Lyraの趣味のせいで、このブログで和訳&解説するのはいつもマイナーな曲ばかり。
たまにはメジャー中の「どメジャー」バンドを紹介するのも良きことかいな?
何故、そんな気になったかと言うと、数週間前に(もうなる?)見た映画が、新し目の俳優を起用しているのにも関わらず、物凄く懐かしいHR ストーリーだった為、同時期の売れたアーティスト達を思い出したからなの。
今日は、アメリカンハードロックが強力な勢力を持っていた時代に、キラキラと輝いたバラードをお届けしまちゅ。素敵なラブソング。
(とこれ書いたの去年の6月!!追記足して書きます)。
今日、Lyraが和訳するのはアメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストン出身のハードロックバンド Aerosmith.エアロスミス。
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本国アメリカ合衆国のみならず、世界的なRock Band として知られているAerosmith。
だが、彼らのバックグラウンドには、第一次ブリティッシュ・インヴェイジョン期の英国バンド( The Beatles ビートルズ 、 The Rolling Stones ローリング ・ストーンズなど)の流れがある。
現在の誰でも知っているAerosmithと言う地位を確立する前は、特にその特徴が顕著だ。
それを、自国のルーツ・ミュージックに合わせ、Popな味つけをすることで大成功したロックバンドと言って良いだろう。
今日Lyraが和訳する曲は、Aerosmithの9枚目の大ヒットアルバム『Permanent Vacation』(1987年9月リリース)からの大ヒットシングル【Angel】。
詳しい解説は、LyraのHipな和訳の後に又お話しましょう!
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Aerosmith is an American rock band formed in Boston, Massachusetts in 1970. The group consists of Steven Tyler (vocals), Joe Perry (guitar), Tom Hamilton (bass), Joey Kramer (drums), and Brad Whitford (guitar). Their style, which is rooted in blues-based hard rock, has come to also incorporate elements of pop rock, heavy metal, rhythm and blues, and has inspired many subsequent rock artists. They are sometimes referred to as “the Bad Boys from Boston” and “America’s Greatest Rock and Roll Band”.
“Angel” is a power ballad by American rock band Aerosmith. It was written by lead singer Steven Tyler and professional songwriting collaborator Desmond Child.
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= Angel =
I’m alone
Yeah, I don’t know if I can face the night
I’m in tears, and the cryin’ that I do is for you
I want your love – let’s break the walls between us
Don’t make it tough – I’ll put away my pride
Enough’s enough, I’ve suffered and I’ve seen the light
Baby
You’re my angel
Come and save me tonight
You’re my angel
Come and make it all right
Don’t know what I’m going to do
About this feeling inside
Yes it’s true – loneliness took me for a ride
Without your love – I’m nothing but a begger
Without your love – a dog without a bone
What can I do? I’m sleeping in this bed alone
You’re my angel
Come and save me tonight
You’re my angel
Come and make it all right
You’re the reason I live
You’re the reason I die
You’re the reason I give
When I break down and cry
Don’t need no reason why
Baby, baby
You’re my angel
Come and save me tonight
You’re my angel
Come and make it all right
Come and save me tonight [x5]
俺は独りぼっちさ
今夜どんな顔をしてお前に会えばいいんだ?
涙に濡れた俺
お前の為に
俺が出来る事って言ったら
泣き叫ぶ事だけだよ
お前の愛が欲しい
俺たちを阻むこの壁を壊そうぜ
辛くあたらないでくれよ
俺はプライドなんてかなぐり捨ててやる
もうたくさんだよ
我慢して来たんだよ
その光を見つめて来たんだ
ベイビー
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お前は俺の天使
やってくれよ
俺を今夜、救ってくれ
お前は俺の天使
早く俺を受け入れてくれ
お前は俺がこの胸のうちの気持ちを
どうしようとしているか知らないだろ?
そうさ
本当だよ
この孤独が俺を殺してしまうよ
お前の愛なしじゃ
俺はただの物乞い以外の何者でもない
お前の愛なしじゃ
骨のない犬みたいさ
俺に何が出来るって言うんだい
1人このベッドの上にいるしかないだろう
お前は俺の天使
やってくれよ
俺を今夜、救ってくれ
お前は俺の天使
早く俺を受け入れてくれ
お前は俺が生きる意味さ
お前は俺が死ぬ理由さ
お前は俺が捧げるもの全て
俺がボロボロになって泣く時の
理由がなくたっていいだろ?
