【I Fought The Law/The Clash】和訳 解説 Joe Strummerについて The Crickets Song

Happy Birthday Joe Strummer.you are my hero forever!

毎年恒例、Joe Strummer のBirthdayなので「お祝いを兼ねてLyraがJoe のかっこいい歌声が聴ける曲を和訳解説して、みんなでお祝いしましょう!」を今年もやっちゃいます。

毎年この日にはJoeのソロワークである Joe Strummer & The Mescaresos の曲の方を多く和訳してきたので今日はThe Clashの曲でお祝いしましょう。

余りにも有名すぎる曲だからもうやったと思っていたら、この曲も和訳したまま掲載し忘れていたのが分かり、他の曲を和訳したのですがこちらを先にUPしますね。

ノリノリで覚えやすいメロディ。でも実はキャッチーなサウンドに反した諦めのセリフ。でも普通なら暗い歌になるのもThe Clashの魔法にかかれば、どこか情けない自分を笑っているようでチョッピリ切ないコメディに感じてしまうから不思議だ。

世の中なんて腐りまくっているし、それに合わせて生きてたら、どんな人間も情けないものだ。

だからこそ、笑い飛ばしてしまえば笑い話になるの。笑い合えば、涙も宝石よね。

ほら朝が来たよ。

さあ、今日も一発ぶちかまそうぜ。

今日Lyraが和訳&解説するのは、イングランド出身のロックバンド、The Clash ザ・クラッシュ。

スポンサーリンク

1976年〜1986年にかけてパンクロックムーブメントをSex PistolsやThe Damned らと第一線で牽引していたThe Clash ザ・クラッシュ。特にThe Clashは、アメリカでも成功したパンクバンドである。「ローリング・ストーン誌の選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第28位。

そしてこのバンドのヴォーカリスト兼ギタリストが John Grahaw Meller ジョン・グレアム・メラー(1952年8月21日 – 2002年12月22日)である。

Joe Strummer ジョー・ストラサマーのステージネームで知られ、The Clash 作詞作曲や歌以外にもソロワークや、俳優の仕事もしていた。

今日Lyraが和訳する曲は、The Clashの2nd アルバム『In Style With the Crickets』に収録されている曲【I Fought The Law】。

詳しい解説は、LyraのHipな和訳の後に又お話しましょう。

 

click to amazon↓↓) 2nd Album “Get Em Enough Rope” [CD] クリックしてアマゾンへ ↓↓

 

The Clash The Cost of Living EP

 

 

I Fought the Law” is a song written by Sonny Curtis of the Crickets and popularized by a cover by the Bobby Fuller Four, which went on to become a top-ten hit for the band in 1966 and was also recorded by the Clash in 1979. The Bobby Fuller Four version of this song was ranked No. 175 on the Rolling Stone list of The 500 Greatest Songs of All Time in 2004, and the same year was named one of the 500 “Songs that Shaped Rock” by the Rock and Roll Hall of Fame.

スポンサーリンク

= I Fought The Law =

[Chorus]
Breakin’ rocks in the hot sun
I fought the law and’a the law won
I fought the law and’a the law won
I needed money ‘cause I had none
I fought the law and’a the law won
I fought the law and’a the law won

[Verse]
I left my baby and it feels so bad
I guess my race is run
She’s the best girl that I ever had
I fought the law and’a the law won
I fought the law and’a

[Pre-Chorus]
Robbin’ people with a six-gun
I fought the law and’a the law won
I fought the law and’a the law won
I lost my girl and I lost my fun
I fought the law and’a the law won
I fought the law and’a the law won

[Chorus]
Breakin’ rocks in the hot sun
I fought the law and’a the law won
I fought the law and’a the law won
I needed money ‘cause I had none
I fought the law and’a the law won
I fought the law and’a the law won

