ダニー・ハサウェイ Someday We’ll All Be Free 和訳いつかじゃなく必ず自由を手にする為に! Donny Hathaway

ニューソウルを牽引していた天才シンガー、Donny Hathaway(ダニー・ハサウェイ )。

公民権運動やキング牧師暗殺という時代背景に彼ほどマッチした歌い手はいなかった。

Walking Deadネタはとうの昔に書き終わっているからそちらをアップしなきゃいけないけれど、それよりも、こちらを読んで欲しいから先にしちゃう、ワガママな私。

ダニー・ハサウェイ(Donny Hathaway、1945年10月1日 Chicago, IL- 1979年1月13日New York NY)は、アメリカのミュージシャン、シンガーソングライター。

 

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ダニー・ハサウェイ(ダニー・エドワード・ハサウェイ)がデビューした時代は、平和解放の運動と同じように、黒人音楽もR&Bからソウル・ミュージックへと歴史的な過渡期を迎えていた。

70年代初頭のソウルミュージックは熱い。

スティーヴィー ・ワンダー、マーヴィン・ゲイと共に稀代の天才シンガーがこのダニー・ハサウェイだ。

ダニー・ハサウェイ がいなかったら、今のフリー・ソウル・ブームもなかったのではないか?

33歳という若さで亡くなったダニーだが、その短い人生の中で素晴らしい名曲をどんどん生み出して行った。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第49位というのも、時代を超えたソウルシンガーとして今尚、健在している証と言えよう。

ダニーは生まれてすぐセントルイスのゴスペル・シンガーだった祖母のマーサ・クラムウェルに育てられ、すでに3歳の頃から祖母のゴスペル・グループでウクレレの弾き語りをしていた。

同時に、クラシックを学び、アカデミックな音楽知識を身に付け、1964年にワシントンDCの黒人大学の名門、ハワード大学に入学。ピアノと音楽理論を専攻した彼は奨学金を受ける優秀な学生だった。

ポピュラー音楽に浸透したのもこの大学時代で、後に深い関りを持つロバータ・フラックやリロイ・ハトソンと知り合ったのもこの時代だ。

大学に通いながらDrumsのリック・ポウェルが率いていたジャズ・トリオのピアニスト/オルガニストとしてワシントンDCのクラブで演奏するようになる。(教会以外で歌う初ライブ)。

大学中退後、彼は妻と一人娘レイラを連れ、故郷のシカゴへ戻り、カーティス・メイフィールドのカートム・レーベルでアレンジャーとして活動開始。

1966年にリロイ・ハトソンがリード・シンガーを努めていたメイフィールド・シンガーズの一員としてシングル「I’ve Been Tryin’ If」を録音。

1969年にはジューン&ダニー名義(ジューン・コンクェスト)のシングル「I Thank You Baby」を発表する一方、プロヂューサー/ライターとして、アレサ・フランクリンやジェリー・バトラー、ステイプル・シンガーズ、カーラ・トーマス等を手掛け、インプレッションズのバンド・ディレクターも努めた。

その後、カートムを離れ、スタックスやオン・トップ・レーベルなどでも裏方として活動を続けて行くダニー。

やがてキング・カーティスと出会い、彼の後押しを受け1970年、アトランティック・レコードと契約。

記念すべきデビュー・アルバムが「Everything Is Everything/新しきソウルの光と道」である。

アメリカ社会の厳しい現実や、黒人の苦悩や誇り、神への感謝と純粋な愛を歌い綴ったソウル史に残る傑作であり、故キング牧師の意志を受け継ぐその姿勢に多くの同胞の共感を得た。

初のシングル「The Ghetto」がR&Bチャート23位を獲得、ニュー・ソウルの旗手と脚光を浴びる。

翌1971年、アルバム「Donny Hathaway」を発表。「Giving Up」がヒット。

1972年、ライヴ・アルバムを発表。マーヴィン・ゲイの「What’s Going On」を歌い上げる彼の歌唱力のすごさを世に知らしめた。

同年に、クィンシー・ジョーンズの招きで映画「Come Back Charleston Blue」のスコアを担当、

翌1973年「Extention Of A Man/愛と自由を求めて」を発表。社会的メッセージと崇高な愛を歌い上げ、「Love Love Love」や、映画 「マルコムX」 にも使われたアレサ・ヴァージョンの今日紹介している曲、「Someday We’ll All Be Free」を発表した。

こうしたアーティストとしての順調満帆に見えるダニーのキャリアと違い、彼の理念と矛盾した現実とのギャップに悩み苦しんで行くダニー。

ダニーは、うつ病の為、入退院を繰り返すようになり、音楽活動にも大きな影響を与えてしまう。

1977年、未発表ライヴ・テイク集「In Performance」を経て、本格的な復帰作となるロバータ・フラックとの再共演アルバムのレコーディングを開始。シングルのみのリリースとなった名曲「The Close I Get To You」は久々の大ヒットとなった。

