Marvin…R.I.P. and…
I’d like to say Happy Birthday,Marvin Gaye💕
愛と平和を願い、それ故に苦悩する男。
それがLyraのイメージするMarvin Gaye マーヴィン・ゲイだ。
ブラック、ソウルのアイデンティティを築いた偉大なるシンガーソングライター。
だけど繊細な心でトラウマと戦う一人の男。
明日はMarvinの誕生日。そして今日は命日。
彼を思うと複雑な春の嵐が吹くみたい。
令和の世界は平和になる?
今日Lyraが和訳するのは、アメリカ合衆国 ワシントン州出身のシンガーソングライター、ミュージシャン、プロデューサーである Marvin Gaye マーヴィン ・ゲイ(出生名 Marvin Pentz Gay Jr. マーヴィン ・ペンツ・ゲイ・ジュニア)(1939年4月2日 – 1984年4月1日)。
素晴らしい歌声のソウルシンガーであると共に、LyraはMarvinがブラックミュージック、ソウル、R&Bのあり方や存在意義までを築くきっかけになったシンガーソングライター、プロデューサーの先駆けになった人物だと言いたい。
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首都ワシントンD.C.に、ペンテコステ派の説教師であった父マーヴィン・シニアと母アルバータ(旧姓クーパー)のもとに生まれた。
地元の教会で聖歌隊に参加したことがシンガーとしての第一歩で、歌とピアノやドラムといった、楽器の演奏技術も習得し、音楽の下地を養った。
しかし、音楽に没頭するきっかけは、厳格な父による躾の範囲を越えた精神的虐待であったと言う。これが後の彼の人生にトラウマとして遺ることになる。
今日Lyraが和訳する曲は、Marvin Gayeの1971年1月20日リリースの19枚目のスタジオアルバムに収録されているアルバム名と同じタイトルの大ヒット曲であり、Marvinの再起したきっかけとなった曲、 【What’s Gogin On】(シングルは、1971年1月17日リリース)。
ポップ・アルバム・チャート6位、R&Bアルバム・チャート9週連続1位という成功を収め、Marvinが射殺された1984年にも再度アルバム・チャート入りし、154位を記録している。
アメリカ議会図書館は、2003年度の国立録音資料登録の一つとして本作を選出。
アメリカの世相を知る上でも重要な曲であると思います。
詳しい解説は、LyraのHipな和訳の後に、又お話ししましょう!
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Marvin Gaye (born Marvin Pentz Gay Jr.; April 2, 1939 – April 1, 1984) was an American singer, songwriter and record producer. Gaye helped to shape the sound of Motown in the 1960s, first as an in-house session player and later as a solo artist with a string of hits, including “Ain’t That Peculiar”, “How Sweet It Is (To Be Loved By You)” and “I Heard It Through the Grapevine”, and duet recordings with Mary Wells, Kim Weston, Diana Ross and Tammi Terrell, later earning the titles “Prince of Motown” and “Prince of Soul”.
“What’s Going On” is a song by Marvin Gaye, released in 1971 on the Motown subsidiary Tamla. Originally inspired by a police brutality incident witnessed by Renaldo “Obie” Benson, the song was composed by Benson, Al Cleveland and Gaye and produced by Gaye himself. The song marked Gaye’s departure from the Motown Sound towards more personal material. Later topping the Hot Soul Singles chart for five weeks and crossing over to number two on the Billboard Hot 100, it would sell over two million copies, becoming Gaye’s second-most successful Motown song to date.
