The Clash【The Guns Of Brixton】和訳 ブリクストン生まれのリアルな唄 A Voice Born And Raised In Brixton

Wishing you all the best today and throughout the coming year!Happy Birthday Paul Simonon!

The Clashのオシャレ番長は、この人だと思う。

パンクスだから、カットオフや安全ピンにDr.Martinやらセディショナリーズやら、ラフな服装が真っ先に浮かぶが、Paulの場合は、クリーンなのよね。Sex Pistolsもすきだが、あちらより The Clashの方がもともと洗練されていて、頭で考えてる感がある。

その中でHeadと言えばJoeなんだけど、彼の場合は、頭脳で考える時と感情が放出されっぱなしで止まらなくなる時がある感じ。激しいからか?そんなJoeがLyraは自分と近い気がして好き。

でPaulは、Joeの激情型の真逆で、とってもCoolなの。それが服装にも出ていてスーツが似合う男なのよ。ボロボロジーンズでも清潔感満載。

生のPaulに会ったことがあるが、めっちゃ紳士だった。ニコニコ可愛いほんわかしてる人。

そして、パンクスと言うより美しい空気感をまとってるオッチャンだったの。

オッちゃんって言うニュアンスは、あの喋り方とベースを弾いてる姿がワイルドだから。

そんなPaulのバースデーに合わせて、The Clashの曲から(Havana 3amと迷ったけど)、彼がドーン❣️と目立っている曲を和訳&解説して、お祝いしちゃいましょう。

今日Lyraが和訳&解説するのは、イングランド、ロンドンで結成されたパンクロック・バンド、The Clash ザ・クラッシュ

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1976年 – 1986年にかけて活動し、この時代を承知する成功したパンクバンドだ。、

Sex Pistolsと二大パンクバンドだが、The Clashは、1stアルバムのみ典型的なPunkで、アルバム毎にレゲエやダブ、ゴスペル、フォーク、R&B、ロカビリー、ジャズ、スカ、カリプソといった様々な音楽的要素を取り入れる時代の先端をいくバンドだった。

*The Clashについては、こちらなど→【London Calling / The Clash】 和訳 Ringing Warning Forever! 鳴り響く警告は何の為?

 

そしてこのバンドのベーシストが、Paul Simonon ポール・シムノン (1955年12月15日ー) である。

今日Lyraが和訳する曲は、The Clashの1979年リリースの3rdスタジオ・アルバム『London Calling』に収録されている曲【The Guns Of Brixton】。

詳しい解説は、LyraのHipな和訳の後に又お話しましょう!

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“The Guns of Brixton” is a song by the English punk rock band the Clash. It was written and sung by bassist Paul Simonon, who grew up in Brixton, South London. The song has a strong reggae influence, reflecting the culture of the area and the reggae gangster film The Harder They Come.

 

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=The Guns Of Brixton=

[Verse 1]
When they kick at your front door
How you gonna come?
With your hands on your head
Or on the trigger of your gun
When the law break in
How you gonna go?
Shot down on the pavement
Or waiting in death row

[Chorus]
You can crush us
You can bruise us
But you’ll have to answer to
Oh, guns of Brixton

[Pre-Verse]
The money feels good
And your life you like it well
But surely your time will come
As in heaven, as in hell

[Instrumental Break]

[Verse 2]
You see, he feels like Ivan
Born under the Brixton sun
His game is called survivin’
At the end of The Harder They Come
You know it means no mercy
They caught him with a gun
No need for the Black Maria
Goodbye to the Brixton sun

[Chorus]
You can crush us
You can bruise us
But you’ll have to answer to
Oh, the guns of Brixton

[Verse 1]
When they kick at your front door
How you gonna come?
With your hands on your head
Or on the trigger of your gun?

[Chorus]
You can crush us
You can bruise us
You can even shoot us
But, oh the guns of Brixton

[Verse 3]
Shot down on the pavement
Waiting in death row
His game was survivin’
As in heaven, as in hell

[Chorus]
You can crush us
You can bruise us
But you’ll have to answer to
Oh, guns of Brixton
Oh, guns of Brixton
Oh, guns of Brixton
Oh, guns of Brixton
Oh, guns of Brixton

 

奴らがお前んちの玄関の

ドアめがけて蹴破って来たら

どうする気だよ?

両手を頭の上に乗せてか?

それとも引き金に指を乗せてか?

法が崩壊してるなら

お前は何処へ行くつもりだよ?

撃ち殺されて歩道で転がるのか?

それとも死刑囚の監房で

死刑を待ってるのかよ?

