和訳【John Lennon/ Imagine】解説 Live As One! 1つになろう

HappyBirthday, John Lennon!

How are you feelin’ if you watch this world?

世界中で彼のことを知らない人などいないであろう。

名曲を数え切れないほど生み出したMelody Maker。

Rock Band 創世記の立役者。

だから敢えてLyraが取り上げる必要性は、ないと思って来たの。(→ 和訳【The Ballad of John and Yoko】)

でも、The Beatlesの曲や映画は、数回和訳して紹介したけれど、ソロはまだやっていないし、今日10月8日は何とJohn のバースデイ〜。

もう、解禁しちゃいましょう。

それも超ベタで、Johnらしい美しい曲をお届け 〜 ♪

今日Lyraが和訳&解説するのは、イングランド、リバプール出身のシンガーソングライター、ミュージシャンであるJohn Winston Ono Lennon ジョン・ウィンストン・オノ・レノン (1940年10月9日 – 1980年12月8日) は、。

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世界中で愛されているThe Beatles ビートルズのボーカル& ギターなどを担当しながら、ベースのPaul McCartney ポールマッカートニーと「Lennon 6 McCartney」の名コンビで、作詞作曲をし名曲を数え切れないほどリリースして来た。

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今日Lyraが和訳する曲は、John Lennonがソロアーティストに転身した後のアルバム、『Imagine』に収録されているシングル【Imagine】。

数々のビッグヒットの中でも、No.1のセールスを叩き出したJohn Lennon 最大のヒット曲であり代表作である。

詳しい解説は、LyraのHipな和訳の後に又お話しましょう!

 

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“Imagine” is a song co-written and performed by English musician John Lennon. The best-selling single of his solo career, its lyrics encourage the listener to imagine a world at peace without the barriers of borders or the divisions of religion and nationality and to consider the possibility that the whole of humanity would live unattached to material possessions. Shortly before his death, Lennon said that much of the song’s “lyric and content” came from his wife Yoko Ono, and in 2017, she received a co-writing credit.

 

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= Imagine=

[Verse 1]
Imagine there’s no heaven
It’s easy if you try
No hell below us
Above us, only sky
Imagine all the people living for today
Ah

Imagine there’s no countries
It isn’t hard to do
Nothing to kill or die for
And no religion too
Imagine all the people living life in peace
You

[Chorus]
You may say I’m a dreamer
But I’m not the only one
I hope some day you’ll join us
And the world will be as one

[Verse 2]
Imagine no possessions
I wonder if you can
No need for greed or hunger
A brotherhood of man
Imagine all the people sharing all the world
You

[Chorus]
You may say I’m a dreamer
But I’m not the only one
I hope some day you’ll join us
And the world will live as one

想像してみて

天国がない世界を

やってみてよ

簡単だから

俺たちの足元には地獄などないと

俺たちの頭上には青空が広がっているだけと

想像してみて

この世の全ての人が今日という日の為に生きていると

ああ

 

想像してみて

国など、この世にはないと

そんなに難しいものでもないだろ?

殺したり

死ぬためのものなどない世界を

そして宗教もない世界を

この世の全ての人々が平和に人生を生きていける事を

君たちのことだよ?

 

君は俺を夢追い人だと言うかもしれないね

でもさ

俺はそのたった1人の人間じゃないんだぜ

いつの日か君たちも俺たちの仲間になるといいなぁ

そうしたら

世界は1つになるだろうな

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想像してみて

財産などない世界を

君なら出来ると思うぜ

貪欲さも飢餓も必要ない世界を

全員が友愛関係にある生命体

想像してみて

世界中を平等に分け合う人々がいる世界を

君たちのことだよ

 

君は俺を夢追い人だと言うかもしれないね

でもさ

俺はそのたった1人の人間じゃないんだぜ

いつの日か君たちも俺たちの仲間になるといいなぁ

そうしたら

世界は1つになるだろうな

 