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= What’s Going On=
[Intro]
Mother, mother
There’s too many of you crying
Brother, brother, brother
There’s far too many of you dying
You know we’ve got to find a way
To bring some loving here today – Ya
[Verse 1]
Father, father
We don’t need to escalate
You see, war is not the answer
For only love can conquer hate
You know we’ve got to find a way
To bring some loving here today
[Chorus]
Picket lines and picket signs
Don’t punish me with brutality
Talk to me, so you can see
Oh, what’s going on
What’s going on
Ya, what’s going on
Ah, what’s going on
[Bridge]
In the mean time
Right on, baby
Right on
Right on
Mother, Mother everybody thinks we’re wrong
Oh, but who are they to judge us
Simply because our hair is long
Oh, you know we’ve got to find a way
To bring some understanding here today
Oh
Picket lines and picket signs
Don’t punish me with brutality
Talk to me
So you can see
What’s going on
Ya, what’s going on
Tell me what’s going on
I’ll tell you what’s going on – Uh
Right on baby
Right on baby
こちらは、1972年のLive です。
少し長めのバージョン。
ピアノの弾き語り。
聴いている人々に注目。
優しい歌声。
皆聞き入っている。
人の悲しみや辛さを包み込むようかの歌声だからだ。
それは、自らが深い悲しみを抱いているからなせる技であり、嘘偽りがない悲しみと優しさが人の心を打つからだ。
だが、それだけではない。
皆が真剣に聞き、中には辛辣な表情も浮かべているものもいる。
それは、強いメッセージが込められているからだ。
社会悪と言う人間が作り出してしまう理不尽な世界。
そして、ずっと続くアメリカが抱える闇を露呈する歌詞だ。
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学業を終えたMarvinは、空軍に入隊・除隊後にドゥーワップ・コーラスグループ「マーキーズ」の一員として活動を開始する。
ロードに出て実力をつけたMarvinは、デトロイトのライブ中に、モータウンレコードの社長であるベリー・ゴーディ・ジュニアにその才能を見出され、ソロシンガーとしてのキャリアを踏み出すこととなる。この時に姓の表記を「Gay」から「Gaye」に変更した。
モータウン所属当初はドラマーを兼任。そのため優れたスタジオ・ミュージシャンとの親交を深めた。
この経験が後に、楽曲を制作する際に、適材適所で、ミュージシャンを起用し、演奏者の技術を最大限に引き出すという点に生かされていくこととなる。
特にベーシストのジェームス・ジェマーソンは彼の作品に大きな貢献を果たし、数々の作品を生み出すこととなる。
やがてソロシンガーとしていくつかの作品を出すうちに、少しずつシングルの売上も伸び始め、また、社長の実の姉であるアンナと結婚したことも弾みとなってか「悲しいうわさ」、「キャン・アイ・ゲット・ア・ウィットネス」、「プライド・アンド・ジョイ」「ハウ・スウィート・イット・イズ」「アイル・ビー・ドゴーン」などのヒット曲を生み出した。
特に1960年代中期で彼の人気を決定付けたのは、同レーベル所属歌手のタミー・テレルとのデュエットである。息の合った二人のデュエットは高い人気を誇り、「エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ」や「エイント・ナッシング・ライク・ザ・リアル・シング」「ユア・プレシャス・ラヴ」などの曲を数多く世に送り出した。また、69年にはソロとして「悲しいうわさ」の大ヒットつ。
しかし、1970年にタミー・テレルが脳腫瘍により24歳で夭折したことがきっかけで、一時期音楽活動を休止してしまう。
パートナーであった彼女の不在と共に、刻々と変化する時代に対して、自分が今までの持っていた音楽性に疑問を持ち始めたことも大きな要因であった。悲しみに打ちひしがれ、しばらくブランクが開いてしまう。
その後、ベトナム戦争から復員してきた弟フランキーと再会したことをきっかけに、また新たな音楽性を示すこととなる。
ベトナム戦争から帰還した弟から戦場の様子を聞き、反戦曲であるこの【What’s Going On】をモータウンの専属作家の Al Cleaveland アル・クリーヴランド、Fourtops フォー・トップスのメンバーの Renaldo Benson レナルド・ベンソンらと共に書き上げた。
