【Flying Burrito Brothers / Hot Burrito #1】和訳 Face the Truth 解説

“Like A Rolling Stone” この人を見てるとLyraの心に浮かぶ。

Bob  Dylan ボブディランのこの歌がかつての振られた恋人のEdie Sedgwick イーディ・セジウィックの顛末を歌っていると噂されているけれど、これって良いところのBoys & Girlsが、限度を知らずにやり過ぎて後戻りできなくなったって話。

ただ、それだけなのよ。

今日Lyraが和訳&解説するのは、アメリカ合衆国ロスアンジェルスで1968年に結成されたカントリーロックバンドフライング・The Flying Burrito Brothers フライング・ブリトー・ブラザーズ (1971年に解散)。

そして上の写真は、ヴォーカルでありシンガーソングライター、ギターのGram Parsons  グラム・パーソンズ(1946年11月5日 – 1973年9月19日)。アメリカ合衆国フロリダ州出身、本名Cecil Ingram Connor.III。

The Byrds バーズのアルバム『ロデオの恋人』でバンドメンバーだったGramがいたからこそ、カントリーロックという新たな流れを生み出されたと言われる実は凄い男でもある。

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「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第86位。

フロリダ州生まれ、ジョージア州育ち。

1966年にインターナショナル・サブマリン・バンドを結成、1968年アルバムを発表。

その後バーズにグラムが加入したことにより、バーズがカントリーからの影響を受けたように、Rolling Stonesローリングストーンズや当時のミュージシャン達もが、Gram Persons から多大な影響を受けたと言う。

そんな時代の立役者だったGramが、バーズとして、アフリカにツアーに行きたくない(アパルトヘイトのせい)からと脱退し、新しく結成したバンドが、今日Lyraが和訳するバンドFlying Burrito Brothersだ。

マジで、新しい風を吹かせる男だったのか?

その話はLyraの和訳の後にお話ししましょう!

今日Lyraが選んだ曲は、Flying Burrito Brothersのデビューアルバム『The Gilded Palace Of Sin』(1969年)から【Hot Burrito #1】。

いろんな意味で考えさせられるラブソングだ。

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The Flying Burrito Brothers are a seminal American country rock band, best known for their influential 1969 debut album, The Gilded Palace of Sin Although the group is perhaps best known for its connection to band founders Gram Parsons and Chris Hillman (formerly of the Byrds), the group underwent many personnel changes and has existed in various incarnations. A lineup with no original members (and derived from the 2000s-era Burrito Deluxe) currently performs as The Burrito Brothers.

 

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= Hot Burrito #1 =

You may be sweet and nice
But that won’t keep you warm at night
Cause I’m the one who showed you how
To do the things you’re doing now
He may feel all your charms
He might hold you in his arms
But I’m the one who let you in
I was right beside you in the end

[Bridge]
Once upon a time
You let me feel you deep inside
But nobody knew, and nobody saw
Do you remember the way we cried?

[Chorus]
I’m your toy, I’m your old boy
But I don’t want no one but you to love me
No, I wouldn’t lie
You know I’m not that kind of guy

[Bridge] x 1

[Chorus] x 1

 

お前は可愛くて魅力的な子だろう

でも、夜になるればそんなことがお前を慰めてくれはしない

だってお前が今やってる事がどんな物か、俺がお前に見したから

奴は、お前の良い所を全部感じるかもしれないし

夜にはお前をその手で抱きしめるに違いない

でもな、俺は最後の最後にお前の側にいるべき奴なんだならな

遠い昔、

お前は俺に、お前の奥底まで感じさせてくれた

だが、誰も知らない、見たこともない

俺たちがどんな感じに叫んだか覚えているかい?
俺はお前のオモチャだ
俺はお前のお古の彼氏さ
でも、お前以外の女に愛して欲しくないんだ
いいや、俺は嘘はつかないよ
ああいったタイプの男じゃないってお前も分かってるじゃないか