愛する人
愛する人よ
お前は俺の天使だよ
やってくれよ
俺を今夜、救ってくれ
お前は俺の天使
早く俺を受け入れてくれ
やってくれよ
俺を今夜
救ってくれ × 5
Songwriter: Desmond Child, Steven Tyler
Translator: Lyra Sky 和訳
王道のロック
「これぞ、ラブバラード!」って、感じ〜 ♪
100人聴いたら100人全員が、切ないラブソングだと言うだろう。
誰にでも分かるラブソング。
ダブルミーニングなんてないし
分かりづらいスラングもない、、、。
でも、これって簡単そうに見えて中々出来ないものだ。
言語と言うものは。生まれてきた環境や国が違えば受け取り方が違う。
同じ国同士の出身者でも東西南北、住む場所が違うと、訛りだけでなく意味が揺らぎだす。
ましてや、育ってきた環境により受け取り方なんて簡単に変わる。
positiveかnegativeの性格の違いでさえ、単語の意味の明暗が変わる場合すらある。
生きてきた道のりだって違うのだから、考え方や受け取り方が違って当たり前だ。
ましてや言葉の壁もあれば尚更、受け取りかたの差異が生まれる。
それをほぼ完璧に聞き手に理解させてしまうのは、素晴らしいことだ。
個人的にはダブルミーニング好きではあるが、それこそマイナー路線、アンダーグラウンドの世界に行く。チャート好きには、全く売れやしないかもね(笑)。
まあ、細かいニュアンスまでは分からないこともあるかもしれないが、それは歌詞のイメージにピッタリと合ったこのミュージックビデオがカバーしてくれている。
まさにMTV世代。ビバ、MTV!
このAerosmith というバンドは、このMTVで復活したバンドだったのだ。
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彼らは、ビデオと言うツールを利用するのが非常に上手かったバンドなの。MTVがあったから、再復活出来たと言っても過言ではない。
今じゃ全く考えられないが、音楽産業が世界の真ん中を歩いていた時代。
特にアメリカは、市場が拡大された夢の国だっただろう。
その中でMTVは人々に受け入れられた一種のドデカイ娯楽だ。
そしてMTVには、売れっ子プロデューサーの敏腕さがモノを言った。
売れる曲を書けてリリース出来る才能。流行りのアンテナを持つ。
Aerosmithの場合は、超有名なDesmond Childがその敏腕さを持つ救世主だった。
Desmond Childというプロデューサーは、当時のアメリカンハードロックバンドを(どんな売れていないバンドであっても)、かならずメジャー路線に変えて売れっ子にしてしまう凄腕作詞家アレンジャーだった。
彼のお陰で落ち目だったAerosmithは、売れた。それだけでなく、Madonna みたいなPop Artists と同じく、MTVという巨大産業の起死回生が出来たアーティストなのだ。
ただのラブバラードではなく、一つのロングセラー商品としての売れる最良のサンプルとして彼らを見てしまうLyra がいるのは否めない。
だって、こんなにハードロックをメジャーにしたバンドはいないから。
1988年リリース時、Aerosmithや Guns N’Roses, Bon Joviといった当時のMTV バンドがいたお陰でハードロックは、音楽産業の中でビッグビジネスになった。その影には、Desmond Childの姿あり、、、だ。
特にAerosmithはその世代よりも前からいた古株バンドであった。
【Draw The Line】などのヒットはあったものの、人気は下火になり一時期は、解散の危機にも見舞われたと言うのだから、その底力に感心してしまうわけ。
生き残るパワー。
その底力に興味が湧いてしまうの。
1964年、Steven Tyler (ヴォーカル)は、The Strangers と言う自分のバンドを持っていた(のちに Chain Reactionに改名)。イギリスのバンドThe Stranglesではないよ。なんつって ww ↓ ↓
*The Stranglers / No More Heroes 和訳 解説 Persons Of Intellect 知性豊かな暴徒
その頃、Joe Perry (ギター)と Tom Hamilton (ベース)もジャムセッションバンドをNY でやっていた。
その名も、まんま Joe Perry & the Jam Band (笑)。
1969年 Joe Perry 達はボストンへと移住。
Joey Kramer (ドラムス)と出会い、Jam Band に加入。
1970年からこのバンドと Stevenの Chain Reaction は一緒にライブハウスに出たりするようになり、Steven は Joe Perry & the Jam Bandのサウンドが大好きになる。
そして次第に一緒につるむ時間が増えていき、互いに曲作りをするようになった。これがAerosmithが誕生した瞬間だった。
1973年、当時は珍しかったアメリカ東海岸出身のハードロック・バンドとしてデビュー。
