【Bob Marley and the Wailers/ Redemption Song】和訳 解説 ボブ・マーレーの願い Bob Marley’s Hope

世界中が知っているであろうラスタのシンボリックなお方、Bob Marley。

レゲエもラスタも知らない人ですら、彼の顔が書かれたTシャツや店に飾られてあるポスターやファブリックを見て、Bobを知ってる筈だ。

もしかしたらドレッド= Bob Marlyかもね。

そして、ファンの間では、彼は「神」。

本国では、ラスタファリの象徴、ジャマイカの文化とアイデンティティのシンボルだ。

だからと言って、Bobは、踏ん反り返る訳でもなく、権力を行使するわけでもなく、むしろ権力を忌み嫌う平和主義者だった。

優しく歌う彼の歌は、今、世界で最も必要とされることを歌う。

愛と平等。

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今日Lyraが和訳&解説するのは、ジャマイカ、セント・アン教区ナイン・マイルズ出身のシンガー・ソングライター、ギタリスト、レゲエ・ミュージシャンである、Bob Marley ボブ・マーリー(1945年2月6日 – 1981年5月11日、出生名Robert Nesta Marley ロバート・ネスタ・マーリー )。

 

レゲエの先駆者の一人であり、レゲエ、スカ、ロックステディのテイストを曲に投影し、優しくおおらかに歌う歌声で、ラスタの宗教や社会批判などの歌詞を歌うのが、特徴である。

今日Lyraが和訳する曲は、1980年10月にリリースされたBob Marley and the Wailers の12枚目のスタジオアルバムであり、彼のラスト・アルバムである『Uprising』に収録されている【Redemption Song】。

詳しい解説は、LyraのHip な和訳の後に、又お話しましょう!

 

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“Redemption Song” is a song by Bob Marley. It is the final track on Bob Marley and the Wailers’ twelfth album, Uprising, produced by Chris Blackwell and released by Island Records. The song is considered one of Marley’s greatest works. Some key lyrics derived from a speech given by the Pan-Africanist orator Marcus Garvey entitled “The Work That Has Been Done”.

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=Redemption Song=

[Verse 1]
Old pirates, yes, they rob I
Sold I to the merchant ships
Minutes after they took I
From the bottomless pit
But my hand was made strong
By the hand of the Almighty
We forward in this generation
Triumphantly

[Chorus]
Won’t you help to sing
These songs of freedom?
‘Cause all I ever have
Redemption songs
Redemption songs

[Verse 2]
Emancipate yourselves from mental slavery
None but ourselves can free our minds!
Have no fear for atomic energy
‘Cause none of them can stop the time
How long shall they kill our prophets
While we stand aside and look?
Some say it’s just a part of it
We’ve got to fulfill the book

[Chorus]
Won’t you help to sing
These songs of freedom?
‘Cause all I ever have
Redemption songs
Redemption songs
Redemption songs

[Acoustic Break]

[Verse 3]
Emancipate yourselves from mental slavery
None but ourselves can free our minds!
Whoa! Have no fear for atomic energy
‘Cause none of them-ah can-ah stop-ah the time
How long shall they kill our prophets
While we stand aside and look?
Yes, some say it’s just a part of it
We’ve got to fulfill the book

[Chorus]
Won’t you help to sing
These songs of freedom?
‘Cause all I ever have
Redemption songs

[Outro]
All I ever have
Redemption songs
These songs of freedom
Songs of freedom

 

年老いた海賊達

そうだよ

奴らが俺から略奪したのさ

俺を商船に売りやがったんだ

数分後

奴らは俺を地獄から連れ出した

だが俺の片手は強くなったんだ

全能力者の手によってさ

俺たちはこの世代の前へと

意気揚々と前進して行くぜ

 

この自由の歌を歌うのを手伝ってくれないか?

