【Red Hot Chilli Peppers / Stone Cold Bush】Crazy But Love & Peace Band ! 和訳 Lyrics &History.

 

Happy Birthday.John!
I can remember I was shocked freeky your guitar sounds & red hair at first meeting you!
I’ve love yr all style. Be happy!

3月5日はJohn Fruschianteのお誕生日。

彼のSoloを紹介しようか迷ったけど今日のLyraの気分が〜!Johnには申し訳ないけれどRed Hot Chili Peppers気味なの。

そう、ノリノリ。

あっ、でもLyraの和訳をパクらないでね!

コピーもパクリも禁止です!あなたそれ、犯罪だよ!

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今日、Lyraが和訳したのはアメリカ合衆国カリフォルニア州出身のRed Hot Chili Peppersレッド・ホット・チリ・ペッパーズ。

RHCPとか、The Chili Peppersと略され、日本では、レッチリと呼ばれてる。

デビューからハチャメチャなライブを繰り広げて来たお笑いあり、暴動あり、だけど演奏力は人並み以上というお馬鹿な天才プレイヤー集団である。

Lyraは彼らのファンでライブも見て来て凄さを目の当たりしたし、一時期はコピーバンドに誘われて歌っていたからBig Fanの皆さんと同じくらいはRed Hot Chili Peppers熱はあるだろう。

おったまげなことをするのに、2012年にロックの殿堂入りした時は嬉しい反面、落ちついちゃった気がして寂しい気持ちになったの。何でだろ?

2018年現在、オリジナル・アルバムを11枚、ベスト・アルバムを2枚発表している(詳しくは最後の方にDiscographyを書いておきますね。)

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「RHCPの中で誰が好き?」と良く聞かれる。

さぁ、誰でしょう?

詳しくは、Lyraの和訳したのを読んだ後でお話ししましょう!

今日Lyraが紹介するのは、これ! “Stone Cold Bush”よ。アルバム”Mother’s Milk”に収録されている曲よ。

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= Stone Cold Bush =

Ay ay ay ay ay

[Intro]
She’s stone cold bush, yeah
And baby that’s alright
She’s stone cold bush, yeah
And that’s alright with me

[Verse 1]
Get up off your knees, come on walk with me
Tell me what you need to get along
A statue come to live
I cut you with my knife
Bleeding to the tune of dolly dagger

[Chorus]
She’s stone cold bush
She’s stone cold bush

Ay ay ay ay ay

ア、ア、アイ、アイ、アイ

あの子はめっちゃくちゃ身持ちの堅い子、イエー!

可愛いからな、最高じゃん

あの子は、お堅くてヤラシてくんない、イエー!

俺には最高だぜ

起き上がって、俺と少し歩こうぜ

俺にお前がどう仲良くして欲しいか話してくれよ

彫像は生きる為に来たぜ

俺はあの最高なドリーダガーの為に、俺のナイフでお前を切ってやるよ

あの子はめっちゃくちゃ身持ちの堅い子さ

あの子はめっちゃくちゃ身持ちの堅いさ

ア、ア、アイ、アイ、アイ

[Verse 2]
Haight street’s got nothing to show
Except the skirt on your ass
When you’re living on the streets
You’ve got to let it roll
Get on with what you’ve got
Aw, everybody knows that it’s alright
You’ve got no secrets to tell
But when you smoke that rock and suck that cock
You do it oh so well

[Chorus]
She’s stone cold bush
She’s stone cold bush

[Solo]

[Intro]
She’s stone cold bush, yeah
And baby that’s alright
She’s stone cold bush, yeah
And that’s alright with me

[Verse 3]
Sweet China doll, her thighs
An animal in pain, she starts to cry
Her pipes are open wide
She blows more than my mind
Echo sounds of soul
Time after time

[Chorus]
She’s stone cold bush
She’s stone cold bush

お前のケツに乗っかってるスカート以外に、もうヘイトストリートには何も見るもんないわ

路上生活する時は、物事をやり過ごす必要があるんだ

お前の所有物を全部持って乗り込めよ

ああ、そうだ、皆んな、それが平気だって知ってんだよ

お前には、今話せる秘密はないしな

でも、お前があのコカイン吸って、あのタマをしゃぶってる時に、お前は上手くやっちまうな

あの子は、めちゃくちゃ身持ちの堅い子さ

あの子は、めちゃくちゃ身持ちの堅い子さ

あの子は、めちゃくちゃ身持ちの堅い子さ、イエー!