当時は Queen (「地獄へ道づれ」和訳!ついでに「遅刻へ道づれ」も紹介!”Another One Bites The Dust” & “Another One Rides The Bus”)や KISS と共に三大バンドの1つとして人気を博し、1977年には来日も果たす人気だったと言う。
作品をコンスタントにリリースし、順調に見えていたにも関わらず、メンバーの脱退・一時離脱などの紆余曲折を経る。この時期に解散話が浮上。
だが、Rap Torioの Run D.M.C. が彼らのヒット曲であった 【Walk This Way】を使った同タイトルをリリースした事で、ビデオ出演をSteve & Joe でしたPVが話題になり復活。
2020年になった現在も、オリジナルメンバーで活動している数少ない長寿バンドとして第一線で活躍しているのだ。
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これまでに「グラミー賞」4回、「ビルボード・ミュージック・アワード」4回、「アメリカン・ミュージック・アワード」6回、「MTV Video Music Awards」10回など数多くの受賞歴があり。
ウォール・ストリート・ジャーナルの「史上最も人気のある100のロックバンド」で10位、
Rolling Stone の選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」に於いては59位と健闘。
Stevenと Joe ののソングライティング・コンビは The Toxic Twins とも呼ばれ、米国作曲家作詞家出版者協会(ASCAP)からは、ポップ・ミュージックを形成し多大な影響を与えたパイオニア的存在に贈られる「ファウンダーズ・アワード」が受賞されている。
ナショナル・アカデミー・オブ・ポピュラー・ミュージック(NAPM)設立による「ソングライターの殿堂」入り、
2001年に「ロックの殿堂」入り。
1990年『グラミー賞』初受賞。第2回「MTV アイコン・アワード」受賞と数々の賞を受賞している。
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Aerosmithは、British Invasionの影響を受けたバンドであり、それに自国のルーツ・ミュージック(ブルース、ロックンロール、R&B、ファンク、カントリー・ミュージック等を合わせたサウンドにし、プラスPopな味つけをすることで大成功したロックバンドと言って良いだろう。
その成功が、現代のロック界にも多大なる影響を与えたのだ。
米国のロック・ミュージック形成にとって、エアロスミスが与えた影響は計り知れない。
バブリー感丸出しのミュージック・ビデオが、Aerosmithの醍醐味なのかもね。
それ以前の、The Rolling Stones 直結のサウンドの方が個人的には好きな気もする、、、がLyraは、この【Angel】や【Crying】、【Dude】、【Rag Doll】、【The Otherside】などなど歌えてしまう。それくらいラジオやTVできいてきたのだから。
Pop Rockのアメリカでのあり方の指標を教えてくれたAerosmithと言ってもいいのでは?
Aesosmithが作り出したゴージャスなイメージのPop Rockは、Bon Joviら当時のバンド達とで、メインへと、Desmond Childのプロデュースの力と相まって、アメリカ全土から世界へと広がった。
今のPop Rockは、彼らがいたからだ。
彼らの功績に尊敬の念を持って拍手を送りたいと思う。
Viva! Aerosmith !!
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In 1964, Steven Tyler formed his own band called the Strangeurs—later Chain Reaction—in Yonkers, NY. Meanwhile, Perry and Hamilton formed the Jam Band (commonly known as “Joe Perry’s Jam Band”), which was based on free-form and blues. Hamilton and Perry moved to Boston, Massachusetts in September 1969. There they met Joey Kramer, a drummer from Yonkers, New York. Kramer knew Tyler and had always hoped to play in a band with him. Kramer, a Berklee College of Music student, decided to leave the school, and joined Jam Band.
