毎年恒例「Kurt Cobain カート・コバーンの命日にKurtの曲をLyraが和訳・解説し皆でKurtを忍びましょう」をまた今年もやりたいと思います。
命の尊厳とは…と考えさせられる出来事が偶々あったのでアコースティックな気分。だから今年はこの【All Apologies】にしました。
Nirvanaのアコースティックも全部好き。だから全て気持ちにフィットするからどれでも良かったのが本音なのだけど、人気があるこの曲について書いたと思っていたら和訳したままであげていなかったので、これを選びました。
MTVアンプラグドでもプレイされて何回見ても飽きない普遍の名曲だと思う。
悲観的な歌詞だから悲しいと思われている曲だけど、イヤイヤまやかしの幸せの中にいる自分自身を怒号してるKurtの本音が見え、Lyraには逆に生命力をアピールしてるかのように感じてしまう…
生きていたらKurtは、下向いたままではなく、きっと笑顔でこの歌を歌っていただろうな。
生き抜けていたならば…ね。
今日Lyraが和訳&解説するのはアメリカ合衆国出身のシンガー・ソングライター Kurt Donald Cobain カート・ドナルド・コバーン(1967年2月20日 – 1994年4月5日頃)。
スポンサーリンク
1990年代初頭に流行したグランジ・ムーブメントを牽引したバンドの1つである Nirvana ニルヴァーナ のリードボーカリスト、ギタリスト、主要ソングライターだった。
今日Lyraが和訳する曲は、1993年9月13日にリリースされたDGCレコードからの3枚目のアルバムでありラストアルバムになった『In Utero』に収録されている曲【All Apologies】。
スタジオ・アルバム『イン・ユーテロ』のラストを締めくくる曲… 詳しい解説はLyraのHipな和訳の後に又お話しましょう!
“All Apologies” is a song by American rock band Nirvana, written by vocalist and guitarist Kurt Cobain. It appears as the final track on the band’s third and final studio album, In Utero, released by DGC Records in September 1993. The song closes the American version of the album, while non-US versions of In Utero feature an additional song, “Gallons of Rubbing Alcohol Flow Through the Strip”, which begins after approximately 20 minutes of silence on the same track.
=All Apologies=
What else should I be?
All apologies
What else could I say?
Everyone is gay
What else could I write?
I don’t have the right
What else should I be?
All apologies
[Chorus]
In the sun, in the sun, I feel as one
In the sun, in the sun
Married
Buried
俺は他に何になるべき?
全部ごめんね
他に何と言えばいいんだい?
みんなゲイだろ
他に何て書けばいいんだい?
俺には権利がないんだよ
俺は他に何になるべき?
全部ごめんね
太陽の中で
太陽の中で
俺は一つになっていると感じるよ
太陽の中で
太陽の中で
既婚
埋葬されたんだ
I wish I was like you
Easily amused
Find my nest of salt
Everything’s my fault
I’ll take all the blame
Aqua sea foam shame
Sunburn, freezer burn
Chokin’ on the ashes of her enemy
君になりたかったよ
簡単に楽しめる君みたいにさ
塩の巣を見つけておくれ
すべては俺のせいだから
すべての責任は俺が負うから
水色の泡恥
日焼けに雪焼け
彼女の敵の灰で
喉を詰まらせている
スポンサーリンク
[Chorus]
In the sun, in the sun, I feel as one
In the sun, in the sun
Married
Married
Married
Buried
Yeah, yeah, yeah, yeah
太陽の中で
太陽の中で
俺は一つになっていると感じるよ
太陽の中で
太陽の中で
既婚
結婚した
埋葬されたんだ
そう言う事
そう言う事
そうなんだよ
そうなんだよ
All in all is all we are
All in all is all we are
All in all is all we are
All in all is all we are
All in all is all we are
All in all is all we are
All in all is all we are
All in all is all we are
All in all is all we are
All in all is all we are
All in all is all we are
All in all is all we are