[Outro]
I fought the law and’a the law won
I fought the law and’a the law won
I fought the law and’a the law won
I fought the law and’a the law won
I fought the law and’a the law won
I fought the law and’a the law won
I fought the law and’a the law won
I fought the law and’a the law won
I fought the law and’a the law won
I fought the law and’a the law won
I fought the law and’a the law won
I fought the law and’a the law won
I fought the law and’a the law won
I fought the law and’a the law won
I fought the law and’a

 

灼熱の太陽の下

岩を叩き割る

法と闘い

法が勝ちやがった

法と闘い

法が勝ちやがった

俺には金が必要だった

一文無しだからだよ

法と闘い

法が勝ちやがった

法と闘い

法が勝ちやがった

 

 

可愛いアイツを置いたまま

だから気分がメチャクチャ悪くて仕方ねぇ

俺は死んだも同然さ

あの子は今まで俺が生きてきた中で

最高な女だよ

法と闘い

法が勝ちやがった

法と闘い

そして1つの

 

6つの銃を持った強奪野郎

法と闘い

法が勝ちやがった

法と闘い

法が勝ちやがった

俺の女を失って

楽しみも無くなっちまった

法と闘い

法が勝ちやがった

法と闘い

法が勝ちやがった

スポンサーリンク

 

灼熱の太陽の下

岩を叩き割る

法と闘い

法が勝ちやがった

法と闘い

法が勝ちやがった

俺には金が必要だった

一文無しだからだよ

法と闘い

1つの法が勝ちやがった

法と闘い

1つの法が勝ちやがった

 

法と闘い

法が勝ちやがった

法と闘い

法が勝ちやがった

法と闘い

法が勝ちやがった

法と闘い

法が勝ちやがった

法と闘い

法が勝ちやがった

法と闘い

法が勝ちやがった

法と闘い

法が勝ちやがった

法と闘い

1つの法が勝ちやがった

法と闘い

1つの法が勝ちやがった

法と闘い

1つの法が勝ちやがった

法と闘い

1つの法が勝ちやがった

法と闘い

1つの法が勝ちやがった

法と闘い

1つの法が勝ちやがった

法と闘い

1つの法が勝ちやがった

法と闘い

そして1つの

 

Songwriter: Sonny Curtis

Translator: Lyra Sky 和訳

 

キャッチーなサウンド

何万回聴いたかわからぬくらい。世界中で流れ、愛されてきた曲。

この曲は、The Clashの『The Cost of Living』のEPとしてリリースされたのが初だった。2:41 というコンパクトな構成でのキャッチーなメロディが彼らを世界レベルへと導いていったのかも。

分かりやすさと大衆に向けての強いメッセージ、そしてサウンドが生き残りには大事だと思う。

スポンサーリンク

Joe Strummerについて

Joe Strummerについては、大好きなシンガー・ソングライターの為、このブログでは何度も書いてきたので、彼の事を詳しく知りたい方は、今までのLyraの The ClashThe Joe Strummer & The Mescaleros  の記事などをお読みください。

*【Joe Strummer & The Mescaleros / Coma Girl】和訳 Happy Birthday,Joe! 解説

和訳  【London Calling/ The Clash】Ringing Warning Forever! 鳴り響く警告は何の為?

 

知らない方のために、初期の頃までの彼を紹介しましょう。

Joe Strummerは、トルコのアンカラ生まれ。父親は外交官、母親は看護師。父の海外転勤に伴い、カイロ、メキシコシティ、ボンで幼少期を過ごした。10歳の時、ジョーは兄のデヴィッドと共にロンドン近郊のサリーにある私立学校、シティ・オブ・ロンドン・フリーメンズ・スクールに寄宿生として入学。学生時代、両親に会うことはほとんど無かった。

この頃、ビートルズやビーチ・ボーイズ、ローリング・ストーンズ、ウッディ・ガスリーのレコードを聴くようになり、ロックへの興味を持ち始めた(この影響からか、彼はクラッシュを結成して名前を“ジョー・ストラマー”に改めるまで、“ウッディ”と名乗っていた時期もあった)。

