【U2 / With Or Without You】 和訳 U2 History & Happy Birthday The Edge! 本当の意味

昨日はThe Edge’s Birthday🎂!

Happy Birthday,the Edge!!

という事で今日は、The Edgeのバンドを和訳。

随分前に「良いバンドよね」と紹介したまま和訳していなかった曲にしたわ。ついでにU2 Historyのオ・マ・ケ付きよ!

今日Lyraが和訳&解説するのは、アイルランド出身の国民的バンド U2(ユートゥー)。

U2は、1980年のデビューから現在まで、オリジナルメンバーのまま解散もなく活動しており、発表する作品は国境を超えて多くのファンに支持され来て、数多くの賞を受賞して来た為、【奇跡のRock ‘n’ Roll Band】と呼ばれている。

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中でもGrammy Awards グラミー賞獲得数22作品は“ロック・バンド史上最多”となっていて、2005年には「ロックの殿堂」入りをした超メジャー、超ビッグバンドだ。

それだけならばLyraはブログで書く必要はない。超メジャーは、ほかのたくさんの人も書くから。

それでもLyraが書きたいと思うのは、U2の、vocalの Bono ボーノの歌詞が世界に渦巻く社会問題を描き続けているからだ。

宗教紛争、反核運動、アパルトヘイトなどの人権問題、Drug問題についてメッセージ性の強い曲を発表し続けといるから、同じく社会の矛盾に疑問を抱き続けている自分とオーバーラップしてしまうからだ。

U2は、積極的にチャリティー・イベントに参加していて特に、Bono はアフリカの貧困救済やアムネスティ・インターナショナル、ジュビリー2000、ONE  Campaignなどの慈善事業に深く関っている。

また、2006年アフリカの後天性免疫不全症候群(AIDS)対策プログラム支援ブランド「RED」を自ら設立しているという、行動を起こす強さのあるアーティストである事、、、それがLyraがU2が大好きな理由です。

今日はThe Edge こと、David Evansの誕生日でもあるから、彼の高い声が好きなので他の曲を考えましたが、紹介したまま和訳していなかった曲が気になる〜 ♪ ので和訳します。

Lyraが和訳したのは1987年リリースの5th Album『The Joshua Tree 』から大ビッグヒットした3rd Single 【With Or Without You】。

 

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日本でもドラマや映画のテーマ曲や印象的な場面で、必ずと言っていいほど使用されて来た曲だ。

でも、歌詞が難解。

本当の意味を知らない人も多いと思うので、今日はLyraの和訳と深読みし過ぎの解説で、新しい【With Or Without You】を発見しましょう。

先ずはLyraの和訳を読んでからMusic Videoを見てね。

あとで又お話ししましょう!

 

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U2 are an Irish rock band from Dublin formed in 1976. The group consists of Bono (lead vocals and rhythm guitar), the Edge (lead guitar, keyboards, and backing vocals), Adam Clayton(bass guitar), and Larry Mullen Jr. (drums and percussion). Initially rooted in post-punk, U2’s musical style evolved throughout their career, yet has maintained an anthemic sound built on Bono’s expressive vocals and the Edge’s effects-based guitar textures. Their lyrics, often embellished with spiritual imagery, focus on personal and sociopolitical themes. Popular for their live performances, the group have staged several ambitious and elaborate tours over their career.

“With or Without You” is a song by Irish rock band U2. It is the third track on their fifth studio album, The Joshua Tree (1987), and was released as the album’s lead single on 16 March 1987. The song was the group’s most successful single at the time, becoming their first number-one hit in both the United States and Canada by topping the Billboard Hot 100 for  three weeks and the RPM national singles chart for one week, with a further three weeks at number two.