モータウンの社長ベリーは当初この曲を気に入らず、シングルとしてリリースを反対した。
だが、Marvinは諦めずに、「リリースしなければ残りの曲のレコーディングもしない」と反論。そして、最終的には1971年1月20日、アルバムに先駆けてシングルとして発表され(B面は【God Is Love】) Billboard Hot 100で2位、R&Bチャートでは1位を記録。
この曲のヒットを受けて、社長は残りの曲のレコーディングを指示し、5月にアルバムが完成した。
2曲目【What’s Happning Brother】は、弟に捧げられた反戦歌で、アルバムを通じて貧困、警察の横暴、ドラッグ問題、児童遺棄、都市の退廃、秩序不安といったアメリカの社会問題について言及されている。
アルバムを通して瑞者に【What’s Going On】のメロディが流れるというアイディアは、コンセプト・アルバムだ。
その指標をかれは表したと共に、自分の表現を妥協せずに貫く姿勢は、モータウン初のセルフ・プロデュースであり、同時期にセルフ・プロデュースの路線にシフトしたスティーヴィー・ワンダーにも影響を与えて今現在のミュージシャンの先駆けとなったのである。
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Marvinが人々に衝撃を与えたのは、このアルバムが、ベトナム戦争や公害、貧困といった社会問題を取り上げた歌詞と、それに対する苦悩を赤裸々に表現したマーヴィンの歌唱であった。
自分の感じたままのことを干渉されずに作品にまとめ上げるというこのセルフ・プロデュースの姿勢は、同世代に活躍した黒人ミュージシャンに大きな影響を与え、 Danny Hathaway ダニー ・ハサウェイ (Someday We’ll All Be Free いつかじゃなく必ず自由を手にする為に! 和訳 参照)や Stevie Wonder スティーヴィー・ワンダー、Curtis Mayfield カーティス・メイフィールドなどのアーティストが、自分の才能で個人的世界を音楽に反映し、意欲的で充実した作品を生み出すことになった。
彼らの音楽は「New Soul 」と呼ばれ、80年代のアレクサンダー・オニールら次世代の黒人アーティストにも受け継がれる。
さたにマーヴィンは、より私小説的な内容の作品を数多く生み出していく。72年にはサントラ盤『トラブル・マン』を発表。恋人への愛情と性への欲求を表現した『レッツ・ゲット・イット・オン』(1973)などヒットを飛ばすが、先妻との泥沼の離婚調停や二度目の結婚生活の破綻、自身の薬物依存などが原因で70年代後半は、破産した転落人生を送ることになる。
だが、彼の才能を惜しむ後援者が積極的に援助をしてくれたおかげで、音楽活動に復帰して行く。1980年のモントルーでのライヴから1982年移籍したCBSコロムビアより『Midnight Love』をリリース。シングルカットされた【Sexual Healing】も全米シングルチャートの3位を記録するヒットとなった。翌1983年には、マイケル・ジャクソンやスティーヴィー・ワンダーらを抑え、グラミー賞を受賞するなど健在振りを見せつけた。
だが、1984年4月1日 の12時半頃、自宅で両親の喧嘩を仲裁した際に父と口論になり、激昂した父が拳銃を発砲、放たれた2発の弾が胸部と肩に命中し、病院に運ばれる前に死亡した。
その日はMarvinの45回目の誕生日の前日だった。皮肉なことに使われた拳銃は生前にMarvin からプレゼントされたものだった。4月5日自宅前でマーヴィンの告別式が行われ、モータウン時代の盟友を含め1万人以上の人々が参列した。父Marvin senior は裁判で故殺(Voluntary manslaughter)の認定を受け、判決で6年の執行猶予と5年の保護観察を言い渡され、1998年に肺炎で死去した。
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Marvinの功績は計り知れない。
黒人のセルフプロデュースなど考えられない時代でやってのけ、反戦、平和を唱えるために、社会悪や人種差別、広がる公害や暴力への問題定義をかかげる素晴らしい一つの芸術作品と言って良いアルバムを作り上げたのだから。
おまけに、そのアルバムは反戦と平和と言う太いテーマにそったコンセプトアルバムと言った点でも画期的であり初の試みであり、後にかれに続くアーティスト達の指標になったのだから、Marvinという音楽家の才能と努力とたゆまない行動力と諦めない意志の強さをLyraはリスペクトしている。
その強さの源はLyraは、愛だと思う。
愛する人、恋愛関係ではなかったとMarvinは言っていたが、モータウン時代の歌のパートナーとして若い時からペアを組んでいたTammi Terrellが亡くなったショックで歌えなくなってしまった。
その空気感と絶望感はかりしれないものだった。生きる術もなくした時に、彼をまた歌の世界に引き戻したのは、愛する弟の手紙、ヴェトナム戦争の悲惨さと残酷さを知ったことだ。
その恐ろしはを知り愕然としていた時にRenald “Obie”Bensonからツアー中に見たバークレイの惨劇を元にした曲の歌詞と完成していない構想とメロディを聞いたことで、音楽で戦いを止めよう、悪を排除しようと思い立ち、また、この音楽の世界に舞い戻ってきたのだ。
それは、愛ではないか?
人々を平和で笑える世界で生きていけるようにと強く願う愛ではないだろうか?
