Depeche Modeは大好きなだけにLyraにとっては、期間が開くと和訳したくなるバンドです。
今回は4回目?
ノリノリだったDepeche Mode絶頂期の曲の和訳とDepeche Mode Historyも最後の方に紹介するよ。
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デペッシュ・モード(Depeche Mode)は、イングランド・エセックス集出身のスタジアム級の実績を誇る世界的グループでニュー・ウェーヴの旗手として、今も第一線で活動し続けている。
ここ数年は大人しくしているDepeche Modeだが、特殊な(笑)性的指向が露呈した歌詞や、マーティンが着ていたボンデージファッションによるバンド・イメージから、ゴスやゲイの間でも熱狂的に支持されるアーティストであるために、好きなバンドを聴かれて素直に答えると、Lyraまでそういう趣味だと毎回、初対面の人に思われる悩ましい存在だ。
影響力大な男たち。
彼らの個性的なこのイメージと美意識は、現在もドイツや北欧、ロシアを中心としたダーク・エレクトロ勢に受け継がれている。
Lyraが今日和訳したのは”Policy Of Truth”。大ヒットしたアルバム『Violater』に収録されている曲。
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デペッシュモードらしさを決定づけた曲とビデオを見てみて。
その後でお話ししましょう。
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= Policy Of Truth =
You had something to hide
Should have hidden it, shouldn’t you
Now you’re not satisfied
With what you’re being put through
It’s just time to pay the price
For not listening to advice
And deciding in your youth
On the policy of truth
君は秘密にしてることがあったね
秘密にしておくべきだったんじゃないかな。
今はもう満足してないだろ
そんな経験させられても
俺の忠告を、聞かなかった代償がこれさ
若いうちに判決を下すし、
真実の法に基づいてね
Things could be so different now
It used to be so civilised
You will always wonder how
It could have been if you’d only lied
It’s too late to change events
It’s time to face the consequence
For delivering the proof
In the policy of truth
今じゃ、全てが物凄く変われた
前はとても教養の高さがあった
君は、嘘さえついてればといつも思い描くだろう
この行為を変えるにはもう遅いよ
真実の証を解放するために
結論と真っ向から対面する時だよ
真実の法に基づいてね
Never again
Is what you swore
The time before
Never again
Is what you swore
The time before
2度はないわ、と前に君は誓っただろ
2度はないわ、と前に君は罵っただろ
Now you’re standing there tongue tied
You’d better learn your lesson well
Hide what you have to hide
And tell what you have to tell
You’ll see your problems multiplied
If you continually decide
To faithfully pursue
The policy of truth
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今じゃ、君は恥じらって口ごもって立ち尽くしてる
君はもっと見せしめを受けた方が良い
秘密にしなきゃいけない物は隠しておくべきだし
露見させたきゃ話すべきだよ
君は自分の問題が増殖していくのがわかるだろう
忠実に追い求めることを断続的に君がこだわるなら
それが真実の法ってもんだよ
Never again
Is what you swore
The time before
Never again
Is what you swore
The time before
2度はないわ、と前に君は誓っただろ
2度はないわ、と前に君は罵っただろ
ソングライター: Martin Gore
和訳 Translator: Lyra Sky
メンバー全員若いし!