 

= With Or Without You =

See the stone set in your eyes
See the thorn twist in your side
I’ll wait for you
Sleight of hand and twist of fate
On a bed of nails she makes me wait
And I wait, without you
With or without you
With or without you
Through the storm we reach the shore
You give it all but I want more
And I’m waiting for you
With or without you
With or without you
I can’t live
With or without you
And you give yourself away
And you give yourself away
And you give
And you give
And you give yourself away
My hands are tied
My body bruised, she’s got me with
Nothing to win and
Nothing left to lose
And you give yourself away
And you give yourself away
And you give
And you give
And you give yourself away
With or without you
With or without you
I can’t live
With or without you
Oh
With or without you
With or without you
I can’t live
With or without you
With or without you
君の瞳に置かれた墓石を見る
君の傍に編み込まれたイバラを見る
俺は君を待ってるよ
手品と運命のいたずら
俺が待つように仕向けた彼女の針の筵
だから俺は待つのさ、君がいなくても
一緒だろうとなかろうと
一緒だろうとなかろうと
嵐の中を通り抜け、俺たちは岸に辿り着く
君は最善を尽くすが俺はもう要らないよ
でも俺は君を待っているのさ
一緒だろうとなかろうと
一緒だろうとなかろうと
俺は生きていけないんだよ
一緒だろうとなかろうと
そして、君は内心をさらけ出す
そして、君は内心をさらけ出す
そして、君はさらけ出す
そして、君はさらけ出す
そして、君は内心をさらけ出す
俺の自由にはならないんだ
俺の体は打ち身だらけ
彼女はそんなことも受け入れる
勝利もなく、放し飼いでもなく
そして、君は内心をさらけ出す
そして、君は内心をさらけ出す
そして、君はさらけ出す
そして、君はさらけ出す
そして、君は内心をさらけ出す

 

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一緒だろうとなかろうと
一緒だろうとなかろうと
俺は生きていけない
一緒だろうとなかろうと
ああー
一緒だろうとなかろうと
一緒だろうとなかろうと
俺は生きていけない
一緒だろうとなかろうと
一緒だろうとなかろうと
Songwriter: Adam Clayton / Dave Evans / Larry Mullen / Paul Hewson
Translator: Lyra Sky

ライブでしか普通バージョンが見れないので最近のBBC Liveのも載せますね。

やっぱPVが良かったから載せたかったのだけど現在日本では、変なリミックスをされた長いバージョンのPVしか見れない仕様になっているみたい。
残念。
はじめにUPした方のLive Versionは、当時のU2なので、Bonoが人気があったのもうなづける格好良さですね。
このLive Videoを見てもお分かりになるでしょう。
U2が世界的Big Bandになった要因は楽曲の良さに加えて演奏力の高いライブ、コンサートにあるのですよ。
U2のコンサートの規模、動員数は、世界最大・最高になっているの。
つまり、No.1Bandなわけ。
特に、『Vertigo Tour』は2005年のコンサート収益1位を記録、『U2 360° Tour』は、2011年のコンサート収益1位を記録し、“歴史上で最も成功したツアー”として認定されているほど。

それまでの1位の記録は、今紹介している【With Or Without You】の1987年9月25日の『Joshua Tree Tour』のフィラデルフィア公演で樹立した86,145人で、U2自身が記録を塗り替えたこととなる。

また歴代動員記録の3位までもU2が独占。世界No.1のモンスター・バンドであることを証明している。

〈米国での単独公演動員記録〉

1. U2:97,014人(2009年10月25日、カリフォルニア州ローズ・ボウル・スタジアム)

2. U2:86,145人(1987年9月25日、ペンシルヴァニア州ジョンF・ケネディ・スタジアム)

3. U2:84,754人(2009年9月29日、メリーランド州フェデックスフィールド)

4. PINK FLOYD:75,250人(1994年5月29日、オハイオ州オハイオ州立大学スタジアム)

5. BACKSTREET BOYS:73,337人(2000年2月19日、ジョージア州ジョージア・ドーム)

また、お金の話は嫌だけど、米経済誌フォーブス誌が2011年6月に発表した「世界中で最も稼いでいるミュージシャン」で、1億9,500万ドル(日本円に換算すると約156億円)がU2で第1位となっている。

「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第22位、トータル・アルバム・セールスは、1億7,000万枚超。