可愛からな、最高じゃん

あの子は、お堅くてなかなかやらしてくんねー、イエー!

俺には最高だぜ

綺麗な陶器の人形みたい、

彼女の太ももがね

彼女の叫び声は、痛みで悶える動物のようだ

あの子のアソコは、広くなって

俺が考えてたより最高さ

魂のエコーがかかった音が

度々、俺を打ちのめすんだ

あの子は、めちゃくちゃ身持ちの堅い子さ

あの子は、めちゃくちゃ身持ちの堅い子さ

Translator: Lyra Sky

下ネタ大嫌いなLyraです。

大学時代に、数少ない下ネタ野郎の中で付き合って欲しいと4年間か、ずっと言われ続けたんだけど断ってた。申し訳ないんだけどそう言う人、信用できないから。

「そんなLyraが何故、お下品なで奇行を繰り広げて来たRed Hot Chili Peppersが好きなのか分からん」という人が多いのもわかるよ。

このブログ読んでる人も不思議だろうと思う。

それはイヤらしくないからだ。

は?ソックスをあそこにつけて演奏したり、マッパでWoodstockの大観衆の前でベースを弾き通すバンドのどこがイヤらしくないんだよ?ってなるよね、、、普通。

太陽サンサンの中で開けっ広げにドスケベやられたら、何も感じなくなるってのもあるけど、才能と性格の良さが出てるからだろう。

「あの子はお堅くて全くやらしてくんねー、どうしよう、でもマジ最高!」なんて、好き過ぎてどうしたら良いかわからないのを友達に相談してる感じ。

凄く好きだからでしょ。これ、エロくないじゃん。下ネタでもない訳。

愛している、だから、悩んでる、だけ。

アンソニーの歌詞は、へんちくりんに見えて素直なラブソングが多い。

きっと、アンソニーが無茶な乱暴者の一面がありながら、弱者や虐められている人間を守り助ける性格が、歌詞に現れているのをLyraは感じるのです。

オーストラリア訛りがひどくて虐められていたフリーを助けて仲良くなったのは、アンソニーと亡くなったGのハイレルだ。

仲間意識が強い彼ら。

ジャズ好きでトランペットの才能がピカイチだったフリーを、ロックの道に引きずり込んだのはアンソニーだし、ベースを全く弾けなかったのを1から教えたのはハイレルだ。

2人がいなかったら今の天才ベーシストは生まれなかったであろう。

誰とでも仲良くなってしまう陽気なフリーは、きっとこの世に存在していなかっただろう。

それに、そのフリーが居なかったら、ジャンキーのドン底に落ちてしまい、若くして隠遁生活を強いられてしまったGのジョンが、また音楽の世界には戻って来れなかっただろう。

3/5がBirthdayだったジョンは、日本公演の途中で、ライブ中にバックに引っ込んでからそのまま脱退してしまった。

詳しくは知らないが薬の影響が起因してるのは確かだ。

何年間も薬のリハビリに苦しみ抜け出せない彼を毎日たずね、アンソニーらにジョンの復帰を打診したのは、フリーだ。

この話を聞いた時、Lyraはフリーの愛情深さに、諦めない友情に、涙が溢れ止まらなかった。

きっと、自分の辛かった学生時代の気持ちがあるから、弱い者や辛い人間を見捨てられないのだろう。

なかなか普通、こんな優しい行動を取れるものじゃない。

だからか、フリーのベースの音は深く優しい。どんな爆音を弾ませても地中から優しく私をHoldしてくれるかのらようだ。

それにフリーは勉強熱心。

あんなにベースが上手くて音楽的センスがあるのに、もっと専門的知識が欲しいと2008年から大学で勉強した頑張り屋だ。

もう、頑張り抜く奴らに、下品なんて感じないわ。

そして、素直さや、優しさが滲みでてくる歌詞、、、それをLyraは深く感じるから汚く思わないの。

それは、私だけでなく地球上の聴くもの全てに伝わってるでしょう。

“Stone Cold Bush”は、ジャンキーの歌でもある。だけど、アンソニーの声は優しい。

だから、Lyraもアンソニーぽくしたいなって思って、ダイレクトに伝わるように、でも下品じゃない感じに訳してみたつもりです。

上手く皆さんに伝わると良いんだけれど、、、伝わりますように。

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Gのメンバーチェンジ激しい彼ら。

現在のメンバーは、

アンソニー・キーディス(ボーカル)
マイケル“フリー”バルザリー(ベース)
チャド・スミス(ドラム)
ジョシュ・クリングホッファー(ギター)
です。

Lyraが好きなジョン・フルシャンテは、「自分の音楽を追求したい」と2度目の脱退をして今はソロ活動しているの。(2009年)

