和訳【Paul Weller / The Changing Man】ポール・ウェラーという男 Are You Shining? 解説

イケオジって単語嫌い。

凄く安っぽい。

Bitch って言われてるような感じがして、好きなアーティストがそう言われてるのが嫌だし、特に俳優だと特集を一括りにしてまとめちゃっていて、ジャンルも違うのまで寄せ集めて「この人と一緒にしないで!」と頭にきてしまうモノまである。

大体、日本人だけだよ、年齢気にしてグレーゾーンを歩いて生きてるの〜。

年齢など関係ない。

要は「アンタ、やりたいことある?」ってことよ。

やりたいことある人は、みんなイケテルっ。

そしてPaul Wellerは、それを体現してる人なのだ。

 今日Lyraが和訳&解説するのは、イングランド、サーレイ出身のシンガーソングライター、ミュージシャン Paul Weller ポール・ウェラー(本名John William Weller、1958年5月25日 – )。

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The Jam 、The Style Council を経て、ソロに転向。

06年 Brit Awards 功労賞。Q誌選出「歴史上最も偉大な100人のシンガー」第76位。

60年代初頭のムーブメント、モッズに大きな影響を受けたPaulのアティトゥードは、バンド時代だけでなく今も健在だ。

今日Lyraが和訳する曲は、Paul Wellerの ソロアルバムから1995年リリース『Stanley Road』からの先行シングル【The Canging Man】。

 詳しい解説はLyraのHipな和訳の後に又お話しましょう!

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John WilliamPaulWeller Jr (born 25 May 1958) is an English singer-songwriter and musician. Weller achieved fame with the punk rock/new wave/mod revival band The Jam. He had further success with the blue-eyed soul music of The Style Council(1983–1989), before establishing himself as a solo artist in 1991.

“The Changingman” is a song released by Paul Weller as the lead single from his 1995 album Stanley Road. It charted at number 7 on the UK Singles Chart.

= The Changing Man =

Is happiness real or am I so jaded?
Can’t see or feel like a man been tainted
Numbed by the effect, aware of the muse
Too in touch with myself, I light the fuse

I’m the changingman
Woh
Built on shifting sand
Yea
I’m changingman
Woh
Waiting for the bang
(Bang)
As I light a bitter fuse

Our time is on loan, only us to borrow
An’ I know
But I can’t be today, I can be tomorrow
Yea, all I see, the more I know
The more I know, the less I understand

I’m the changingman
Built on shifting sands
Yea
I’m a changingman
I’ m waiting for the bang
To light a bitter fuse

Bigger part ahh, when our instincts act
A shot in the dark, a movement in black, yea
More I see, more I know
The more I know, the less I understand you

(Changingman)
Yea eee aaa
Built on shifting sands
I don’t have a plan
I’m changingman
Waiting for the bang
To light a bitter fuse

(Changingman)
Built on shifting sands
Yea eee yea
I’m a changingman
Waiting for the bang
To light a bitter fuse
Yea eee yea

幸福は現実か?

俺はストレスの塊なのか?

見極められないが

汚染された様な気分にはなれないな

エフェクトで麻痺しちまった

でも女神には気がつくんだ

自分を掘り下げ過ぎて

導火線に火を付けてしまう

 

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俺は変貌して行く男さ

ウー

砂を移し替えながら作ってしまう

そうだよ

俺は変貌して行く男さ

刺激を待っているのさ

刺激だよ

苦い導火線に火を付けちまう

 

俺たちの時間は前借りした様なもんさ

俺たちだけが借り入れ出来るって

俺には分かってるよ

だが、今日にはなれないぜ

明日には出来る

そうさ、全てお見通しだぜ

知れば知る程

知れば知る程

理解したくなくなるんだけどさ

 

俺は変貌して行く男さ

ウー

砂を移し替えながら作ってしまう

そうだよ

俺は変貌して行く男さ

苦い導火線に火を付けちまう刺激を待っているのさ

どでかくなって行く

俺たちの本能の動き出す時に

闇に向かって一発さ

暗闇でひと動きさ

ああ

分かる程

知れば知る程

知れば知る程

お前が理解出来なくなるよ

 

(変貌する男)

