Lee Scratch Perry【Disco Devil】和訳Dub Version 追悼リー•スクラッチ•ペリーの全て R.I.P.

 

レゲエ・ダブのレジェンドであり先駆者のLee ‘Scratch’ Perryが今日、ジャマイカの病院で亡くなった。

最近、最高なアーティスト達が立て続きに天国に召されてしまって辛すぎる。中にはCovid19が原因でなくなったアーティストもいて、また起きるのでは?と心配になってしまう。

だから今日は気分を変えて楽しいブログにするつもりだったのに、、、。

85歳で亡くなったLee Scratch Perry。

変なおじさん🥸として有名だったLee だけど、それはお茶目なキャラクターが、変な行動までも個性にしてしまっていたから、コレも才能の一つだなぁ、とつくづく思う。

それは才能溢れたオジサンだから許されたこと。

Lee Scratch Perryの歌声には、悲しみを笑いにしてしまうパワーがある。苦しみを笑い飛ばしてしまうエナジーで溢れているのだ。それは歌詞に如実に表れている。

ヤバいことばかりしていたのが手に取る様にわかる歌詞だが、これは彼の個性であり、Rasta Manの愛嬌に思えてしまうから凄い。

人となり。人柄が大事よね。

LyraもLee Scratch Perryのように人生を楽しんで生きて行きたい。面白おかしく生きて行くのも才能がいる、こんなご時世だから特に。

Lee、素敵な音楽をありがとう。

面白い人生を見せてくれてありがとう。

Lee Scratch Perry’s forever. R.I.P.

 

 

今日Lyraが和訳&解説するのは、ジャマイカ、ハノーバー教区ケンダル出身のレゲエ・ミュージシャン、ダブ・エンジニア、音楽プロデューサーの Lee Perry リー・ペリー、又は Lee “Scratch” Perry リー・スクラッチ・ペリー(1936年3月20日 – 2021年8月29日 )。

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「Lee リー」は幼少時からのニックネームで「スクラッチ」はスタジオ・ワンのオーディションで歌った自曲『チキン・スクラッチ』から呼ばれるようになった。

革新的なスタジオ技術と制作スタイルで有名なジャマイカのレコードプロデューサー兼歌手で、1970年代のダブ音楽開発のパイオニアなのだ。

今日Lyraが和訳した曲は、1976年にリリースされた『Max Romeo 』の【Chase the Devil】。Lee “Scratch” Perry 作曲/プロデュースで、彼のバンドThe Upsettersの演奏により録音された曲。そして 翌1977年にLee Perry本人によってリリースされたのが、この曲【Disco Devil】。

詳しい解説は、Hipな和訳の後にまたお話ししましょう!

 

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LeeScratchPerry OD (born Rainford Hugh Perry; 20 March 1936 – 29 August 2021) was a Jamaican record producer and singer noted for his innovative studio techniques and production style. Perry was a pioneer in the 1970s development of dub music with his early adoption of remixing and studio effects to create new instrumental or vocal versions of existing reggae tracks. He worked with and produced for a wide variety of artists, including Bob Marley and the Wailers, Junior Murvin, The Congos, Max Romeo, Adrian Sherwood, Beastie Boys, Ari Up, The Clash, The Orb, and many others.

=Disco Devil (Dub version)=

Lucifer, son of the morning, I’m gonna chase you out of earth

I’m gonna put on a iron shirt, and chase Satan out of earth (disco devil)

I’m gonna put on a iron shirt, and chase the devil out of earth (disco devil)

We got the disco devil

Dressed as a disco rebel (disco devil)

We got the disco devil

Dressed as a disco rebel (disco devil)

She bomb, she bomb

She knocked up on the skag

She bomb, she bomb

She knocked up on the skag

She bomb, she bomb

She knocked up on the skag

She bomb, she bomb

She knocked up on the skag (disco devil)

We got the disco devil

Dressed as a disco rebel (disco devil)

We got the disco devil

Dressed as a disco rebel (disco devil)

I’m ‘bout to make no trouble

For any you pull a rebel (disco devil)

I’m ‘bout to make no trouble

For any you pull a rebel

She bomb

She bomb

If you wanna disco devil, I am a disco rebel (disco devil)

I’m gonna put on my iron shirt, and top you out of earth (disco devil)