そう、さっきのRHCPの中で今、一番好きだなーと言うのはジョンでした、、、辞めちゃったけどね。

昔はアンソニーだったのよ。だから、アンソニーのサインだけはLyraは持ってるの。ジョンのも貰えば良かったな、と後悔。

ジョンは、かなりの頑張り屋で音楽への拘りが激しいと、フリーも言っていたくらいだから、ソロで自由にやる方がジョンらしくて良いのかもしれないね。

本音言うとRHCPのジョンのGが最高だったから辞めないで欲しかったの。

でもジョンが幸せならばLyraは彼を応援したい。勿論、Red Hot Chili Peppersもね。

Rockの殿堂入りを果たし、アメリカンロックの頂上に君臨したと言っても良いRed Hot Chili Peppers。

だが、彼らのハートに息づくのは限りないLove & Peaceである。

重度の薬物依存や苦しい環境を乗り越えて来た彼らだからこそ、普通ではへこたれない強いサウンドと、強く揺るぎない愛情溢れる歌詞が生まれるのだ。

この後にRed Hot Chili Peppers Historyをチラッと書いておくから興味がある人は読んでみてね。

読むとチラとわかるが、彼らのこだわりは、音だけじゃなくて人間関係にまで及ぶらしい。

テクニックがなければメンバーにはなれないし、テクニックがあってもRHCPにあう性格じゃないとダメらしい。

その線引きはアンソニー、フリー、チャドに聞かないと正確にはわからないが、今話して来たような乱暴者と愛情深さが混在した彼らみたいな人間かどうかを試されるんじゃないかしら。

命がけでバンドをやってるのがわかるでしょう?

本気でバンドをやってます!って巷で言ってる数多くのバンドがいるが、そのレベルじゃないの。

だから、生半可な気持ちでRHCPのFamilyに入ると大変な傷を負うかもしれない。数々やめて行った、やめさせられたギタリストを見ればわかるだろう。

だが、一度その懐に入ったら最後まで付き合う羽目になるのだ。良きにつけ悪しきにつけ、それは貴方を助け、導くだろう。

その覚悟があれば、正にバンドは運命共同体だ。

貴方にはその覚悟がある?

試しに”Stone Cold Bush”を聴いてみて。

アルバム”Mother’s Milk”を聴いてみて。

そうすれば、優しくておかしなRed Hot Chil Peppers’ Worldを堪能できるだろう。

きっと、人生が意味のあるものに見えてくるよ!


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= Red Hot Chili Peppers =

出身地
アメリカ合衆国 カリフォルニア州ロサンゼルス
ジャンル
ファンク・ロック
オルタナティヴ・ロック
ラップ・ロック
ファンク・メタル
活動期間
1983年 –
レーベル
ワーナー・ミュージック・グループ
EMI
共同作業者
リック・ルービン
ブレンダン・オブライエン

1983年 – アンソニー・キーディスとフリー、ハイレル・スロヴァク、ジャック・アイアンズによりバンド結成。

1984年 – Capitol/EMIと契約し、デビューアルバム『レッド・ホット・チリ・ペッパーズ』リリース。プロデューサーにギャング・オブ・フォーのアンディ・ギルを迎えて作成。この作品には、ヒレルとジャックは不参加。

1985年 – ハイレル復帰、アルバム『フリーキー・スタイリー』をリリース。プロデューサーに、ジョージ・クリントンを迎える。

1987年 – アルバム『ジ・アップリフト・モフォ・パーティ・プラン』をリリース。ジャックもバンドに復帰して制作された作品で、最初で最後のオリジナルフルメンバーによるアルバムになった。このアルバムから、初めて日本盤が発売される。

1988年 – ハイレルがヘロインの摂取過多により死亡。これに伴い、ジャックもバンドから脱退。

1989年 – ジョン・フルシアンテ、チャド・スミスを迎え、アルバム『母乳』をリリース。このアルバムの裏ジャケットの絵画は、ハイレルが生前に描いたもの。初めてのチャートヒット作品となり、この頃から大会場規模なツアーを行うようになる。

