The Mamas and The Papas【California Dreamin’】和訳ストレンジャー・シングスのSpringBreakみたい Not Dream California

色々な意味でバラバラな人達が集まったグループ。

一体感のあるコーラスが美しく、大人気Pop グループのBeach Boysさえもカヴァーした程の名曲を数々生み出した。1960年代を代表する有名なフォークグループ。

なのに、見ていると危い感じ。

それは、各々が進む道が違うのに勧められてとりあえず集まり、ものうげな時代にマッチした歌詞から祭りが来て、やがて当然の如くそれぞれの道へと別れていく。それがバラバラな危うさを出しているのだろう。

この大ヒット曲は、タイトルの為に凄くHappyな曲だと思われがちだが、実は真逆。人をより寂しくしてしまう曲だ。

だからヴェトナム戦争の無駄な戦いに連れ出されてしまう無気力さに悩む若者たちや、体勢に反対しながらも何も出来ずに呑み込まれて行くしかない人々に愛されたのだ。

カリフォルニアと言えば必ずこの曲(か、Beach Boys) がお決まり。あと、このブログで紹介した【The Boys Of Summer】か?

 【The Boys Of Summer/ Don Henley】和訳 夏の終わりにはドン・ヘンリー真実とあの人の影 Shadow o’ U.S.A.

 

丁度リクエストを頂いたのと、最近目立った使われ方もしたから、詳しく知りた方が多いと思うので、今日はLyraが解説&和訳をお届けしますね〜。

この和訳を読みながら曲を聴いて、昔の懐かしい思い出に浸ったり、これから訪れる別れの季節に思いを馳せてみて下さい。

貴方はどんな時を思い描きますか?

今日Lyraが和訳&解説するのは、アメリカ合衆国出身のフォークグループ The Mamas & the Papas ママス&パパス。  

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1965年結成。このグループでの活動は、1971年解散によって終結するが、後にメンバーを変えて再結成する1960年代を代表するフォークグループだ。

今日Lyraが和訳する曲は、1965年12月8日リリースの【California Dreamin’】(邦題: 夢見るカリフォルニア)。

詳しい解説は、LyraのHipな和訳の後に、又お話しましょう!

 

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‘California Dreamin‘” is a song written by John Phillips and Michelle Phillips and first recorded by Barry McGuire. The best-known version is by the Mamas and the Papas, who sang backup on the original version and released it as a single in 1965. The lyrics express the narrator’s longing for the warmth of Los Angeles during a cold winter in New York City. It is recorded in the key of C-sharp minor.

=California Dreamin’ =

[Chorus 1]

All the leaves are brown (All the leaves are brown)

And the sky is gray (And the sky is gray)

I’ve been for a walk (I’ve been for a walk)

On a winter’s day (On a winter’s day)

I’d be safe and warm (I’d be safe and warm)

If I was in L.A. (If I was in L.A.)

California dreamin’ (California dreamin’)

On such a winter’s day

[Verse]

Stopped in to a church

I passed along the way

Well, I got down on my knees (Got down on my knees)

And I pretend to pray (I pretend to pray)

You know the preacher liked the cold (Preacher liked the cold)

He knows I’m gonna stay (Knows I’m gonna stay)

California dreamin’ (California dreamin’)

On such a winter’s day

[Flute Solo]

[Chorus 2]

All the leaves are brown (All the leaves are brown)

And the sky is gray (And the sky is gray)

I’ve been for a walk (I’ve been for a walk)

On a winter’s day (On a winter’s day)

If I didn’t tell her (If I didn’t tell her)

I could leave today (I could leave today)

California dreamin’ (California dreamin’)

On such a winter’s day (California dreamin’)

On such a winter’s day (California dreamin’)

On such a winter’s day

 

 

この世界の全ての葉が茶色だ

(全ての葉が茶色)

それに空は灰色

(それに空は灰色)

散歩に行ってきたんだ

(散歩に行ってきた)

冬の日に

(冬の日に)

俺は居心地良くて

暖かっただろうに

(居心地良く暖かいだろう)

もしロスアンジェルスにいたのなら

(もしロスアンジェルスにいたのなら)

夢見るカリフォルニアよ

(夢見るカリフォルニア)

こんな冬の日には

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途中で通りがかった教会で

立ち止まった

まあな

跪いたりしたよ

(跪いた)

そして祈るフリをした

(祈るフリをした)

説教者は客観的なのが好きだっだろ?