アントン・コービンのアートディレクションはモノクロが多いんだけど、そのせいかNYの映像?が「おフランス」映画を見てるようなオシャレなMusic Videoに。だけどねぇ、、、歌詞がね。普通じゃないように取れるの。
深読みすりゃ、もう、幾らでもダブルミーニングが出てくるの。
って普通の人は、普通に訳すと思うのでLyraとは違う風になるでしょうね。
Lyraは深読みするタイプだから。もう知ってるでしょうけど( ̄▽ ̄)
Hideにはムチ打ちの意味があるのよね。
それに色々、Wordsがあるので面白いからmaster-servantにしました。
Lyraは主従関係の歌にしたけど、マーティンが作詞だからイメージは正にそれでしょう?合うよね。
だけど、この歌詞の中の人は頭良い人にしました。ちゃんと相手を思いやれるタイプ。
欲望だけに走ってはいません。
バカは困るからね。
そして、どちらにでも成れる人にしましたわ。
誓わせる、も良いけど、主にばかりなる人より主従どっちもいけるタイプにしたかったので、男女共にね(男男共に or 女女共に)、どちらにも耽溺してる。
こう言う事を又、訳したり話すから誤解されるのよねLyraは。
Lyraは真面目です、か、ら。
真面目がこんな和訳しないか、、、
_φ( ̄ー ̄ )
Depeche Modeのこういう危なさや妖しさが、コアなファンにうけてるのよね。
冷たい音の中に熱い感情が渦巻いている世界。
これは、ヨーロッパ圏にまだ根強くあるアートと繋がりがある気がする。
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真面目にアートと向き合っているデペッシュモードとLyraは解釈しています。
でも、遊び心も忘れてない彼ら。
公式サイトでは2004年から2007年ごろまで、エイプリル・フールニュースが配信していたの。
2007年はデイヴがレストランを開業すると報じられ(フレッチが一時期ガスコーニュ(Gascognes)というレストランを経営していた話にひっかけたもの)、2006年はザ・キュアーのロバート・スミスが『プレイング・ジ・エンジェル』のジャケットのデザインが自分のシルエットに似ているとアントン・コービンを訴えたなど、気をつけないとうっかり信じかねないニュースばかりが毎年出していた。
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また性質が悪いことに4月1日ではなく前日に記述され、2004年のFCC(連邦通信委員会)がクラッキングされたというネタについてはラジオ局まで協力したらしいんだから、、、イギリス人ふざけ過ぎ!
最近はやらなくなったからね。
やっぱり大人しくなったな! Depecheも大人になったのかしら。元々、大人なんだけど(笑)。
でも、作り出す音楽は相変わらず斬新で挑戦的!
益々、実験や遊び心を盛り込んで行ってくれることを Depeche Modeに期待してるLyraです。
Depeche Modeを聴くと胸の中が、ザワザワするの。
貴方はどう?
好きになると抜けられなくなるわ。
Depeche Modeの音がゆっくりと貴方の体内に染み込んで来る。
そんな危険な歌詞をLyraは愛してるの。
* Depeche Mode好きさんや、気に入った方は、この後の 【Depeche Mode History】をまとめたので良かったら読んでくださいね。
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= デペッシュ・モードDepeche Mode =
出身地 イングランド
エセックス州 バジルドン
ジャンル シンセポップ
ニュー・ウェーヴ
オルタナティヴ・ロック
エレクトロニカ
活動期間 1980年 –
レーベル ミュート・レコード
サイアー・レコード
コロムビア・レコード
公式サイト depechemode.com
メンバーの脱退、アルコール中毒、薬物過剰摂取による自殺未遂などの苦境を乗り越えながらも、30年以上に渡るキャリアと、全世界で約9,100万枚のシングル・アルバムを売り上げた記録を持つ。
その功績・業績に比して日本での知名度は低いものの、2006年のMTVヨーロッパ・ミュージック・アワードの最優秀グループ賞を得るなど、欧米での評価と人気は健在である。
「デペッシュ・モード」は、フランスのファッション雑誌 “Dépêche mode” から引用した。英語では”fast fashion”。”最先端の流行”という意味があるが、結成当時その意味を意識して命名されたわけではない。
メンバー
現ラインナップ
デイヴ・ガーン(Dave Gahan) – ボーカル (1980– )
マーティン・ゴア(Martin Gore) – ギター/キーボード (1980– )
アンディ・フレッチャー(Andrew Fletcher) – キーボード/ベース (1980– ) 愛称:フレッチ
デイヴ・ガーン(Vo) 2010年