If you wanna disco devil, I am a disco rebel (disco devil)

If you wanna disco devil, I am a disco rebel

She bomb, she bomb, she bomb

She bomb, she knocked up on the skag

She bomb, she knocked up on the skag

She bomb, she knocked up on the skag

We got the disco devil

Dressed as a disco rebel (disco devil)

We got the disco devil

Dressed as a disco rebel (disco devil)

Send him to out of space (disco devil)

Got him in another race (disco devil)

Who dey, who dey, who dey, who dey (disco devil)

Who dey, who dey, who dey, who dey (disco devil)

Who dey, who dey, who dey, who dey (disco devil)

Who dey, who dey, who dey, who dey (disco devil)

Who dey?

Disco devil

Disco devil

Disco devil

Disco devil

Disco devil

She bomb, she bomb

She knocked up on the skag

She bomb, she bomb

She knocked up on disco devil

Disco devil

Disco devil

Disco devil

Disco devil

She bomb, she bomb, she bomb

She bomb, she bomb, she knocked up on the skag

She bomb, she bomb, she knocked up on the skag

She bomb, she bomb, she knocked up on disco devil

Disco devil

Disco devil

Disco devil

Disco devil

She bomb

She bomb

She bomb

Disco devil

Disco devil

Disco devil

Disco devil

Disco devil

Disco devil

Devil

Devil

Disco yeh

Disco yeh

Rockas, rockas ain’t no cockas

Disco devil

 

明けの明星である魔王

明星の息子よ

俺はあなたを地球から

追い出すつもりだよ

鋼鉄のシャツを着よう

そうしたら悪魔をこの地球から追い出してやるさ

(ディスコの悪魔を)

鋼鉄のシャツを着よう

そうしたら悪魔をこの地球から追い出してやるさ

(ディスコの悪魔を)

俺たちはそのディスコの悪魔を

得てしまった

ディスコの反逆者を装ったんだ

(ディスコの悪魔)

俺たちはディスコの悪魔を得てしまった

ディスコの反逆者を装ったんだ

(ディスコの悪魔)

 

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あの子が大勝ちさ

あの子が大勝ちさ

あの子はヘロインでヘロヘロ

(*他の意味あり。解説参照)

あの子が大勝ちさ

あの子が大勝ちさ

あの子はヘロインでヘロヘロ

あの子が大勝ちさ

あの子が大勝ちさ

あの子はヘロインでヘロヘロさ

(ディスコの悪魔)

俺たちはディスコの悪魔を得てしまった

ディスコの反逆者を装ったんだ

(ディスコの悪魔)

俺たちはディスコの悪魔を得てしまった

ディスコの反逆者を装ったんだ

(ディスコの悪魔)

今の俺は

争いをしないことがマイブーム

どんな反逆者を引っ張って来てもな

(ディスコの悪魔)

争いをしないことがマイブーム

どんな反逆者を引っ張って来ても

あの子が大勝ちさ

あの子が大勝ちさ

もしお前がディスコの悪魔になりてぇなら

俺がディスコの反逆者だ

(ディスコの悪魔)

鋼鉄のシャツを着よう

そうしたらお前を

この地球から頂点に行かせてやるよ

(ディスコの悪魔を)

もしお前がディスコの悪魔になりてぇなら

俺がディスコの反逆者だ

(ディスコの悪魔)

もしお前がディスコの悪魔になりてぇなら

俺がディスコの反逆者だ

あの子が大勝ちさ

あの子が大勝ちさ

あの子が大勝ちさ

あの子が大勝ちさ

あの子はヘロインでヘロヘロさ

あの子が大勝ちさ

あの子はヘロインでヘロヘロさ

あの子が大勝ちさ

あの子はヘロインでヘロヘロさ

俺たちはディスコの悪魔を得てしまった

ディスコの反逆者を装った

(ディスコの悪魔)

俺たちはディスコの悪魔を得てしまった

ディスコの反逆者を装ったんだ

(ディスコの悪魔)

彼を大気圏外へ解き放つ

(ディスコの悪魔)

他の種族が奴を捕まえるさ

(ディスコの悪魔)

誰がやる

誰がやる

誰がやる

誰がやるよ

(ディスコの悪魔)

誰がやる

誰がやる

誰がやる

誰がやるよ

(ディスコの悪魔)

誰がやる

誰がやる

誰がやる

誰がやるよ

(ディスコの悪魔)

誰がやる

誰がやる

誰がやる

誰がやるよ

(ディスコの悪魔)

誰がやるよ?

