⑨エレインの死
エレインは、ボーとのセックスしてエクスタシーを迎えてしまったから死んだのだが、これはモナのが息子に話していた話と真逆な結果になる。
ボーの父親や祖父やご先祖様たちの男性はセックスをして射精した瞬間に死亡するとモナは話していた。
そのせいでボーは、中年になって童貞だったし大好きなエレインではあっても、死んでしまうと恐れていたのだ。
だが実際は、セックスによりエクスタシーを迎えたら相手が死ぬ、という事実だった。
エクスタシーには、快感が最高潮に達して、無我夢中の状態になる以外に、魂が肉体を離れる、という意味があるため、それにひっかけたのかもしれない。
これがたまたまなのか?
はたまた代々、遺伝する男性の力なのかは作品では語られていない。
ボーは、童貞ではあるが、長年好きだったエレインと結ばれ、やっと幸せになるかと思いきやエレインは死亡し、全ての過程を実の母親に目撃されてしまう悲惨な状況。これほど最悪で地獄な状況はないだろう。
さすがアリ・アスター。主人公をどん底に引き摺り下ろす天才。才能があり過ぎる!
⑩屋根裏部屋
アリ・アスター映画では、屋根裏部屋には必ず衝撃的な真実があるから、絶対に屋根裏には行ってはいかんのだ〜笑)。ヘレディタリーの屋根裏部屋のギコギコは、まだ頭の中で音がしているくらい怖かったな〜。
そのアリアスターあるあるの通り、モナの豪邸の屋根裏には、ボーの双子の弟と巨根ペニスの姿をした父親が監禁されていた。
ボーが夢の中でモナに叱責され屋根裏に連れて行かれる少年の姿を見ていたが、あの少年はボーの双子の弟だったわけだが…
父親がそのまんま巨大チン◯だとしたらファンタジーになってしまう。確かにそれも映画的にはありだが、これは怪物ではなく、性欲ままみれの男のシンボルだろう。
ラリってるせいか、或いは、あまりにも性欲過多な男のせいで、ボーやモナの目には巨根怪物に見えたのだ。
あのペニスを具現化したような父親は、ボーの妄想だろう。父親の顔を知らないボーにとっては母親に受胎させた父親は性器としてしか認識できていないのだ。だから母親からセックスしたら死ぬと教わったボーは中年になっても童貞だったし、ボーにとっては、生殖器でしかない父親やその手の行為は卑しいものだったのだ。
ボーのエッチ後のことから父親には、相手がエクスタシーを迎えたら相手側を殺してしまう能力があることになる。
ボーにも「継承」され、実際にエクスタシーを迎えたエレインが硬直して死んでしまったわけだが、このことから、母モナは死んでいないため、モナはエクスタシーを迎えていないということだ。なんともリアルな話。(リアルって言葉ダサいからつかいたくないんだけど、あえてわかりやすく。)
アリ・アスター監督曰く、「父親の正体については真剣に考える必要なし。ダメな父親として描いている。最後に馬鹿げたことをやりたかった。」と話していたので、モナにとってボーの父親は、男としても魅力的ではなかった、ということを描いてるのだ。
ダサい男とやっちまったら、ボーが出来た…なんて悲しい。でもダメな夫を追いやっても、息子は大事で息子への愛を貫いたモナ。
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支配的で全てを縛り付けて監視し、息子を独占していた事は良くないことだっだかもしれないが、自分が不幸な子供時代を送ったから息子だけは守ろうと決意し、それが行き過ぎてしまったモナを全面的には責められないなと思ってしまった。
そして双子の弟だが、モナが少年を屋根裏に閉じ込めるシーンがあったが、あのシーンはボーらしき少年とそれをお風呂につかりながら見ている少年に分かれていた。
もしかしたら、どちらも同一人物で、真実を知ろうとしたボーを、真実を知ることすらできなくなってしまった弱者のボーが眺めている場面かもしれない。
モナに父親のことを尋ねたせいで屋根裏に閉じ込められ、暗い空間で恐怖を味わうことになったボー。屋根裏にいた痩せ細った老人は、閉じ込められ続けたボーを具現化した存在なのだ。