(説教者は客観的が好きだった)

彼は俺が留まるだろうと分かってるんだ

(留まると分かっている)

夢見るカリフォルニアよ

(夢見るカリフォルニア)

こんな雪の日には

 

この世界の全ての葉が茶色だ

(全ての葉が茶色)

それに空は灰色

(それに空は灰色)

散歩に行ってきたんだ

(散歩に行ってきた)

冬の日に

(冬の日に)

もし彼女に話さなかったら

(もし彼女に話さなかったら)

今日出発出来たのに

(今日出発できた)

夢見るカリフォルニア

(夢見るカリフォルニア)

 こんな冬の日には

(夢見るカリフォルニア)

こんな冬の日には

(夢見るカリフォルニア)

こんな冬の日には

 

Songwriters: John Phillips, Michelle Phillips

Translator: Lyra Sky 和訳

 

 

色々な映画やドラマで使われてきたアメリカを代表する名曲と言っていい【California Dreamin’】。

この曲は、はカリフォルニア・サウンドの道しるべとなり、初期のカウンターカルチャー時代の到来を告げた曲だ。 2001年にグラミー殿堂入りもしている。

【California Dreamin】製作秘話

この曲は、John Philipes とMichell Philipes が製作し、Barry McGuire によって最初のはレコーディングがされた。

C-シャープマイナーで作られている。

どこか肯定的な楽観的な性質とは対照的に、これはミシェルとジョン・フィリップスの談話と差し迫った分離への言及だ。

彼らの離婚は、この曲あとの (最高のチャート) ヒット【Monday, Monday】と別のフォローアップ曲【I Saw Her Again】の主題となっている。

Michelle はバンドメンバーの Denny Doherty と関係を持ち、この詩的な反応を呼び起こしている。

彼らはバリー・マクガイアからダンヒル・レコードの責任者であるルー・アドラーを紹介された後、最初のレコード契約を獲得。

アドラーのおかげで、彼らはマクガイアのアルバム『ディス・プレシャス・タイム』で、セッションバンドのレッキング・クルーのメンバーと共に「カリフォルニア・ドリーミン」のバッキング・ボーカルを歌った。

The Mamas & Papas に感銘を受けたアドラーは、リード ボーカル トラックを再録音しデニー ドハーティが歌って、同じインストルメンタルおよびバッキング ボーカル トラックと組み合わせ、バド シャンクによるアルト フルートのソロを即興演奏したと伝えられている。ギターのイントロダクションは P. F. スローンが担当。マクガイアのオリジナルのボーカルは、完全に消去されていないものの、レコードの冒頭で左チャンネルだけシンプルになっている。

このシングルは 1965 年後半にリリースされたものの、すぐにはブレイクしなかった。

リリース時にロサンゼルスでほとんど注目されず、ボストンのラジオ局がこの曲を全国的に広めるきっかけになったのが面白い。本拠地より地方だとは。

1966 年 1 月にチャートにデビュー後、3 月から17 週間続いた Billboard Hot 100 と 20 週間続いた Cashbox の両方で 4 位に。

バリー サドラーの「グリーン ベレーのバラード」は、1966 年のキャッシュボックスの年末調査で 1 位に。【California Dreamin’】も、最初のリリース時に英国チャートで 23 位に達し、1997 年にカーリング プレミアのコマーシャルで使用された後に再チャート化され、9 位でピークに。

ビルボードは、この曲を「よく書かれたコマーシャル素材を備えた魅力的な新しいサウンド」を持っていると説明していた。

この曲は、1994 年の香港映画『重慶急行』で中心的なプロット ポイントとして繰り返し使用されていたのが印象的だ。

そして【ストレンジャー•シングス】でも使われていたのが記憶に新しい。

*【ストレンジャー•シングス4第9話】ネタバレ解説あらすじ予想: Eddie Munson Never Dies感想トリビアStranger Things4-9

 

カリフォルニアを思うマイクの気持ちを表しながら、カリフォルニアで最悪なハイスクールの生活を送っているエルのやるせない気持ちをよく表している曲だと思う。

カリフォルニアの歌詞の部分を、ホーキンスに変えればエルの気持ちを表していると言えるしね。まあ、ホーキンスは暖かくはなくて、ジメジメした寒い日が多い町だけど…。

The Mamas & the Papasとは?

