(冷めていく)様子を丁寧に描いていると感じた。激しいラブストーリーを好んで見てしまう、ホラー好きの私には(笑)には、初めから淡々とし過ぎて物足りなかったのは否めないが、常人ならばキャラクター達のセリフに恋愛アルアルを見出し「わかるな〜」と同意するかと思われる。それくらいありきたりでどこにでもある普通の人々の日常を描いているのである。

演技をリアルにするための努力

恋人同士の5年間を演じた菅田と有村は撮影中、遠慮せずに距離を縮めたという。有村は「大切だったのは、芝居の場でどうこうするというよりも、それ以外の部分で、どこまで時間を共有できるかということ。ほぼ毎日、朝から夜までずっと一緒にいたんですが、約1カ月半という撮影期間で、5年分の光景を演じなければなりません。だからこそ、互いに歩み寄っていった部分はあると思います」と言い、菅田も「時間の共有――それでしかなかったんです。何気ない会話のなかで『こういうものが好きなんだな』『それは、よくわかる』『それはちょっとわからない』なんて思いが交わされていくじゃないですか。麦と絹には、それが必要だった」と語っている。

その効果もあり、恋愛が始まりそうな始まらないもどかしさを初々しく演じていた。両者のファンであってもきっと共演者として許せただろう、自然だから。

大人ならば坂元氏が言うようにこの2人の恋には憧れはしないだろう。自然でありきたりの2人。どこにでもいそうな2人は友人の恋愛を見てるような気にすらなるから。彼らの失敗を「あーあ、言わんこっちゃない」と突っ込んだりするだろう。

ただ全く恋愛をしていない人や、まだ恋愛に過度な期待をしている人や、学生気分が抜けていない人は作者の意図に反して「あんな彼氏が欲しいー」とか「絹みたいに趣味が合う彼女が欲しい」と憧れるかもしれない。

不思議なことにLyraはどちらでもなかった。憧れもしないし共感もしない…とても近いどこににでもいる普通の人々の生活なのに。とても遠いどこかでやってる行為を見せられている感じがした。つまりリアルに感じないのだ。同棲に憧れてる人々向けの悲しい恋物語だからだ。

カフェで若い2人が、1つのイヤホンを片方ずつ耳にしてを一緒に同じ音楽を楽しそうに聞いている姿を見た山音麦と八谷絹は、それぞれ一緒にいる恋人に、「あの子たち、本当に音楽、好きじゃないな」「音楽ってね、モノラルじゃないの。ステレオなんだよ。イヤホンで聴いたらLとRで鳴ってる音は違う」「片方ずつで聴いたらそれはもう別の曲なんだよ」と怒りまくって同席している恋人に力説。聞いてる相手が「え、そう?」と絹や麦が力説し過ぎているのにドン引きしているせいもあり余計にムカつきがヒートアップ。イライラした絹が立ち上がった直後、同時に立ち上がった麦と目が合う。ギョッとする2人。固まったように立ち尽くし、2人は見つめ合うが、すぐ互いに回れ右をし、それぞれの同伴者が居るテーブルへ何ごともなかったように大人しく戻っていくというオープニングが、2人の性格や趣味がまるっきり同じというのを表している。この「同じ」と言うことをこの映画は、大プッシュしていく、、、ただこの出だしのシーンがすでにラストの2人を予言していたのだから何とも言えない悲しい日常。諦めた人生を感じた。

この諦めた感覚がずーと続く。これが非常に1970年代映画っぽく感じたので、好きな人には、この諦めがrétroなフォークロック全盛期の時代のように感じて気に入るに違いない。

rétro喫茶は全く出てこない、だが昭和ぽい喫茶店が好きな人はこの虚しさは、好きだろう。更にこの虚しい感じは同棲やら神田川が流行った時代にも通じる…悲惨な末路が待っている1970年代の無情さがある日本映画は個人的に好きだ。

最近の下北沢人気もこの感じと似ている。古着屋は昔の雰囲気を出せるアイテムだ。この街に馴染む。だから下北沢には古着屋が増えた…ただ古着屋が10年前の下北沢と違って下北沢の街全体になってしまったのは、寂しい気もする、だって古着屋もあれば雑貨屋もあれば美味しいおばちゃんがやってる店やパン屋や飲み屋など色々な店があるから彩りが町に出来る…そんな人情ある素朴さが好きだったから失われて寂しい気がするのだ。今の昭和レトロや昭和歌謡はトレンドだからね、飽和状態が今の状況ならば、流行りはいつか廃れるか?

rétro喫茶も純喫茶も1970年代の映画も大好きな私なのに何故か途中寝てしまい、なかなか最後まで一気に見れなかった。
ストレンジャーザンパラダイスなど淡々とした映画も好きなのにピンとこなかったのは、この流行に乗った感じがしたからか?或いは、この主人公たちみたいに諦めた人生をまだ自分が送っていないからかもしれない。もしくは恋愛を夢みていないからか?