こんなにU2が世界中で受け入れられているもう一つの理由は、やはり楽曲の良さであり、メッセージ性が強い歌詞があるからだ。
冒頭でお話ししたように世界の平和を願うために、現実の戦争、飢餓、病気、薬物依存などを取り上げているリアルさだ。
そして、リアルなラブソングがU2の得意分野でもある。
良きにしろ悪にしろ、、、
この【With Or Without You】のように。
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この【With Or Without You】は、ライチャス・ブラザーズやスコット・ウォーカーのアルバム「Climate of Hunter」にインスパイアされ作られた曲といわれている。

1985年後半、DsのLarry の自宅にメンバーが集まり、The Unforgettable Fireツアー中に作ったデモが元になっている。

Bono がコードシークエンスを書き、ヤマハのドラムマシーンのビートとAdam のアイバニーズ・ベースによるデモだったが、この段階では単調な同じコードの繰り返しで使いものにならなかった。

The Joshua Treeのレコーディングで皆が諦め始めた時に、Bono とGabin Friday ギャヴィン・フライデーが曲に色を足していく。

「ゴミ箱に丸めて捨てられたこの曲をギャヴィンが拾い上げてまとめてくれた」とBonoが言っていたくらいのものを、イーノがキーボードでアルペジオを加えて形になり始めて行った。 そこにThe Edge の元に映画「Captive」のサントラで共演したマイケル・ブルックから、ヴァイオリンのように果てしなく音が伸びるインフィニット・ギターが届いて、事態は急展開、ようやく曲が完成。

歌詞は、Bono が1986年にコート・ダジュールを訪れた時に書いたもの。

Bono 本人は「U2 By U2」において、ロックスターの生活と普通の家庭生活の板挟みになって悩んでいた、当時の心境を綴ったと言う。

巷では、宗教色が強い歌詞と言われているから驚く人もいるだろう。

だが、事実は、悲しいかな男の性だね。

当時のBonoにとってThe Pougus ザ・ポーグスのヴォーカル・シェイン・マガウアンみたいな破天荒さがロックミュージシャンのステレオタイプだったから、結婚して妻子がいる自分との狭間に悩んでいたらしい。

Bono は、ロックスターどある自分と普通の結婚生活を送る自分、この2つの生活の間の緊張を生きることこそが、アーチスト的な人生だと、この歌詞を書きながら悟ったんだって。

悟りの境地= The Joshua Tree ってか?!(笑)。

 

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この前、紹介した【スコット・ピルグリム VS 邪悪な元カレ軍団 Scott Pligrim VS The World】もそうだったけれど、男性が操(笑)を貫くってめちゃくちゃ凄いことにみたい。

あちらは結婚していないけれど、真実の愛に初めて目覚めた後と、その前の馬鹿さ加減は、異常な程の差だよね。

そんなに1人の女性だけを愛して行く事が凄い大変なことならば、、、1987年当時、うなぎのぼりで世界中でヒット飛ばしていたBonoには、世界中から可愛い子ちゃんがモーションかけて来ていただろうから、「浮気したくてたまらん〜!Wow〜!」ってなっていたのかもね。

このアルバム出す一年前に結婚したんじゃなかったっけ?

Ali(奥さん)も大変よね。

事実、Bonoの仲良しにはスーパーモデルが多い。

前に紹介したINXSのVocalだった Michael Hutchenceのフィアンセだった、おまけにNorman Reedusの元カノであった Helena Christensen や

Libertinsリバティーンズ のVocalと付き合っていたKate MossやNoami Cambel とは最近も遊んでいる写真を見たよ。

まぁ、お友達なだけ、、、でしょうけど、若い時のBonoは、このアルバムから急にイメチェンして、それがセクシーな感じに当時のお姉さま方に持て囃されていたのだから大変だったのね。

「あの子は素敵だ、と良い感じの女性に出会ったても俺には愛する妻がいる、、、だから無理なんだけど、幸せな家庭を築いて安泰しているこれってロッカーらしいのか?と考えた事がある」というのがBonoの苦しみだったから、この歌詞の主人公が話して、待っているという女性は奥さんの事なんですね。

イバラが脇腹に刺さっていたり、手が縛られていたり、あちこちにキリスト教の大罪に現れる道具が出てくるから、知らない人は、Bonoがクリスチャンでもあるしワードがワードなだけに「宗教観の争いだ」とか「イギリスとアイルランドの闘争」だと言われ続けてきたのよ。

実際は、なんて事ない、男の浮気したい気持ちとしてはいけないという良心の呵責の歌詞でした!