ディスコの悪魔さんよ

ディスコの悪魔

ディスコの悪魔

ディスコの悪魔

ディスコの悪魔

あの子が大勝ち

あの子が大勝ち

あの子はヘロインでヘロヘロ

あの子が大勝ち

あの子が大勝ち

あの子はディスコの悪魔でヘロヘロ

ディスコの悪魔

ディスコの悪魔

ディスコの悪魔

ディスコの悪魔

あの子が大勝ち

あの子が大勝ち

あの子が大勝ち

あの子が大勝ち

あの子はヘロインでヘロヘロ

あの子が大勝ち

あの子が大勝ち

あの子はヘロインでヘロヘロ

あの子が大勝ち

あの子が大勝ち

あの子はディスコの悪魔でヘロヘロ

ディスコの悪魔さんよ

ディスコの悪魔

ディスコの悪魔

ディスコの悪魔

ディスコの悪魔

あの子が大勝ち

あの子が大勝ち

ディスコの悪魔

ディスコの悪魔

ディスコの悪魔

ディスコの悪魔

ディスコの悪魔

ディスコの悪魔

悪魔

悪魔

ディスコ

やったな

ディスコ

最高じゃん

ベッドで最高な女

ベッドで最高な女は

男な訳ないだろ

ディスコの悪魔

 

Songwriters: Lee Perry

Translator: Lyra Sky 和訳

これぞ、ダブのパワー!

そんじょそこらのレゲエには出せないぜ、と音だけで主張しているのが凄い。

悪ぶってもこのサウンドは普通は出せません、Lee Scratch Perryだから出せるファジーな世界観と危険なサウンド。

悪夢の様な曖昧な世界観だが、ドラッグカルチャーに物申しているようで、神への願いも感じられるし、女としては複雑な気分になる曲です。

 

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Lee “Scratch” Perryについて

Lee “Scratch” Perry ODこと、Rainford HughPerry (1936年3月20日-2021年8月29日)は、革新的なスタジオ技術と制作スタイルで有名なジャマイカのレコードプロデューサー兼歌手。1970年代のダブ音楽開発のパイオニアであり、既存のレゲエトラックの新しいインストルメンタルバージョンや、ボーカルバージョンを作成するためにリミックスとスタジオエフェクトを早期に採用したてテクニシャンな音楽家である。

Leeは、ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ、ジュニア・マーヴィン、コンゴス、マックス・ロメオ、エイドリアン・シャーウッド、ビースティ・ボーイズ、アリ・アップ、ザ・クラッシュ、ザ・オーブなど、さまざまな有名アーティストと協力してプロデュースした経歴を持っているだけに、このメンツから凄さがわかると思う。

1936年3月20日ハノーヴァー教区のケンダルでEna DavisとHenry Perryの間に3番目の子として生まれたLeeは、育った家庭は貧しい小作農で、彼が10歳の時に父親は家庭を捨て、その後母親が再婚して、隣村のグランジに移住したという辛い経験がある。

彼の母親は、息子に受け継いだヨルバ人の祖先に由来する強いアフリカの伝統を持っていたと言う。彼の両親は両方とも労働者だが、彼の父は後にプロのダンサーになったと、何となくLeeの遺伝子を感じてしまう。

15歳で学校を卒業するとそのままハノーバーに住むが、そこでは仕事にあまり関心がなく、ドミノをプレイして自分の欲望に従って生きることを好んでいた。

だが最終的にクラレンドンに行き、そこでダンスを始める。音楽シーンでも活躍しそこで「TheNeatLittleThing」というニックネームを獲得。

石との関係

あと不思議な話何のだが、石との神秘的なつながりを経験したと言うLee Scratch Perry。その経験のあと彼はキングストンに引っ越す。

「石が衝突すると、雷が衝突するように聞こえる。…そして言葉が聞こえるんだ…これらの言葉が、俺をキングストンに送るんだ。キングストンはキングスストーン、の息子を意味する。キング…俺がネグリルに投げていた石は、卒業のためにキングストーンに送ってくれたんだ」