All in all is all we are
All in all is all we are
All in all is all we are
All in all is all we are
All in all is all we are
All in all is all we are
All in all is all we are
All in all is all we are
All in all is all we are
All in all is all we are
誰もが皆そのものだ
誰もが皆そのものだ
誰もが皆そのものだ
誰もが皆そのものだ
誰もが皆そのものだ
誰もが皆そのものだ
誰もが皆そのものだ
誰もが皆そのものだ
誰もが皆そのものだ
誰もが皆そのものだ
誰もが皆そのものだ
誰もが皆そのものだ
誰もが皆そのものだ
誰もが皆そのものだ
誰もが皆そのものだ
誰もが皆そのものだ
誰もが皆そのものだ
誰もが皆そのものだ
誰もが皆そのものだ
誰もが皆そのものだ
誰もが皆そのものだ
誰もが皆そのものだ
誰もが皆そのものだ
誰もが皆そのものだ
Songwriter: Kurt Cobain
Translator: Lyra Sky 和訳
1993年9月にDGCレコードからリリースされたバンドの3枚目にして最後のスタジオ・アルバム『イン・ユーテロ』の最後の曲として収録されているだけに色々と想像を張り巡らせてしまい、カートの心情とピッタリあっていると考えてしまう。因縁なんだ、とか、やめ時がわからないカートの可哀想な姿が頭に浮かぶ。
深く考えなければ可哀想な自虐的な男の歌、と思えば良い。
アルバム『In Utero』と両A面シングル
この曲はアルバム「In Utero』のラストの曲だ。だがアメリカ以外のインターナショナル・ヴァージョンには、同じトラックの約20分間の沈黙の後に始まる追加曲【Gallons of Rubbing Alcohol Flow Through the Strip (ガロンの消毒用アルコールがストリップを通過する)が収録されている。メンバー3人の共作で27分45秒の作品。
1993年12月6日【All Apologies】はアルバムからの2枚目のシングルとして【Rape Me】との両A面としてリリースされた。これは1994年4月にコバーンが自殺する前のニルヴァーナ最後のシングルとなった。
【All Apologies】について
米国ではフィジカルシングルとしてリリースされていない。だが【All Apologies】は、モダン・ロック・チャートでトップになった3番目の曲になり、全英シングル・チャートでは32位に達した。この曲は 1995 年に 2 つのグラミー賞にノミネートされ、1994 年から 1995 年までの対象期間中にアメリカの大学ラジオで最も再生された曲として BMI 賞を受賞。また、ロックの殿堂の「ザ・ソングス・ザット」リストにもなった。 この曲はチェロをフィーチャーしている。アルバム『イン・ユーテロ』ではケラ・シェイリーが、MTVアンプラグド・コンサートではロリ・ゴールドストンが演奏。
スポンサーリンク
ミュージックビデオ
ミュージックビデオは制作されず、1993年12月のMTVインタビューでKurt は「ツアーに集中していた」ため「最近はアイデアを思いつくことがなかった」と説明していた。代わりに、シングルのリリース直前にバンドの MTV アンプラグド コンサートで録音された先程のライブ バージョンをミュージック ビデオとして放送していた。このバージョンは 1994 年 2 月にプロモーション シングルとしてリリースされ、多くのエアプレイを生み出した。
歌詞について
アコースティック・ファンのお気に入りの【All Apologies】。メインの内容は、Kurt Cobain カート・コバーンが自分の振る舞いについて「謝罪」だ。
「1992年8月30日にイギリスのレディングで開催されたレディング・フェスティバルにバンドが出演した際に、妻の Courtney Love コートニー・ラブと娘の Francis Bean Cobain フランシス・ビーン・コバーンに【All Apologies】を捧げた。 」と彼は1993年の伝記『カム・アズ・ユー・アー:ニルヴァーナの物語』の中でマイケル・アゼラッドに語っている。
そして「この曲は彼らのためのものだと思いたい。 しかし、その言葉は俺たちにあまり当てはまらない…感情は当てはまるが、歌詞は当てはまらない。」このようにKurtは思っていたのではなく「思いたい」とKurtは言っているのである…つまり真偽はわからないということだ。
そう言ってから、Kurtはこの曲の雰囲気を「平和、幸せ、安らぎ、まさに幸せな幸せ」と要約している。本当に平和などをイメージして書いたのかもしれないし、歌詞のそのままからくるイメージの場合、真逆かもしれない。
この曲は完成したのは1993年だが、この曲が実際に書かれたのはCortneyと出会う前の1990年だったということにも注目すると、これは2人に対して書いた曲ではないのだ。ただ単に伝記のインタビューで後付けで言ったことになる。場を盛り上げるために話したか、ノリで言っただけだろう。
この詩の全体の構造は修辞的だ。出だしに「俺は他に何になれば良いんだ?」など幾つか聞き手に質問しているが、実際にはこれらの質問に対する答えをKurtは望んではいない。
Kurtに対する他人の期待の中にユーモアがあるのを見つけて、彼は自分の見解や言葉について嘲笑的に「謝罪」したのだ。
この曲は家族に捧げると言ってはいたものの、カートの成功や家族とは何の関係もない内容だと分かる。最初に書かれたのは1990年。単に自分自身に質問をしていて、答えを求めていない。