だってこれは俺が持ち続けて来た

贖いの歌だからさ

贖いの歌だよ

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君達自身を

精神的奴隷制度の呪縛から解き放て

自分だけが精神を解放出来るんだぞ

俺には原子力エネルギーの

恐れなんかない

だって奴らの誰もが

時を止めることなど出来ないのだから

アイツらはどれだけの間

俺達の預言者達を殺すのだろう?

俺達が避けてしまって

よそ見している間にさ

誰かが

俺達が信じ続けて来た

聖書で書かれたことを

果たす為の一部なんだって言うぜ

 

この自由の歌を歌うのを手伝ってくれないか?

だってこれは俺が持ち続けて来た

贖いの歌だからさ

贖いの歌だからさ

贖いの歌だよ

 

君達自身を

精神的奴隷制度の呪縛から解き放て

自分だけが精神を解放出来るんだぞ

そうさ

原子力エネルギーへの恐れなんかないぜ

だって奴らの誰もが〜あ〜

時を止めることなど〜

出来ないのだから〜あ〜

アイツらはどれだけの間

俺達の預言者達を殺すのだろう?

俺達が傍にそれ

よそ見している間にさ

そうだよ

誰かがそれも

俺達が信じ続けて来た

聖書に書かれていたことを

果たす為の一部だって言うぜ

 

この自由の歌を歌うのを手伝ってくれないか?

だってこれは俺が持ち続けて来た

贖いの歌だからさ

 

だってこの全てが

俺が持ち続けて来た

贖いの歌だからさ

 

これは自由の歌さ

自由の歌なんだぜ

 

Songwriter: Bob Marley

Translator: Lyra Sky 和訳

 

優しく歌い上げるBob。

彼の優しい歌声は、奴隷制度からの開放を願うのだ。

次に、音質は悪いけれどBobの動いてる姿を見たい方の為に。

ライブ映像を↓ ↓

 

宗教的・社会的な歌詞を歌いながら、人間の生きた方を示している。

それがBobのスタイルなのだ。

10年以上レゲエ界だけでなく、ポピュラーカルチャーの人物としてワールドワイドに活躍していたので、Bobが、ジャマイカ音楽を世界的に広める事に貢献したと言っていいだろう。

ラスタファリの象徴、ジャマイカの文化とアイデンティティの世界的なシンボルBob Marley。

ラスタファリの信仰をしている為、マリファナ合法化支持者であり、汎アフリカ主義だった。

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Bob Marlyについて

1945年2月6日にジャマイカ、セント・アン教区のナイン・マイルズで、イギリス海軍大尉であり、ジャマイカ最大の建設会社「マーリー・アンド・カンパニー」を経営していた白人のNorval Sinclair Marley ノーヴァル・マーリーと、アフリカ系ジャマイカ人のCedella Bookerセデラ・ブッカーとの間に生まれる

出生名はロバート・ネスタ・マーリー(出生名はネスタ・ロバート・マーリーで、1962年にパスポートを取得した際に改名したという説有り)。

父親は61歳、母親は16歳で、Bob誕生後すぐに別れた。

Norval は首都キングストンに住み、BobはCedella とその家族と共にナイン・マイルズで幼少期を過ごす。

1951年キングストンの学校に通わせるという名目でNorvalに引き取られ、キングストンに住むマーリー家の友人である老婆のもとに預けられ、Norval は二度と姿を現さなかった。

1952年Bobは、行方知れずになっていたが、心配したCedella が探し出し、Bobはナイン・マイルズへ戻る。

ステプニー・オール・エイジ・スクールに通い、共にThe Waylersザ・ウェイラーズを結成することとなる Neville O’Reilly Livingstonネヴィル・リヴィングストン(バニー・ウェイラー)と出会う。

Bobは、キングストンへ連れ去られる前は、手相を見るのが得意で、よく村の人を驚かせていたが、この時期には手相を見るのをやめ、歌を歌うようになったという。

1955年父が70歳で亡くなる。これにより親子は、Marly 家と完全に縁を絶った。

Bobは「父は自分と母を捨てた憎むべき男だ」「自分に父親はいない」という思いを胸に成長。

この思いは、彼が後にラスタファリ思想に傾倒していく一因にもなる。

1957年、母Cedella と共にキングストン郊外のスラム、トレンチタウンの官営地に引っ越す。同じく引っ越してきていたBunny Wailerバニー一家も住んでいた。

