Marianne Faithfull【Come And Stay With Me】マリアンヌ・フェイスフル逝去 マリアンヌの軌跡 Marianne Faithfull R.I.P.

小さい時からずうっと、ずーっと好きだった人。永遠に好きです(泣)。

憧れとかそんなことよりも大きな存在。ママと色々なことが同じだから余計に身近に感じていたのかもしれないけど、Lyraの中では強くて嫋やかなHugeな人。

小さい時から好きな人達がこの星からいなくなる…悲しくてたまらない。

このブログにもTwitterにもInstagramにもしょっちゅう大好きなMarianne Faithfullのことを書いて来たら、皆さんも分かってくれてるというか知りまくってる(笑)と思うので「Lyraないてるな〜」ってね…。だから今日なくなってしまったマリアンヌ・フェイスフルのために書きます。

どれにしようか迷ったけど、無垢な魂百までもって胸にグッと来て心を離さない曲にしました。

今日Lyraが和訳&解説するのは、イングランド出身の歌手、女優である Marianne Faithfull マリアンヌ・フェイスフル(本名 Marianne Evelyn Gabriel Faithfull マリアンヌ・エヴリン・ガブリエル・フェイスフル 1946年12月29日 – 2025年1月30日)。

彼女は 1960 年代に全英トップ 5 シングル【アズ・ティアーズ・ゴー・バイ 涙溢れて】のリリースで人気を博し、米国におけるブリティッシュ・インヴェイジョン時代の主要な女性アーティストの 1 人となりました。

【Marianne Faithfull/ As Tears Go By】和訳 The Rolling Stonesの女と言うよりも Rebirth Woman

 

素晴らしい歌手であり様々なジャンルの映画(B級やら怪作にも出てる所も大好きな理由)に出演している女優として有名ですが、Marianne Faithfullは、The Rolling Stones ローリング・ストーンズの Mick Jagger ミックジャガーの元カノということでも知られていました。そして他にも…

2015年1月30日、マリアンヌ・フェイスフルが死去しました…78歳でした。

今日は大好き Marianne Faithfull マリアンヌフェイスフルの1965年リリースの曲【Come And Stay With Me】を和訳解説します。詳しい解説は、LyraのHipな和訳の後にまたお話しましょう!

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Marianne Evelyn Gabriel Faithfull (29 December 1946 – 30 January 2025) was an English singer and actress. She achieved popularity in the 1960s with the release of her UK top 5 single “As Tears Go By” and became one of the lead female artists during the British Invasion in the United States.

=Come And Stay With Me=

I′ll send away all my false pride

And I’ll forsake all of my lies

Yes, I′ll be as true, as true can be

If you’ll come and stay with me

偽りのプライドなんか全部捨ててしまおう

そして私の嘘の全てを捨ててやるわ

そうよ

私は出来る限り真実になるわ

あなたが来てくれて

私のそばにいてくれるなら

Lovers of the past I’ll leave behind

There′ll never be another on my mind

I′ll do all I can so you’ll feel free

If you′ll come and stay with me

過去の恋人たち

私は残して行くわ

私の頭の中には

他の人は決していないでしょう

あなたが安心できるように

私は出来る限りのことをするから

あなたが来て

私のそばに一緒に居てくれるなら

The promises I made most faithfully

I’ll keep still, should you decide to leave

I′ll try and see that you have all you need

If you come and stay with me

私が1番忠実に交わした約束は

あなたが別れると決めたとしても

私はそのままじっとしているでしょう

私はあなたの必要なもの全て揃っているか

ちゃんと確認してみるわ

あなたが来て私と一緒に居てくれるなら

 

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We’ll live a life no one has ever known

But I know you′re thinking that I’m hardly grown

But oh thank God, at last and finally

I can see you’re goin′ to stay with me

 

私たちは誰も知らなった人生を

生きることになるのよ

でもね

私はあなたが

私が全然成長していないって思っているのを

知っているわよ

でもね

ああ神様に感謝します

ついに
そしてついに

あなたが私と一緒にいることが分かるわ

 

But oh thank God, at last and finally

I can see you′re goin’ to stay with me

でもね

ああ神様ありがとう

ついに

そしてついに

あなたが私と一緒にいることが分かるわ

Writer: Jackie De Shannon
Translator: Lyra Sky 和訳

 

 

最大のヒット曲【Come And Stay With Me】

【Come And Stay With Me カム・アンド・ステイ・ウィズ・ミー】は、1965年に ヒットメイカーである Jackie De Shannon ジャッキー・デシャノンが マリアンヌ・フェイスフルのために書いたポップソングです。

この曲はMarianne Faithfull の最大のヒット曲の一つとなり、イギリスでは最高4位を記録。プロデューサーは、Andrew Loog Oldham。

Jackie De ShannonとJimmy Pageの不倫

 

マリアンヌの元マネージャー、トニー・カルダーは2008年9月、この曲がJackie De Shannon ジャッキー・デシャノンと不倫関係にあった Jimmy Page ジミー・ペイジと一緒にいたロサンゼルスで書かれたとMojo誌に語っていました。