それだけじゃないぜ

砂を移し替えながら作ってしまう

計画も無しに

俺は変貌する男さ

苦い導火線に火を付けちまう刺激を待っているのさ

(変貌する男)

それだけじゃないぜ

砂を移し替えながら作ってしまう

計画も無しに

俺は変貌する男さ

苦い導火線に火を付けちまう刺激を待っているのさ

それだけじゃないぜ

 

Songwriter: Paul Weller

Translator: Lyra Sky 和訳

お洒落、粋な男、とはPaul Weller の事だろう。

スタイリッシュに生き、自分というものをしっかりと持ち、迷わず突き進む男 = Paul Wellerと言う図式が出来上がっているのだ。

はい、ここテストに出まーす! て言ったらメモる人が出てくるんじゃないか?

だって、Paul Weller 信者の多さはThe Jam 信者と合わさり、未だに増幅しているに違いないから。

永遠のModがPaulなんだと思う。

Paul Wellerのサウンドは、60年代モッズの影響がデカイし、その精神:流行に左右されず自分にとってクールなものを追求する姿勢が彼のバックボーンとなっている。

その一貫した姿は世代を超え多くのアーティストに影響を与え、「モッド・ファーザー」と呼ばれるほどだ。

そんな彼も、少年時代はビートルズマニアで、スクラップ帳を何冊も作るほどの熱中ぶりであったという。

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タクシー運転手の父Johnと、パートで掃除婦をしていた母Ann の元に生まれたJohn William Weller。

小さい時から音楽に夢中で、早いうちからThe Beatlesの熱狂的なファンになり、成長する。

そして、学生時代に見たStatus Quoのライブに衝撃を受け、バンド結成。

マネジャーには理解ある父親を据えて、精力的に活動し、The Jamが誕生したのだった。

初めはビートルズなどをプレイするパーティーバンドだったが、Sex Pistols セックス・ピストルズのライブにインスパイアされ、モータウンなどのR&Bを高速で演奏するスタイルに変化。やがてオリジナル中心でやるようになり、1977年4月29日 デビューシングル【In The City】リリースすると、いきなりナショナルチャート入りを果した。

そして、パンク旋風が吹く中を、Neo Modとして異彩を放ち、ヒット曲を放ち、Paul Weller 快進撃をぶっ放す。

 

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Paulの音楽志向はさらにR&Bやファンクなどの黒人音楽に傾倒していき、大胆なホーンセクションの導入などは、正にモータウンへのリスペクトであった。

その想いをダイレクトにあしらったシングルで 随分前に和訳した【Town Called Malice 悪意と言う名の街】 が全英1位を獲得するなどバンドは国民的な人気を維持して行く。

 

 

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だが、この頃から自らの音楽性の変化がもはやThe Jamでは表現し切れなくなってきたことに限界を感じ始めるPaul。

そして、人気絶頂の中、事務所との意見の相違が相まって解散。世のロックファン達が落胆したのも言うまでもない。

だが、間髪入れずにPaulは、戻って来る、The Style Councilとしてバージョンアップして。

 

 

The Style Councilは、よりお洒落度がアップしたR&Bやソウルミュージックの要素が色濃いPop Soul ユニットだった。

「黒さ」を追求するPaulがNeo Mods Bandであったマートン・パーカスのオルガンプレイヤー、Mick Talbot ミック・タルボットと結成。1983年5月に1stシングル【Speak Like A Child】リリース。

ソウルやR&Bの影響が濃いブラック・コンテンポラリー的なサウンドへのシフトを見せた為、硬派なイメージのThe Jam 時代のファン達はPopでファッション性が高いバンドに度肝を抜いた。

しかし、見かけのポップで洒落たイメージで人気を得たのとは真逆で、歌詞は当時のサッチャー体制に対して過激な意見を入れていたり、政治批判をより明確に打ち出していくという変わり種。

そして、実験的・前衛的な楽曲が多く、ニュー・ウェイヴのグループとして認識されることも多いバンドになって行く。

1984年の1stアルバム『Café Bleu』は高い評価をもって迎えられた。

UKチャートでもロックではなくポップスで上位に輝くなど、大衆を意識した作り方をしていた。

 

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そして、ここで知り合ったメンバーのDee C-Lee (上写真の右側の女性)と結婚もして一女を設けてキャリアもプライベートでも順風満帆で幸せなPaul Weller。