2人は、米国のラジオ局から放送される最新のR&Bや新しいスカを聴き、音楽への探求を深めていった。新しい学校にも通い、この頃から読書、特に聖書に親しんでいた。そして休み時間には友達とサッカーをしていたという。

1959年、クイーンズ・シアターのタレント・ショーが、人前で歌った初ライブ。歌を一曲披露し賞金1ポンド獲得。

だが「歌では食べていけない」と心配したCedella の勧めで溶接工の仕事に就く。

しかし、仕事中に金属片が目に入り込むケガをおい、これがきっかけで夢であったミュージシャンを目指す決意が出来た。

サード・ストリートに住んでいたシンガーのJoe Higgs ジョー・ヒッグスが開く無料の音楽教室に参加し、音楽的指導とラスタファリ運動の教えを受けた。

その際に Winston Hubert McIntosh ウィンストン・マッキントッシュ(Peter Tosh ピーター・トッシュ)と出会う。

1961年には作曲を始めており、レスリー・コングのビヴァリーズ・レコードの店へ売り込みに行くが、門前払いを食らう。

1962年、再び店を訪ねオーディションを受け、自作の【Judge Not】を披露。

その後ビヴァリーズ・レコードから【Judge Not】【Do You Still Love Me?】【Terror】の3曲を発表。

Bobby Martell名義では【One Cup Of Coffee】の1曲を発表した。

1963年母Cedella がセカンド・ストリートの家を離れアメリカへ行く。

Bobは、トレンチタウンで路上生活をするようになった。

この時の体験が1974年発表のアルバム『Natty Dread』収録の名曲【No Woman No Cry】になる。

同年、Bobは Bunny Wailer バニー・ウェイラー、Peter Tosth、Junior Placewait ジュニア・ブレイスウェイト、ビバリー・ケルソ、チェリー・スミスらと共にThe Teenagers ザ・ティーンエイジャーズを結成。

彼らはバンド名を変更していくが、最終的にザ・ウェイラーズになった。

1963年暮れ、スタジオ・ワンから発表したシングル【Simmer Down】が、1964年2月JBC(ジャマイカ放送)などで1位を獲得、約80,000部を売り上げる大ヒットとなった。

のちにレゲエの象徴ともなる名曲【One Love】も、スカ・バージョンで作られている。

1966年までに、ブレイスウェイト、ケルソ、スミスがザ・ウェイラーズを去り、ボブ・マーリー、バニー・ウェイラー、ピーター・トッシュの3人が残された。ちなみに、「タフ・ゴング」というニックネームがついたのはこの頃。

1964年、祖父オメリア・マルコムが他界。農地の一部を相続。

1966年2月10日、Rita Anderson リタ・アンダーソン(19)と結婚。

翌朝、職を求めデラウェア州ウィルミントンに住む母の下へ飛び発つ。ドナルド・マーリーという名前でクライスラー社の自動車工場のライン工員、デュポン社の実験研究室の助手として働いた。

いくらヒットしてもBob達にお金は回って来なかったからだ。

この時期Bobは、駐車場の係員やレストランの皿洗いなどのパートも経験したと言う。

カトリック教徒として育ったBobだったが、母が居ない間に、スタファリ運動への関心をさらに高め、ドレッドヘアにするため髪を伸ばし始めた。

Bob不在の約8ヶ月間、ザ・ウェイラーズは彼抜きで活動を続けた。

10月にBobは、キングストンへ戻り、正式にラスタファリに改宗した。

1966年デラウェア州での仕事で得た資金をもとに、バニー、ピーターと共に自らのレーベル「Wail ‘n’ Soul’m ウェイリン・ソウルム」を発足したが、短期間で経営難になり、ウェイリン・ソウルムは業界から姿を消した。