1991年 – Capitol/EMIからWarner Brothers Recordsに移籍し、アルバム『ブラッド・シュガー・セックス・マジック』をリリース。全世界レベルでのブレイク作品となる。現在のプロデューサーであるリック・ルービンを迎えた作品。シングルカットされた「Under The Bridge」で、初の全米1位を獲得。また、同じくシングルカットされた「Give It Away」は、グラミー賞のハードロック部門最優秀シングル賞を受賞。

1992年 – 世界ツアーでの来日中、ジョンが突如帰国、脱退。

1995年 – ギタリストにデイヴ・ナヴァロを迎え、アルバム『ワン・ホット・ミニット』をリリース。デイヴはこの作品のみで脱退。

1999年 – ジョン・フルシアンテが復帰し、アルバム『カリフォルニケイション』をリリース。「スカー・ティッシュ – Scar Tissue」で、2度目のグラミー賞を受賞。驚異的なセールスを記録し、現在までの最大のヒット作となる。

2002年 – アルバム『バイ・ザ・ウェイ』をリリース。チャドが「very John」と表現したようにジョン色が全面に押し出されたアルバム、アルバムチャートでは、ついにイギリスで1位を獲得。

2006年 – アルバム『ステイディアム・アーケイディアム』をリリース。初のアメリカアルバムチャート1位、全世界24ヶ国で1位を獲得。日本のアルバムチャートでも、2枚組の洋楽アルバムとしては、史上初の初登場1位を獲得。

先行シングルとなった「Dani California」が、日本で公開された『デスノート』の主題歌として採用。同アルバム収録の「Snow ((Hey Oh))」も『デスノート the Last name』の主題歌に採用された。また、このアルバムで3度目のグラミー賞を受賞。

2009年 – ジョン・フルシアンテが自分の志向を突き詰めたいと脱退。これによりレッド・ホット・チリ・ペッパーズは2年間休止。

2011年 – 新ギタリストとしてジョシュ・クリングホッファーが加入し、アルバム『アイム・ウィズ・ユー』を前作から5年ぶりにリリース。

2012年 – ロックの殿堂入り

2016年 – プロデューサーとして5thアルバムから前作まで長年起用してきたリック・ルービンの手を離れ、新たにナールズ・バークレイやブロークン・ベルズのデンジャー・マウス(ブライアン・バートン)を迎え制作されたアルバム『ザ・ゲッタウェイ』をリリース。

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= member メンバー =

●アンソニー・キーディス (Anthony Kiedis) – ボーカリスト、作詞家
1962年11月1日生まれ(1983年 – )ミシガン州グランド・ラピッズ出身。175cm。バンド結成時からのメンバーだが、『ジ・アップリフト・モフォ・パーティ・プラン』のレコーディングの頃に一度脱退、その後に復帰した。

2006年に、自伝『スカー・ティッシュ』を発表。環境保護団体のシーシェパードのスポンサーとしての側面も持つ。

●フリー (Flea、本名マイケル・バルザリー (Michael Balzary)) – ベーシスト、バッキング・ボーカリスト
1962年10月16日生まれ(1983年 – )オーストラリアメルボルン出身。身長168cm。同じく、バンド結成時からのメンバー。

All Music Guideにおいて「one of rock’s most talented bassists(史上最も才能豊かなロックベーシストの一人)」と評されている。

様々なミュージシャンと共同活動を行ってきたが、2009年レディオヘッドのトム・ヨークと新バンドを結成。

2012年ブラーのデーモン・アルバーン、トニー・アレンとRocket Juice & The Moonを結成。

●チャド・スミス (Chad Smith) – ドラマー
1961年10月25日生まれ(1989年 – )ミネソタ州セント・ポール出身。身長191cm。脱退したジャック・アイアンズの後任ドラマーを決めるオーディションで実力を買われて加入。アルバム、「母乳」で当初はレザージャケットと頭にバンダナを巻いたロッカースタイルがメンバーの間で気に入られず、スキンヘッドにさせようという話があった模様。ソロ活動も精力的で、ドラム・セミナーなどで来日も果たしている。他のメンバーと同様、チリ・ペッパーズ以外にもサイド・プロジェクトを手掛ける。