 

お前ら

俺たちを踏み潰すことだって出来るんだぜ

傷を負わせることもさ

だがな

お前ら答える必要が出て来るぜ

オー

ブリクストンの銃

 

金がありゃ気分が良いさ

それに

お前の人生

それで上手くやれるしな

だかな

確実にお前の番が来るだろう

天国にいるみたいかな?

地獄にいるみたいかな〜?

 

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わかるか

アイツはイワンみたいな気分さ

ブリクストンのお天道様の下で

生まれたなんてさ

奴のゲームは

生き残りって名前さ

The Harder They Comeの結末は

ありゃ

無慈悲って意味だろ?

アイツら

銃を持ってるアイツを捕まえた

囚人護送車の必要はねぇよ

サヨウナラ

ブリクストンの太陽よ

 

お前ら

俺たちを踏み潰すことだって出来るんだぜ

傷を負わせることもさ

だがな

お前ら答える必要が出て来るぜ

オー

ブリクストンの銃

 

奴らがお前んちの玄関の

ドアめがけて蹴破って来たら

どうする気だよ?

両手を頭の上に乗せてか?

それとも引き金に指を乗せてか?

法が崩壊してるなら

お前は何処へ行くつもりだよ?

撃ち殺されて歩道で転がるのか?

それとも死刑囚の監房で

死刑を待ってるのかよ?

 

お前ら

俺たちを踏み潰すことだって出来るんだぜ

傷を負わせることもさ

撃ち殺せるしな

だがな

オー

ブリクストンの銃

 

撃ち殺されて歩道で転がるのか?

それとも死刑囚の監房で

死刑を待ってるのかよ?

奴のゲームは

生き残りって名前さ

天国にいるみたいか?

地獄にいるみたいか?

 

お前ら

俺たちを踏み潰すことだって出来るんだぜ

傷を負わせることもさ

だがな

お前ら答える必要が出て来るぜ

オー

ブリクストンの銃にさ

オー

ブリクストンの銃にさ

オー

ブリクストンの銃にさ

オー

ブリクストンの銃にさ

 

Songwriter: Paul Simonon

Translator: Lyra Sky 和訳

 

Paulのヴォーカルだから誕生日にピッタリだと思って選んだ曲だけど、彼が歌うから、やさぐれて悲哀に満ちていながらも、汚らしくならないで済んでると思う。

Joeが歌うとRadになり過ぎるし、Mickが歌うと、陽気になりそう。

当時の不穏な空気があったイングランドらしさを、淡々と歌えるのは、この曲を作った本人のPaulだったんだろう。だから、Joeは、彼を推したのだ。

この曲は、The Clashのライブセットの主力だったと言う。

イギリスの今にも暴動が起きそうなピリピリが感がこの曲には、あるもんね。

ただライブで曲を演奏するときは、Paulは、リードボーカルをしながらベースを演奏できなかったらしい。

だからJoe と楽器を切り替えて歌っていたの。

因みに初出はアルバム『London Calling』だけど、これよりヘヴィーで速いバージョンが、1999年のライブコンピレーション『From Here to Eternity:Live』で聴ける。

お試ししてみてね。

 

この3rdアルバム『London Calling』は、歴史に残るアルバムだと思う。そして、独自の個性を確立し、シーンに大きな影響を与えた記念碑だ。

彼らは、ステージ上での激しいパフォーマンスも有名だったのから、後のロックバンドのお手本だと言っていい。

スーパーなバンドだったのだ。

 

= Paul Simononについて=

 

今日のBirthday BoyのPaul Simononは(笑)、ロンドンのブリクストン生まれ。

父親のアンソニーことギュスターヴ・アントワーヌは公務員(後に書店主)で、母親エレインは司書をしていた。8歳の時に両親が離婚。

南ロンドン地区で育ち、約1年は音楽家だった継父の勉強の為、弟を含む家族四人でイタリアのシエーナとローマで過ごした。

The Clash加入以前は、Paulは、画家を志していて、ロンドンのアーチウェイにあったバイアム・ショー・アート・スクール(現在Central Saint Martins Collage Of Art and Design の一部になっている)に進学した。

1976年The Clashのギタリストになる Mick Jones ミック・ジョーンズに誘われ加入。

Mickは当初、Paulがギターが弾けなかったのでギターを教えようとしていた。

だが、Paulには難しすぎると判明[!) した為、代わりにベースを教えたのだった。

Paulは、バンドの名前が上がるに連れ信用され、衣装やステージの垂れ幕といったヴィジュアル面を任された。

彼はまた2枚組アルバム『London Calling』のジャケット写真でその名を不朽の物とした。

Pennie Smith 撮影の、シムノンがベースを叩き壊すこの写真は、パンクの象徴である。

1980年ダイアン・レイン主演の映画『en:Ladies and Gentlemen, The Fabulous Stains』に出演。パンクバンドのベーシストの役で、バンドの他のメンバーはRay Winstone レイ・ウィンストン、Steve Jones スティーヴ・ジョーンズ、Paul Cook ポール・クックが演じた。