キングストンに着くと、彼はスタジオワンで見習い始めたのだ。

キングストン

1950年代後半Lee の音楽キャリアは、Clement “Sir Coxsone” Doddクレメントコクソンドッドのサウンドシステムのレコードセラーとして1950年代後半から始めた。ドッドとの時折混乱した関係が発展するにつれて、彼はClement のスタジオワンヒットファクトリーでさまざまな重要な仕事を実行。レーベルのために30曲近くを録音し続けていた。

性格と経済的対立によるペア間の不一致により、Leeはスタジオを離れ、新しい音楽店を探すことになる。彼はすぐにJoe Gives のレコード会社で新しい職&家を見つけた。

Joe と協力してレコーディングのキャリアを続けたが、又もや経済的な問題が対立を引き起こした。Lee は1968年に Joe Gibbs とのランクを破り、自身のレーベル、アップセッターズレコードを結成。Joe Gibbs を侮辱した彼の最初のメジャーシングル【PeopleFunny Boy】は、ジャマイカだけで60,000部を売り上げた。

サンプル【Crying Baby】の革新的な使用と(赤ちゃんの鳴き声をサンプリングしていた)、すぐに「レゲエ」として識別できるようになる高速でチャギングするビートは、注目に値する。まだレゲエと言うものが生まれていなかったと気にだから発明と言えるだろう。

同様に、Lee「King」Perry 「ラン・フォー・カバー」としての彼の厳しい1967年のシングルは、同様にコクソン卿を狙っていた。

1968年から1972年まで、彼はスタジオバンドのUpsetters アップセッターズで働いていた。 1970年代に、彼が管理するさまざまなレコードレーベルで多数のレコーディングをリリースし、彼の曲の多くはジャマイカとイギリスの両方で人気が出た。

Lee はすぐに彼の革新的な制作技術と彼の風変わりな性格で知られるようになっで行く。

1970年、Lee はThe Wailers のトラック【Mr. Brown】(1970)を制作、リリースした。スタジオエフェクトの珍しい使用と不気味なオープニングで、彼のユニークな制作アプローチを強調している。

 

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Black Ark Studios 1970〜1980年代

 

1970年代初めには、Lee Scratch Perryは、ミキシングボードでの実験の数々がダブの創造をもたらしたプロデューサーの一人になっていた。1973年、Lee は自宅の裏庭に Black Ark Studios ブラック・アーク・スタジオを建設し、Bob Marley & The Wailers ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ、ジュニア・バイルズ、ヘプトーンズ、マックス・ロメオといった有名なミュージシャンのプロデュースを自由に進めることができた。

Black Ark Studios でレコーディングされたすべては、かなりシンプルな録音機材が使用されていたにも関わらず、Leeは巧妙にユニークな音楽を完成させた。Lee は何年間もミキシング・デスクで作業し、レゲエの歴史の頂点として際立っている歌とアルバムを製作した。

順風満帆なLeeだったが、1978年に誤配線のためにスタジオが全焼してしまう。だがその後Leeは、イギリスとアメリカ合衆国で、さまざまなアーティストとライブ活動をしたり、コラボレート作品を不定期にリリースした。

1980年代後半、イギリス人プロデューサーのAdrian Sherwood や、Mad Professorとも仕事をした。

2006年には70歳となっても、ヨーロッパと北アメリカ、日本の熱狂的なファンのために、レコーディングやツアー活動をしていた。

 

Lee Scratch Perryは、妻のMireilleと2人の子供と一緒にスイスに住んでいた。彼には、クレオパトラペリー、マーシャペリー、オマーペリー、マービン(ショーン)ペリーという名前の4人の子供が世界のさまざまな場所にいた。2015年、スイスにある彼の新しいスタジオ「秘密の研究所」は、またもや彼の舞台衣装と未発表の録音も火事によって損傷を受けてしまった。

2021年8月29日、ジャマイカのルーシーの病院で死去。85歳で、不特定の病気で亡くなっと言われている。

Lee Scratch Perryと【Disco Devil】について

Lee Perryは、Bob MarleyThe Wailersなどのレゲエのトップアーティストのプロデュースや、1970年代のダブ・ミュージック初期のリミックスなどでレゲエのルーツ・トラックを再構築させ革新的なサウンドを次々と生み出し、様々なジャンルのダンス・ミュージックに影響を与えてきた偉大なミュージシャンであり、レゲエプロデューサーだった。