In 1970, Chain Reaction and Jam Band played at the same gig. Tyler immediately loved Jam Band’s sound, and wanted to combine the two bands. In October 1970, the bands met up again and considered the proposition. Tyler, who had been a drummer and backup singer in Chain Reaction, adamantly refused to play drums in this new band, insisting that he would take part only if he could be frontman and lead vocalist. The others agreed, and a new band was formed. The band moved into a home together at 1325 Commonwealth Avenue in Boston, where they wrote and rehearsed music together and relaxed in between shows.
The members of the band reportedly spent afternoons getting stoned and watching Three Stooges reruns. One day, they had a post-Stooges meeting to try to come up with a name. Kramer said that, when he was in school, he would write the word “aerosmith” all over his notebooks. The name had popped into his head after listening to Harry Nilsson’s album Aerial Ballet, which featured jacket art of a circus performer jumping out of a biplane. Initially, Kramer’s bandmates were unimpressed; they all thought he was referring to the Sinclair Lewis novel they were required to read in high school English class. “No, not Arrowsmith,” Kramer explained. “A-E-R-O…Aerosmith.” The band settled upon this name after also considering “the Hookers” and “Spike Jones.”
Soon, the band hired Ray Tabano, a childhood friend of Tyler, as rhythm guitarist and began playing local shows. Aerosmith played their first gig in Mendon, Massachusetts at Nipmuc Regional High School (now Miscoe Hill Middle School) on November 6, 1970. In 1971, Tabano was replaced by Brad Whitford, who also attended the Berklee School of Music, and was formerly a member of the band Earth Inc. Whitford, from Reading, Massachusetts, had already played at Reading’s AW Coolidge Middle School. Other than a period from July 1979 to April 1984, the line-up of Tyler, Perry, Hamilton, Kramer, and Whitford has stayed the same.
Permanent Vacation was released in September 1987, becoming a major hit and the band’s bestselling album in over a decade (selling 5 million copies in the U.S.), with all three of its singles (“Dude (Looks Like a Lady)”, “Angel”, and “Rag Doll”) reaching the Top 20 of the Billboard Hot 100. Steven Tyler reveals in his autobiography that the album was “…the first one we ever did sober.”
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Part of Permanent Vacation‘s commercial success involved producer Bruce Fairbairn whose production touches (such as sound effects and high-quality recording) added interest to the album and the use of outside songwriters such as Desmond Child, Jim Vallance, and Holly Knight who assisted the band with lyrics. While the group was initially hesitant to using outside songwriters, including Tyler being furious for Knight getting songwriting credits for changing one word (“Rag Time” became “Rag Doll”), the method paid off, as Permanent Vacation became the band’s most successful album in a decade. The group went on a subsequent tour with labelmates Guns N’ Roses (who have cited Aerosmith as a major influence), which was intense at times because of Aerosmith’s new struggle to stay clean amidst Guns N’ Roses’ well-publicized, rampant drug use.
Aerosmith had already scored their first top 20 single in over ten years with “Dude (Looks Like a Lady)”, the first single from Permanent Vacation. But the second commercial single, “Angel”, outdid all of their previous singles, climbing higher than even their 1986 collaboration with Run-DMC of “Walk This Way” (which had peaked at #4). “Angel” remains their second biggest hit to date with its #3 peak, only outdone by the Diane Warren-penned “I Don’t Want To Miss A Thing” which came ten years later.
Guitarist Joe Perry once shared that some accused the band of selling out with this monster ballad, but would come back with “What about ‘Dream On’?”
It was released in 1988 as the third single from the band’s successful 1987 album Permanent Vacation.It quickly climbed to #3 on the Billboard Hot 100, which at the time was their highest charting single ever. The song currently ranks second behind the 1998 smash “I Don’t Want to Miss a Thing”, which was Aerosmith’s first single (and as of 2019, only single) to top the Hot 100.
Personnel
Current members
Former members
Touring members
|
Discography
Studio albums
- Aerosmith (1973)
- Get Your Wings (1974)
- Toys in the Attic (1975)
- Rocks (1976)
- Draw the Line (1977)
- Night in the Ruts (1979)
- Rock in a Hard Place (1982)
- Done with Mirrors (1985)
- Permanent Vacation (1987)
- Pump (1989)
- Get a Grip (1993)
- Nine Lives (1997)
- Just Push Play (2001)
- Honkin’ on Bobo (2004)
- Music from Another Dimension! (2012)
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