マーティン・ゴア(G/Key) 2009年
アンディ・フレッチャー(Key/B) 2011年
サポート
クリスチャン・エイナー Christian Eigner – ドラムス/キーボード (1997– )
ピーター・ゴーデノ Peter Gordeno – キーボード/ベース (1998– )
旧メンバー
ヴィンス・クラーク(Vince Clarke]) – キーボード (1980–1981) ヤズーを経て2011年現在イレイジャーで活動中
アラン・ワイルダー(Alan Wilder) – キーボード/ドラムス (1982–1995, 2010) ソロ・プロジェクトリコイルで活動中
1977年、学生だったフレッチとヴィンスが結成した “No Romance In China” が母体。結成当初フレッチはベース、ヴィンスはヴォーカルとギターを担当していたが、友人のロバート・マーロウがボーカルとして加入した。
マーティンはアコースティック・デュオでギターを弾いていた。
1979年、ヴィンスとマーティン、ロバートは友人のポール・レッドモンド(Paul Redmond)を招いて “The French Look” を結成。ボーカルはロバート、マーティンがギター、ヴィンスとポールがシンセサイザーを担当。ロバート・マーロウとポール・レッドモンドはここまで。
ロバートはミュージシャンとして4年ほど活動し4枚のシングルを出した後、休業。1999年に復帰し『The Peter Pan Effect』というアルバムを出している。
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1980年ヴィンス、マーティン、フレッチにより “Composition of Sound” 結成。
結成当初はヴィンスがボーカルとギター、マーティンがキーボード、フレッチがベース担当だったが、やがてヴィンスとフレッチもキーボードに切り替え、ヴィンスはデヴィッド・ボウイの『英雄夢語り (ヒーローズ)』のジャム・セッションをしていたデイヴをバンドに招いて、「デペッシュ・モード」が出来た。
公式な最初の楽曲は、サム・ビザールのコンピレーションアルバム『Some Bizarre』に収録された「Photographic」だった。(このバージョンは『ザ・シングルズ ’81-’85』に収録)
デビューのきっかけは、彼らのステージを東ロンドンにあるパブ「ブリッジハウス」で見た、ミュート・レコードのダニエル・ミラーに声をかけられたこと。
彼らは1981年2月にデビューシングル「Dreaming of Me」発表。全英チャートで57位を記録。
次にシングル「New Life」を発表、全英チャート11位を記録するスマッシュヒットとなり、3ヵ月後に出した「Just Can’t Get Enough」では全英チャート最高8位と着実に成果を出していく。
アルバム『ニュー・ライフ』は全英チャート10位を記録し、評論家や雑誌から好意的な評価を得た。ニュー・ウェーヴの最盛期であったのもラッキーなことだった。
プロモーションとツアー活動に不満を漏らしていたヴィンスが1981年に脱退。作詞作曲を手がけていたヴィンスの脱退はバンドにとってダメージになるが『ニュー・ライフ』で「Tora! Tora! Tora!」と「Big Muff」の2曲を手がけたマーティンが代わりに作詞作曲を担当することでバンドを存続させ、マーティンの才能が開花させるきっかけとなる。
脱退後の「See You」は過去最高の全英チャート6位を記録。
『ア・ブロークン・フレイム』を発表。
やがてバンドは4番目のメンバーを求め、オーディションの結果、当時22歳のアラン・ワイルダーをメンバーにする。
実はこの時、アランは年齢を詐称していたが、問題にはならなかった。1983年に4人編成に戻ってから初のシングルとなる「Get the Balance Right!」を発表。これは後のベスト盤までアルバムには収録されなかった。
アルバム『コンストラクション・タイム・アゲイン』を発表。このアルバムでアランはバンドの音楽性に今までにない要素、金属の打撃音や摩擦音といったインダストリアル・ミュージックの要素を持ちむ。
『コンストラクション・タイム・アゲイン』からはバンドの代表曲となる「Everything Counts」がシングルカット。
この頃から、マーティンの詞には社会の矛盾に対する鋭い批判や意味深なニュアンスが込められるようになってくる。
1984年『サム・グレート・リウォード』は、挑発的な楽曲で売り上げも過去最高となる。
「People Are People」は全英チャート4位、全米チャート13位など欧米でヒット。バンドのイメージを一新する、人種差別と暴力をテーマにしたこの曲は、様々なアーティストがカバーした。アメリカではサイアー・レコードから同名のミニアルバムが発売されている。