2000年代のLee Scratch Perryといえば、盟友Adrian Sherwoodとのコラボレーションで『ON-U SOUND』から数々の名曲をリリースしていたのも注目に値する。

それ以外にもBrian Enoを迎えた【Here Come The Warm Dreads ft. Brian Eno】をリリースしたり、幅広い活動をしていたのもLeeのフットワークの良さを物語っている。

レゲエを広めた張本人であり、レゲエが生まれる前からその基礎を気づいたのだから生みの親と言っても過言ではないだろう。それなのにその地位にあぐらをかくことなく、様々なアーティストとコラボレーションしたり、新しいレコーディング法を考えたり、ファンのためにと海外へもツアーに赴くLeeの姿に、Lyraは真のRockerの姿を見た気がする。

ラスタマンであり、ロッカーのLee Scratch Perry。彼は多数の数え切れない程のレコーディングをして来た男でもある。

1976年にリリースされた、Max Romeoの【Chase the Devil】と言う曲があるが、これは、Lee “Scratch” Perry の作曲/プロデュースであり、元は、彼のバンドThe Upsettersの演奏により録音された曲だ。

そして翌1977年にLee Perry本人によってリリースされた曲がこの【Disco Devil】なのだ。

Max Romeo ヴァージョンは1992年にProdigyのヒット曲【Out Of Space】でサンプリング使用され、2000年代に入ってからは Jay ZやCage the Elephantによっても使用されている、皆に愛されている曲なのだ。

レゲエファンはもちろん、ダンスミュージックファンにもお馴染みの名曲と言えるだろう。

2017年にBLACK FRIDAY限定盤として発売され即完売しプレミア化したり、レコードも沢山リリースされている。

革新的な音響的空間処理からレゲエ/ダブ・ファンのみならずハウス~クラブ・ミュージック・リスナーを含め多くの音楽嗜好家に支持されるLEE PERRYによるBLACK ARKスタジオ録音の最高峰だ。

ヴァージョンも様々あるが、レアな7″ミックスと12″ミックスがあり、別々にリリースされているものから、最近は両方を合わせたレコードも出ているので、興味がある方はチェックしてみると面白いと思う。

【Disco Devil】は、Lee Scratch Perryのすべてを詰め込んだ一曲だ。彼の魔術によって怪しくも美しいサウンドが生まれた曲なのだ。

MAX ROMEO & THE UPSETTERSのPERRYプロデュースによる歴史的名作『WAR INNA BABYLON』収録の【CHASE THE DEVIL】をベースに、Aura 率いる謎の女性コーラス・グループTHE FULL EXPERIENCEの幻想的でミスティックな女性コーラスをプラスしてゴージャスで不気味な雰囲気が魔界のようで素晴らしい。LyraにはFunkadelicのルーツがここにあるのではないか?と思ってしまった。

Lee Perry のハイエナジーなヴォーカルが始まると、世界は一層とダークな世界へと移行。聞いているものは深いダブの世界へと踏み入るのだ。Lyraにはこのダブが目眩にも似た恍惚の夢の様でいつまでも漂っていたくなるの。Black Arkな世界は終わらない。永遠にレコーディングされた音源がある限り、Lee Scratch Perryの夢のような魔界で泳いでいられるのだ。

深読みLyraの好きなPoint

ちなみに歌詞の意味はLyraの和訳を読んで頂ければわかると思うが、Discoが流行っていたジャマイカの当時がうかがえる怪しい歌だが、音楽とドラッグに溺れてしまうことへの欲望と、その欲望にハマってはいけないと言う理性の狭間にいる男の歌だ。

普通に解釈すれば、ドラッグの欲望に打ち勝とうと必死に抵抗している男。だが深読みするとドラッグと共にドラッグにハマっている女性にハマらないようにしないと、と歌ってもいるのだ。つまりDisco Devilは、女なのよ。踊り狂う欲望にも取れるし、女にも、ドラッグにも取れて必死にもがいているのが、Lyraが好きなポイントです、だって人間らしいなと思うから。

ダブルの意味や深読み大好きLyraの気持ちがわかる貴方にサービスすると、「あの子はヘロインでへロヘロ」にしたのは、ストレートな意味である疲れてヘロヘロと言う意味と、妊娠した、孕まされた、と言う意味や、イギリスではボロ儲けの意味もあったから、体力的にも精神的にも、ヘロインの単語もあるので、いろんな意味でもヘロヘロ、と言うことで、このワードを選びました。

未だにダンスホールでは、気分が乗ると「イヤッホー!」とノリノリになったおかしな人がピストルを打っ放したりしてるのかしら?