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「ある夜、ジミーとジャッキー・デシャノンのせいでホテルの部屋に入れなかったんだ。それで私は叫んだんだよ。『終わったら、マリアンヌのために曲を書いてくれませんかね!』ってね。それで、デシャノンは、ペイジと一緒にこの曲をアルバム曲『In My Time of Sorrow』のために思いついたんだよ。」

カヴァー

シェールは、1965年のデビュー・ソロ・アルバム『All I Really Want to Do』にこの曲のカバー・バージョンを使用。

作曲家フリードリッヒ・ホレンダーの娘であるドイツ系アメリカ人の歌手カティア・ホレンダーも、1966年のアルバム『Hallo, Katja!』にこの曲をドイツ語の歌詞で「Immer wenn ich deinen Namen hör」として録音している。 (ドイツのみ)。

勿論、ジャッキー・デシャノンは、1968 年のアルバム『ローレル・キャニオン』にこの曲を自ら録音しました。

Marianne Faithfull マリアンヌ・フェイスフルについて

Marianne Faithfullについては色々このブログで書いて来たので、今回は簡単に紹介します。詳しく知りたい方は、過去の記事を参照してくださいませ。

1946年12月にロンドンのハムステッドにて、ロンドン大学教授の父ロバートと母エヴァの間に生まれた Marianne Faithfull 。17歳の時にロンドンのパーティ―でローリング・ストーンズのマネージャー Andrew Loog Oldhamに見い出され、Mick Jagger & Keith Richards ミック・ジャガーとキース・リチャーズが書いた 【As Tears Go By】涙溢れて、でデビューしました。

*【Marianne Faithfull/ As Tears Go By】和訳 The Rolling Stonesの女と言うよりも Rebirth Woman

 

数々のヒット曲をはなち、20枚ものアルバムをリリース。7枚目のアルバム『Broken English』はグラミー賞にノミネートもされました。

栄光と転落

彼女のデビュー・スタジオ・アルバム『マリアンヌ・フェイスフル』(1965年、スタジオ・アルバム『カム・マイ・ウェイ』と同時にリリース)は大成功を収め、その後デッカ・レコードから数多くのアルバムがリリース。
人気が出ると共に私生活も派手になり、1966年から1970年にかけて、彼女はミック・ジャガーとの恋愛関係が大々的に報道されました。
マリアンヌの人気は、「名前は忘れない」(1967年)、「バイクに乗った少女」(1968年)、「ハムレット」(1969年)などの映画出演によってさらに爆発!
しかし、1970 年代に彼女の人気は個人的な問題によって影を落とします…この人気絶頂の最中、ドラッグ中毒になり、ゴシップの標的にされ、ミックジャガーとの別れも重なり、彼女は拒食症、ホームレス、ヘロイン中毒と転落していきました。

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Marianne Faithfull の復活!

マリアンヌ・フェイスフルは独特の声で有名でした。彼女のメロディックで高音域のボーカルは 1960 年代のキャリアで人気を博しました。

が、1970 年代の重度の喉頭炎と持続的な薬物乱用によって変化し、彼女の声は永久にガラガラでひび割れ、ピッチが低くなりました。

でも、マリアンヌは、復活したのです。この新しい声は一部の批評家から「ウイスキー漬け」と称賛され、マリアンヌ・フェイスフルの音楽で表現された生の感情を捉えるのに役立ったとみなされていったのです。

引退したかに思われた長い商業活動からの空白を経て、Marianne Faithfullは、1979年に絶賛された7枚目のスタジオ・アルバム『ブロークン・イングリッシュ』をリリースしてカムバックを果たしました。

このアルバムは商業的に成功を収め、彼女の音楽キャリアは復活したのです。 『ブロークン・イングリッシュ』により、マリアンヌ・フェイスフルにグラミー賞最優秀女性ロック・ボーカル・パフォーマンス賞にノミネートされ、彼女の「決定版録音」と言われました。

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彼女はこれに続いて、『Dangerous Acquaintances』(1981年)、『A Child’s Adventure』(1983年)、『Strange Weather』(1987年)などのスタジオアルバムを発表して行ったのです。

マリアンヌ・フェイスフルの本

マリアンヌは自身の人生について 3 冊の本を書きました。『フェイスフル: 自伝』 (1994 年)、『思い出、夢と反省』 (2007 年)、そして『マリアンヌ・フェイスフル: 記録に残る人生』 (2014 年) です。興味があるかたは、是非読んでみてくださいね。

 

コマンドールに任命

バイセクシャルであることを公表しているMarianne Faithfull。デビュー当時からLGBTQのアイコンとしても絶大な支持を得てきたこともあり、長年の功績を称えられ、2009年に旧ソ連のミハイル・ゴルバチョフ元大統領主催の「Women’s World Award」で World Lifetime Achievement Award (生涯業績賞)を受賞。2011年にはフランス文化省より芸術文化勲章・コマンドゥールに任命され授与されました。

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Marianne Faithfull R.I.P.