しかし、ダニーはアルバム録音中の1979年1月13日N.Y.のアパートの15階から飛び降り自殺。33歳というあまりにも短い生涯に自ら終止符を打ってしまった。

後世のアーティスト達に多大な影響を与え続ける不世出のシンガー、ダニー・ハザウェイ。娘レイラ・ハサウェイも1990年に歌手デビューを果し、彼の歌声や魂は、永遠に生き続けていくのだろう。

優しい歌声、

優しい自由を求めるメッセージを感じて欲しい。

和訳したので読んで見て。

気に入ったら是非聴いてみて。

Someday We’ll All Be Free / Donny Hathaway

『いつか自由に』ダニー・ハサウェイ

Hang on to the world as it spins around
Just don’t let the spin get you down
Things are moving fast
Hold on tight and you will last
Keep your self respect, your manly pride

世界にしがみついていて、地球は回っているのだから

物事は凄い速さで動いているから

降りることはできないんだよ

しっかりつかまっていて、

自分自身を大切にすることが出来れば持ちこたえて行ける、

君のプライドがあれば

Get yourself in gear
Keep your stride
Never mind your fears
Brighter days will soon be here
Take it from me, someday we’ll all be free, yeah

調子よくやって行こう

自分の歩幅を保ってね

恐れなんて気にしないで

ほら、輝ける日々が直ぐそこで待っているよ

信じていい

いつか僕らみんな、自由になれる、そうさ!

 

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Keep on walking tall
Hold your head up high
Lay your dreams right up to the sky
Sing your greatest song
And you’ll keep going, going on
Take it from me, someday we’ll all be free

背筋を伸ばして歩き続けよう

頭を高く上げ

君の夢を空に向けて掲げでごらん

君の素晴らしい歌を歌うんだ

そして歌い続けるだろう、続けて行くんだ

信じていいよ

いつの日か、僕らみんな自由になれる

Hey, just wait and see, some day we’ll all be free, yeah
Take it from me, someday we’ll all be free
It won’t be long, take it from me, someday we’ll all be free
Take it from me, take it from me, take it from me

ねぇ、ちょっと待って、わかるかい?

いつか僕らはみんな自由になれるだろう

そんなに時間はかからないさ

信じていいよ

いつか僕らはみんな自由になれるだろう

信じていいよ

信じていい

信じておくれ

 

優しさと、自由を見つめる人間らしさを歌わせたら彼の右に出るものは果たして何人いるだろうか?

彼の歌声は優しい。

彼の自由と平和を求めるメッセージは強く空に舞い上がる。

でも、アメリカは、ダニーが願った誰しもが自由になれる平和なアメリカになったのだろうか?

「アメリカ大統領に黒人が選ばれたから自由に近づけた」と言う評論家やライターが多いが、彼らは事実を何も知らない。

楽観主義は時として無知を生む。

大統領だろうが黒人というだけで入れないカントリークラブや団体主催のパーティーがあるのを、彼らは知らない。

肌が黒いと言うだけで、地位も知性もあるのに入れないスポーツクラブがたくさんあるのを、彼らは何も知らない。

公に見える事と、実際に行われている事はまるっきり違う。

真実は、大衆には知らされないのだ。

いや、一部の人達にしか見えていないのだ。

うわべだけで人種差別がなくなった、と手を広げている人を見ると吐き気がしてしまう。

地を舐めるような思いや、砂を噛むような屈辱を虐げられている人々はまだまだたくさんいるんだよ。

無知と言うのは本当に恐ろしい。

 

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ダニーハサウェイが願った、また、1970年代の人々が目指した、平和で人種差別のない世界は、いつ手に入るのだろうか?

本当の自由を手にするために、

私たちは真実を見つめ、

上っ面の美しさを剥ぎ取り、

本当の世界をあらわにし、

真実を理解して、

本当の意味での自由を手にするために動かなければいけない。

おかしな世界を見過ごすのは罪だ。

道は険しい。

いつ手に入るかわからない。

でも、私たちは、私たちの次の世代の為に、本当の愛と自由を残してあげなければいけない。

その思いが少しでも貴方にあるならば、

ほんの少しで良いから、

真実を皆に知らせることや、

自由を手にする為に、

声を上げること、

表現すること、

いや、平等に語り合うだけでも、

誰かに優しくするだけでも良い、

動いて行かなければいけない。

そして、挫けそうになったときは、ダニー・ハサウェイの歌を聴こう。

貴方の傷をきっと癒してくれるだろう。

優しい歌声で、、、。

 

ダニー・ハサウェイ
出生名 ダニー・エドワード・ハサウェイ
生誕 1945年10月1日
出身地 アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ
死没 1979年1月13日(33歳没)
ジャンル シカゴ・ソウル, R&B
職業 歌手, ソングライター, アレンジャー
担当楽器 ヴォーカル, ピアノ/キーボード
活動期間 1969-1979
レーベル アトコ・レコード
共同作業者 ロバータ・フラック
アレサ・フランクリン
ジョー・コッカー

 

ソングライター: Donny Hathaway / Eddy Howard
Someday We’ll All Be Free 歌詞 © Warner/Chappell Music, Inc

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