パティ・ボイドについて。愛憎劇の後に残ったもの…Pattie Boyd 後編

パティ・ボイド Pattie BoydについてLyraなりに愛情 (と好奇心) を持って書いてきたら熱が入って長くなっちゃいました。(『Patty Boydについて。寂しい人はどうなるの?こうなるの…』参照)

今日は後編を書きます。

この人は自由人ね。本当の。

パティ・ボイド Pattie  Boyd 、本名、パトリシア・アン・ボイド(Patricia Anne Boyd、1944年3月17日 – )は、イギリスのモデル、写真家。

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彼女の仕事より、ジョージ・ハリスンとエリック・クラプトンの前妻であり、クラプトンの『いとしのレイラ』のモデルになった人と言った方がわかりやすいかもしれません。

前回の前編として書いたのは、パティの生まれなどの生い立ち〜ジョージ・ハリスンとの別れまでを書いて、Lyraのパティという女性の魅力とゴシップネタを書きました。

今回は、ジョージと別れてエリックと結婚する所から始めましょう。

エリック・クラプトン

1960年代後半、エリック・クラプトンとジョージ・ハリスンは親友になり、作曲やレコーディングを共に行うようになった。(エリックは、後に、「女も共有していた」と言っています。どんだけ?)

クラプトンがパティに恋をしたのはこの頃。

クラプトンは、何故かパティの17歳の妹のポーラにも惹かれ、ポーラもクラプトンに引かれていたそう。

しかし、『いとしのレイラ』を聞いてポーラは、クラプトンの元を去る。

何故ならば、クラプトンが姉のパティの代わりとしか自分のことを見ていないことが、その曲で明らかになったから、、、。

1970年代前半に、パティがクラプトンの誘いを拒絶したことで、クラプトンは、ヘロイン中毒に陥り、アリス・オームズバイ・ゴアと三年間放浪したとパティは語っています。(なんで1人で放浪しない?何故女連れ?とまたもや疑問。変なやつ)。

クラプトンのデレク・アンド・ザ・ドミノス時代の唯一のスタジオアルバムである『いとしのレイラ』は、クラプトンのパティへの愛を表明するために書かれたものであるのは世界的に有名な話だ。

Layla / Eric Clapton: Derek & the Dominos】和訳 解説 Laylaの真実 for Lyra’s Birthday!!

 

 

アルバムは同名曲『いとしのレイラ』を収録しており、この曲は30年に渡っシングルもアルバムも共に世界中で大ヒットした。

 

ロン・ウッドとの密行がバレてジョージと離婚していたフリーのパティ。

二人は1979年に結婚。

皆から見たら完璧なカップルだが、実際の結婚生活は、泥沼状態だった。

パティは、クラプトンとは違い、使用はしていたものの、アルコール依存症や薬物依存症になることはなかったが、クラプトンの依存度は激しいものになって行きます。

クラプトンを更生させたかったのに、アルコール依存症の治療に取り組まなくなったことで彼の元から去ったとパティは後に言っています。

が。それ以上のクラプトンの愚行が彼女の気持ちを変えたのが事実ではいか?

クラプトンと別居中に、パティは、写真家のウィル・クリスティーと付き合うようになります。

それは、クラプトンへの当てつけだったのでは?と思えてなりません。

何故なら、1984年に、クラプトンは、イボンヌ・ケリーと一年に渡って関係を持ち、まだ離婚していないのに、1985年の1月に彼女との間に娘のルースが産まれてしまいました。

クラプトンとケリーは、この娘の誕生について、一切世間に公表しておらず、1991年に行われたクラプトンの息子のコナーの葬式まで彼の子供と明かされなかったそう。(親として最低だな!)