「Master and Servant」は、詞の内容や鞭の打撃音、鎖の音など当時は公にできなかったSMプレイを想起させる内容となり、アメリカのラジオ局では曲を流すのを自粛した。またBBCでも一時放送禁止が取り沙汰された。メンバーが黒い皮やエナメルを用いた服装に身を纏い、マーティンが女装をしだしたのもこの時期。
「Blasphemous Rumours」は、自殺を図った少女が命を取り留めるも、キリスト教に目覚めた途端事故で死ぬ」という皮肉に満ちた運命を背景に、神に毒づく歌詞が問題となり、アメリカのラジオ局で放送自粛の処置がとられたが、BBCではテレビ番組で歌う。
1985年、初のベスト盤『ザ・シングルズ ’81-’85』発表。アメリカでは同時期にCatching Up with Depeche Modeという収録曲が一部異なるベスト盤も発売。
1986年シングル「Stripped」は、実験作として発表、『ブラック・セレブレーション』で効果的に使われ、彼らの特色となる立体的アンビエントを取り入れた音響効果の片鱗を伺わせる作品。
『ブラック・セレブレーション』はその名の如く歌詞も死や闇といったものからの影響が色濃く出ている作品。
「A Question of Time」のミュージック・ビデオは、U2やマドンナなど数多くのアーティスト写真を撮るアントン・コービンが担当することになった。
その後、コービンはデペッシュ・モードのミュージック・フィルムのみならず様々な写真、ステージの演出など多岐に渡りバンドのビジュアル面に関わることになる。
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大衆向けではない「大衆向け音楽」と「101番目の公演」
1987年に発表された『ミュージック・フォー・ザ・マスィズ』は、マーティンの孤独感や人間関係のすれ違いを表現した歌詞と、アランのオーケストレーションのシンセサイザーが印象に残るアルバム。初めてデジタル録音を取り入れた。
101公演に渡る世界ツアーが始まり、最終となった101回目のライブの地、カリフォルニア州パサデナのローズボウルに6万6千人以上の観客を集めた。この模様はライブアルバム『101〜ライヴ・イン・パサディナ』に収録され、同名のドキュメントフィルムがドキュメンタリー映画作家D・A・ペネベイカーの手によって撮られた。
1989年、シングル「Personal Jesus」を発表。カントリー・ミュージックやブルースを匂わせるギターフレーズとメロディが注目を浴びる。
1990年「Enjoy the Silence」を発表。全英6位、全米8位という過去最高の記録を残す。そしてアルバム『ヴァイオレーター』はバンド史上最大のヒット作として記録。アメリカだけでも350万枚も売り上げている。バンドの楽曲もクオリティを増し、10年間で築き上げてきたデペッシュ・モードの集大成的な作品となった。
ツアー終了後、1991年にヴィム・ヴェンダースの映画『夢の涯てまでも』に「Death’s Door」を提供した以外は目立った活動はなかった。
1992年、次のアルバムに向け活動を再開、録音はスペイン。街から遠く離れた別荘で行われたため、事実上の監禁状態。
そうした中で生まれたシングル「I Feel You」はグランジ・ロックやオルタナティヴ・ロックの影響を色濃く受けたロックナンバーであり、バンドのイメージをさらに一新させるものに。
アルバム『ソングス・オブ・フェイス・アンド・デヴォーション』は、歌詞が宗教的な要素を多く含んでる。
売り上げという点で言えば「I Feel You」はアメリカのモダン・ロック・チャートで5週連続1位を記録し、『ソングス・オブ・フェイス・アンド・デヴォーション』は売り上げこそ前作『ヴァイオレーター』に及ばなかったものの、イギリス、アメリカ、ドイツなどで1位を記録した。
Devotionalツアーではいくつかのトラブルに見舞われた。デイヴの周辺には素性の怪しい人間が集まるようになる。南アフリカ公演の際、アフリカ系住民の居住区を視察に行ったところ住民の感情を逆撫でしてしまい、襲撃を受ける羽目になってしまう。そして南米公演にはフレッチが参加することを拒否する。理由について後日、一時期情緒不安定になったことを明らかにしている。
1995年6月、アランがバンドからの脱退を表明。理由として、「バンドでの音楽面の貢献に対する自分への敬意が払われていない」と主張。
8月、今度はデイヴが自殺未遂をする。デイヴは長年の薬物使用による重度の薬物中毒に陥っており、また2番目の妻とも離婚を余儀なくされるなど、治療を要する状態になっていた。
薬物治療を経て回復した矢先の1996年5月28日、親族から電話で懲りずに繰り返すと言われたことに逆上し、ロサンゼルスのホテルの一室でヘロインとコカインの混合物を大量に注射し、手首を切って自殺を図った。偶然、友人がデイヴの滞在していた部屋を尋ね、意識を失ったデイヴを発見し通報、病院へと搬送された。その途中、デイヴの心臓が2分間止まっている。一命は取り留めたものの、2日後に警察に逮捕され、裁判の結果9ヶ月のリハビリを命じられ、これを達成する。以来、長年使用していた薬物と縁を切り、住んでいたロサンゼルスを離れニューヨークへと移った。