1960年代初め、Cass Elliot が所属していたフォークバンド Big 3 と、Denny Doherty が所属していたバンド Halifax Ⅲ のメンバーが合流し、the Mugwumps が結成された。

このバンドはアルバム発表も出来ないまま解散し(一部のメンバーは The Lovin’ Spoonfulを結成)、Cass Elliot はカリフォルニア州でジャズ・シンガーとして、Denny Doherty はJohn とMichelle Philips 夫妻が所属するフォークバンドNew Journey Men に参加。

このバンドの音楽性は、やがてフォークロックへと変わり、カリフォルニアに活動の場を変え、Cass Elliot と合流。1965年にママス&パパスになる。

1965年11月、【青空を探せGo Where You Wanna Go】でデビュー。同年12月、フィリップス夫妻によって書かれたこの【California Dreamin’】をリリースし、全米4位の大ヒットとなった。

3rd シングル【Monday Monday】は1位にまで昇り、1st アルバム『夢のカリフォルニア(原題If You Can Believe Your Eyes and Ears)』もロング・ヒット。

だが、絶頂の最中に、Michelle Philips とDenny Doherdy の不倫が発覚。1966年、Michelle は夫John に追い出される形でグループを脱退する。だが、適当な代役が見つからなかったためMichelle は結局復帰。その後は、1966年発売のシングル【I Saw Her Again】が全米5位、2nd アルバム『The Mamas & The Papas』も全米4位に。

1967年2月3rd アルバム『Deliver』が全米2位を記録。【愛する君に(Dedicated to the One I love)】が全米全英共に2位。【クリーク・アリー】も全米最高5位。

同年6月16日から3日間開催されたモンタレー・ポップ・フェスティバルに出演。ジョンはフェスティバルのテーマソング的役割を果たす【San Francisco (Be Sure to Wear Flowers in Your Hair) 花のサンフランシスコ】を書き上げ、「ジャーニーメン」時代の同僚 Scott McKenzie が歌ったシングルは全米4位を記録した。同年【Twelve Thirty (Young Girls Are Coming to the Canyon 朝日をもとめて】【Glad to Be Unhappy 悲しみを幸せに】などがヒット。

しかしJohn と Michelle の夫婦仲が再びダメになり、1968年になると、グループは完全に崩壊。各メンバーはそれぞれ個人的な活動を始めた。

契約上制作しなければならなかった最後のアルバム『People Like Us』は、メンバーがそれぞれ個別に各自で収録し曲をまとめてリリースされた。

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歌詞について

歌詞を簡単にまとめると、ニューヨーク市の寒い冬の間、ロサンゼルスの暖かさへの、主人公の憧れを表現している曲だ。

 60 年代を象徴する、ロック/フォーク カリフォルニアを拠点とするバンドによる最も有名な曲だが、現在進行形の場所は冬の寒空が広がるニューヨークだから、なんとも悲しげでしょう?大体リリースが12月だから全く太陽サンサンな夏じゃない。

それゆえに何も刹那くなるような思い出も状況でもない人ですら、暖かい夏を「良いなあ〜」と焦がれる気持ちに共感出来るに違いない。

この曲は、これまでのトップ 100 曲の中で何回も顔を出すヒット曲で、 Barry McGuire (Eve of Destruction」で有名) によって最初に録音され1966 年に大ヒット。60 年代のカウンターカルチャー ムーブメントの定番なのもわかる、華やかな中にある、不安や無気力さがあります。

 

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この曲は1963年、JohnとMichelleが特に寒い冬にニューヨーク市に住んでいたときに書かれたもの。彼女が、晴れたカリフォルニアが恋しかったことから生まれた歌詞だが、冷めている2人を表しているようで可哀想な歌詞であり、これからすぐ訪れる悲劇を予感しているようだ。

彼は夜遅くまで曲に取り組み、ある朝、彼女に最初の詩を書いてみせた。当時フィリップスはフォーク・グループのニュー・ジャーニーメンのメンバーであり、それがママスとパパスになり、皆が知っているコーラスグループの形態で披露することになったのである。

ミシェル・フィリップスが、「まあ、私(俺)はひざまずいて、祈るふりをした」という歌詞を書いたらしい。罪の懺悔みたいだ。まさかそんなことになろうとは、、、いやわかっていたからこそ書いたのかも。

Cas Elliotが、オリジナルの録音で始まりを歌っていて、フィリップスによって修正されるまでツアーで歌い続けたらしい。どちらも似た声質だから、何とも言えぬ話だ。