遠い昔、

お前は俺に、お前の奥底まで感じさせてくれた

だが、誰も知らない、見たこともない

俺たちがどんな感じに叫んだか覚えているかい?
俺はお前のオモチャだ
俺はお前のお古の彼氏さ
でも、お前以外の女に愛して欲しくないんだ
いいや、俺は嘘はつかないよ
ああいったタイプの男じゃないってお前も分かってるじゃないか

Songwriter: Gram Parsons & Chris Ethridge

Translator: Lyra Sky 和訳

なんか色男ぶっていて嫌だわ〜。てのが始めて見た時のLyraの感想だ。

「僕ってカッコイイだろ?」

「この目線ならこの角度で笑ったら可愛いかな?」と花輪君の言い方で、思いながら歌ってる感じが見える。

花輪君は実は硬派で良い男の子だから嫌ではないが。(あっ、Gram Personsのファンの皆様、本当にごめんなさい!あくまでも好みの違いなんで許してね。)

そんな女泣かせの色男ぶりパフォーマンスとは、打って変わって歌詞は、驚きの真逆の超一途。

女に泣かせられて困っているんだけど、「お前以外の女を愛したくない」と言い切っている男の一途な歌詞である。

「俺はお前のオモチャだ。お古の彼氏」と言ってることからして、元彼の位置にいるし、自らをオモチャ呼ばわりして自虐的になってはいるが、

笑い飛ばせるだけの冷静さと彼女への揺るがない愛の深さが感じられる。

開き直った自分の愛をまだ歌う男の姿だ。

Gramよ、貴方は一途な人だったの?

歌詞の「あんな奴じゃないよ」って部分から、Lyraはこの2人元サヤになりそうな雰囲気だし、このまま幸せになれば良いわぁ〜と思う。

素直な男の刹那い愛の歌が【Hot Burrito #1】なのだ。

実にシンプルな開き直った歌  (シチュエーションは複雑だか…)。

男の純情を、あれこれバンドを変えて移り気な男 Gramが歌う、、、というギャップが良いのだろうか?

ギャップ萌えが、遥か40年以上前の曲で行なわれていたことにLyraは深い感動を、、、受けはしない。

もっと別なところでジーンとしてしまうのだ。

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Grum Persons は1946年11月5日フロリダ州生まれで、ジョージア州南部の巨大果樹園の富豪の長男として、お金の不自由がない生活を一生送ることになる、、、が波乱万丈の人生が待っていた。

12歳の頃「Gram 愛している」と書き残したまま父が銃自殺。

後に母がBob Personsと再婚するがアルコール中毒だった母はしばらして亡くなってしまう。

それがGramのトラウマになったのか死生観になったのか?

ハーバード大に入学するも1単位も取らずに退学し、直ぐにNYで結成したのがInternational Submarine Bandであり、又すぐにThe Birdsに加入してしまう。

この時期にGramは Kieth Richardsと出会い意気投合。

Kiethからアパルトヘイトのことを教えてもらったGramは、せっかく『ロデオの恋人』で功績を認められたのに、アフリカに行きのThe Birdsのツアーには行かず、その為クビになってしまう。

翌年1969年に元バーズのChris Hillman とこのFlying Burrito Brothersを結成。だが、

「バンドよりもKiethといたかったんだ」というFlying Burrito Brothers メンバーの証言に現れているように、GramとKiethの親交は深いものになって行き、バンドそっちのけ。

Gramは、ただ単にKiethが好きってだけで一緒にいたKieth に自分の好きな曲を教えたり聴いていただけだろう。

だが、KiethにはGramは良い師であったに違いない。

未知の世界だったアメリカのカントリーミュージックやアメリカのルーツを知るきっかけになり、Gramから受け継いだカントリーミュージックやカントリーロックの精神が未だにKiethの中にあるという。

アイディアを盗み受け継ぐ。まるで師匠と弟子か?