1968年までに「Bend Down Low」「Mellow Mood」「Nice Time」「Hypocrites」「Stir It Up」「Selassie Is the Chapel」などが発表されている。このころBobは、髪形をドレッドからアフロに変えている。

1967年、BobとBunnyが大麻不法所持で逮捕、投獄される。

Bob1ヶ月間、Bunny は約12ヶ月間。

1967年8月23日、Ritaがセデラ・マーリーを出産。2人は娘と共に1970年までセント・アンで暮らす。

1968年、ジョニー・ナッシュ、ダニー・シムズと契約する。ピーターが反ローデシア白人政権デモに参加し逮捕される。1968年10月17日、リタがデヴィッド・マーリー(ジギー・マーリー)を出産。

1970年、アルバム『The Best of The Wailers』リリース。【Stop That Train】【Soul Captives】【Cheer Up】などが収録されている。

メンバーは「そのアルバムタイトルは偽りだ」「もしリリースされるようなことがあれば、おまえは死ぬことになるだろう」などと言いアルバムの発表に反対していた(実際、彼は1970年に心臓発作で亡くなっている)。

同年春、家族と共にアメリカへ向かい秋まで再びデラウェア州で働く。この経験から【It’s Alright】を作曲。1976年この曲をアルバム用に作り直し【Night Shift】と改題している。

リー・ペリーとそのスタジオ・バンドのザ・アップセッターズに出会い、1969年の後半から1970年にかけて数々のセッションを行い、レコーディング。

【Duppy Conqueror】【Small Axe】【Corner Stone】【Soul Rebels】【Lively Up Yourself】【Kaya】【400Years】【Stand Alone】【Sun is Shining】などがある。

1970年7月頃Bob Marly & the Wellers 名義でアルバム『Soul Rebels』を発表。

デラウェア州で稼いだ僅かな資金をもとに、キングストン市ホープロード56番地に自身のスタジオ、レーベルであるタフ・ゴングを設立。

同年暮れにビヴァリーズ・レコードからアルバム『The Best of The Wailers』リリース。

1971年の始め(もしくは1970年の終わり)、アップセッター・レコードからボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ名義でアルバム『Soul Revolution』リリース。

1971年夏にタフ・ゴング・レーベルから発表した「Trenchtown Rock」が大ヒット。

暮れにはジョニー・ナッシュの英国ツアーに参加。CBSから「Reggae On Broadway」を発表、しかし不発に終わる。

1972年、クリス・ブラックウェルのアイランド・レコードと契約、アルバムのレコーディングを開始。

1973年春、メジャーデビューアルバム『Catch a Fire』を発表(「Concrete Jungle」「Slave Driver」「Stir It Up」「Kinky Reggae」「No More Trouble」)。この頃、トロージャン・レーベルからアルバム『African Herbsman』が発表された。5月、イギリスのラジオ番組「トップ・ギア」にて演奏。

7月代わりにジョー・ヒッグスを加え初のアメリカツアー。ニューヨークではブルース・スプリングスティーンの前座を務める。

デビューアルバム発表から約半年後の10月19日、アルバム『Burnin’』を発表(「Get Up, Stand Up」「I Shot The Sheriff」「Burnin’ And Lootin’」「Small Axe」「Rastaman Chant」など)。

1974年1月、新メンバーを迎えアルバム『Natty Dread』のレコーディングを開始。5月、マーヴィン・ゲイのジャマイカ公演でオリジナルウェイラーズが復活、最後の演奏。

その直後タフ・ゴング・レーベルから発表した「Rebel Music (3 O’Clock Roadblock)」がヒット。

7月Eric Clapton が【I Shot The Sheriff】をカバーし、全米ビルボードチャート1位を獲得。

10月25日、アルバム『Natty Dread』を発表(「Lively Up Yourself」「No Woman No Cry」「Them Belly Full (But We Hungry)」「Natty Dread」「Talkin’ Blues」など)。

1975年、バニー・ウェイラー、ピーター・トッシュが正式に脱退、メンバーを再編成してボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズとして再出発。