在学中、兄のデヴィッドが自殺。デヴィッドとは兄弟として決して親しい間柄ではなかったようだが、デヴィッドの自殺は彼の人生観を決定的に変えてしまう。デヴィッドが白人至上主義を標榜するイギリス国民戦線に入党していたことから、それが何らかの形で彼の自殺につながったのではないかと当時のジョーは感じていた。このことが、後にクラッシュが反ファシズムの姿勢を明確に打ち出す一因になったと言える。

1970年、私立学校を卒業したJoe は、プロの風刺漫画家を目指し、ロンドン・セントラル・スクール・オブ・アート&デザインに入学。在学中は、ロンドン北部のパルマーズ・グリーンでクライヴ・ティンパレイ(Clive Timperley)とタイモン・ドッグとフラットシェアをしている。

1973年、ウェールズにあるニューポートに転居。ニューポート・カレッジ・オブ・アートに入学するが、直ぐに退学になる。この頃、友人たちとザ・ヴァルチャーズというバンドを結成。正式なメンバーとしてではなく、時々ヴォーカルとリズム・ギターとして活動していたが、1974年解散。この間、彼は墓掘りの仕事をしていた。

バンド解散後、ロンドンに戻り、ドッグと再会。しばらくの間、路上で演奏をしていたが、当時のルームメイトたちと新たなバンド “The 101’ers” を結成する。バンド名は、彼らの無断居住していた住所がウォルタートン通り101番地であったから。主にロンドン市内のパブでR&B、ブルースのカバー曲を演奏していた。1975年、”ウッディ”・メラーだった通名を“ジョー・ストラマー”に改め、友人にもその名で呼ぶよう強要した。

この“ストラマー (Strummer)”という呼び名はサイドギターの彼のポジションを示すものだが、自虐的な面もある(左利きの彼にドッグが右利きとしてギターの演奏方法を教えたため、結局コードをかき鳴らす (strum) 程度にしか上達しなかった)。バンドではリード・ヴォーカルだった彼は、この頃から作詞・作曲を始める。その中の一曲 “Keys to Your Heart” は、後にスリッツのドラマーとなるパルモリヴことパロマ・ロマーノとの恋愛に触発されたものであり、この曲は “The 101’ers” の1stシングルとなった。

1976年4月3日、”The 101’ers” はそれまで無名であったパンク・ロックバンド、Sex Pistols セックス・ピストルズとともにロンドンのナッシュビル・ルームでライブを行う。

Sex Pistolのパフォーマンスに強い衝撃を受けた彼は、しばらく後に、後のマネージャーとなるバーニー・ローズとギタリストのミック・ジョーンズに接触した。以前からジョーンズにバンド加入の誘いを受けていた彼は、”The 101’ers” に見切りをつけ、Paul Simononポール・シムノン(ベース)、Terry Childs テリー・チャイムズ(ドラム)、Keith Levin キース・レヴィン(ギター)を加えた5人で The Clash (命名はポール・シムノンによる)を結成。

 

スポンサーリンク

The Clash はバンドのメンバーと共に何度か逮捕されている。1977年6月10日には、トッパー・ヒードンと共にホテルの壁に “The Clash” とスプレーで落書きしたために逮捕され、1980年代初めには、ドイツ・ハンブルクでのライブの際、暴れた聴衆をギターで殴ったとして逮捕されている。

1982年、アルバム『コンバット・ロック』発売前に、バーニー・ローズの発案で、アルバム売り上げを増やすための話題づくりとして、彼は姿を消す。しかしこの行動がメンバーの怒りを買い、メンバー間の緊張が高まり、クラッシュの崩壊が始まる。『コンバット・ロック』発売直前にトッパー・ヒードンがヘロイン中毒により脱退を申し出、1983年 3月28日にカリフォルニア州サンバーナーディーノで開催されたUSフェスティバルを最後にジョーンズはクラッシュを解雇された。