Marianne Faithfull マリアンヌ・フェイスフルは、2015年1月30日ロンドンで死去しました。享年78歳。

「歌手、ソングライター、俳優のマリアンヌ・フェイスが亡くなったことを、深い悲しみとともにお知らせします。マリアンヌは本日、愛する家族に見守られながら。ロンドンで安らかに息を引き取りました。彼女は深く惜しまれることでしょう」と彼女の広報担当者が公表しました。

この訃報を聞きいまだに信じられず、数年前に体調を崩していたと聞いてはいましたが、事実とは分かっても胸にポッカリ穴が空いたような悲しみと空虚感に襲われています。マリアンヌは素晴らしい女性だから。

60年代に活躍した女優さんが大好きなのですが、マリアンヌと共演したアンナ・カリーナも天国に召された時は悲しくて涙しましたが、今、天国で2人がこの世界の懐かしい話を楽しく語らっていたら良いな、と思っています。マリアンヌフェイスフルは、アンナがミューズだった俳優ジャン=リュック・ゴダール監督の映画『メイド・イン・USA』(1966)で映画初出演を果たし、それからあの『あの胸にもういちど』(1968)などに出演したほか、『三姉妹』や『ハムレット』など舞台でも活躍した。B級映画やアングラな映画にも出演したりマリアンヌの拘らない姿勢がLyraは大好きです。

プライベートでは、1965年に最初の夫ジョン・ダンバーと結婚し、息子をもうけるも離婚。このきっかけはMick Jaggerなんだけど…このタイミングから“ミック・ジャガーの恋人”として注目を集め、ストーンズのミューズとして認知度が高まりますが、ドラッグとも出会ってしまったために天使の歌声は失ってしまいます。

薬物依存や路上生活、摂食障害、親権剥奪、自殺未遂などトラブルが重なり、Marianne Faithfullは終わったと世間はいうことになりまたが、周囲の助けを得て依存症を克服。乳がんやC型肝炎、新型コロナウイルスの後遺症など健康問題に見舞われながらも、音楽活動を続け、2021年にはイギリスの詩人の詩をベースにしたポエトリーアルバム『She Walks In Beauty』をリリースした。

彼女は2021年、UK版『ヴォーグ』のインタビューで、「ロックンロールの世界で女性であることは、困難の連続だった」と述べ、またドラッグへの後悔を明かしていた

「若くて愚かだったので、退廃的なものには全て惹かれた。今その代償を払っています。特にたばこやドラッグ、アルコールを後悔しています。20代の頃には影響など考えなかった。若くして死ぬと思っていたので、この年齢まで生きるとは思いもよりませんでした」

でもマリアンヌは復活した。並大抵の努力と精神力ではないと思います。世間が今よりも閉ざされていて女性の活躍や転落に理解を今でも斜めに見るのに当時ならば更に風当たりが強かったに違いなく、体調が悪く何もかも失った中で冷たい世界に負けずに立ち直ったのは奇跡に近いと思う。彼女の強さと勇気をリスペクトします。

この軌跡は無駄ではないと思います。きっとマリアンヌは栄光と挫折と復活と名声の中で、伝説になり永遠に語り継がれるのだと思います。そしてそれは迷える子羊たちの指針になるかもしれないと Lyraは思っています。

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Mick Jaggerの声明

数々のアーティストや俳優たちからお悔やみの言葉が寄せられています。その中でもやはり注目してしまうのが、Marianne Faithfullの60年代から付き合っていた元カレ Mick Jagger の言葉です。

 

ミック・ジャガーはインスタグラムにマリアンヌ・フェイスフルや2人で写っている昔の写真を投稿し、次の追悼文を綴っています。

「マリアンヌ・フェイスフルの死を聞いて、とても悲しんでいます。 彼女は長い間私の人生の一部でした。素晴らしい友人であり、美しい歌手で偉大な女優でした。 彼女のことをいつまでも忘れないでしょう」

私たちもマリアンヌ・フェイスフルという素晴らしい人のことを忘れない。

Marianne Faithfull Forever !!

 

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Come and Stay with Me” is a pop song, written by Jackie DeShannon in 1965 for the British singer Marianne Faithfull. It became one of her biggest hits, peaking #4 at United Kingdom.

Faithfull’s former manager Tony Calder told Mojo magazine in September 2008 that the song was written in Los Angeles, where he was with Jimmy Page who had an affair with DeShannon: “One night I couldn’t get into our hotel room because Jimmy and Jackie DeShannon were shagging. So I yelled, ‘When you’ve finished could you write a song for Marianne?'” DeShannon came up with this song plus with Page an album track, “In My Time of Sorrow.

Cher recorded a cover version of the song for her 1965 debut solo album All I Really Want to Do.

German-American singer Katja Holländer, daughter of composer Friedrich Hollaender, recorded the song with German lyrics as “Immer wenn ich deinen Namen hör” for her 1966 album Hallo, Katja! (Germany only).

Jackie DeShannon recorded the song herself on her 1968 album Laurel Canyon.

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