3月、ジャクソン5のキングストン公演で前座を務める。8月27日、前年9月12日にクーデターにより軟禁されていたハイレ・セラシエ一世皇帝が他界。これを受けて9月に「Jah Live」をレコーディングしリリース。「Jahは生きている」というメッセージを送る。

10月11日、スティービー・ワンダーのジャマイカ盲人協会のための慈善コンサートに出演、アンコールでオリジナルウェイラーズが「Rude Boy」を演奏。12月5日、7月19日のロンドン・ライシアム公演を録音したバンド初のライブアルバム『Live!』を発表。

1976年4月30日、アルバム『Rastaman Vibration』を発表(「Positive Vibration」「Root, Rock, Reggae」「Crazy Baldhead」「Who The Cap Fit」「War」など)。

政治闘争、軍拡競争を批判した「Rat Race」がジャマイカで大ヒットした。ヒットの背景には、マイケル・マンリー率いる人民国家党(PNP)と、エドワード・シアガが率いるジャマイカ労働党 (JLP) の二大政党による対立の激化があった。

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Bobは、スティービー・ワンダーの慈善コンサートに参加して以来、自分たちでも無料のコンサートを開催したいと考えていた。

そこでPNPに協力を呼びかけ、1967年12月5日に「スマイル・ジャマイカ・コンサート」を開催することを計画した。コンサートのために「Smile Jamaica」というタイトルの曲を二種類のバージョンで録音。このコンサートの趣旨は、「二大政党の対立により混迷するジャマイカに微笑みを与えよう」というものだった。しかし、コンサートが近づくにつれ、匿名の警告や脅迫が相次いだ。

1976年12月3日、コンサートのリハーサル中に銃で武装した6人の男に襲撃を受け、ボブは胸と腕を撃たれる。(幸い死者は出なかった。)

二日後、コンサートに出演。約80,000人の聴衆に向かって「このコンサートを開くことを二か月半前に決めたとき、政治なんてなかったんだ! 僕は人々の愛のためだけに演奏したかった」と言い、約90分の演奏をやりきった(「War/No More Trouble」「Get Up, Stand Up」「Smile Jamaica」「Keep on Moving」「So Jah Seh」など)。演奏の最後には、服をめくり胸と腕の傷を指さして観客に見せつけ、その場を去った。

後にコンサートに出演した理由を尋ねられたとき、「この世界を悪化させようとしているやつらは休みを取っていない。なのになぜ僕に休むことができるか?」と語った。

 

1977年1月、亡命生活を送っていたハイレ・セラシエの孫に家へ招かれ、皇帝の形見である指輪をもらい受ける。Bobはこれを生涯外すことはなかった。

モデルで1976年度ミス・ワールドのシンディ・ブレイクスピアと交際を開始。6月3日、アルバム『Exodus』を発表(「Exodus」「Jamming」「Waiting in Vain」「Three Little Birds」「One Love/People Get Ready」など)。ブルース、ソウル、ブリティッシュ・ロックなどの要素を取り入れたこのアルバムは、56週間連続してイギリスのチャートに留まった。

1978年3月23日、アルバム『Kaya』を発表(「Easy Skanking」「Kaya」「Is This Love」「Satisfy My Soul」「Running Away」など)。

1978年帰国し、4月22日にキングストンで「ワン・ラブ・ピース・コンサート」に出演(「Lion of Judah」「Natural Mystic」「Trenchtown Rock」「Natty Dread」「Positive Vibration」「War」「Jamming」「One Love / People Get Ready」「Jah Live」)。

「Jamming」の演奏中、コンサートを見に来ていたマイケル・マンリーとエドワード・シアガの2人の党首をステージ上に招き、和解の握手をさせた。

1978年6月15日、アフリカ諸国の国連代表派遣団から第三世界平和勲章を授与される。

7月21日、シンディがダミアン・マーリーを出産する。11月10日、ライブアルバム『Babylon By Bus』を発表。

12月念願であったラスタファリズムの聖地、エチオピアをはじめとするアフリカの国々を訪問。このときの体験をもとにアルバム『Survival』を発表。

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1979年には、4月から日本、オーストラリア、ニュージーランドで公演を行った。