つまり、自分から行動するボーがあの時からいなくなって、この屋根裏部屋に閉じ込められていたことをあらわしているのだ。ボーは意思決定が自分では出来ない腑抜けになっているのだ。
⑪オオカミの家
映画の中でのアニメシーンは、『オオカミの家』の監督であるクリストバル・レオン、ホアキン・コシーニャの2人による作品。
『オオカミの家』は、非常に独特的な世界観があるホラー映画で、アリ・アスター監督が惚れ込み、直接依頼をしたとのこと。
監督は、自分で作りたかったらしいが「アニメーションには時間とお金がかかるなら外注した」らしいのでお安く作るための裏技で頼んだのだ。映画に新しいテンポを吹き入れた感じだったので、この手は良い案かもね。
⑫ボーを恐させるサブキャラ
ボーに恐怖を与えるNo.1は母親モナだが、里帰り中に出会う人間たちが、全て彼をビビらせる。
特に君が悪いのは、ボーを連れ帰ったロジャーとグレイスの家にいた精神的に病んだ元軍人のジーヴス。森の中で銃を連射し、モナの家にまではいりこんでくる。だが、彼の場合、ボーの脳内だけで起きている可能性もある。
ただこれも世界で起きているやるせない事件や銃乱射などの悲惨なニュースと同じであり、監督は見るもの達に「現実世界だってこれと同じ狂いまくってるだろ?」と見せつけているのだ。
ならば【ボーはおそれている】がただのお伽話だとは言い切れないだろう。これも現実だよ。
⑬母モナ
今まで解説してきたように【ボーはおそれている】は、現実とボーの脳内で起きている妄想が入り混じった映画であり、その境界線が曖昧なため見る人には理解し難い映画になっている。
ただはっきりしていることは、母親モナは現実に生きていたのだ。
モナはわざと死んだフリをしていた。壮大な死のストーリーを作り上げたのは、息子であるボーの愛を確かめたかったからだ。
怪死したと連絡させといたが、実際には死んでおらず本当に死んでいたのは、ボーの乳母だったのだから変な話だ。もしかしたら、この乳母の死で思いついた計画だったらなんとも衝動的な人だ。
全てはモナの策略なのだから、ボーの壮大な旅と言うより、モナの壮大な計画を私達は見せられているとも言える。
昔好きだったエレーヌとエッチした後に、(死んだ後に)、母親がボーの前に現れるのだからボーにしてみたら恐ろしくバッドタイミング。だが、母親からしたらダメージ与えるためにはグッドタイミングかな?
モナは、自分が死んだと見せかけることで、ボーが自分に対して献身的な愛があるか試したのだ。
母親はボーに愛情を注いでいて、自分があげた愛と同じくらいの愛を息子からも得られることを期待していたのだ。
だがボーは、母親の誕生日に送ったCDと同じものを学校のスクールカウンセラーに送るし、全く料理しないモナぬキッチンセットを送ったりした。
ボーは悪気はなかったのだが、モナは傷ついていたのだ。それがMaxになり腹を立て自分を死んだことにしてボーの愛を試したのだった。
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母モナが、愛情を同じように返さないと許さなかった原因は、幼少期のせいだ。
モナは母親からは愛情を受けてこなかったと言い、自分の息子には同じ思いをさせたくないと誓ったのだ。
その強い愛情がいつしか屈折し、息子の全てを監視して支配すると言う過度なものになり愛が歪になっていったのだろう。
そして行き過ぎた感情は、愛する親から得られなかった献身的な愛を、今度は愛する息子から得ようとしてしまったのだ。
⑭モナの支配と監視
ボーの精神科医に実家で再会するが、彼はモナの協力者だったとわかる。冒頭で行われたセラピーは、長年続けて来たことで、この全ての診察の会話は録音され、モナの手へ渡っていたのだから怖過ぎる。
カウンセリングで「親元に帰っていないことに罪悪感は?」と聞いていたが、この質問はモナの常に自分を優先に考えないことについての苛立ちからくる、カウンセラーを通しての投げかけだったのだ。
この恐ろしい監視は、グレースとロジャーもだ。2人の運転する車にはねられたボーが、グレースの家で介護を受けている時に自分が映っている映像を見たが、早送りすることで、自分の未来の姿まで見ることになる!