●ジョシュ・クリングホッファー (Josh Klinghoffer) – ギタリスト、バッキング・ボーカリスト
1979年10月3日生まれ(2010年 – )カリフォルニア州ロサンゼルス出身。身長180cm。チリ・ペッパーズには2007年のステイディアム・アーケイディアム・ツアーの合間からサポートミュージシャンとして参加。2010年2月、チャド・スミスより、2009年12月に脱退したジョン・フルシアンテに変わって、新ギタリストとなることが発表された。

元メンバー

ギタリスト
アンソニーは、「ギタリストの座が安定しないのは、誰もハイレルの穴を埋められないから」とコメントしている。

Gは、ストラトキャスターの使い手が多い。

●ハイレル・スロヴァク (Hillel Slovak) (1983年以前、1985年 – 1988年) – 結成メンバー。ユダヤ系アメリカン。1988年6月、ヘロイン摂取過多により死亡。

親友とのバンド(チリ・ペッパーズよりも古い)とのかけもちでそちらの契約の際に一時的に脱退、セカンド・アルバムで復帰し、サード・アルバム作成にも参加。

アンソニー、フリーの無二の親友であり、フリーにロックラジオのチャンネルを紹介しベースを1から教え、ロックミュージックに引き込んだ人物。彼のギタープレイは、初期バンドサウンドに彩りを与えた。

少年期のジョン・フルシアンテの憧れのギターヒーローの一人であり、ハイレルもジョンと同じく絵画が得意だった(4thアルバム「母乳」のアートワークの裸婦画は、生前にハイレルが描いたもの)。

生前に、アンソニーと共作した未発表の曲があることが知られているが、アンソニーは「ハイレルが弾かなければそれは違う曲」と、それを音源にする気はない事を明言。

いくつかファンブックも発売されており、実弟のジェイムズ・スロヴァクの著書が最も有名。

●ジョン・フルシアンテ (John Frusciante) (1989年 – 1992年、1999年 – 2009年) – 1970年3月5日生まれ、ニューヨーク出身。元は、バンドの熱狂的なファンの一人だったが、亡くなったハイレルの後任として、当時18歳の若さでバンドに加入。1992年の日本ツアー中に突如帰国、脱退。一時は歯を全て失ってしまうほどの薬物依存に陥ったが、後に克服してバンドに復帰。

2009年に自分の音楽的志向を突き詰めたいとして友好的に脱退。

ソロ・アルバムも数多く発表しており、2004年には6作ものソロ作品をリリースした。ジョシュ・クリングホッファーらとの別バンドなど、活動は多岐にわたる。

●ジャック・シャーマン (Jack Sherman) (1983年 – 1985年) – ハイレルが他レコード会社へ移籍した際に、臨時オーディションで加入、ファースト・アルバム作成に参加。

アンソニー曰く、「テクはあるがオタクなギタリスト」で、弦で指を切ってピックアップを血に染めてまで破天荒なプレイをするようなハイレルに対し、ネックに潤滑スプレーをつけるほどの几帳面なジャックは、アンソニーとフリーの気性には合わず喧嘩が絶えなかった、とアンソニーの自伝で言及されている。

脱退後も、「母乳」の「ハイヤー・グラウンド」のコーラスなどで参加しており親交はあったようだが、後にアンソニーを精神的苦痛で訴えた。そのような間柄ではあったが、「初期のバンドを支えてくれた存在であることは間違いない。」として、アンソニーは自伝で敬意を表している。

●デュエイン・“ブラックバード”・マクナイト (Duane ‘Blackbird’ McKnight) (1988年 – 1989年) – ハイレルが亡くなった後に加入した、黒人ギタリスト。その後すぐ脱退したが、「母乳」以前のいくつかのEPでは、彼がギターを弾いてレコーディングした曲も存在する。元はP-Funk周辺で活躍。現在もジョージ・クリントンバンドの一員。

●ザンダー・シュロス (Zander Schloss) (1992年) – 日本でジョンが突如脱退した直後、急遽残っていたオーストラリア公演のために声をかけられるが、フリーに「チリペッパーズ向きのプレイではない」と難色を示され、わずか4日で解雇。現在はベーシスト、映画俳優として活動。

●アリク・マーシャル (Arik Marshall) (1992年 – 1993年) – Lonnie Marshallと共に、兄弟バンド「Marshall Law?」を組んでいたギタリスト。92年のベルギー公演から93年のロサンゼルス公演まで参加。インディーで活動していたアリクにとっていきなりの重労働のスタジアムツアーは、心身共にきついものだったようで、ツアーバス内で強迫的に睡眠をとることで、その難を和らげようと苦心していたという。