因みに、誰もが認めるギターのイントロ。バリー・マグワイアの「Eve of Destruction」、ジャンとディーンの「Dead Man Curve」など、多くの有名な 60 年代のレコーディングに参加したスローンが弾いている。コーラスの美しい出たしを期待させるイントロだと思う。

曲のほとんどは、グループの半分がセリフを歌い、残りの半分がそれを完璧に調和して繰り返すコーラスで構成されている。歌詞も繰り返しだから強調していく形で効果的で、何となく演劇がかっているみたいだ。

The Mamas & the Papas の調和のとれたサウンドは、彼らの強みの 1 つ。特にBeach Boys やその他のサーファー ロック サウンドを持つグループと共に、彼らは、60 年代のカリフォルニアのグループをこの手のサウンドの「リーダー」として確立したのだ。

最初の詩では、それは男の気持ちを歌っているように、John Philips とDenny Dohardy がリードし、Mama Cath とMichelle Philipsが続く。男女の対比が面白い曲でもある。

John とMichelle Philips は当時 (1963 年) 秋か冬にニューヨークにいて、外を散歩しているとJohn はカリフォルニア生まれの妻のために歌詞を書いたのだが、結構リアルな日常、それも何気ない日常を書いただけの歌詞だ。

教会に立ち寄るのは、曲を書く数日前にマンハッタンの聖パトリック大聖堂を訪れたからで、どうやらそれがらこのセリフのインスピレーションとなったようだ。

カリフォルニア人にとっての気持ちを書いている為、おそらく東部の多くの貧しい魂にとっては信じられない考えが書かれているのも面白い…説教者は〜の歌詞の部分は、 「説教者は石炭に火をつける」と誤解されることがよくある(ただし、60年代には意味があり、適切)、それを、皮肉にして書いているのかもしれない。

あと間奏は、有名なジャズ サックス奏者でありフルート奏者でもあるバド シャンクによるもの。彼のアルト フルート ソロが美しい。より悲しみを誘う枯れ葉を踏んで歩いている情景が浮かぶようだ。

Denny Dohertyは、「彼らがその曲を録音していたとき、彼はソロを望んでいましたが、通常のギターソロは望んでいませんでした。John Philips は彼らがいたハリウッドのレコーディング・スタジオのホールに出て行き、バド・シャンクもその廊下にいました。Johnは、彼をつかみ、スタジオに連れて行きました。シャンクは埋めるべき穴(空いている箇所)に耳を傾け、最初のテイクで皆を釘付けにしましたよ」と、美しいフルートの音色を誉めていた。

イントロ、歌詞、フルートの間奏と全てが一体となって、物悲しい曇り空の下で、暖かいカリフォルニアの太陽の下にいた自分を思い出して、あの場所に帰りたいと思いを馳せている情景を盛り上げている。

歌詞で歌う、暖かくて居心地の良い場所に帰りたいと言う思いは、手に入れたくても手に入らない夢や恋のよう。だから、聞くものを刹那くさせるのだ。

この曲は、夢のようなロマンティックない歌ではない。

夢は儚いもの、手に入らないものと理解して憧れている人間の歌であり、諦めの境地に立った人の歌なのだ。

当時の時代背景を考えれば、抵抗しても無駄と諦めた人間の絶望が、より理解できるだろう。

勿論、ただの曲だから、単純に聞いて「物悲しい曲だ」としんみりするだけでも良い。

ただ生きると言うことは、季節の移ろいや、人生の出会いと別れなどの変化や時の流れを感じながら、今いるこの時も、今この瞬間から過去へと変わってしまう儚いもの。

そんな無情を感じて、人は、時の大切さを思い知るのだ。

貴方は、この曲を聴いてどの時を、どの場所を思い出す?そして誰を?

 

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California Dreamin'” became a signpost of the California sound, heralding the arrival of the nascent counterculture era. It was certified gold by the Recording Industry Association of America in June 1966 and was inducted into the Grammy Hall of Fame in 2001.The song is No. 89 in Rolling Stone‘s list of the 500 Greatest Songs of All Time.

The most recognized song by the iconic ‘60s rock/folk California based band. The song is consistently found among the top 100 songs ever.

Originally recorded by Barry McGuire (of “Eve of Destruction” fame), the song became a big hit in 1966 and a staple in the ‘60s counterculture movement.

From the album If You Can Believe Your Eyes and Ears that also included their most successful chart hit, “Monday Monday.”