あのHonkey TonkなThe Rolling Stones のカントリーロックのテイストはGramから教わった精神なのかもしれないね。

1971年後に妻になるGretchen と南フランス、ネルコートのKiethを訪ねて行くと丁度アルバム『Exile on Main St』の製作中だった。

いつものようにKiethとプレイしたり遊んだり、スタジオにもいたGram 。

Gramは、自身のアルバムでThe Rolling Stones がこの時製作中だったこのブログでも和訳と解説をした【Wild Horses】 をカヴァーしている。

2人の間には見えないロックの絆があったんだろう。

この時のGramの短い休暇がKiethとの出会いの最後となった。

その後1970年 Janis Joplin ジャニス・ジョプリン、The Band ザ・バンド、Greatful Dead グレイトフル・デッド、Buddy Guy バディ・ガイと共にカナダを鉄道で回るツアーを行う。その模様は映画『Festival Express 』として公開。

Gramはソロになり、1973年初ソロ・アルバム『GP』を発表。

ジェームズ・バートン(エルヴィス・プレスリーのバック・ギタリスト)、リック・グレッチ(元ブラインド・フェイス)、エミルー・ハリス等の豪華ゲストを起用した作品だったがセールス的にはダメ。

2nd Album『Grievous Angel』完成するとお祝いにとGramが好きだった、カリフォルニア州ヨシュアトゥリー国立公園へと向かうが、途中立ち寄ったJoshua Tree Inn 8号室で、モルヒネとアルコールの過剰摂取により亡くなってしまう。26歳の若さだった。(1973年9月19日)

1974年遺作として『Grievous Angel』発表。

 

Gram Persons は、カントリーとロックの融合を試み『The Gilded Palace Of Sin』や2作目『Burrito Deluxe』などカントリーロック史に残る作品を残した。

Gramが作り出したカントリー・ロックと言っても過言ではないだろう。

そして、彼が築いた音楽は、ポコやイーグルスなどのロサンゼルスのフォロワーバンドに大いに影響を与えて行く。

何かを作り出すと言うことはパワーがいるものだ。

パワーがあるという人間は魅力的。

そんな魅力的な人間には人々は集まって来るし影響されてしまう。

きっとGramはそんなパワーと魅力がある人間だったに違いない。

おまけに良いとこのボンボンだから、知性や教養やマナーや品性は、Private School や周りの大人たちから与えられたに違いない。

ましてや両親が早くになくなり、妹と2人ならば、いやでも早く大人になりたかっただろうし、実際に大人になっただろう。吸収力が半端なかったんじゃなかろうか?

何かを作り出す人間には、先見の目を持っていなければならないと思う。

この孤独な時期に、俯瞰で物事を見る力が養われたのではないか?

だからこそ、素晴らしい作品を作り出したし、新しいバンドや新しい風を作り出す場には、Gramが必ずいたんじゃない?

察知してしまうのだろう。ブームや新しい何かが生まれそうなのを。

事実、彼が好んで着ていたド派手な服、ハリウッドのヌーディー・コーンが作るヌーディスーツ。これも彼が見つけたんでしょう?

上手いんだね、見つけること、作り出すことが。

 

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そして、両親の普通ではない死に方が、余計に孤独を増し、孤独を忘れる為に好きな音楽に没頭。

よりカントリーとロックの融合など創造性は増しただろう。

そんな創造性が高く、物を見る目もあった人間がドラッグに手を出してしまうとは、、、矛盾している。

矛盾しているのが人間だと言ってしまえば、それでおしまいだが、そんなものただの逃げだと思う。

所詮、世間を知らぬお嬢ちゃま & お坊っちまは、限度を知らないからか?

世間や現実を、ちゃんと見ていなかったのだろうか?

そう考えると、Gramは逃げてばかりいたのかも知れない。

父の自殺、母の死、母の死に関与していた疑いがある義父Bobのこと。

辛いことから全部。

義父が母の死に関与していたと知りGramは人が変わったと妻Gretchen は言う。

全てが崩れたのだろう、信じていたものが。

酒に溺れ、ドラッグに手を出すようになり止まらなくなる。

それがKiethと別れた後しばらくして、ソロアルバム『GP』の後。

 

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ヨシュアトゥリーに向かうGramは何を考えていたのだろうか?