Paulは、The Clash の曲中3曲を書いている。『ロンドン・コーリング』収録のこの曲に、『Sandinista!』収録の「歪んだビート」、そしてB面曲の「ロング・タイム・ジャーク」である。彼は『Combatt Rock』の「レッド・エンジェル・ドラグネット」で歌ってもいるが、これはJoe Strummer が書いた曲である。

Paulが、The Clarth のほぼ全ての曲でベースを弾いた。

弾いていないのは、

  • 『サンディニスタ!』の【The Magnificent Seven 7人の偉人】」と【Lightning.Strkes(電光一閃!おんぼろニューヨークを直撃)】
  • 『コンバット・ロック』の「Rock The Casbah」
  • 『Cut The Crap』の【Finger Popin’】と【Life Is Wild  】ライフ・イズ・ワイルド」 – ノーマン・ワット=ロイ

『コンバット・ロック』でのベーストラックは、ジョーンズかエンジニアのエディー・ガルシアに見捨てられたと考えられている。

また、『サンディニスタ!』の初期レコーディングでは、MickかJoeが、ベースを担当し、Paulは『Ladies and Gentlemen, The Fabulous Stains』の撮影終了後に数曲を録音し直している。

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西インド諸島からの移民が多いBrixton ブリクストンでジャマイカ音楽に親しんで育ったPaul。

ベースを弾き始めた頃はレゲエとラモーンズのコピーが主な練習法だったというのだから、The Clashにレゲエビートを持ち込んだのは彼なのかもしれない。

彼の対位法によるレゲエに影響されたラインは、複雑さとバンドにおけるベースの役割という面において、彼をその時代のパンクベーシストの一群から一線を画した存在とした。

また彼は、指弾きを嫌い、ピックで演奏しているのもこだわりの一つだろう。

Lyraの個人的なイメージだが、リアルパンクの人って、ずっとダウンでピック弾きで押し切るイメージが強いから、Paulのこのポリシーには納得してしまった。(指弾き好きなんだけどね〜。Paulの好きは、尊重したい)。

 

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【The Guns Of Brixton】は、1979年の時代性が出ているロンドンコーリングのクラシックソングだと思う。

当時の英国の若者の経済状況に対する抗議として書かれたのだよ。

そして、ベーシストのPaul をボーカルにフィーチャーした最初のクラッシュ曲であり、Strummer / Jones ストラマー/ジョーンズ主導のグループでは珍しい一曲になったのだ。

歌詞はレコード全体に浸透しているクラッシュの終末論的な内容になっている。

ロンドンに住むことのパラノイアを説明していると言っても良いだろう。

アルバムの構造的には、同様のテーマの【Crump Down】の直後の曲だから、より内容が入って来る。

【Crump Down】は、暗い世界情勢を描いていて、大衆にそれに対して「行動を起こせ!」と呼びかけている。

でもこの【The Gun Of Brixton】は、暴力がもたらす可能性のある複雑さに対処することによって、問題が複雑化して行くことを描いている。

 

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この曲は、Paul Simonon が作曲・歌った最初の曲だから、つまり、このロンドン・コーリングの頃には、全く出来なかったギターの弾き方を学び、作詞作曲に貢献し始めたこともわかるね。

1990年10月にベーシスト誌のインタビューで、「ポスターのデザインや服装の報酬は支払われない」と語っていて、「曲の制作に対して報酬が支払われる」と言っていたことから、多分、切羽詰まった為に(ギャラをたくさんもらう為に)ギターの練習をしたのだろう。

当たり前だが、仲良しこよしのバンドではなく、シビアな世界だったのだ。

マネージャーのBarnard Rose バーナード・ローズと別に、メンバーは、カムデンタウンのリハーサルスタジオを離れて別の場所を探す必要があったらしい。

1979年の夏にピムリコのバニラスタジオを見つけ、ここですぐにデモを書き、録音したのだ。

そうして、1979年8月にウェセックススタジオに入ってアルバムの録音を開始。

当時アルコールや麻薬問題もあり、制作方法が型破りだったガイ・スティーヴンスがプロデュースし、数週間で録音され、この【The Gun Of Brixton】を含む多くの曲が1、2テイクという速さで、録音されたのだった。

この曲のリードボーカルを録音している間、Paul はセッション中にスタジオを訪れたCBSの幹部を直接見つめながら歌ったらしい。これが彼の声で思いっきり、自分の感情を入れ込んめて、功を制したんだと思う、、、怒りの感情。