●ジェス・トビアス (Jess Tobias) (1993年) – アリク脱退後、加入。1週間のみ在籍。

●デイヴ・ナヴァロ (Dave Navarro) (1993年 – 1999年) – ジェーンズ・アディクションから加入。 チャド・スミスとはとても仲が良く、メタルとヘヴィロック志向の重厚なサウンドを得意とする彼のプレイも評価が高かったが、アルバム1枚とツアー参加のみで、音楽性の違いから脱退。

ドラマー
ジャック・アイアンズ (Jack Irons) (1983年、1985年 – 1988年) – 結成メンバー。古くから参加していた親友バンドの契約のため一時的に脱退したが、サードアルバムで復帰。アンソニー、ハイレル、フリーという無法漢が揃うバンドの中で、他メンバーを抑え(フリーいわく「ジャックが最も家庭的にまともだった」)気遣った存在。ハイレルの死後、親友の死とバンドの存続との狭間で苦悩し脱退。後に、精神病院に入院していたところを、元ザ・クラッシュのジョー・ストラマーにソロアルバムのバックバンドとして拾われ、音楽界に復帰。

最終的にはパール・ジャムへ移籍し、チリ・ペッパーズでのキャリアよりも長くバンドに在籍したが、引きずった精神病の悪化で脱退。巡り合わせか、奇遇にもサポート・ドラマーとして働いていた時に、同じくサポートギタリストをしていたデイヴ・ナヴァロと同じ仕事をしていたことがある。後にソロ・アルバムを出し、フリーやエディ・ヴェダーに感謝の言葉を送った。07年、ロサンゼルスにて、この3人でパール・ジャムの曲を演奏した。ちなみに、エディ・ヴェダーを当時パール・ジャムのメンバーに推したり、チリ・ペッパーズとの共同ツアーの橋渡し役になったのもアイアンズであり、彼がいなければ間違いなくパール・ジャムは現在の形で存在し得なかった、と言える。

●クリフ・マルティネス (Cliff Martinez) (1983年 – 1989年) – 元キャプテン・ビーフハートのドラマーで、ジャック・アイアンズが、他のレコード会社へ移籍した際、オーディションで加入し、ファースト・アルバム作成に参加した。その後、セカンド・アルバム制作にも参加。アンソニー曰く、「ジャケットや帽子のセンスが俺たち以上に尋常じゃなかった」らしく、実際、当時のPVやライブ映像では、様々なバリエーションの巨大な帽子を被って演奏していることが多い。フリーは「凄腕のドラマーでロック精神はピカイチだった。」とファーストアルバムのリマスター時のインタビューで答えている。
D.H.ペリグロ (D.H. Peligro) (1988年 – 1989年) – 元デッド・ケネディーズのメンバー。

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= Discography =

アルバム
●1984 The Red Hot Chili Peppers
発売日: 1984年8月10日
レーベル: EMI, Capitol
フォーマット: CD, LP, cassette

●1985 Freaky Styley
発売日: 1985年8月16日
レーベル: EMI
フォーマット: CD, LP, cassette

●1987 The Uplift Mofo Party Plan
発売日: 1987年9月29日
レーベル: EMI
フォーマット: CD, LP, cassette

●1989 Mother’s Milk
発売日: 1989年8月16日
レーベル: EMI
フォーマット: CD, LP, cassette

●1991 Blood Sugar Sex Magik
発売日: 1991年9月24日
レーベル: Warner Bros.
フォーマット: CD, LP, cassette
全米売上: 700万枚

●1995 One Hot Minute
発売日: 1995年9月12日[25]
レーベル: Warner Bros.
フォーマット: CD, LP, cassette
全米売上: 170万枚
●1999 Californication
発売日: 1999年6月8日
レーベル: Warner Bros.
フォーマット: CD, LP, cassette
全米売上: 534.9万枚

●2002 By the Way
発売日: 2002年7月9日
レーベル: Warner Bros.
フォーマット: CD, LP
全米売上: 200万枚

●2006 Stadium Arcadium
発売日: 2006年5月9日
レーベル: Warner Bros.
フォーマット: CD, LP, digital download
全米売上: 400万枚