「一緒にいようといなかろうと」と訳したのは、サラッとした感じが良いかなっと感じたので。

どっちにしても生きていけないなんてねー、よくないわ。

で、も、確かに素敵な男性がいたら彼氏がいても目が行くもんね。

つい見ちゃう。だから、わからなくもない、Bonoよ。

現実的には、そんな素敵な男性に最近はお会いしておりませんわ

v(^_^v)♪

会えたら良いね、

皆さんも、素敵な恋愛してねん。

ってThe Edgeのお誕生日のお祝いが、浮気男はダメよ、の話になっちった!

でも、真実知れて楽しかったでしょ?

楽しんでくれたら嬉しいです。

また明日ねー!

See You tomorrow!

 

“With Or Without You” ‘s  lyrics ostensibly describe a troubled relationship between two lovers, although the lyrics have been interpreted in religious contexts.

The Washington Post interpreted the song as both an acerbic love song and a tune lamenting the moral contradictions one faces with their religious faith. Toby Creswell ecgoed these sentiments, saying it “can be read as a song about either marital romance or spiritual need”.

Bono explained that the lyrics had romantic intentions, saying, “there’s nothing more revolutionary than two people loving each other. One, ‘cause it’s so uncommon these days, and two, ‘cause it’s so difficult to do.”

In 1987, Bono explained that “And you give yourself away” lyric refers to how he sometimes feels exposed being in U2, and that his openness, both to the public and music press, can do damage to the group. Author Niall Stokes interpreted the line as encompassing the theme of “surrendering the ego” to one’s love and spiritual faith.

According to Bono, the song was heavily influenced by Scott Walker’s album Climate of Hunter.

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= U2 History =

結成〜メジャーデビュー1976〜

1976年、アイルランドダブリン、マウント・テンプル高校の掲示板にラリー・マレン・ジュニアがバンドメンバー募集の貼り紙を出し、これを知ったポール・ヒューソン(ボノ)、アダム・クレイトン、エヴァンス兄弟(兄ディック、弟デイヴ(ジ・エッジ))が集まり、5人で活動を始動。

バンド名は「Feedback」や「Hype」を経て、ディックが脱退した1978年に「U2」に。

Limerick Civic Week Pop ’78というタレントコンテストで優勝、1979年にはCBSアイルランドアイルランドと契約、「Out Of Control」「Stories For Boys」「Boy/Gorl」の3曲入りシングル「スリー」をアイルランド国内で1,000枚限定でリリース(イギリスではレコード会社に断られた)し、IREチャートで19位に食い込む。そして1979年~80年にかけてイギリスとアイルランドで精力的にツアーを行った結果、ついにアイランド・レコードと契約を交わした

The band formed at Mount Temple Comprehensive School in Dublin in 1976 when the members were teenagers.

The band formed in Dublin on 25 September 1976.  Larry Mullen Jr., then a 14-year-old student at Mount Temple Comprehensive School, posted a note on the school’s notice board in search of musicians for a new band—six people responded. Setting up in his kitchen, Mullen was on drums, with Paul Hewson (“Bono”) on lead vocals; David Evans (“the Edge”) and his older brother Dik Evans on guitar; Adam Clayton, a friend of the Evans brothers on bass guitar; and initially Ivan McCormick and Peter Martin, two other friends of Mullen. Mullen later described it as “‘The Larry Mullen Band’ for about ten minutes, then Bono walked in and blew any chance I had of being in charge.”