 

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命がけで楽しむ姿に、アホか?と呆れてしまうと共に、何に対して必死に生きて楽しむ姿が憎めなくて笑ってしまう。ジャマイカのダンスホールでは、Lee Scratch Perryが描いた世界が嘘偽りなく起きていた。

彼が作り出した世界は日常的な出来事をそのまま言葉にして私たちの共感や興味を引き出し、サウンドで色付けして異空間へと私たちを誘う。

LyraのLee Scratch Perryへの尊敬の念は、この文章だけでは表し切れないほどだ。ご機嫌なサウンドは、血となり肉となりこの世界を味わって来た分と同じくらい染み付いている。

「多くの人々にLeeの素晴らしさが伝わると良いな」と思い追悼の意味も込めて書いてが、こんな文章で伝わるかい、と言う気もしてる。悪人ばかりの世界で良いものが伝わる気がしない。

Lee ならば笑ってこう言うか?「くだらない、くだらない、そんな悪魔は捨てちまえ」と。

くだらない。

本当、この世界はくだらないものばかり。

悪なんて捨てちまえ。

きっと他所の種族が拾うからさ。

悪魔は永遠に続くだろうけれど、捨てしまえば楽に飛べるんだよ。

本当、楽だね、Lee 。

楽に飛べてるよ。

 

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Rainford Hugh Perry was born on 20 March 1936 in Kendal, Jamaica, in the parish of Hanover, the third child of Ina Davis and Henry Perry. His mother had strong African traditions originating from her Yoruba ancestry that she passed on to her son. His parents were both laborers, but his father later became a professional dancer.

Lee left school at age 15 and lived in Hanover where he didn’t have much regard for working and preferred to play dominoes and live according to his own desires.[He eventually wound up in Clarendon where he got into the dance and music scene and earned the nickname “The Neat Little Thing”. Lee later moved to Kingston after experiencing a mystical connection to stones (“When the stones clash, I hear like the thunder clash… and I hear words… These words send me to Kingston. Kingston means King’s Stone, the Son of the King… the stone that I was throwing in Negril send me to King Stone for my graduation.”) where he apprenticed at Studio One.

Perry’s musical career began in the late 1950s as a record seller for Clement Coxsone Dodd’s sound system. As his sometimes turbulent relationship with Dodd developed, he found himself performing a variety of important tasks at Dodd’s Studio One hit factory, going on to record nearly thirty songs for the label. Disagreements between the pair due to personality and financial conflicts led him to leave the studio and seek new musical outlets. He soon found a new home at Joe Gibbs’s Amalgamated Records.

Working with Gibbs, Perry continued his recording career but, once again, financial problems caused conflict. Perry broke ranks with Gibbs and formed his own label, Upsetter Records, in 1968. His first major single “People Funny Boy”, which was an insult directed at Gibbs, sold well with 60,000 copies sold in Jamaica alone. It is notable for its innovative use of a sample (a crying baby) as well as a fast, chugging beat that would soon become identifiable as “reggae”. Similarly his acrimonious 1967 single as Lee “King” Perry, “Run for Cover”, was likewise aimed at Sir Coxsone.

From 1968 until 1972, he worked with his studio band the Upsetters. During the 1970s, Perry released numerous recordings on a variety of record labels that he controlled, and many of his songs were popular in both Jamaica and the United Kingdom. He soon became known for his innovative production techniques as well as his eccentric character.

In 1970, Perry produced and released the Wailers track “Mr. Brown” (1970) with its unusual use of studio effects and eerie opening highlighting his unique approach to production.

Perry resided in Switzerland with his wife Mireille and their two children. He had four other children by the names of Cleopatra Perry, Marsha Perry, Omar Perry, and Marvin (Sean) Perry in various parts of the world. In 2015, his new studio in Switzerland, the “Secret Laboratory”, was damaged by a fire that also destroyed his stage costumes and unreleased recordings.

Perry died on 29 August 2021 at a hospital in Lucea, Jamaica, from an unspecified illness, aged 85.

 

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