7月21日、ボストンで黒人解放運動を支援するアマンドラ慈善コンサートに出演、南アフリカのアパルトヘイトに対する強い反対の意を示した。

この頃、シングル【Zimbabwe】が大ヒット。

10月2日、アルバム『Survival』を発表(「So Much Trouble In The World」「Zimbabwe」「Africa Unite」「Ride Natty Ride」「Wake Up And Live」など)。

アフリカのミュージシャンが次々と「Zimbabwe」のカバー・ヴァージョンを発表。11月13日、ガーナからアシャンティのオサヘネ(元は救世主の意)の称号を受ける。

1980年1月4日、西アフリカのガボンを訪問、滞在中に初となるアフリカでのコンサートを開催。

2月6日、自宅スタジオのあるホープロードの支援者やその子供たちを誕生パーティに招待する。4月17日、ジンバブエの独立式典に出席し演奏、群衆がなだれ込むほどの騒ぎとなる。6月10日、アルバム『Uprising』を発表(「Coming In From The Cold」「Work」「Zion Train」「Could You Be Love」「Redemption Song」など)。

5月30日、ヨーロッパ・ツアー開始。6週間の間に12ヶ国31都市をまわり100万人を動員。マイアミで休養、8月に体調を崩す。

9月16日ボストンからアメリカ・ツアー開始。9月19日、マジソン・スクエア・ガーデンでコモドアーズとジョイント・コンサート。

9月20日、体調を壊し休養。翌日、ニューヨークのセントラル・パークでジョギング中に倒れる。9月22日、脳腫瘍と診断される。9月23日、ピッツバーグのスタンリー・シアターでラスト・コンサートを決行、【Get Up, Stand Up】でコンサートを終える。

1977年、ツアー中に足の親指を痛め、医師に悪性のメラノーマと診断され、親指を切断することを勧められたが、宗教的な理由でこれを拒否。代わりに爪と爪床が取り除かれ、腿から皮膚を移植。

病気にもかかわらず彼はツアーを続け、1980年にはワールド・ツアーを予定していた。脳にできていた腫瘍はやがて全身に転移し、手を付けられない状態まで悪化した。

1980年10月7日、ニューヨークで放射線療法を開始。11月4日、母セデラや妻リタの勧めで、セラシエ皇帝が属していたエチオピア正教会の洗礼を受ける。洗礼名ベラーネ・セラシエ(三位一体の光の意)。11月9日、西ドイツの病院に移り自然療法を受ける。集中治療のため、ドレッド・ロックも切り落としてしまう。同月、エチオピアへ静養に出かける。12月、再びドイツで治療を受ける。

1981年4月、ジャマイカの名誉勲位であるメリット勲位が贈られる。5月9日、チャーター機で母のいるマイアミに戻り、シダーズ・オブ・レバノン病院に入院。5月11日、午前11時30分過ぎ、妻と母に見守られながら他界。

息子ジギーへの最後の言葉は、「お金は命を買えない」だったという。最終的な死因は脳腫瘍と腫瘍の肺への転移によるものとされている。36歳没。

14日、マイアミの自宅で葬儀と追悼式が行われる。19日、遺体がジャマイカに戻る。21日、キングストンにて国葬。葬儀の前には、残されたザ・ウェイラーズのメンバーによる演奏が行われた(「Rastaman Chant」「Natural Mystic」)。

葬儀は、エチオピア正教会とラスタファリの伝統の要素を組み合わせたものだった。その後、セント・アンの生家近くに、お気に入りのデニムジャケットに身を包み、元に戻されたドレッド・ロック、ギター、指輪、聖書と共に埋葬された。当時のジャマイカ首相エドワード・シアガは、次のように言い、追悼の辞とした。

 