歌詞の中で「ゲイだろ?」と書かれているために、問題視されたKurt。時々Kurtはこの手の単語を使いバッシングされていたので、サードアルバムでは控えめにしているのだが、この曲では又使ってしまっている。
Kurt は「ゲイ」を侮辱として使っているのではなく、「ゲイ」が侮辱だと思い込んでいる人々(90年代にはほとんどの人がそうだった)を侮辱しているようだ。
かつてKurtは他にもいくつかゲイについて言っていたが、「俺は同性愛者ではないけど、そうなりたいと思っている。でも、ただ同性愛嫌悪者を怒らせるためだけに言ってる。」と、曖昧なことを言ってはぐらかしている。この曲もこのケースと同じだと考えられる。
あとこれに関連したエピソードがあり、19歳の時に Kurt は、ピックアップトラックに同性愛嫌悪者に向けた皮肉な発言をスプレーで描いたとして逮捕されたことがある。
これは前述の「誰もが同性愛者だ」という言葉に繋がる。彼は、それが法律違反であると気づく前でさえ、他に何を書くことができたのだろうかと考えた。 これがカートが定期的に遭遇する期待と偽りの人々についての歌であろう。
ならば、彼は自分が持ち出した話題に対して受けた批判を叱責したり、 特定の問題に対処することが(レコードレーベルによって)許可されていないことや、 初期のバージョン (カートの日記に掲載されたものを含む) には、「他に何を書くことができるだろうか?」というものがあった。他にも「戦いたくない」や「白人でごめんなさい(原文どおり)」など、対立的ではない主張が続いている。ならばこの曲についても同じ意味を含んだ歌詞と言えるだろう。
この曲のライブ・アット・リーディング・バージョンでは、Kurt は代わりに「俺の言葉はすべて灰色だ」と歌っている。 「他に何を書けばいいのか/俺にはその権利がない」と併せて見ると愛とは関係ない灰色の毎日に対するKurtのやるせなさや諦めの歌に感じてしまった。
偽りの幸せを演じる事で心を病んで行ったのか?
Kurtがこの世に愛想をつかした理由がドラッグでおかしくなっただけではないのかもしれない、とこの曲が訴えているようだ。
より深く歌詞を解説
歌詞は、人生がどれほど混乱していて不条理であるか、そして、しなければならないことによって気を紛らわすことに夢中になっているために、それを理解できる人がいかに少ないかに焦点を当てている。
Kurt Cobain は時々、生きることの唯一の意味は、DNAを広め、人生の病を増殖させ(結婚し)、そして死ぬ(埋葬する)ことであると感じることがある。
彼は人生の背後にある混乱に困惑しているのだ。それは、実際には、広がって死ぬこと以外に、すべての生命が従うべき普遍的な目標など存在しないという事実によってだ。
“Find my nest of salt/ Everything’s my fault”の部分は、Kurt がかつて愛した家は、今ではCourtney Love との失敗した関係を思い出させるだけであり、考えたり感じたりするには傷に塩を塗るようなものである。それは、彼の家がもはや安全な場所ではなくなっていることを表現している。
All in all is all we areは、「すべては私たち全員のすべてである」と言う意味だが、存在するすべてのものは一つであることを意味する非常に複雑な仏教の名言から来ている。私たちは皆つながっており、同じ意味を持っている。彼は最も厳しい真実を語っているのだ。人間は、アリや恐竜、さらにはインフルエンザウイルスと同じように特別なわけではない。Kurtは、私たちは皆、生き残って拡大しようとしているだけの寄生虫であると言っているのだ。
クリス・ノヴォセリックは、『In Utero』を「Kurt Cobain の芸術的ビジョンの証」と呼んだ。Kurt は説明のつかない決断で、歌詞をアンプラグド・ジャムのこの悲しくも真実な声明に変更した。きっとこの曲を歌う事で本音を言いたかったのかもしれない。
Kurt の怒りに満ちたソングライティングは、彼自身の反体制的なペルソナを通じて、自分の作品を主流のロック ミュージックのテーマへと広げて行った。そして彼はジェネレーション X の代弁者として注目され、最も影響力のあるオルタナティブ ロック ミュージシャンの 1 人として広く知られるようになったのだ。
この痛々しい孤独や闇の感情は、時代性と合わさり人々の気持ちを揺さぶり同調し、大きなムーブメントになった。
Grungeはその後、根明なあの時代の渦に飲み込まれ終わりを告げたが、この悲しみや諦めというKurt Cobainの感情は終わらない。
同じような悲しみを抱えた人々に語りかけ傷を癒やし、時にはその人の傷に塩を刷り込んで現実を気づかせるのだ。良い意味でも悪い意味でも皮肉れたKurtの心は真っ正直でわかりやすいからだ。
Kurt Cobainは、この曲【All Apologies】でごめんね、と全て自分が悪いと謝罪している。悲しい気持ちの中に諦めと怒りをちらつかせて。
それなのにこの曲の雰囲気を「平和、幸せ、安らぎ、まさに幸せな幸せ」と要約した。
それは現実の悲しい状況を目の当たりにして決して手に入らないものへの憧れから出た言葉だったのかもしれない。
Kurt Cobain R.i.P.
Kurt の心が安らかに眠れますように。