さらにマーティンもアルコール依存症に苦しんでいたことが後に雑誌「Q」でのインタビューで判明。Devotionalツアー南米公演におけるフレッチの参加拒否の理由が、メンバーがそれぞれ抱えていた問題に対処しきれず悩んだ末に心を病んだことが原因のひとつだったことも判明。
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ドイツ・オーバーハウゼン公演 (2001年)一連のトラブルの最中に行われていた。プロデューサーにボム・ザ・ベースのティム・シムノンを招き、作曲も進んでいた。しかしデイヴの自殺未遂とその後のリハビリの影響により、スケジュールは大幅に伸びてしまった。
1997年2月に完成した3人組での再出発アルバム『ウルトラ』は翌1997年4月に発表される。先行シングルの「Barrel of a Gun」はデイヴの過酷な状況を表現した重い歌詞とメロディのロックナンバーで、かつてのメンバーのヴィンスが雑誌「Q」のインタビューの中で当惑する有様であった。しかし英国チャート4位を記録。アルバムも英国チャート1位を記録した。
『ウルトラ』の内容自体は、『ヴァイオレーター』の路線を継承するというコンセプトを取ったのと、ティム・シメノンがアランのかつての仕事を思わせるようなアレンジに徹したアルバムとなった。『ウルトラ』からは「It’s No Good」や「Home」などがシングルカットされた。
1998年、2枚目のベストアルバム『ザ・シングルズ ’86-’98』を発表。これに合わせシングル「Only When I Lose Myself」も発表している。また最初のベストアルバム『ザ・シングルス ’81-’85』も曲を追加して再発され、過去の曲を積極的に選曲したツアーも行われた。
2001年の『エキサイター』でビョークとの仕事で実績のあるマーク・ベルをプロデューサーに迎え、IDMなど先進的なテクノやハウスの要素を盛り込み、従来のアルバムとは毛色の違うものに。
2003年、デイヴ、マーティンはそれぞれソロ作品を発表。特にデイヴは自ら作詞作曲にチャレンジ。
一方フレッチは自らのレーベル「トースト・ハワイ」を立ち上げ、クライアントという女性エレクトロデュオをプロデュースした。
2004年、シングルのカップリングに収録されていたリミックスを集めた『リミックス 81-04』を発表。
2005年新作『プレイング・ジ・エンジェル』の製作にはいる。プロデューサーはブラーの『シンク・タンク』などを手がけたベン・ヒリアー。続いて行われた”Touring The Angel”ツアーは欧米をめぐり、約250万人の動員を記録。
2006年過去のアルバムのリマスターがSA-CD(ハイブリッド)とDVDのセットで逐次発売され、2007年3月で全てのオリジナル・アルバムがリマスター化された。
3枚目のベストアルバム『ザ・ベスト・オブ・デペッシュ・モード VOL. 1』が発表され、これに収録された新曲「Martyr」もシングルカット。一方マーティンはDJとして各地を回っている。
2006年には輝かしい記録を作っている。音楽配信サイト7digital.comの2006年度年間売り上げのトップアーティストとしてデペッシュ・モードがランクインされたほか、MTVヨーロッパ・ミュージック・アワードにおいて最優秀グループ賞を獲得。MTVでの受賞のスピーチはフレッチが行った。
2007年はデイヴの2作目のソロ作品が発表された。マーティンに続き、フレッチもDJとして世界各地に足を運んでいる。
2008年、新作制作へ。プロデューサーは前作と同じくベン・ヒリアー。2009年には春からのツアーの予定が発表され、アルバム名『サウンズ・オブ・ザ・ユニヴァース』と明らかになり、(イギリスで)4月20日にリリースされることが決まった。なお、アメリカでは長く所属していたワーナー・ミュージック・グループ(サイアー・レコードおよびリプリーズ・レコード)を離れ、ミュートと同じEMIグループのヴァージン・レコード/キャピトル・レコードからのリリースとなった。
2月9日「Fragile Tension」 のリークがあり、デイヴは後のインタビューでリークされたのはまだ最終バージョンではない未完成版と語った。だが3月26日にはフルアルバムがリークするという事態になってしまった。
『サウンズ・オブ・ザ・ユニヴァース』発売後、イスラエルを皮切りに東欧、西欧、そして南北アメリカと続く大規模なツアー Tour Of The Universe が開始。
しかし初日のイスラエル公演直後デイヴが不調を訴え、直後のギリシャ公演が中止。イギリスに戻ったデイヴが精密検査を受けたところ、膀胱から悪性腫瘍が発見されたため、その摘出と静養のため、また代替のスケジュールがとれないとして東欧諸国の公演と各地のロックフェスティバルへの出演が全て中止となった。ツアーはドイツのライプツィヒ公演から再開されている。