曲の一部は、1980年アルバム『サンディニスタ』の曲【Broadway】の最後のリプリーズとして、小さいMaria Gallagher マリアギャラガーがキーボードで父親のMick を伴って歌っている。

テーマのメッセージ性が強いから引き継がれたのかもね。暴動が起きた後のリリースになったから、余計に。

それに地味な曲に思えるが、The Clashのカラーを打ち出す名曲なのだ。

そして当時のイギリスを映し出している鏡の様でもある。

 

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この【The Gun Of Brixton】は、1980年代にブリクストンで起こった暴動よりも前に作られたのものだが、歌詞には、警察の利き手や不況など、当時の問題による地域の不満の気持ちが描かれている。

つまり、当時の英国の若者の経済状況に対する抗議として書かれたこの曲。

歌詞の中にあるIvanは、ブリクストン生まれのジャマイカ移民の息子である、1972年の映画「TheHarder they Come」の主人公であるイヴァンホー・マーティンの死に言及しているの。

Paulは、もともとこの曲について疑意を抱いていたと言う。

歌詞は、Paul自身、つまり個人的なものだし、その様な個人的な人生観について論じていてるだけで良いのか自信がなかったようだ。

だがJoe が、やめないで引き続き取り組むように促したそう。

Joeの励ましもあり、Paulが書き上げた、と言うのがなんともジーンと胸にくる。

Paulは、2007年1月にDamon Albarn (OBN) デーモン・アルバーン、Simon Tong サイモン・トング、Tony Oladipo Allen トニー・アレンと組んでアルバム『The Good, the Bad & the Queen』をリリースしている。

ライブもちょこちょこやったり…だから、いつかまたライブを見たいな。

こだわりの強さと、センスの良さ、クールネス、そしてマイペースに独自の道を行く、、、のがPaul Simononなのだ。

うー、格好良いの要素しかないじゃない!

長生きしてずっとパンクして行ってちょうだい、Paul〜。

Happy Birthday, Paul Simonon and Live long!

 

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“The Guns of Brixton” predates the riots that took place in the 1980s in Brixton but the lyrics depict the feelings of discontent in the area because of the heavy-handedness of the police, the recession and other problems at the time. The lyrics refer to a Brixton-born son of Jamaican immigrants who “feel[s] like Ivan…at the end of The Harder they Come“, referring to Ivanhoe Martin’s death in the 1972 film The Harder They Come. Simonon was originally doubtful about the song’s lyrics, which discuss an individual’s paranoid outlook on life, but was encouraged to continue working on it by Joe Strummer.

 

Classic song from UK punk band The Clash’s most successful and influential album, 1979’s London Calling. Written as a protest about the economic situation for UK youth at the time, this song continues to be influential, having been covered by artists from Red Hot Chili Peppers to Arcade Fire、

“The Guns of Brixton” was the Clash’s first song to be composed and sung by Paul Simonon. By the time of London Calling, Simonon had learned to play guitar and started contributing more to the songwriting.

“You don’t get paid for designing posters or doing the clothes”, he said in an interview published by Bassist Magazine in October 1990, “you get paid for doing the songs.”

The band, separated from manager Bernard Rhodes, had to leave their rehearsal studio in Camden Town and find another location. They began work on London Calling during the summer of 1979 at the Vanilla Studios in Pimlico. The band quickly wrote and recorded demos, and in August 1979 entered Wessex Studios to begin recording the album. Produced by Guy Stevens, who at the time had alcohol and drug problems and whose production methods were unconventional、it was recorded within a matter of weeks, with many songs, including “The Guns of Brixton”, recorded in one or two takes. It was also revealed that while recording the lead vocals for the song, Simonon sang while staring directly at a CBS executive who had visited the studio during the sessions, giving Simonon the desired amount of emotion in his voice.

A section of the song is sung by a very young Maria Gallagher, accompanied by her father Mick Gallagher on the keyboard, as a reprise at the end of the song “Broadway” on the 1980 Clash album Sandinista!

 

“The Guns of Brixton” was not initially released as a single, but a version of the song, taken from the remastered version of London Calling and remixed by Jeremy Healy, was released by CBS as a CD single, 7-inch vinyl and 12-inch vinyl entitled “Return to Brixton” in July 1990 (catalog number 656072-2). It reached #57 on the UK Singles Chart.

Personnel

  • Paul Simonon – lead vocals, bass guitar
  • Mick Jones – lead guitars, backing vocals
  • Joe Strummer – rhythm guitar
  • Topper Headon – drums
  • Mickey Gallagher – organ

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