●2011 I’m with You
発売日: 2011年8月29日
レーベル: Warner Bros.
フォーマット: CD, LP, digital download
全米売上: 55.4万枚
2016 The Getaway
発売日: 2016年6月17日
レーベル: Warner Bros.
フォーマット: CD, LP, digital download

☆EPs
アビイ・ロード – The Abbey Road (1988年)

☆シングル
トゥルー・メン・ドント・キル・コヨーテ – True Men Don’t Kill Coyotes (1984年)
ゲット・アップ・アンド・ジャンプ – Get Up and Jump (1984年)
ジャングル・マン – Jungle Man (1985年)
アメリカン・ゴースト・ダンス – American Ghost Dance (1985年)
ハリウッド – Hollywood (Africa) (1985年)
ファイト・ライク・ア・ブレイヴ – Fight Like a Brave (1987年)
ミー・アンド・マイ・フレンズ – Me and My Friends (1987年)
ノック・ミー・ダウン – Knock Me Down (1989年)
ハイヤー・グラウンド – Higher Ground (1989年)
ショウ・ミー・ユア・ソウル – Show Me Your Soul (1989年)
ギヴ・イット・アウェイ – Give It Away (1991年)
アンダー・ザ・ブリッジ – Under the Bridge (1991年)
サック・マイ・キッス – Suck My Kiss (1992年)
ブレーキング・ザ・ガール – Breaking the Girl (1992年)
イフ・ユー・ハフ・トゥ・アスク – If You Have to Ask (1993年)
ビハインド・ザ・サン – Behind the Sun (1993年)
ソウル・トゥ・スクイーズ – Soul to Squeeze (1993年)
ワープト – Warped (1995年)
マイ・フレンズ – My Friends (1995年)
エアロプレイン – Aeroplane (1996年)
コーヒー・ショップ – Coffee Shop (1996年)
教祖たちのゲーム – Shallow Be Thy Game (1996年)
ラヴ・ローラーコースター Love Rollercoaster (1996年)
スカー・ティッシュ – Scar Tissue (1999年)
アラウンド・ザ・ワールド – Around the World (1999年)
アザーサイド – Otherside (2000年)
カリフォルニケイション – Californication (2000年)
ロード・トリッピン – Road Trippin’ (2000年)
バイ・ザ・ウェイ – By the Way (2002年)
ザ・ゼファー・ソング – The Zephyr Song (2002年)
キャント・ストップ – Can’t Stop (2003年)
ユニヴァーサリー・スピーキング – Universally Speaking (2003年)
フォーチュン・フェイデッド – Fortune Faded (2003年)
ダニー・カリフォルニア – Dani California (2006年)
テル・ミー・ベイベー – Tell Me Baby (2006年)
スノー (ヘイ・オー) – Snow ((Hey Oh)) (2006年)
デセクレイション・スマイル – Desecration Smile (2007年)
ハンプ・デ・バンプ – Hump De Bump (2007年)
レイン・ダンス・マギーの冒険 – The Adventures of Rain Dance Maggie (2011年)
モナーキー・オブ・ローゼズ – Monarchy of Roses (2011年) – バンド自身初のCM曲「日産・エルグランド」
ルック・アラウンド – “Look Around” (2011年)
ブレンダンズ・デス・ソング – “Brendan’s Death Song” (2012年)
ダーク・ネセシティーズ – “Dark Necessities” (2016年)
ゴー・ロボット – “Go Robot” (2016年)

☆コンピレーション
レッド・ホット・チリ・ペッパーズ・スーパー・ベスト!!(ホワット・ヒッツ!?) – What Hits!? – (1992年)
アウト・イン・LA – Out In L.A. – (1994年)
グレイテスト・ヒッツ – Greatest Hits – (2003年)

☆ライブ・アルバム
ライヴ・イン・ハイド・パーク – Live in Hyde Park – (2004年)
LIVE FROM LONDON (2009年)
LIVE on AIR (2010年)

☆ビデオ
Psychedelic Sexfunk Live from Heaven (1990年) – ライブ盤
Positive Mental Octopus (1990年)
Funky Monks (1991年) – ブラッド・シュガー・セックス・マジックのメイキング盤
What Hits!? (1992年)
Off the Map (2001年) – ライブ盤
By the Way (2002年) – ビデオ・シングル
Greatest Hits and Videos (2003年)
Live at Slane Castle (2003年) – ライブ盤
Stadium Parisian (2009年) – ライブ盤

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