Kurt Donald Cobain (February 20, 1967 – c. April 5, 1994) was an American musician who was the lead vocalist, guitarist, primary songwriter, and a founding member of the grunge rock band Nirvana. Through his angsty songwriting and anti-establishment persona, his compositions widened the thematic conventions of mainstream rock music. He was heralded as a spokesman of Generation X and is widely recognized as one of the most influential alternative rock musicians.
Cobain dedicated “All Apologies” to his wife, Courtney Love, and their daughter, Frances Bean Cobain, during the band’s appearance at the Reading Festival in Reading, England on August 30, 1992. “I like to think the song is for them,” he told Michael Azerrad in the 1993 biography Come As You Are: The Story of Nirvana, “but the words don’t really fit in relation to us…the feeling does, but not the lyrics.” Cobain summarized the song’s mood as “peaceful, happy, comfort – just happy happiness.”
The song famously features a cello (played by Kera Schaley on In Utero and Lori Goldston in the MTV Unplugged concert).
Cobain stated that the song was written about his wife, Courtney Love, and their daughter, and how happy he felt with them.
The entire structure of the verse is rhetorical: Kurt actually does not want answers to these questions. Seeing the humor in others’ expectations of Cobain, he mockingly “apologizes” for his views and words.
The track, however, has nothing to do with Kurt’s success or family: it was first written in 1990. Kurt told biographer Azerrad that the meaning was “”peaceful, happy, comfort.” Kurt, it appears, was merely asking the questions of himself, seeking no answers.
Cobain wrote the melody to “All Apologies” in 1990–before meeting Courtney Love—with the lyrics following in 1993.
The home Kurt used to love now only reminds him of his failing relationship with Courtney Love, and is like salt in wounds to think about or to feel. It shows how his home is no longer his safe space.
All in all is all we all are” is an extremely complex Buddhist quote meaning all things in existence are one. We are all connected and have the same meaning. He is telling the harshest truth; humans are not any more special than ants or dinosaurs or even the flu virus. He is saying we are all simply parasitic trying to survive and expand.
Krist Novoselic called In Utero “a testament to the artistic vision of Kurt Cobain.”
In an unexplained decision, Kurt changed the lyric to this sad yet true statement for the Unplugged jam.
Personnel
Nirvana
- Kurt Cobain – vocals, guitars
- Krist Novoselic – bass
- Dave Grohl – drums
Additional personnel
- Kera Schaley – cello
スポンサーリンク