The group settled on the name “Feedback” because it was one of the few technical terms they knew.  Some of the earliest influences on the band were emerging punk rock acts, such as the Jam, the Clash, Buzzcocks, and Sex Pistols. The popularity of punk rock convinced the group that musical proficiency was not a prerequisite to success.

“We couldn’t believe it. I was completely shocked. We weren’t of an age to go out partying as such but I don’t think anyone slept that night … Really, it was just a great affirmation to win that competition, even though I’ve no idea how good we were or what the competition was really like. But to win at that point was incredibly important for morale and everyone’s belief in the whole project.”

 —The Edge, on winning the talent contest in Limerick

In April 1977, Feedback played their first gig for a paying audience at St. Fintan’s High School. Shortly after, the band changed their name to “The Hype”. Dik Evans, who was older and by this time at college, was becoming the odd man out. The rest of the band was leaning towards the idea of a four-piece ensemble.  In March 1978, the group changed their name to “U2”.

U2, as a four-piece, won a talent contest in Limerick sponsored by Harp Lager and the Evening Press. The prize consisted of £500 and studio time to record a demo which would be heard by CBS Ireland, a record label. The win was an important milestone and affirmation for the fledgling band. Within a few days, Dik Evans was officially phased out of the band with a farewell concert at the Presbyterian Church Hallw

Dik soon joined a new band, the Virgin Prunes, which comprised mutual friends of U2’s; the Prunes were the default opening act for U2 in their early days, and the two groups often shared members for live performances to cover for occasional absences. 

Irish magazine Hot Press was influential in shaping U2’s future; in addition to being one of their earliest allies, the publication’s journalist Bill Graham introduced the band to Paul McGuinness, who agreed to be their manager in  mid-1978.

The following month, the songs were released by CBS as the Ireland-only EP U2-3. It was the group’s first chart success, selling all 1,000 copies of its limited edition 12-inch vinyl almost immediately. In December 1979, the band performed in London for their first shows outside Ireland, although they were unable to gain much attention from audiences or critics.

On 26 February 1980, their second single, “Another Day“, was released on the CBS label, but again only for the Irish market. The same day, at the end of an Irish tour, U2 played a show in the 2,000-seat National Stadium in Dublin. Although they took a significant risk in booking a show at a venue of that size, it paid off; Bill Stewart, an A&R representative for Island Records, was in attendance and subsequently signed the group to the label.

1980年 – 1983年 Boy & October

1980年2月、アイルランド国内でシングル「Another Day」発表。5月契約したアイランド・レコードからシングル「11 O’Clock Tick-Tock」でデビュー。スティーブ・リリーホワイトのプロデュースで1stアルバム『Boy』発表。

1981年には2ndアルバム『October アイリッシュ・オクトーバー』

1983年に3rd Album『WAR(闘)』を発表。『WAR(闘)』のアルバムタイトルは母国アイルランドにおけるカトリックとプロテスタントの宗教対立に対して、不偏の非暴力主義をアピールしている。アルバム収録曲の「New Year’s Day」はポーランド民主化運動の独立自主管理労働組合「連帯」について取り上げた曲で、バンド初の全英シングルチャートトップ10。

Sunday Bloody Sunday 7は北アイルランド問題の「血の日曜日事件」を取り上げ、アイルランド共和軍(IRA)の活動を批判する立場を示した。このため、IRA支持者から脅迫された。

『WAR(闘)』はバンド初全英アルバムチャート1位を獲得。バンドは多くの支持を集める結果になった。

アメリカの音楽雑誌『ローリング・ストーン』誌は、U2を1983年度の「最優秀バンド」に選出。( 11月にはツアー最終公演地として日本を訪れ、初の日本公演を行った。来日時にはフジテレビ系音楽番組『夜のヒットスタジオ』に出演し、「ニュー・イヤーズ・デイ」を披露。)

社会問題や宗教観をストレートに表現する音楽スタイルは、当時のポストパンク(ニュー・ウェイヴ)と呼ばれた世代の中で異彩を放っていた。この初期3作品のジャケットには、共通して上半身裸の少年(ピーター・ローウェン)の写真が使われている。

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Boy and October (1980–1982)

Steve Lillywhite produced the band’s first three studio albums: Boy, October, and War.