1985年11月、新たなメンバーを迎えたクラッシュは結果的にバンド最後のアルバムとなる『カット・ザ・クラップ』を発売するが、ファンと評論家の双方からこき下ろされる結果となり、彼はクラッシュの解散を決意。およそ10年に渡る活動はこうして幕を閉じた。

I Fought The Lawについて

【I Fought The Law 】は、アメリカ合衆国のバンド、The  Crickets が 1959年に発表した楽曲で、メンバーのソニー・カーティス) が加入前に作詞、作曲し、事故死したバディ・ホリーの代わりに加入したクリケッツで発表した。

後に1965年にボビー・フラー・フォーが、カバーして一躍有名になった。1966年には、トップ10ヒットとなり、1979年にこのThe Clash によりカヴァーされた。

ボビー・フラー・フォーのバージョンは、2004年にローリング・ストーン誌の「史上最も偉大な曲500」リストで175位にランクされ、同年、ロックンロール誌の「ロックを形作った曲」500曲の1つに選ばれ、殿堂入りしている。

そのほかにも、多くのアーティストによってカバーされている。Kris Kristofferson & Rita Coolidge 、真島昌利(1993年)、Greenday (2004年などがいて、サム・ニーリーによるバージョンは1975年にチャートイン。この曲は1979年にクラッシュによっても録音された。歌詞が異なるバージョンはデッド・ケネディーズによって録音された。

The Clashは、1stアルバムでは典型的なパンクバンドの曲が多く、レゲエも合わさった曲もあるパンク・バンドだった。それが、3rdアルバム『London Calling / 【london Calling】では新しいサウンドを確立、パンク・シーンに影響を与えた。

また、ステージ上での激しいパフォーマンスも評判となった。1982年ごろから徐々にダブ、スカ、カリプソといった第三世界の音楽要素を取り入れるようになっていく。

*【Lomdon /The Clash】 和訳 Ringing Warning Forever! 鳴り響く警告は何の為?

 

1978年半ば、2ndアルバム『Give Em Enough Rope』の制作に取り組んでいた。JoeとギタリストのMick Jones は、9月から10月にかけてオートマット・スタジオでオーバーダブを録音するためサンフランシスコに飛ぶ。オートマットの所有者は、クラシック ジュークボックスのコレクションをスタジオ コンプレックスのさまざまな部屋に分散させて保管していた。

 

スポンサーリンク

Joe とMick は、この場所にあったジュークボックスのひとつでボビー・フラーの「I Fought the Law」を初めて聴いたのだ。

彼らのバージョンはイギリスで1979年5月にEP『ザ・コスト・オブ・リビング』に初収録され、同年後半には、同名アルバムのアメリカ盤に収録された。このカバー バージョンは、The Clashがアメリカで初めてエアプレイされるきっかけとなり、この曲の最もよく知られたカバー バージョンである。

1978年12月28日にロンドンのウェストエンドのライシアム劇場で演奏されたこの曲のライブ録音は、ジャック・ヘイザンとデヴィッド・ミンゲイ監督の1980年の映画『ルード・ボーイ』の最後の曲として使用されている。

The Clash はそのライブのために全身黒ずくめの衣装を着ており、その段階ではこの曲は映画のタイトル曲とみなされていた。 1979年7月26日、「I Fought the Law」はバンドによる最初のシングルとして米国でリリース。

1988年、CBSレコードは「City Of The Dead』(2:24)と「1977」(1:40)を収録したシングル(カタログ番号)をCD、12インチ、7インチのビニールフォーマットで再発行した。 7インチB面にあるこの曲は、ミュージック ビデオ ゲーム シリーズ「Rock Band」のダウンロード可能なトラックとして紹介もされている。

1989年のジャストコーズ作戦中、米軍はパナマの実力者マヌエル・ノリエガを捕らえようとしてパナマの使徒教区を包囲。米軍はノリエガに自首するよう圧力をかけるため、このThe Clash ヴァージョンなど大音量のロック音楽を大音量で流した。