これはボーが生まれてから死ぬまで全てモナに見られていたのだ。
それはボーを監視して支配するためだ。もちろんその意図は、自分だけを愛してほしいからだろう。
監視は支配となりボーを一生苦しめた。
モナは、ボーに幼い頃から「父親は、ボーを授かった瞬間死んだ。射精をした瞬間であり、(モナの中で)ボーの生命が誕生した瞬間に父親は心不全で死んだ」と話して来た。
そのことを母親から聞かされボーは、セックスをすると死ぬという価値観を植え付けられてしまい、信じ込んでしまった。
だから彼は童貞だったわけで、またエレーヌとの交わり中も自分は死ぬんじゃないかと恐ていたのだ。
だがボーは射精後も生きている。ボーはそれを知り幸せだった。だがエレーヌはボーの上にまたがったまま死んでいた。女性側が絶頂したことで死を迎えたのだ。幸せにはなれないのだ。ボーは絶望したのだ。
⑮ The End 終わり
狂ってしまった母親の愛。それを知って怒り、逃れるために絞殺してしまったボー。
抵抗はしたものの裁判で虚しく破れて(爆破)暗い湖の底へ沈んでいく。
ボーは、里帰りを自分では知らずに嫌がっていて、それを無意識にカギをなくすと言う行為で抵抗したのだ。
そして自宅から外界に飛び出てからの旅は、母親の支配から逃れるラストチャンスだったのだ。
だがその試みは失敗し、主体性は完全に消失。歪んだ審判がくだされる。「ボーは恐れている」は、自我が亡くなった人間の最後の末路を描いたブラックコメディだ。それも物凄くやるせなくて恐ろしい狂気コメディだ。
このラストで裁判で攻め立てられたボーは、作り物の世界の話のキャラクターではない。これは、この世界の話だ。
この世界は、権力者= 声がでかい人間たちに支配され、ボーのような声を出せない弱者達は、縮こまり逃げ続けることしか出来ないと言うことを表現している話なのだ。
そしてこの映画はモナという毒親の話を語るだけでなく、悲惨で攻撃的なニュースが始終垂れ流されている世界を悲観したディストピアな現代劇なのだ。
それをPopな画像と、ひょうきんなJoaquin Phoenixの演技と、キャラ濃い登場人物達を動かすことでこの世界をネタに皮肉るコメディ仕立てにしている映画なのだ。
だから、妄想と現実の境目がない。だが、この2つが合わさることで、人によっては、意味不明になってしまっただろう。
だが周りを見てみるが良い。
この世界と【ボーはおそれている】の世界は何もかわらない。
だって誰の考えでも、説明の出来ない事件や事象がこの私達の世界で起きてるでしょう?
【ヘレディタリー/継承】好きすぎて【ミッドサマー】見たらDreamyなったから今度は?と見たら【ボーはおそれている】はホラーでなく不幸の嵐押し寄せるコメディ.意外だが実は家族の因縁怨念テーマな為一貫してる。この場面(XとInstagramで写真出してます) Hereditaryと同じ背筋サブッ!あと屋根裏もねww
#ヘレディタリー継承 #hereditary #アリアスター #Midsommar #ミッドサマー #midsummer
* Michael Gandolfini マイケル・ガンドルフィーニは、… ボーの息子役です。
Cast
- Joaquin Phoenix as Beau Wassermann
- Armen Nahapetian as young Beau
- Patti LuPone as Mona Wassermann
- Zoe Lister-Jones as young Mona
- Amy Ryan as Grace
- Nathan Lane as Roger
- Kylie Rogers as Toni
- Denis Ménochet as Jeeves
- Parker Posey as Elaine Bray
- Julia Antonelli as young Elaine
- Stephen McKinley Henderson as the therapist
- Richard Kind as Dr. Cohen
- Hayley Squires as Penelope
- Julian Richings as Strange Man
- Bill Hader as UPS Guy
- Michael Esper as Officer Johnson
- Michael Gandolfini, Théodore Pellerin and Mike Taylor as Beau’s sons
Alicia Rosario appears as Toni’s friend Liz. Patrick Kwok-Choon, Maev Beaty, and Arthur Holden appear as members of the forest theater troupe. David Mamet has a vocal cameo as a rabbi.
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