In May 1980, U2 released “11 O’Clock Tick Tock”, their first international single and their debut on Island Records, but it failed to chart. Martin Hannett, who produced the single, was slated to produce the band’s debut album, Boy, but ultimately was replaced with Steve Lillywhite.

The band found Lillywhite to be very encouraging and creative; Bono called him “such a breath of fresh air”, while the Edge said he “had a great way of pulling the best out of everybody”. The album’s lead single, “A Day Without Me”, was released in August. Although it did not chart, the song was the impetus for the Edge’s purchase of a delay effect unit, the Electro-Harmonix Memory Man, which came to define his guitar playing style and had a significant impact on the group’s creative output.

Released in October 1980, Boy received generally positive reviews. Bono’s lyrics reflected on adolescence, innocence, and the passage into adulthood, themes represented on the album cover through the photo of a young boy’s face.

Boy peaked at number 52 in the UK and number 63 in the United State.

Lillywhite, reprising his role as producer, called the sessions “completely chaotic and mad”. Octobers lead single, “Fire”, was released in July and was U2’s first song to chart in the UK.

October was released in October 1981 and contained overtly spiritual themes. The album received mixed reviews and limited radio play, and although it debuted at number 11 in the UK, it sold poorly elsewhere.

The single “Gloria” was U2’s first song to have its music video played on MTV, generating excitement for the band during the October Tour of 1981–1982 in markets where the television channel was available.

During the tour, U2 met Dutch photographer Anton Corbijn, who became their principal photographer and has had a major influence on their vision and public image.

War (1982–1983)

After the October Tour, U2 decamped to a rented cottage in Howth, where they lived, wrote new songs, and rehearsed for their third album, War.

Significant musical breakthroughs were achieved by the Edge in August 1982 during a two-week period of independent songwriting, while the other band members vacationed and Bono honeymooned with his wife Ali.

The recording sessions featured contributions from violinist Steve Wickham and the female singers of Kid Creole and the Coconuts.

Wars lead single, “New Year’s Day”, was released on 1 January 1983. It reached number 10 in the UK and became the group’s first hit outside of Europe; in the US.

U2 released War in February. Nonetheless, it was the band’s first commercial success, debuting at number one in the UK, while reaching number 12 in the US.  Wars sincerity and “rugged” guitar were intentionally at odds with the trendier synthpop of the time. A record on which the band “turned pacifism itself into a crusade”, War was lyrically more political than their first two records, focusing on the physical and emotional effects of warfare.

The album included the protest song “Sunday Bloody Sunday”, in which Bono lyrically tried to contrast the events of the 1972 Bloody Sunday shooting with Easter Sunday.

Other songs from the record addressed topics such as nuclear proliferation (“Seconds”) and the Polish Solidarity movement (“New Year’s Day”).

Warwas U2’s first record to feature Corbijn’s photography. The album cover depicted the same young child who had appeared on the cover of their debut album, albeit with his previously innocent expression replaced by a fearful one.

On the subsequent 1983 War Tour of Europe, the US, and Japan, the band began to play progressively larger venues, moving from clubs to halls to arenas. The sight of Bono waving a white flag during performances of “Sunday Bloody Sunday” became the tour’s iconic image. U2 played Festival including a performance at US Festival on Memorial Day weekend for an audience of 125,000 people

The group’s 5 June 1983 concert at Red Rocks Amphitheatre on a rain-soaked evening was singled out by Rolling Stone as one “50 Moments that Changed the History of Rock and Roll”.