Renaldは、ツアー中にバークレイの市民公園で警察に暴行を受ける黒人の若者を見てショックを受けたのだ。
ただ、戦争を反対しているだけで殴られる黒人の若者。その不条理の風景に「一体これはなんなんだ?」と怒りがこみ上げてきたのだ。
それを仲間でたあるAl Clevelandと話し合い曲にしたが、ただのプロテストソングとバンドメンバーに言われて頭来て曲は完成しなかったのだ。
だって、Renaldがこの曲で言いたかったのは「愛と平和」だからだ。「理解し合える世界」を願っているだけだ。
それを、真逆な意味に捉えられて頭に来てしまい、また、曲としてまとまらない為にお蔵入りになった。
それを、反戦を願っていたMarvinと出会った事で、Marvinが歌詞を変えて、コンセプトはそのままに、美しいメロディを作り、未完成な曲にタイトル【What’s Going On】と言う命をも吹きこんだのだ。
いつもLyraは思う。素晴らしい曲は、人を呼ぶと。
才能がある作詞家とサウンドの作り手を呼び、その曲を多くの人に聞かせる力を持った表現者に歌わせるのだと。
運命がMarvin たちを引き合わせ、Marvinに歌わせたのだと思う。
素晴らしい歌声は、多くの人々に届いたのだ。
あの当時の人は驚いたに違いない。
発言権を持ったブラックの登場に。
悪を悪と表し、世の中に起きていることを世界中に知らしめたことに度肝を抜いただろう。
Marvinの悲しみは死ぬまで続いた。不仲の父に理解されない寂しさ。
愛のない自分。
だが、歌の中での彼は輝いている。
特にこの【What’s Going On】の中に彼の全てが入っているのが分かるでしょう?
平和を願う彼の叫びは、自らの幸せを願う声でもあり、真実の叫びだ。
「一体今、何が起きているの?」と問いながら「話してくれよ」と繰り返えす歌詞。
これは、愛する人と「話し合いたい」と言うMarvinの願いだったのかもしれない。
それが彼のしたいことだったのだ。
話し合い、わかりあう、、、それがMarvinの考える愛なのだ。
そのメッセージは、美しいメロディ【What’s Going On】で世界中に広まり、今、現在も彼の歌声は、優しく鳴り響く。
何が、変わっただろうか?
Marvinの思い描いた愛のある世界は、今現在あるの?
戦いは終わったの?
醜い争いや
肌の色の違いからくる不当の扱いはなくなったのだろうか?
今現在の状況を見たらMarvinは何というだろうか?
あの優しい表情で、きっと目からは絶望の涙が零れおちるのではないだろうか?
何も変わっていないのがもどかしい。
何も学んでいないのが悔やまれる。
だが、何もしないでいてはいつまでも終わらない。
醜い争いや、差別をなくし、おかしな破壊された地球がこれ以上、悪循環に陥らないように止めなければならない。
今こそ【What’s Going On】を世界中に轟かせなければならない、そんな気がする。
まだ、遅くはない。
今、私たち一人一人の気持ちが正の方向に向かえば、まだ引き止めることができるだろう。
今、一人一人が意識し、声を上げれば不当な扱いが終わるかもしれない。
もう一度、目を見開いて世界を見るのだ。
そして、悪の世界を止める。
そのために立ち上がるのだ。
間違いを間違いだと、悪を悪だと言える世界がまだあるのなら、
他人事にせずに声をあげよう!
What’s Going On?
Talk to me so you can see,
What’s Going On?
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By the end of the 1960s, Marvin Gaye had fallen into a deep depression following the brain tumor diagnosis of his Motown singing partner Tammi Terrell, the failure of his marriage to Anna Gordy, a growing dependency on cocaine, troubles with the IRS, and struggles with Motown Records, the label he had signed with in 1961. At one point, Gaye attempted suicide at a Detroit apartment with a handgun, only to be saved from committing the act by Berry Gordy’s father. During this time, Gaye began experiencing international success for the first time in his career following the release of “I Heard It Through the Grapevine” and subsequent hit singles such as “Too Busy Thinking About My Baby”, “Abraham, Martin & John” and “That’s the Way Love Is”. But Gaye was in no mood to celebrate: “My success didn’t seem real. I didn’t deserve it. I knew I could have done more. I felt like a puppet—Berry’s puppet, Anna’s puppet. I had a mind of my own and I wasn’t using it.”