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Redemption Songについて


【Redemption Song】は、音楽好き、特にレゲエ好きならば皆知っていると思う。

Bobが最後に歌った歌、ラスト・シングルである。

つまりBobが人生の終わりに歌った歌であり、この曲が私たちへのメッセージなのだ。

【Redemption Song】は、真剣な歌詞であり、重いテーマを扱っている。

それは当時のBobの心境が影響していると思う。

この曲を製作中Bobは、自分に残された時間が限られていることを知っていたからだ。

1977年夏、足指の爪の下に悪性黒色腫が見つかり、医者は親指を切断することを勧めたが、彼は宗教上の理由もありこれを拒否し、ツアーと曲作り、レコーディングを続行した。

だが、Bobの容態は悪くなり、苦しみながら、倒れながらも必死に頑張ったのである。

妻のリタは、激しい痛みを感じていた当時の彼について、「免れることの出来ない死と向き合っていた…特にこの曲においては」と明かしている。

【Redemption Song】の初レコーディングでは、ザ・ウェイラーズがバックを務めている。

Bobは、15ヴァージョンを彼らと一緒にした。

アコースティック・テイクや、ジャマイカン・ミュージックでは、歌詞を書き換えたレゲエ・サウンド・システム向けのカットなども数曲制作したらしい。

このヴァージョンの幾つかは、スカに近いビートを使ったアップビートな内容になっている。

アコースティック・ヴァージョンの方が、よりインパクトがあるかも知れないと言い出したのは、ボブ・マーリーとアイランド・レコードとの契約を取り付けた、同社のボスであり創設者のクリス・ブラックウェルだった。

彼はこれに賛同し、2人の判断は正しかった。

こうして【Redemption Song】のアコースティック・ヴァージョンは、Bob Marley & The Welkers での生前最後のアルバム『Uprising』のラストを飾る曲になったのだ。

 

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【Redemption Song】は今では、世界中で解放の賛歌とみなされている。

高いメッセージ性を持った最も重要なレコードとも言われている。

極度の貧困の中で育った末期患者が、実に穏やかな方法で伝えた極めて重要なメッセージは、現在でも世界中に影響を与え続けている。

The Wailersとレコーディングした幾つかのカットやシングルリリースされた中で最も良かったのたは、1980年9月23日にピッツバーグでレコーディングされた、Bob Dylan 最後のセッションだ。

この2日前、ニューヨーク市内でジョギング中に倒れ、既に病状がかなり悪化していたBobは、ピッツバーグのレコーディングでは、この傑作を、“ささやかな曲”として紹介している。

元祖The Wailers 時代を彷彿させるコンガのドラムが曲を彩り、60年代半ばから彼の音楽の精神的な核となっていたラスタのドラマーたちのように、ベース・ドラムが心臓の鼓動のように、ダブル・テンポでプレイされる。

 

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史上最も売れている音楽アーティストの一人としてランク付けされているBob Marly。

推定売上高は世界中で7,500万枚を超え、彼の音楽と思想は数多くの人々に多大な影響を与えた。

それは、彼が死んだ今、現代でも変わらない。

彼の生き様や思想、音楽は多くの人々に、今も影響を与え、強いメッセージが生きる指針にさえなっていると思う。

この歌詞はパン-アフリカニストの演説者であるMarcus Garveyのスピーチを引き合いに出しているのが鍵だと言える。

自由を求める事は重要だし、その為には、自分が縛られている奴隷制度から解放されなければならない、と言うことだ。

アフリカンの中には、自分が知らない内に、奴隷制度に縛られているひとが少なくない。

祖先や両親の過酷な体験を聞いたり、歴史を学ぶ内に知ったり、色々な状況で自分たちより前の世代が、奴隷制度に苦しめられた事が、間接的に、時には直接的に影響されていると言う。

その呪縛から自分を解き放つことが幸せの第一歩だと、この曲は言っているのである。

それも格好つけた美辞麗句ではなく、お涙頂戴の演歌節でもなく、Bob 自身が辛い人生を経験したからこそ見えた真実や希望を、素直な言葉で書き表すからこそ、歌詞が私たちの胸に響くのだ。