そう考えると、あのナルシストな笑顔は仮面だったのか?

現実から逃げる仮面、、、だったら嫌な奴って言ってごめんね、Gram。

「誰か貴方の本当の顔を知っていて寄り添ってくれる人はいなかったの?」

そんな悲しい質問が頭に浮かんでしまった。

誰もが弱い自分を持っている。

それを隠して生きて行く。

それで良いんだと思う。

ただ現実から逃げてはいけない。

辛くても真正面から受け止めなきゃ、いつまでたっても解決にはならないからだ。

現実と向き合わなければ、その瞬間は良いが、結局、ずーっと逃げ続けて行かねばならぬ。

その重圧は次第に増して行くだろう。

放って行けばGramと同じように逃げきれなくなるかも知れない。

ならば、どんなに辛くても、怖くても悲しみや痛みと向き合い、受け止め、時にはぶつかって行くべきだ。

そんな中で、万が一、仮面を脱げるチャンスがあるならば、そんな相手にさらけ出せたら良い。

ぶつかって行った先に道があり、全てを信じられたら素敵だ。

全てを享受できた時に、もしかしたら答えが見つかっているかも知れない。

そんな生き方で良い。

ならば、逃げないで生きて行こう。

Gramの開き直った男の愛の歌が、なんか胸に染みてきた。

ジーンと胸の傷にしみてきた。

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(1968—1972)

Ian Dunlop and Mickey Gauvin, formerly of Gram Parsons’ International Submarine Band(ISB), founded the original Flying Burrito Brothers and named it after Parsons informed them of his new country focus. This incarnation of the band never recorded as such, and after heading East allowed Gram Parsons to take the name

With the original incarnation of the band out of the picture, the “West Coast” Flying Burrito Brothers were founded in 1968 in Los Angeles, California by Gram Parsons and Chris Hillman. Bassist/keyboardist Chris Ethridge(who had played alongside Parsons in the International Submarine Band), pedal steel guitarist Sneaky Pete Kleinow and session drummer “Fast” Eddie Hoh rounded out the lineup.

Though Hillman and Roger McGuinn had fired Parsons from the Byrds in July 1968, the bassist and Parsons reconciled later that year after Hillman (who would switch to rhythm guitar in the new ensemble) left the group. Parsons had refused to join his Byrds bandmates for a tour of South Africa, citing his disapproval of the apartheid policy of that nation’s government. Hillman doubted the sincerity of Parsons’ gesture, believing instead that the singer merely wanted to remain in England with Mick Jagger and Keith Richardsof the Rolling Stones, whom he had recently befriended.

The Flying Burrito Brothers recorded their debut album, The Gilded Palace of Sin (containing originals by Parsons, Hillman and Ethridge and covers of two songs by Dan Penn and Chips Moman), without a regular drummer. Hoh proved to be unable to perform adequately due to an incipient substance abuse problem and was dismissed after recording two songs, leading the group to employ a variety of session players, including former International Submarine Band drummer Jon Corneal (who briefly joined the group as an official member, appearing on a plurality of the tracks) and Popeye Phillips of Dr. Hook & the Medicine Show. Before commencing their first tour, the group ultimately settled upon original Byrd Michael Clarke (who had recently been working with fellow country rock pioneers and Byrds spinoff The Dillard and Clark Expedition) as a permanent replacement. Michael Clarke remained the band’s permanent drummer until 1971.

Critically acclaimed upon its release in February 1969 (as exemplified by Stanley Booth’s laudatory review in Rolling Stone and approbative press remarks from Bob Dylan) for its pioneering amalgamation of country, soul music and psychedelic rock, The Gilded Palace of Sin only managed to peak at #164 in BillboardAlthough the band declined an invitation to perform at Woodstock, a comprehensive train tour of the United States (necessitated by Parsons’s fear of flying) ultimately ended in disaster due to drug and alcohol use. Dissatisfied by the band’s lack of success and unable to fully reconcile his predilection for R&B and groove-based music with the more conservative tastes of Parsons and Hillman, Ethridge departed the group in the autumn of 1969. Hillman reverted to bass after the band hired lead guitarist Bernie Leadon, a Dillard and Clark veteran who had also played with Hillman in the early 1960s bluegrass scene. This iteration of the band performed at the ill-fated Altamont Free Concert in December 1969, as documented in the film Gimme Shelter. The audience remained largely peaceful throughout their performance.