1985年には2ndアルバム『Our Favourite 』も大ヒット。

だが、その後あまりに音楽性が多様化しすぎてしまったことで方向性を見失い、徐々に迷走。セールス的にも不振に陥り、1989年にはハウス色の強いアルバム『Modernism-A New Decade』を製作したが、ポリドールからリリースを拒否され、半ば自然消滅という寂しい形で解散となってしまった。(だが、この時期に知り合ったメンバーであり盟友であるSteve White は、ウェラーのソロ転向後もバックバンドの中心として行動を共にし、現在に至るまで常に欠かせない存在となっている。)

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スタイル・カウンシル消滅のショックで一時は音楽界から身を引くことも考えたPaul。

だが、「自分には音楽しかない」と考え、それまででは考えられなかったような小さなホールやクラブハウスを周るなど再び一から地道な活動を始める。

1991年に Paul Weller Movement 名義でソロ最初のシングル 【Into Tomorrow】 を自主制作レーベルFreedom Highからリリース。Style Council 時代には決して演奏することのなかったThe Jam 時代の曲も披露している。

そして、紆余曲折を経て1992年 ソロ1stアルバム『Paul Weller』を日本のポニーキャニオンから発表 (イギリス本国では契約が取れず、日本に遅れること約半年後Go!Discsよりリリース)。

彼自身の音楽に向き合う原点回帰とも呼べる素朴で芯の太いサウンドと、アシッドジャズを盛り込んだPaulらしいサウンドだ。

当時英国内では完全にマイナー・アーティスト扱いであったが、日本ではStyle Council 時代からのファンが根強くヒット。

1993年アルバム『Wild Wood)』をリリースすると、じわじわとチャートを上昇し、ソロとしての復活が始まる。

この頃Ocean Colour ScemeやOasis オアシスや、 Blur ブラーといった若い世代のアーティストからリスペクトを受けるようになり、Brit Pop Movement ブリットポップ・ムーブメントの火付け役の一人と言える存在となって行く。

1995年本領発揮とも言うべき英国的な「渋さ」と先人に対する敬愛の念と当時の音楽シーンからの逆影響をフルに詰め込んだこのが、この 3rdアルバム『Stanley Road)』なのだ。

当時UKを席巻していた (自らもその形成に一役買っていた) ブリットポップの波にも乗って大ヒットさせ、ソロ転向後初の全英1位に輝くなど延々チャートに居座り続け、完全復活を果たした。

 

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その後も定期的にアルバムをリリースし、自らの音楽遍歴を生かした多様な楽曲を発表して来たPaul Weller,

年齢を感じさせない鋭いロックサウンドは今も健在だ。

そして、未だにファッショナブルなアーティストとしても語り継がれているようだ。

だが、ザ・ジャム時代には、Sex Pistolsの2代目ベーシストSid Vicious シド・ヴィシャスをビール瓶で殴りつけたり、見かけのスタイリッシュさとは裏腹な、荒くれた面もある若造だったと言う。

今や、派手な娘と、2014年6月にエイベックスから日本デビューした息子のNat Weller ナット・ウェラーと言う成長した子供達と、最近生まれた赤ちゃんの父親と言う温厚さも垣間見れるPaul Weller。

おじいちゃんになるのでなく、新しく自分の子だもんね、、、それに関しては何も言えないわん(笑)。

パワフルとだけ言っておく〜。

今日紹介している【The Changing Man】が、彼が再起した曲だと言える。

このプロモーションビデオだって、超シンプルで、Paul Wellerと言うミュージシャンが前面に押し出されているだけ、、、

スペクタルなSF仕立ても、デカイスタジムのライブでもなく、コメディタッチのドラマもない。

だが Paul Wellerと言う1人の男と、その男が作り出したサウンドと、Paulのシンプルなスタイルだけだ。

ただそれだけ。

しかし、それだけが、Paulの存在感を表し、彼の作った楽曲に焦点が定まり、聴衆をダイレクトに掴むことができたのだと思う。

やはり、Style Councilのやり過ぎサウンドよりストレートなR&BやソウルなどPaul 自身が好きなサウンドを出した方が良かったと言うことなのだ。

【The Changing Man】は、再起をかけた曲だったのではないか?