パティは「最も傷ついたのは、エリックが最初から子供のことを知っていたこと。彼はまだ私を愛していると復縁を迫る一方で、イボンヌに養育費を六年にも渡って支払っていたの」と語っています。

クラプトンは、また別の女性のイタリア人モデルのロリ・デル・サントとも浮気。

それが結果的に引き金となり、クラプトンとパティは、1989年に離婚。

パティは、クラプトンのアルコール依存症と結婚前から始まっていた幾度もの情事を数年間耐えた上で、彼と離婚したとして話しています。

ロリ・デル・サントも又、離婚前の1986年に長男コナーを出産していました。

ボイド自身は、体外受精を試みたにも関わらず、妊娠することができなかったというから、どれだけ辛い思いをしたのか計り知れません。

男女関係だから、色々な事情があったんだろうけど、それを加味したとしても、どう考えてもクラプトンはゲス野郎ですね。

ボイドとクラプトンは、離婚原因を「不貞行為(infidelity and unreasonable behavior)」としています。当たり前。

しかし、これ又、ジョージの時と同じで不思議なことに、パティとクラプトンの関係は愛憎劇極まりないものだったのにも関わらず、二人はその後も数年に渡り友人であり続けたそう。

写真と自伝

パティが撮影したジョージとクラプトンとの日々の写真展”Through the Eye of a Muse”が、2005年のバレンタインデーに、サンフランシスコ・アート・エクスチェンジで開かれました。

その後、2006年の2月にサンフランシスコで、同年の6月から7月の6週間に渡ってロンドンでも再び行われます。

2008年にはカリフォルニアのラホヤにあるモリソン・ホテルでも展示、2008年9月にはダブリンのギャラリー・ナンバー・ワン、2008年の11月12月にはカナダのトロントのグレート・ホール、2009年12月にオーストラリアのシドニーのブレンダー・ギャラリー、2009年12月28日から2010年1月10日までにはバルバドスとランカスター・グレート・ハウスにて展示されました。

それ以外にも話題になったのは、自伝です。

パティの自伝である「プルーク」「ワンダフル・トゥデイ」が2007年8月23日にホッダー・ヘッドライン社から刊行。

アメリカでは「ワンダフル・トゥナイト」として、2007年8月28日にハーモニーブックスから刊行され、彼女の写真を同梱。

自伝には、950,000ポンド(日本円にして約1億3000万円)が前渡金として支払われたそう。(ジャーナリストのペニー・ジュノーとの共著)

笑ってしまうエピソードとして、この企画を聞いたパティと知り合い(どこまで?)の有名ミュージシャンたちは、彼ら自身の不名誉な話や、悪行が表沙汰になるのを恐れていたそう。

しかし、パティは、有名ミュージシャンからの高額な名誉毀損訴訟を恐れて自制したため、衝撃的な暴露ネタはなく、ソフトな内容になっています。

現在では、パティは、ウェスト・サセックスの17世紀に建てられた小別荘に暮らしており、彼女の自伝とクラプトンの自伝の販売競争を楽しんでいるそう。

アメリカでは、パティの本はニューヨーク・タイムズのベストセラーリストに初登場1位となりました。

 

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ミューズから写真家へ。パティ・ボイドという女性から学ぶこと

パティは、写真家として展覧会や個展で世界中を飛び回っています。

今年の3月から5月まで東京でも個展をしていました。

パティ自身、たくさんの痛みを得て、たくさん傷ついて、自分自身を見つけました、と話しています。

「『クラプトン夫人』という存在だったとき、私は自分が誰なのかを見失っていました。彼に振り回され、彼との生活に疲れ果てて不幸せで、実は5~6年の間、ずっと撮り続けてきた写真のことまですっかり忘れてしまったくらいだったのです。」

そして、有名ミュージシャンの妻と言うのは幸せじゃないのか?という問いに対して、

「彼らにとって、最も大事なのは創作活動。自分の欲求を満たすことが最優先で、妻は彼らを助けるために存在していて、すべての時間を彼らのために捧げなければいけない。それを当然のように求められました。ジョージと結婚後もモデルの仕事を続けようとしたけれど、彼がそれを望まなかったから諦めましたし、エリックとの生活でも彼が望むとおりの女であろうとした。しばらくはそれでよかったけれど、だんだんそうした生活が続けられなくなってしまいました。」と言っています。

献身的に誰かに愛を捧げることは素晴らしい意義があること。

しかし、それが当たり前となってしまい、自分は愛を与えるばかりで相手からは、愛を貰えないなんて辛すぎます。

それに、自分の存在理由さえ危うくなってしまう。

おまけに裏切りもされるなんて!