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2010年2月17日、バンドはTeenage Cancer Trustに協賛し、ロイヤル・アルバート・ホールにてチャリティ・コンサートを開催した。このコンサートでは事前にゲストが登場すると予告されていたが、アンコールの一曲目で1995年にバンドを脱退したアランが登場、「Somebody」でピアノを弾き、ファンを沸かせた。
2012年12月11日、バンドはコロムビア・レコードと契約を発表。
2013年3月、通算13枚目のアルバム『デルタ・マシーン』をリリース(イギリスでは25日、アメリカでは26日)
スピリット
2017年3月、通算14枚目のアルバム『Spirit』をリリース。
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= ディスコグラフィー =
アルバム
●1981 Speak & Spell
発売日: 1981年10月5日
レーベル: Mute, Sire
フォーマット:CD, cassette, LP
UK: ゴールド
GER: ゴールド
SWE: ゴールド
●1982 A Broken Frame
発売日: 1982年9月27日
レーベル: Mute, Sire
フォーマット: CD, cassette,LP
UK: ゴールド
●1983 Construction Time Again
発売日: 1983年8月22日
レーベル: Mute, Sire
フォーマット: CD, cassette, LP
UK: ゴールド
GER: ゴールド
●1984 Some Great Reward
発売日: 1984年9月24日
レーベル: Mute, Sire
フォーマット: CD, cassette, LP
全米売上: 100万枚
UK: シルバー
GER: ゴールド
US: プラチナ
●1986 Black Celebration
発売日: 1986年3月17日
レーベル: Mute, Sire
フォーマット: CD, cassette, LP
全米売上: 50万枚
UK: シルバー
FRA: ゴールド
GER: プラチナ
US: ゴールド
●1987 Music for the Masses
発売日: 1987年9月28日
レーベル: Mute, Sire
フォーマット: CD, cassette, LP
全米売上: 100万枚
UK: シルバー
FRA: プラチナ
GER: ゴールド
SWE: ゴールド
US: プラチナ
●1990 Violator
発売日: 1990年3月19日
レーベル: Mute, Sire
フォーマット: CD, cassette, LP
全米売上: 300万枚
UK: ゴールド
AUT: ゴールド
FRA: プラチナ
GER: プラチナ
SWE: ゴールド
SWI: プラチナ
US: 3× プラチナ
●1993 Songs of Faith and Devotion
発売日: 1993年3月22日
レーベル: Mute, Sire, Reprise
フォーマット: CD, cassette, LP
全米売上: 100万枚
UK: ゴールド
AUT: ゴールド
FRA: 2× ゴールド
GER: ゴールド
SWI: ゴールド
US: プラチナ
●1997 Ultra
発売日: 1997年4月14日
レーベル: Mute, Reprise
フォーマット: CD, cassette, LP
全米売上: 58.4万枚
UK: ゴールド
FRA: ゴールド
GER: ゴールド
SWE: ゴールド
SWI: ゴールド
US: ゴールド
●2001 Exciter
発売日: 2001年5月14日
レーベル: Mute, Reprise
フォーマット: CD, cassette, LP, digital download
全米売上: 42.6万枚
UK: ゴールド
AUT: ゴールド
FRA: ゴールド
GER: プラチナ
SWE: ゴールド
SWI: ゴールド
US: ゴールド
●2005 Playing the Angel
発売日: 2005年10月17日
レーベル: Mute, Sire, Reprise
フォーマット: CD, LP, digital download
全米売上: 41.8万枚
UK: ゴールド
AUT: ゴールド
FRA: プラチナ
GER: 2× プラチナ
SWE: ゴールド
SWI: ゴールド
●2009 Sounds of the Universe
発売日: 2009年4月17日
レーベル: Mute, EMI
フォーマット: CD, LP, digital download
UK: シルバー
AUT: ゴールド
FRA: プラチナ
GER: 3× ゴールド
ITA: プラチナ
SWE: ゴールド
SWI: プラチナ
●2013 Delta Machine
発売日: 2013年3月25日
レーベル: Columbia, Sony