Songwriter: John Lennon

Translator: Lyra Sky 和訳

小さい時から聴いてきたこの曲。

馴染み深いせいで、新鮮さはない。

だが、不朽の名作の醸し出す威厳すら感じてしまう。

逸話や噂が沢山あるミュージックビデオも、2人の愛の軌跡だと思って見ると、可愛らしくて見ていて癒される。

ただ、そこにある愛に感謝する。

この世界があることに。

世界の平和や平等を願った歌詞が、当時はどんなに過激なものとして叱咤されたとしても、真実を知ることの意味を忘れてはいけないのだ。

それをJohn Lennon は、この世にはいなくても、この【Imagine】で歌い続けているのだ。

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誕生、デビュー前

1940年10月9日18時30分、第二次世界大戦のナチス・ドイツによる空襲下に置かれたリヴァプールで誕生。

その時、アイルランド系の父・アルフレッド・レノン(1912 – 1976)は商船の乗組員として航海中で不在。母・ジュリア(1914 – 1958)も他の男性と同棲していたため、母親の姉で「ミミ伯母」と呼ばれた中流階級のメアリー(1903〜91)夫婦に育てられる。ミドルネーム(ウィンストン)は当時のイギリスの首相のウィンストン・チャーチルから。

The Beatles ビートルズの他の3人のメンバーは労働者階級出身であり、Johnを育てと叔母は中産階級である為、この点が違う。

1946年、父・アルフレッドが帰国。父親に引き取られて数週間一緒に暮らしたが母・ジュリアがジョンを連れ戻す。だが、母と暮らすことはできず、ふたたびミミ夫妻に育てられる。父は蒸発。

少年時代は反抗的でけんか騒ぎを起こすことが多かったという。

ティーンエイジャー時代のイギリスで、ロニー・ドネガンの「ロック・アイランド・ライン」が1956年に大ヒットし、スキッフル・ブームが起き、Johnは、1956年、エルヴィス・プレスリーの「ハートブレイク・ホテル」を聴き、ロックンロールの洗礼を受け、初めてのギターとなるギャロトーン・チャンピオンを新聞の通信販売で購入した。

母のジュリアが近くに住んでいることを知ったJohnは、母の家へ行き来するようになった。夫・フレッドからバンジョーのコードを教わっていたジュリアは息子にバンジョーのコードをいくつか教え音楽に関心を向けさせた。

1957年、第1作にあたる「ハロー・リトル・ガール」を作曲(この曲は、1962年にデッカのオーディションの際に歌われ、「アンソロジー1」で公式に発表された)。

3月、クオリー・バンク校で、級友たちとスキッフルバンド「クオリーメン」を結成。

7月6日、ウールトンのセント・ピーターズ教会で行ったクオリーメンのコンサートで共通の友人たるアイヴァン・ボーンにPaul McCartney ポール・マッカートニーを紹介され、10月18日にクオリーメンに加入。

1958年2月、PaulにGeorge Harrison ジョージ・ハリスンを紹介される。クオリーメンへの加入。

1958年7月15日、非番の警察官が運転する車が母・ジュリアをはねて死亡させる事件が起こった。母・ジュリアの死はJohnに大きく影響し、すでに(1956年、14歳のとき)母を亡くしていたPaulとの友情を固める要因に。

1958年9月、ジョンはクオリー・バンクを卒業後、同校校長の取り計らいでLiverpool College of Artに入学する。

そこで最初の妻となるシンシア・パウエルと出会った。 1959年1月、バンドのメンバーはジョン、ポール、ジョージの3人だけになった。

このころからリヴァプールだけでなく、西ドイツのハンブルクのクラブなどでも演奏活動を始めている。

1960年1月、カレッジ・オブ・アートでの友人、スチュアート・サトクリフがメンバーに加わりヘフナーNo.333ベースを演奏した。バンド名も「クオリーメン」から「ジョニー&ザ・ムーン・ドッグス」や「ザ・シルヴァー・ビートルズ」と名乗るようになり8月「ザ・ビートルズ」になりピート・ベストが加入した。