裏切り行為していて自分のことを支えろ、だなんて人間の行動とは思えないことするな、エリックもジョージも。

そんな毎日を送っていたパティ。よく耐えられたなー、と驚異の念を抱くと共に、それだけ、ジョージのことも、エリックのことも愛していたのか?

 

1人になって、「有名なジョージの妻」でもなく、「有名なエリックの妻」でもない毎日をどう過ごせばいいのか分からなかったパティ。

慰謝料をたくさんもらったわけでもなく、お金もない。

自動車税や、ガソリン代や光熱費の請求書や料金の支払いについても分からず、普通の生活をしたことがなかった彼女は、現実の生活が一気に押し寄せてきてとてもショックを受けました。

仕事をして、お金を稼がなくちゃいけないが。パティ・ボイドが本気で仕事を探していると思ってくれる人はいなかったそうです。

写真ならアマチュアとはいえ長年撮影を続けてきたのだから、仕事にできるのはないかと閃き、写真学校に通い、撮影や現像を学び、作品を撮りだめ、テレビ局や新聞社にアプローチをする毎日を過ごしたそう。

「“有名な男の妻”でいるよりも、ずっと気分がいい」と自伝に書いてあるように、写真家として行きている自分が幸せだと言っているパティ。

やはり、皆んな居場所を探しているんだと思う。

ジョージも、クラプトンもパティを愛していたのは真実だろう。

ただ、彼らにはそれより愛してるものがあったんだろう。それは、自己愛。

アーティストならば少ならからずある創作意欲からくるワガママや、自己中が彼らには、ドラッグやアルコールという魔物に取り憑かれて、激しい自己愛へと増殖してしまったんだよね。

だから、愛する女性までケアできなかったのでは?だって、自分自身をケアできないのに家族をケアできないよね、

そんなやつ最低だな!

パティも早くそんな最低男と別れて仕舞えば良いのに、別れないでいたのは母性愛が強過ぎる女性なんじゃないか、と思う。

おまけに、彼らの側にいるのが自分の居場所だと信じて疑わなかったんだろう。

うまい具合に素敵な曲を書いてくれる(笑)。

曲を貰うと嬉しいからね〜。

「君のために書いた曲だ」と言われて嬉しかったよ。

それに甘えて許してもらえると信じていた男たち。

でも、どこかで無理していたら綻びが生まれてしまう。

パティは、自分探しを始めたんではないだろうか?

自分の居場所を探し始めたのだろう。

ドラッグや宗教やアルコールや女にのめり込む男たちから、逃れる為に。

パティは、自分探しを、

自分の居場所を探し始めたのだろう。

その手始めが、ロン・ウッドなり写真家のウィルだったり、他の男性ってのは間違いだったけどね。^_^

まぁ、目の前の手本が(旦那が)いりゃ、寂しいから真似したくなるんだろうけど、、、。

【Layla / Eric Clapton: Derek & the Dominos】和訳 解説 Laylaの真実 for Lyra’s Birthday!!

 

間違いだらけで、

寂しいから、次へ、

次の男へ、(次の女へ、)

人は探し求めて、

間違いを犯し、

紆余曲折しながらも、自分自身で自分自身を立て直すキッカケに対して、ちゃんと向き合って生きて来たのが、彼女のたくましい所なんですね。

普通の人間なら、あんな泥沼状態が次から次へと起きたら生きていられないでしよ。

彼女の居場所は、今は、写真家としての自分。

ジョージの妻でもなく、

クラプトンの妻でもない。

パティ・ボイド。

誰のものでもないPatty Boyd。

人間は、誰の庇護でもない自分自身に出会った時に、真の幸せと真の人生を手に入れるのです。

傷だらけで行きて来たからこそ、光り輝く力が手に入る。

そんな生き様をPatty Boydの今から学んだLyraでした。

 

 

強くなりたい。

どんな時でも強く生きていきたい!

 

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