2012年、この曲のクラッシュのバージョンはビデオゲーム「スリーピングドッグス」のカラオケミニゲームの一部として取り上げられた。

この曲は、2014 年の映画『ロボコップ』、2016 年の映画『戦争とみんなの戦争』、2018 年のビデオ ゲーム『レゴ DC スーパーヴィランズ』のエンドクレジットに登場している。

 

The Clash 版の楽曲は、日産・エクストレイルのコマーシャルソングに使用されたのもわかる。この疾走するサウンドが、見るもののアドレナリンを放出させるに違いないから。それに車をより早く走らせているように見えるに違いない。

レコードに収録されているパーカッションのノイズの一部は、とても印象的だ。これさ小便器のパイプを叩いて作られたものだ。

Mick Jones は2015年に『アンカット』誌に、「そうだ、俺たちはトイレに入って、チェーン・ギャングのような音を出すためにハンマーでパイプを叩いたんだ。あの『カンカン!』ってね!」と語った。 「カラン!」という音が最後に聞こえるだろ?そして、最後の最後に「シュッ、シュッ!」という音が聞こえる。これでフィニッシュだ!」

歌詞について

The Crickets メンバーのSonny Curtisが、バンドに加入する前に作詞、作曲した曲であり、事故死したBuddy Hollyの代わりに加入したクリケッツで発表したのが始まりだが、The Clash や世界中のアーティストにカヴァーされている、皆に愛されてきた曲だ。

1965年The Bobby Fuller Four のカバーにより一躍有名になったのだが、ボビー・フラーは、曲がビルボード・チャートに登場してから6カ月後に、車の中で窒息しているのが発見され、警察は自殺と断定したが、ファンの中には彼が殺害されたと信じる者もいたといういわくつきの曲でもある。

それを意識してか、The Clashのミュージックビデオには、メンバーの格好いいパフォーマンス以外に、警察と若者たちの乱闘シーンやニュースで使われてたシーンが挿入されているのだろう。

歌詞のメインは、いかに自分が法に対して無力かを連呼している。歌詞の繰り返しで「法と戦い、俺は負けた」と言っているのは、法律だけでなく、国家というデカいものから、自分より力がある体制、社会、人間たちについて身動きが取れないもどかしさや不満をぶちかましているのだ。

個人的には、ただそれだけを押し通すと、チャート的にもセールス的にも制限されてしまうのを考慮して、わざと次のような、恋愛のもつれめいた歌詞も入れたのだと思う。

「可愛いアイツを置いたまま

だから気分がメチャクチャ悪くて仕方ねぇ

俺は死んだも同然さ

あの子は今まで俺が生きてきた中で

最高な女だよ

法と闘い

法が勝ちやがった

法と闘い

そして1つの…」

 

たった1つの法律に負けた、、、やるせない歌詞をここまで連呼しているのが、一般市民には何もできないという諦めに聞こえて人間のちっぽけさが浮き彫りにされているようだ。まるで1970年代に現実と無力さを突きつけられて生きる指針を失ったヒッピーや革命家たちみたいだ、

だがこれって、良い方に考えたら無鉄砲に暴力や制裁に力を注ぐ人間よりも、法という人間が作り出した知恵や知識が強いと言ってるのではないだろうか?

「ペンは剣より強し7」…Lyraには、この言葉の方がより強く頭に浮かんでしまう。何故なら、Joe Strummerは這い上がる男だったからだ。

負けているだけの歌を歌うわけがない。The Cricketsのこの曲をきいてJoe も Mickもサウンドの良さに感銘を受けてカヴァーをしようときめたに違いないが、この曲には人を奮い立たせる何かがあると感じたからだと思う。

強さを行使されて落ちぶれてる人達が多すぎる。若者たちの夢の無さは、当時のイギリスのあの階級では当たり前だった。だからこそJoe達は、この曲のパワーが必要だと、あえて歌ったのだ。

現実を見ろと。

このままで良いのか?

諦めたまま生きていくのか?