During this time, Gaye was able to prove his worth as a producer, producing several songs for Motown vocal group The Originals. The songs, “Baby, I’m for Real” and “The Bells”, became hits as a result. On March 16, 1970, Terrell succumbed to her illness, a month before her 25th birthday. Gaye dealt with Terrell’s death by going on a prolonged seclusion from the music business. After his success with the Originals, Gaye changed his look, ditching his clean-cut, college boy image to grow a beard and dressing more casually, wearing sweatsuits. Gaye also pierced his ear in defiance and stood up to Motown executives who felt he should have been touring. He also began working on fixing his personal issues, re-embracing his spirituality and also attended several concerts held by the Detroit Symphony Orchestra, which had been used for several Motown recordings in the 1960s. Around the spring of 1970, Gaye also began seriously pursuing a career in football with the professional football team the Detroit Lions of the NFL, even working out with the Eastern Michigan Eagles football team. However, Gaye’s pursuit of a tryout with the Lions was stopped after being advised that an injury would derail his music career, leaving him upset. Despite this, Gaye would befriend three of the Lions teammates, Mel Farr, Charlie Sanders and Lem Barney, as well as the Detroit Pistons star and future Detroit mayor Dave Bing.
The song’s inspiration came from Renaldo “Obie” Benson, a member of the Motown vocal group the Four Tops, after he and the group’s tour bus arrived at Berkeley on May 15, 1969. While there, Benson witnessed police brutality and violence in the city’s People’s Park during a protest held by anti-war activists in what was hailed later as “Bloody Thursday”. Upset by the situation, Benson said to author Ben Edmonds that as he saw this, he asked, “‘What is happening here?’ One question led to another. Why are they sending kids so far away from their families overseas? Why are they attacking their own children in the streets?”
Upset, he discussed what he witnessed to friend and songwriter Al Cleveland, who in turn wrote and composed a song to reflect Benson’s concerns. Benson wanted to give the song to his group but the other Four Tops turned down the request. “My partners told me it was a protest song”, Benson said later, “I said ‘no man, it’s a love song, about love and understanding. I’m not protesting, I want to know what’s going on.'” In 1970, Benson presented the untitled song to Marvin Gaye, who added a new melody and revised the song to his liking, adding in his own lyrics. Benson later said Gaye tweaked and enriched the song, “added some things that were more ghetto, more natural, which made it seem like a story than a song… we measured him for the suit and he tailored the hell out of it.” Gaye titled it “What’s Going On”. When Gaye initially thought the song’s moody feel would be appropriate to be recorded by The Originals, Benson convinced Gaye to record it as his own song.
Gaye, himself, had been inspired by social ills committed in the United States, citing the 1965 Watts riots as a turning point in his life in which he asked himself, “‘With the world exploding around me, how am I supposed to keep singing love songs?'” Gaye was also influenced by emotional conversations shared between him and his brother Frankie, who had returned from three years of service at the Vietnam War and his namesake cousin’s death while serving troops. During phone conversations with Berry Gordy, who was vacationing in the Bahamas at the time, Gaye had told Gordy that he wanted to record a protest record, to which Gordy said in response, “Marvin, don’t be ridiculous. That’s taking things too far.”
Personnel
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Discography
- Studio albums
- The Soulful Moods of Marvin Gaye (1961)
- That Stubborn Kinda Fellow (1963)
- When I’m Alone I Cry (1964)
- Hello Broadway (1964)
- How Sweet It Is to Be Loved by You (1965)
- A Tribute to the Great Nat “King” Cole (1965)
- Moods of Marvin Gaye (1966)
- I Heard It Through the Grapevine (1968)
- M.P.G. (1969)
- That’s the Way Love Is (1970)
- What’s Going On (1971)
- Trouble Man (1972)
- Let’s Get It On (1973)
- I Want You (1976)
- Here, My Dear (1978)
- In Our Lifetime (1981)
- Midnight Love (1982)
- Collaborative albums
- Together (with Mary Wells) (1964)
- Take Two (with Kim Weston) (1966)
- United (with Tammi Terrell) (1967)
- You’re All I Need (with Tammi Terrell) (1968)
- Easy (with Tammi Terrell) (1969)
- Diana & Marvin (with Diana Ross) (1973)
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