この後、主人公達は、お互いにつまらない飲み会帰りに明大前で終電に乗れなかったのをきっかけに急接近。
音楽や本の趣味が全く同じだったことに運命を感じて普通の恋愛を開始。趣味が同じことで付き合いだしてから5年間、互いとの付き合いを1番に考えながら普通に付き合って行く。後で書くがこの「趣味が全く同じ」と言うきっかけが2人が別れた理由なのだから世知辛い。

心の声

劇中でしばしば心の声が発せられるのだが、それが日常的な心情、つまり普通な感じにする為の演出として、淡々としたかったのだろうけど、個人的には、棒読みに感じてしまった。

キスをはじめてした時の「サンキュ、ボタン式信号機」と繰り返すのも面白いセリフで良いのにね。だけどその棒読みが気になってしまう。

そして2人が別れを考え始めた冷めて来た時に「もう、どうでも良いと思った」というセリフがあり、それは人によっては、別れが頭にチラついた時みたいでリアル、という人もいるはずだ。この感覚は理解できる、だが自分とは違う感覚なの。

この映画は、女の子が「彼氏にこんなことされたい」「こういう一途な彼氏がいい」という願望が全面的に表現されている。だから違和感を感じたのかもしれない。
俳優さん達は嫌いじゃない。むしろこの菅田将暉と有森架純だから最後まで見れたと思う。

菅田将暉と、有村架純が、垢抜けない印象の麦と絹を、親近感を覚えるキャラクターに仕立て上げたのは良かった。だからヒットしたのだ。絹がふとした瞬間に見せる満面の笑顔は同性から見ても可愛らしいし、麦の泣き顔には母性本能くすぐられる方も多いだろう。

ただ麦みたいなこの手のタイプの男や、女子に母親のように(父親ではなく)甲斐甲斐しくしてあげる男性、そしてもたつく恋愛が、私の趣味ではなかったようだ。その趣味じゃない事と、この人生諦めた雰囲気が混じり合わさり、ピンとこなかったのでしょう。

始まりは終わりの始まり

この映画で「面白い表現だな」思ったことが一つある。それは絹が麦と知り合う前から冷めた人間だったこと。そのクールさは絹が「この人はわたしに話しかけてくれている」と気に入って読んでいた大好きなブログ『恋愛生存率』から伺われる。このブログの作者がいつも掲げていたテーマが麦の考え方が冷めていると表しているからだ。

めい、と言うこの作者(プロガー)の主張していたテーマは『始まりは終わりの始まり』と言うものだった。「出会いは常に別れを内在し、恋愛はパーティーのようにいつしか終わる。」という悲観的主義とも言えるテーマに心酔している絹はある意味クールで冷めた現実的な子だと言える。

作者であるめいが恋に落ちた時に「数パーセントに満たない生存率の恋愛をわたしは生き残る」と書いたものの、その一年後に自殺してしまった。

絹はショックを受ける。めいが死んだことについて妄想し「恋の死を見たんだろうか。その死に殉ずることにしたんだろうか。どれも想像に過ぎないし、そこに自分の恋愛を重ねるつもりはない」と言いながらも、絹は「どんな恋でも、いつしか必ず終わりを迎える」という概念がハートに根付いてしまった。ある意味囚われて行く。

それに反して麦は「僕の人生の目標は絹ちゃんとの現状維持です」と宣う。絹はそれに対して返事はしない。ただ微笑むのだ…目だけは笑っていない笑み。

「どんなに運命的に出会っても必ず別れが来る」と絹は知っている。そして映画を見ている私達もだ。

現実の恋愛なんて麦が簡単に言ってのけるほど夢物語ではない、もっとリアルだ。生活がある。仕事や金や社会生活があるのだ。つまり暮らしが皆んなに平等にあるということ。

『花束みたいな恋をした』では、それがすれ違いの発端になる。つまり夢物語が、資本主義社会や就職活動という現実でぶち壊されるのを描いている映画なのだ。まるで神田川の世界ではないか!

 

この現実が、おままごとの2人を壊していく。その壊れていく過程で、めいが好きだったブロガーの死や知ってる先輩の死が合わさり、終わりをより一層、見ている者は感じていくのだ。

死や実際の日々の生活が夢物語の2人の恋を壊していく。その感じがこの映画のテーマにも感じて面白かった。生きていくことがいかに酷く大変なことか…、同棲に憧れていた人間を現実が壊して行く様が面白い。夢は覚め、そして終わりによって現実世界の扉が開いたのだ。

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