The song was written in 1963 while John Phillips and Michelle Phillips were living in New York City during a particularly cold winter, and she was missing sunny California. He would work on tunes late at night and one morning brought her the first verse. At the time, John and Michelle Phillips were members of the folk group the New Journeymen, which evolved into the Mamas and the Papas.

They earned their first record contract after being introduced to Lou Adler, the head of Dunhill Records, by Barry McGuire.  In thanks to Adler, they sang the backing vocals to “California Dreamin'” with members of the session band The Wrecking Crew on McGuire’s album This Precious Time. Adler, impressed with the Mamas and the Papas, then had the lead vocal track re-recorded with Denny Doherty singing and paired with the same instrumental and backing vocal tracks and an alto flute solo by Bud Shank, reportedly improvised. The guitar introduction was performed by P. F. Sloan. McGuire’s original vocal can be briefly heard on the left channel at the beginning of the record, having not been completely erased.

The single was released in late 1965 but was not an immediate breakthrough. After gaining little attention in Los Angeles upon its release, a radio station in Boston was the catalyst to break the song nationwide. After making its chart debut in January 1966, the song peaked at No. 4 in March on both the Billboard Hot 100, lasting 17 weeks, and Cashbox, lasting 20 weeks. “California Dreamin'” and SSgt. Barry Sadler’s “Ballad of the Green Berets” tied for #1 on the Cashbox end-of-the-year survey for 1966. “California Dreamin” also reached number 23 on the UK charts upon its original release, and re-charted after its use in a Carling Premier commercial in 1997, peaking at number nine there.Billboard described the song as having “a fascinating new sound with well written commercial material” and praised Lou Adler’s production.”  Cash Box described it as a “medium-paced, rhythmic shufflin’ romantic woeser with a plaintive, lyrical undercurrent.”

The song is repeatedly used in the 1994 Hong Kong film Chungking Express as a central plot point. and on Season4 of 【Stranger Things】.

 

 

Michelle Phillips wrote the lyrics, “Well, I got down on my knees, and I pretend to pray,” but Cass Elliot had sung “began” on the original recording and had continued doing so on tour until corrected by Phillips.

The universally recognizable guitar intro by P.F. Sloan, who played and participated in numerous well known ‘60s recordings, such as Barry Mcguire’s “Eve of Destruction”, Jan and Dean’s “Dead Man Curve” and many others.

Most of the song is constructed with half of the group singing a line and the other half repeating it in perfect harmony.

The harmonious sound of the Mamas and the Papas was one of their strengths and it, together with The Beach Boys in particular and other groups with a surfer rock sound, established the California groups as this sound’s “leaders” in the ‘60s.

In the first verse it is the boys – John Phillips and Denny Doherty who lead and Mama Cass and Michelle Phillips follow.

The background story behind writing this song – John and Michelle Phillips were at that time (1963) in New York, in the fall or winter, and a walk outside “induced” John to write the words for his California-born wife.

Apparently, the Phillipse’s visited St. Patrick Cathedral in Manhattan a few days before writing the song, and it had been the inspiration for this line.

An incredulous notion for a Californian, and probably for many poor souls in the East…

Often misheard as “The preacher lights the coals” (makes sense, though, and appropriate in the ‘60s).

And the winner is….

The signature alto flute solo by Bud Shank, a renowned jazz saxophonist and flautist.

Per Denny Doherty:

When they were recording that song, they wanted a solo, but didn’t want the usual guitar solo. John Phillips walked out into the hall of the Hollywood recording studio they were at and Bud Shank was in that hallway as well. John grabbed him and brought him into the studio. Shank listened to the hole he was supposed to fill and nailed it on the first take.

In contrast for the somehow positive optimistic nature of the previous lines, this may be a reference to the discourse and impending separation of Michelle and John Phillips.

Their separation was the subject of their follow-up (and highest charting) hit, “Monday, Monday”, and another follow-up, “I Saw Her Again.”

Michelle had an affair with band member Denny Doherty invoking this poetic reaction.

Personnel

  • Denny Doherty – vocals
  • Cass Elliot – vocals
  • John Phillips – vocals, guitar
  • Michelle Phillips – vocals
  • P.F. Sloan – guitars, additional vocals
  • Larry Knechtel – keyboards
  • Hal Blaine – drums, percussion
  • Joe Osborn – bass guitar
  • Bud Shank – flute solo on “California Dreamin'”
  • Peter Pilafian – electric violin
Technical
  • Lou Adler – producer
  • Bones Howe – engineer
  • Guy Webster – photography

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