「自由の歌だ」と歌うBob。

それが彼の願いなのだ。

誰もが自分の幸せを追求できる世界。

その日が来ることを願っている。

そして、幸せを平等に得られる世界を築くことが、私たちに課せられた義務であり、私たちの希望なのだ。

Won’t you help to sing
These songs of freedom?
‘Cause all I ever have
Redemption songs
Redemption songs

一緒に。

力を合わせて自由の世界を手に入れよう。

それこそが私たちの希望だ。

and love each other.

 

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“Redemption Song” is a song by Bob Marley. It is the final track on Bob Marley & the Wailers’ ninth and final album made when he was alive, Uprising, produced by Chris Blackwell and released by Island Records.

At the time he wrote the song, circa 1979, Bob Marley had been diagnosed with the cancer in his toe that later took his life. According to Rita Marley, “he was already secretly in a lot of pain and dealt with his own mortality, a feature that is clearly apparent in the album, particularly in this song”.

Unlike most of Bob Marley’s tracks, it is strictly a solo acoustic recording, consisting of his singing and playing an acoustic guitar, without accompaniment. The song is in the key of G major.

“Redemption Song” was released as a single in the UK and France in October 1980, and included a full band rendering of the song. This version has since been included as a bonus track on the 2001 reissue of Uprising, as well as on the 2001 compilation One Love: The Very Best of Bob Marley & The Wailers. Although in live performances the full band was used for the song, the solo recorded performance remains the take most familiar to listeners.

In 2004, Rolling Stone placed the song at #66 among “The 500 Greatest Songs of All Time”. In 2010, the New Statesman listed it as one of the Top 20 Political Songs.

On February 5, 2020 (on the eve of what would have been his 75th birthday) Marley’s estate released an official animated video for the song. This also commemorated the 40th anniversary of the song’s release.

 

Unlike most of Marley’s works, “Redemption Song” is a strictly solo acoustic track with no sign of the reggae style present in nearly everything else he has made. Instead, it is a deeply contemplative and personal song that evoked the sound and style of another Bob: Bob Dylan. Nonetheless, an alternate version with a full band arrangement was eventually released as a bonus track on the 2001 reissue of Uprising and the compilation One Love: The Very Best of Bob Marley & The Wailers.

Some key lyrics derived from a speech given by the Pan-Africanist orator Marcus Garvey.

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Personnel

Bob Marley – vocals, acoustic guitar, production

With Bob accompanying himself on Guitar, “Redemption Song” was unlike anything he had ever recorded: an acoustic ballad, without any hint of reggae rhythm. In message and sound it recalled Bob Dylan. Biographer Timothy White called it an ‘acoustic spiritual’ and another biographer, Stephen Davis, pointed out the song was a ‘total departure’, a deeply personal verse sung to the bright-sounding acoustic strumming of Bob’s Ovation Adamas guitar.

— James Henke, author of Marley Legend

 

The song urges listeners to “Emancipate yourself from mental slavery,” because “None but ourselves can free our minds.” These lines were taken from a speech given by Marcus Garvey in at St. Phillip’s African Orthodox Church in Sydney, Nova Scotia, during October 1937 and published in his Black Manmagazine:

We are going to emancipate ourselves from mental slavery because whilst others might free the body, none but ourselves can free the mind. Mind is your only ruler, sovereign. The man who is not able to develop and use his mind is bound to be the slave of the other man who uses his mind …

In 2009, Jamaican poet and broadcaster Mutabaruka chose “Redemption Song” as the most influential recording in Jamaican music history.

In 2017 “Redemption Song” was featured in series 25 of BBC Radio 4’s Soul Music, a documentary series exploring famous pieces of music and their emotional appeal, with contributors including Marley’s art director Neville Garrick, Jamaican Poet Laureate Lorna Goodison, Grammy Award-winning artist John Legend, and Wailers guitarist Don Kinsey.

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