自らの生き様や自分のスタンスを歌った歌詞だからだ。

この時は、じわじわと人気を取り戻してはいたが、メインストリームから外れた男のイメージはまだ拭い去れなかったらしい。

それに、この時期、Style Council 時代に結婚したコーラスだった Dee Cと離婚。

「物事が上手く行きすぎていた。俺自身にとっては、俺たちはすっごく幸せ過ぎたし、居心地よ過ぎたし、全てが良い感じに行っているように見えたんだ。 だが、アーティストとして作曲家としては、刺々しさを失ってしまっていたかもしれない。だから、壊して余分な物は削ぎ落とし、もう一度再挑戦しなければいけなかったんだよ。」とインタビューで語っていたPaul。

そこまで追い詰められていたと言うことか?

どう考えてもただ単に環境の変化による、性格の不一致にしか思えないが、、、2人のことは知り合いでもない外野が知る由も無い。

 

ただ、再起を決めないと生きていけないくらいの崖っぷちにいたと言うのは理解出来る。

そして、Paulはまた上り詰めた。

今度はPaul Wellerと言う1人の人間として力強い生き様を見せて。

変貌し続ける男とは、Paul 自身のことだ。

何があっても負けずに立ち上がり続ける男、Paul Weller。

彼の余分なものを削ぎ落としたリアルサウンドを聴いてみて。

そこには、嘘偽りのない音がある。

人は、正直な人間の言葉に耳を傾けるだろう。

そして、輝き続ける人間を目にして感動するだろう。

やりたいことを表現し続ける人間はいつまでも力強く輝き続ける。

いつまでも力強く光を放ち続ける、、、

年齢や性別など関係なく、

命の力は力強く輝き続けるのだ。

 

あなたは、今、輝いていますか?

 

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The Changingman was co-written by Brendan Lynch, and performed, written and produced by Paul Weller, who sings and plays guitar, piano and shakers on the record. Carleen Anderson provides back-up vocals, as does Steve Cradock and Dr. Robert who also play the guitar and bass guitar respectively. In addition, Steve White plays drums and Lynch played the Cyremin. The song sampled the Electric Light Orchestra’s “10538 Overture” at Lynch’s suggestion and on the agreement that if ELO sued it came out of Lynch’s royalties; it also borrowed from The Beatles’ “Dear Prudence”, which inspired the ELO record. Weller claimed that the song’s title came from the name his daughter Leah gave to one of her dolls, although at the time his friend Terry Rawlings managed a band called that. The song expresses Weller’s mantra of breaking things up if they are getting too comfortable; the previous year, he had divorced his wife, Dee C. Lee, breaking up what appeared to the public to be a happy marriage. In an interview with Mojo in 2010, he expressed that this was because there were senses “that things were going too well, we were too happy, too comfortable, everything seemed too nice [and] that for me as a writer and an artist I might lose my edge. I had to break the shape up, re-arrange things”, noting that said turmoil supplanted the lyrics of the entire parent album and stated that the lyric ‘numbed by the effect, aware of the muse, too in touch with myself, I light the fuse’ “was about the process of causing chaos around you”.

Paul Weller

Despite widespread critical recognition as a singer, lyricist, and guitarist, Weller has remained a national, rather than international, star and much of his songwriting is rooted in British culture. He is also the principal figure of the 1970s and 1980s mod revival, and is often referred to as “The Modfather”.

The Daily Telegraph said of Weller: “Apart from David Bowie, it’s hard to think of any British solo artist who’s had as varied, long-lasting and determinedly forward-looking a career.” The BBC described  Weller in 2007 as “one of the most revered music writers and performers of the past 30 years”. In 2012, he was among the British cultural icons selected by artist Sir Peter Blake to appear in a new version of his most famous artwork – the Beatles’ Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Bandalbum cover – to celebrate the British cultural figures of his life. He has received four Brit Awards, winning the award for Best British Male twice, and the 2006 Brit Award for Outstanding Contribution to Music.

Weller was born on 25 May 1958 in Woking, Surrey, England, to John and Ann Weller (née Craddock). Although born John William Weller, he became known as Paul by his parents.