現実社会をありのまま見せて問題提起するのは、The Clashの、Joe Strummerの様式美だと思う。

頭を使え、と言うこと。

力に屈したまま生きるなと言うメッセージに思える。

まるでJoeに叱咤激励されているみたいだ。

己自身を生きろ!

 

(click to amazon↓↓) 2nd Album “Get Em Enough Rope” [12inch Analog] クリックしてアマゾンへ ↓↓

 

First Release: The Cost of Living EP

The Clash

“I Fought the Law” is a song written by Sonny Curtis of the Crickets which became popularized by the Bobby Fuller Four, who had a top-ten hit with it in 1966.

In mid-1978, the Clash were working on their second album, Give ‘Em Enough Rope. Singer Joe Strummer and guitarist Mick Jones flew out to San Francisco to record overdubs in September–October at the Automatt studio. The owner of The Automatt kept his collection of classic jukeboxes distributed around the various rooms of the studio complex. Strummer and Jones listened to the Bobby Fuller version of “I Fought the Law” for the first time on one of the jukeboxes, and by the time they returned to England they could perform the song.

Their version first appeared on the EP The Cost of Living in May 1979 in the UK, and then later in 1979 was made part of the American edition of the Clash’s eponymous album. This cover version helped gain the Clash their first taste of airplay in the States and is one of the best-known cover versions of the song. The live recording of the song, performed at the Lyceum Theatre, West End, London on December 28, 1978, features as the last piece of the 1980 film Rude Boy directed by Jack Hazan and David Mingay. The Clash were dressed all in black for that gig and the song, at that stage, was considered the film’s title song. On July 26, 1979, “I Fought the Law” was the first single by the band to be released in the United States.

In mid-1978, the Clash were working on their second album, Give ‘Em Enough Rope. Singer Joe Strummer & guitarist Mick Jones flew out to San Francisco to record overdubs in September–October at the Automatt studio. The owner of the Automatt kept his collection of classic jukeboxes distributed around the various rooms of the studio complex. Strummer and Jones listened to the Bobby Fuller version of “I Fought the Law” for the first time on one of the jukeboxes, and by the time they returned to England, they could perform the song.

Their version first appeared on the EP The Cost of Living in May 1979 in the UK and then later in 1979 was made part of the American edition of the Clash’s eponymous album. This cover version helped gain the Clash their first taste of airplay in the States and is one of the best-known cover versions of the song. The live recording of the song, performed at the Lyceum Theatre, West End, London, on December 28, 1978, features as the last piece of the 1980 film Rude Boy directed by Jack Hazan and David Mingay. The Clash were dressed all in black for that gig, and the song, at that stage, was considered the film’s title song. On July 26, 1979, “I Fought the Law” was the first single by the band to be released in the United States.

In 1988, CBS Records re-issued the single (catalog number) in CD, 12″ and 7″ vinyl formats, with “City of the Dead” (2:24) and “1977” (1:40) as its 7″ B-side. The song is featured as a downloadable track in the music video game series Rock Band.

In 1989 during Operation Just Cause, the US military surrounded the Apostolic Nunciature in Panama while trying to capture Manuel Noriega, the strongman of Panama. US forces blasted loud rock music—including “I Fought the Law” by the Clash—to put pressure on Noriega to give himself up.

In 2012, the Clash’s version of the song was featured in the video game Sleeping Dogs, as part of a karaoke mini-game.

The song appears during the end credits of the 2014 film RoboCop and the 2016 film War on Everyone.

A version by Sam Neely charted in 1975. The song was also recorded by the Clash in 1979. A version with different lyrics was recorded by the Dead Kennedys.

Personnel

  • Joe Strummer – lead vocals, rhythm guitar
  • Mick Jones – backing vocals, lead guitar
  • Paul Simonon – backing vocals, bass guitar
  • Topper Headon – drums

スポンサーリンク

Please send me your message♪(๑ᴖ◡ᴖ๑)♪