1984年 – 1989年

1984年、エチオピア飢餓救済を目指すバンド・エイドのチャリティーシングル「Do They Know It’s Christmas」にボノとアダム・クレイトンが参加。その後、ボノはアフリカ諸国の経済的自立を支援する様々な国際的プロジェクトに関与している。

1984年に4thアルバム『The Unforgettable Fire』を発表。『Unforgettable Fire』とは広島・長崎への原爆投下を生き抜いた被爆者達が描いた絵画のタイトルで、絵画を見たメンバーが感銘を受けて名づけられたものである。シングル「Pride (In The Name Of Love))」はマーティン・ルーサー・キング・ジュニア(キング牧師)へのトリビュート・ソングであり、全英シングルチャート3位のヒット。1985年にはウェンブリー・スタジアムで『ライヴエイド』に出演。

1987年3月に5thアルバム『The Joshua Tree』を発表。 全英・全米チャート1位を獲得した。

このアルバムは、世界中でNo.1ヒットし、イギリス音楽史上最速で売れたアルバムになり、未だにその偉大な記録は破られていない。

シングル「With Or Without You)、「終わりなき旅」(I Still Haven’t Found What I’m Looking For)はBillboard Hot 100で1位となった。

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ロビー・ロバートソンのソロ・アルバム『ロビー・ロバートソン』にメンバー全員が参加。1988年にはアメリカツアーのドキュメンタリー映画『魂の叫び』を公開し、同名のアルバムも発表。ボブ・ディランやB.B.キング、ヴァン・ダイク・パークスらが参加した。

先行シングル「Desire」は初の全英シングルチャート1位を獲得した。1989年には2度目の日本公演が開催され、スペシャルゲストにB.B.キングを迎えて行われた。

この時期のU2は、アメリカのルーツ・ミュージックの影響が強く、ロックの源流であるブルースやゴスペル、ソウルなどブラック・ミュージックの要素が色濃いサウンドが特徴であった。

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The Unforgettable Fire and Live Aid (1984–1985)

With their record deal with Island Records coming to an end, the band signed a more lucrative extension in 1984.

The group were confident that fans would embrace them as successors to the Who and Led Zeppelin, but according to Bono: “something just didn’t feel right. We felt we had more dimension than just the next big anything, we had something unique to offer.” Thus, they sought experimentation for their fourth studio album, The Unforgettable FireClayton said, “We were looking for something that was a bit more serious, more arty.”  The Edge admired the ambient and “weird works” of Brian Eno, who, along with his engineer Daniel Lanois, eventually agreed to produce the record. Island Records founder Chris Blackwell initially tried to discourage them from their choice of producers, believing that just when the band were about to achieve the highest levels of success, Eno would “bury them under a layer of avant-garde nonsense”.

Partly recorded in Slane Castle, The Unforgettable Fire was released in October 1984 and was at the time the band’s most marked change in direction.

It was ambient and abstract, and featured a rich, orchestrated sound. Under Lanois’ direction, Mullen’s drumming became looser, funkier, and more subtle, and Clayton’s bass became more subliminal. Complementing the album’s atmospheric sound, the lyrics are open to interpretation, providing what the band called a “very visual feel”.

The complex textures of the new studio-recorded tracks, such as “The Unforgettable Fire” and “Bad”, posed a challenge in translating to live performances.

U2 participated in the Live Aid concert for Ethiopian famine relief at Wembley Stadium in July 1985.

Their performance in front of 72,000 fans and for a worldwide television audience of two billion people was a pivotal point in the band’s career.

During a 12-minute performance of the song “Bad”, Bono leapt down off the stage to embrace and dance with a fan, showing a television audience the personal connection that Bono could make with audiences. In 1985, Rolling Stone called U2 the “Band of the ’80s”, saying that “for a growing number of rock-and-roll fans, U2 have become the band that matters most, maybe even the only band that matters”.

For their fifth album, The Joshua Treethe band wanted to build on The Unforgettable Fires textures, but instead of out-of-focus experimentation, they sought a harder-hitting sound within the limitation of conventional song structures.