His father worked as a taxi driver and a builder and his mother was a part-time cleaner. Weller started his education at Maybury County First School in 1963. His love of music began with The Beatles, then The Who and Small Faces. By the time Weller was eleven and moving up to Sheerwater County Secondary school, music was the biggest part of his life, and he had started playing the guitar.

Weller’s musical vocation was confirmed after seeing Status Quo in concert in 1972. He formed the first incarnation of The Jam in the same year, playing bass guitar with his best friends Steve Brookes (lead guitar) and Dave Waller (rhythm guitar). Weller’s father, acting as their manager, began booking the band into local working men’s clubs. Joined by Rick Buckler on drums, and with Bruce Foxton soon replacing Waller on rhythm guitar, the four-piece band began to forge a local reputation, playing a mixture of Beatles covers and a number of compositions written by Weller and Brookes. Brookes left the band in 1976, and Weller and Foxton decided they would swap guitar roles, with Weller now the guitarist.

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The Jam 

Although The Jam emerged at the same time as punk rock bands such as The Clash, The Damned, and the Sex Pistols, The Jam better fit the mould of the new wave bands who came later, and being from just outside London rather than the city itself, they were never really part of the tightly-knit punk clique. Nonetheless, it was The Clash who emerged as one of the leading early advocates of the band, and were sufficiently impressed by The Jam to take them along as the support act on their White Riot tour of 1977.

The Style Council’s death knell was sounded in 1989 when their record company refused to release their fifth and final studio album, the house-influenced Modernism: A New Decade. With the rejection of this effort, Weller announced that The Style Council had split, and although the final album did have a limited vinyl run, it was not until the 1998 retrospective CD box set The Complete Adventures of The Style Council that the album would be widely available.

The Style Council

At the beginning of 1983, Weller teamed up with keyboard player Mick Talbot to form a new group called The Style Council. Weller brought in Steve White to play drums, as well as singer Dee C. Lee, Weller’s girlfriend of 6 years. She also had previously been a backing singer with Wham!

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Free of the limited musical styles he felt imposed by The Jam, under the collective of The Style Council Weller was able to experiment with a wide range of music, from pop and jazz to Soul/R&B, house and folk-styled ballads. The band was at the vanguard of a jazz/pop revival that would continue with the emergence of bands like Matt Bianco, Sade, and Everything but the Girl, whose members Tracey Thorn and Ben Watt contributed vocals and guitar to the 1984 The Style Council song “Paris Match”.

Solo

In 1989, Weller found himself without a band and without a recording deal for the first time since he was 17. After taking time off throughout 1990, he returned to the road in 1991, touring as “The Paul Weller Movement” with long-term drummer and friend Steve White, Paul Francis (session bassist from The James Taylor Quartet) . After a slow start playing small clubs with a mixture of Jam/Style Council classics as well as showcasing new material such as “Into Tomorrow”, by the time of the release of his 1992 LP, Paul Weller, he had begun to re-establish himself as a leading British singer-songwriter. This self-titled album saw a return to a more jazz-guitar-focused sound, featuring samples and a funk influence with shades of the Style Council sound. The album also featured a new producer, Brendan Lynch. Tracks such as “Here’s a New Thing” and “That Spiritual Feeling” were marketed among the emerging acid jazz scene.

 

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Buoyed by the positive commercial and critical success of his first solo album, Weller returned to the studio in 1993 with a renewed confidence. Accompanied by Steve White, guitarist Steve Cradock and bassist Damon Minchella, the result of these sessions was the triumphant Mercury Music Prize-nominated Wild Wood, which included “Sunflower”.

His 1995 album Stanley Road took him back to the top of the British charts for the first time in a decade, and went on to become the best-selling album of his career. The album, named after the street in Woking where he had grown up, marked a return to the more guitar-based style of his earlier days. The album’s major single, “The Changingman”, was also a big hit, taking Weller to No. 7 in the UK singles charts. Another single, the ballad “You Do Something To Me”, was his second consecutive Top 10 single and reached No. 9 in the UK.

Weller found himself heavily associated with the emerging Britpop movement that gave rise to such bands as Oasis, Pulp and Blur. Noel Gallagher (of Oasis) is credited as guest guitarist on the Stanley Road album track “I Walk on Gilded Splinters”. Weller also returned the favour, appearing as a guest guitarist and backing vocalist on Oasis’ hit song “Champagne Supernova”.

 

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