With mounting debt incurred from the first album and tour and a failed single (“The Train Song,” written on the tour and produced by 1950s R&B legends Larry Williams and Johnny “Guitar” Watson), A&M Records hoped to recoup some of their losses by marketing the Burritos as a straight country group. To this end, manager Jim Dickson instigated a loose session where the band recorded several traditional country staples from their live act (including songs by Merle Haggard and Buck Owens), contemporary pop covers in a countrified vein (“To Love Somebody”, “Lodi”, “I Shall Be Released”, “Honky Tonk Women”), and Williams’s rock and roll classic “Bony Moronie.” This was soon scrapped in favor of a second album of originals on an extremely reduced budget. Several of the tracks from the abandoned sessions would eventually see the light of day in 1976 on Sleepless Nights, which also featured outtakes from Parsons’s post-Burritos solo career.

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Released in April 1970, Burrito Deluxejuxtaposed the band’s inability to develop compelling new material (partially exacerbated by Parsons’s hedonistic streak; his “Lazy Days” dated from 1967) with prominent covers of the Rolling Stones’s hitherto unreleased “Wild Horses,” Dylan’s “If You Gotta Go, Go Now” and the Southern gospel standard “Farther Along.” Unlike Gilded Palace, the album failed to chart entirely. A month later, Parsons showed up for a band performance only minutes before they were to take the stage. Visibly intoxicated, he began singing songs which differed from what the rest of the band were performing. A furious Hillman (already incensed by the singer’s penchant for showing up at $500 concerts in a limousine and increasingly Jagger-influenced showmanship) fired him immediately after the show, to which Parsons responded, “You can’t fire me, I’m Gram!” According to Hillman, this incident was merely the final straw; Parsons’s desire to hang out with the Rolling Stones rather than focus on his own band’s career was also a significant factor, mirroring his 1968 dismissal from The Byrds.

Now fronted by Hillman and Leadon, the band appeared in June–July 1970 on the Festival Express rail tour of Canada with Janis Joplin, the Grateful Dead, The Band and other notable groups of the era. Parsons would eventually be replaced by guitarist/songwriter Rick Roberts. The new lineup released The Flying Burrito Brosin June 1971. Like its predecessors, it was not a commercial success, peaking at #176 in the United States. Shortly thereafter, Kleinow left to work as a session musician, while Leadon departed to co-found The Eagles. Al Perkins and Kenny Wertz replaced them for a final tour in autumn of 1971; during these performances, veteran bluegrass musicians Roger Bush(acoustic bass, vocals) and Byron Berline(fiddle) of Country Gazette participated as guests during an acoustic interlude. The band released Last of the Red Hot Burritos, a well-received live album culled from the tour, in May 1972.

Band members

オリジナルメンバー

  • グラム・パーソンズ – Guitar/Keyboards
  • クリス・ヒルマン – Bass/Guitar
  • クリス・エスリッジ – Bass
  • スニーキー・ピート – Guitar
  • ジョン・コーネル – Drums

後から加入したメンバー

  • リック・ロバーツ – Guitar
  • アル・パーキンズ – Guitar
  • バーニー・レドン(後にイーグルスに参加) – Guitar
  • マイケル・クラーク – Drums
  • ロジャー・ブッシュ – Bass
  • ケニー・ワーツ – Bass
  • バイロン・バーライン – Fiddle

Album アルバム

  1. The Gilded Palace Of Sin (1969年)
  2. Burrito Deluxe (1970年)
  3. The Flying Burrito Brothers (1971年)
  4. Last Of The Red Hot Burritos (1971年)

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