フォーマット: CD, LP, digital download
全米売上: 5.2万枚
UK: シルバー
AUT: ゴールド
FRA: プラチナ
GER: 3× プラチナ
ITA: プラチナ
SWE: ゴールド
SWI: プラチナ
●2017 Spirit
発売日: 2017年3月17日
レーベル: Columbia, Sony
フォーマット: CD, LP, digital download
全米売上: 6.2万枚
リミックス、ベストアルバム
ザ・シングルズ ’81-’85 / The Singles 81→85 (1985年。1998年にボーナストラックを加えて再発)
ザ・シングルズ ’86-’98 / The Singles 86>98 (1998年)
リミックス 81-04 / Remixes 81-04 (2004年)
ザ・ベスト・オブ・デペッシュ・モード VOL. 1 / The Best of Depeche Mode Volume 1 (2006年)
リミックス2: 81-11 / Remixes 2: 81-11 (2011年)
ライブアルバム
101〜ライヴ・イン・パサディナ / 101 (1989年)
ソングス・オブ・フェイス・アンド・デヴォーション・ライヴ / Songs of Faith and Devotion Live (1993年)
ライヴ・イン・ベルリン-サウンドトラック / Depeche Mode Live in Berlin (2011年)
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プライベート
デイヴは2回の離婚歴を経て、今は3人目の妻がいる。子供は3人。うち1人は最初の妻との間に生まれた息子ジャックで、もう1人の息子は今の妻の連れ子。今の妻との間にも娘が生まれ、溺愛していると公言している。最初の息子ジャックの名前は、デイヴが10歳の頃亡くなった育ての父ジャックからとった。
マーティンは結婚していたが、『プレイング・ジ・エンジェル』発表の際、離婚調停に入っていることが明らかになり、2006年に正式に離婚した。子供が3人おり、長女ヴィヴァ・リーはマーティンのソロコンサートで父娘競演を果たし観客の喝采を浴びた。「Precious」は子供たちに向けたメッセージソングである。なお、マーティンは2011年に再婚している。
フレッチに関してはプライベートの話題はほとんど伝わってこないが、結婚しており、娘と息子がいる。
2011年のサマーソニックにてフレッチが来日しDJを行った。東京公演は8月13日ソニックマニア、8月14日はサマーソニック大阪会場。
デイヴ以外の二人はサッカーファンである。マーティンはアーセナルFC、フレッチはチェルシーFCのサポーター。2002年、アーセン・ベンゲル率いるアーセナルにプレミアリーグ制覇とFAカップ優勝の二冠達成の可能性が出てきた時、一切関心のないデイヴは呆れ半分で「もし二冠達成したら髪切って髭も剃ってやるよ」と約束した。結果、アーセナルは二冠を達成したため、公約通りデイヴは十年来伸ばしていた髪を切り髭を剃った。
ちなみにサッカーがらみでは「Just Can’t Get Enough」がセルティックFCや名古屋グランパスの応援歌(チャント)として同チームのサポーターに知られている。特にセルティックFCのものについてはシングルカットされ、タイ王国のダウン症の子供たちに向けた基金「The Good Child Foundation」に収益が使われた。フレッチはGoal.com(英語版)のインタビューで「僕たちはセルティックFCのサポーターが歌詞を忠実にチャントに使ってくれていることを誇りに思うよ。一番いいのは、彼らが僕らの歌のことを知っていることだね」と賛辞を述べた。
マーティンといえば巻き毛の金髪がトレードマークだが、「Useless」のPVでは丸刈りになった姿を披露し、近年は短髪にしていることが多くなった。
屋敷豪太 は「Useless」のドラムパートの一部を担当した。
『コンストラクション・タイム・アゲイン』のジャケットでハンマーを振りかざしているのはダニエル・ミラー。
インダストリアル・ロックのバンドPIGのリーダーで、日本では今井寿と藤井麻輝のユニットSCHAFTでの活動等で知られるイギリス人ミュージシャンのレイモンド・ワッツも数多くのデペッシュ・モード支持者のひとり。あるバーでデイヴとマーティンに偶然出会い、ありったけの賛辞を述べたが、当時のデイヴはドラッグ中毒真っ只中、マーティンもアル中と言った具合で、軽くあしらわれてしまったという。
2011年5月、Composition of Sound名義で録音されたという3トラック入りデモ・テープが、ブリッジハウスでダニエルミラーよりいち早く彼らを発掘し、ギグの機会を与えたテリー・マーフィーによってeBayに出品された。落札価格は2750ポンド、日本円で約37万円。
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