Realising that “U2 had no tradition” and that their knowledge of music from before their childhood was limited, the group delved into American and Irish roots music. Friendships with Bob Dylan, Van Morrison, and Keith Richards motivated Bono to explore blues, folk, and gospel music and focused him on his skills as a songwriter and lyricist.

The tree pictured on The Joshua Tree album sleeve. Adam Clayton said, “The desert was immensely inspirational to us as a mental image for this record.”

The Joshua Tree was released in March 1987. The album juxtaposes antipathy towards US foreign policy against the group’s deep fascination with the country, its open spaces, freedom, and ideals.

The band wanted music with a sense of location and a “cinematic” quality, and the record’s music and lyrics draw on imagery created by American writers whose works the band had been reading.

The record went to number one in over 20 countries, including the UK where it received a platinum certification in 48 hours, making it the fastest seller in British chart history.

In the US, it spent nine consecutive weeks at number one. The album included the hit singles “With or Without You”, “I Still Haven’t Found What I’m Looking For”, and “Where the Streets Have No Name”, the first two of which became the group’s only number-one hits in the US.

U2 became the fourth rock band to be featured on the cover of Time magazine, which called them “Rock’s Hottest Ticket”.  The album won U2 their first two Grammy Awards, and it brought them a new level of success. Many publications, including Rolling Stone, have cited it as one of rock’s greatest. The Joshua Tree Tour was the first tour on which the band played shows in stadiums alongside smaller arena shows. It grossed US$40 million and drew 3 million attendees.

In October 1988, the group released Rattle and Hum, a double album and theatrically released documentary film that captured the band’s experiences with American roots music on the Joshua Tree Tour.

The record featured nine studio tracks and six live U2 performances, including recordings at Sun Studios in Memphis and  collaborations with Dylan and B.B. King. Intended as a tribute to American music, the project received mixed reviews from both film and music critics; one Rolling Stone editor spoke of the album’s “excitement”, another described it as “misguided and bombastic”.

The film’s director, Phil Joanou, described it as “an overly pretentious look at U2”.

Lead single “Desire” became the band’s first number-one song in the UK while reaching number three in the US.

 With a sense of musical stagnation, Bono said to fans on one of the last dates of the tour that it was “the end of something for U2” and that they had to “go away and … just dream it all up again”.

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known as
  • Feedback (1976–77)
  • The Hype (1977–78)
Origin Dublin, Ireland
Genres Rock, alternative rock, post-punk
Years active 1976–present
Labels Island, Interscope, Mercury
Associated acts Virgin Prunes, Passengers
Website u2.com
Members
  • Bono
  • The Edge
  • Adam Clayton
  • Larry Mullen Jr.

Discographyディスコグラフィ

Original Album オリジナル・アルバム

  • ボーイ – Boy (1980年)
  • アイリッシュ・オクトーバー – October(1981年)
  • WAR(闘) – War(1983年)
  • 焔 – The Unforgettable Fire (1984年)
  • ヨシュア・トゥリー – The Joshua Tree(1987年)
  • 魂の叫び -Rattle and Hum (1988年)
  • アクトン・ベイビー – Achtung Baby (1991年)
  • ZOOROPA – Zooropa (1993年)
  • ポップ – Pop (1997年)
  • オール・ザット・ユー・キャント・リーヴ・ビハインド – All That You Can’t Leave Behind(2000年)
  • ハウ・トゥ・ディスマントル・アン・アトミック・ボム – How to Dismantle an Atomic Bomb (2004年)
  • ノー・ライン・オン・ザ・ホライゾン – No Line on the Horizon (2009年)
  • ソングス・オブ・イノセンス – Songs of Innocence (2014年)

Live Album ライヴ・アルバム

  • ブラッド・レッド・スカイ=四騎= – Under a Blood Red Sky (1983年)

Best Album ベスト・アルバム

  • ザ・ベスト・オブU2 1980-1990 – The Best of 1980–1990 (1998年)
  • ザ・ベスト・オブU2 1990-2000 – The Best of 1990–2000 (2002年)
  • ザ・ベスト・オブU2 18シングルズ – U218 Singles (2006年)
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