1961年4月、Stewart ハンブルクにて脱退し、画家を目指した。 Johnは、すぐにPaul を説得してベーシストに転向させた。

1961年12月、レコード店経営者のブライアン・エプスタインとマネージメント契約を結び、ロンドンのレコード会社へのビートルズの売り込みが始まる。

1962年以前から付き合いのあった、「ロリー・ストーム&ザ・ハリケーンズ」のドラマーであるリンゴ・スターが8月18日に加入した。10月5日、「ザ・ビートルズ」としてレコード・デビューを果たした。

デビュー後

1962年8月23日にシンシア・パウエルと結婚。しかしシンシアの存在は、数年間隠されていた。

1963年4月8日に長男・ジュリアン・レノンが誕生。だが、両親と生活したことがないJohn は、ジュリアンにどう接していいか分からなかった。「『どうしたらジュリアンが喜ぶか教えてくれないか?やり方が分からないんだ』と質問された」とPaulは述べている。

ジュリアンものちに「Paulは、かなり頻繁に遊んでくれたよ、父さんよりね。僕らはいい友人だった。そのころの僕とPaulがいっしょに遊んでいる写真は、父さんとの写真よりもはるかに多い」と述べている。

1966年3月4日、ロンドン・イブニング・スタンダード紙のインタビューでJohnの発言が問題視される。

イギリスではほとんど問題にならなかったが、7月にアメリカのファンマガジン『デートブック』に再収録されると、キリスト教右派が信奉されるアメリカ南部や中西部の保守的宗教団体によるアンチ・ビートルズ活動に結びついた。

ラジオ局はビートルズの曲の放送を禁止し、ビートルズのレコードやグッズが燃やされた。スペインおよびヴァチカンはジョンの言葉を非難し、南アフリカ共和国はビートルズの音楽のラジオ放送を禁止した。最終的に、1966年8月11日にジョンはシカゴで以下のように釈明会見を行いヴァチカンも彼の謝罪を受容した。

「僕はたまたま友人と話をしていて、“ビートルズ”という言葉を自分とはかけ離れた存在として使っただけなんだ。“今の彼らは何にもまして大きな影響を若者や状況に与えている、あのキリストよりも”って言ったんだ。そう言ったことが間違って解釈された。」

1966年にJohnは、映画『ジョン・レノンの 僕の戦争』に出演。

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ヨーコとの出会い

11月にロンドンのインディカ・ギャラリーで、彼はのちに2人目の妻となる小野洋子に出会う。

美術学校時代に東洋文化を専攻していた友人がいたこともあり、日本や東洋文化に興味を持っていたJohnは、禅や空の概念に強い好奇心を寄せており、これを色濃く反映させた小野洋子のアートに強い興味を示した。

小野洋子の個展に出かけたレノンが見た小野洋子の作品に、YESという言葉を虫眼鏡で見る仕掛けがあり、レノンがそれをいたく気に入った逸話は有名。

2人は『Sgt. Pepper’s Lonely Heart’s Club Band』の録音期間に小野洋子の個展にJohn が出資するなどして交際を始めた。1968年2〜4月のインドでの修行中も、小野洋子と文通していた。

5月、小野洋子への愛を募らせたJohnは、シンシアの旅行中にヨーコを自宅に招き入れ、以後ヨーコはJohn との同棲生活を開始。シンシアはその年の7月に離婚申請し11月8日に離婚が成立した。

1969年3月にJohnとYokoは、ジブラルタルで挙式。新婚旅行で訪れたアムステルダムとモントリオールで「ベッド・イン」という平和を訴えるパフォーマンスを行った。

結婚後まもなくジョンは「ミドルネームのWinstonをOnoに変更したい」と申請したが、変更は認められず、パスポート・グリーンカードなど公文書にはJohn Winston Ono Lennonという表記のままだった。

多くのマスコミから奇妙なカップルとして格好の餌食にされる。反面、反戦運動における重要人物としてもみなされるようになった。

左翼団体の国際マルクス主義グループと関係を持っていたことからFBIの監視対象にもなっていた。

加えて1969年以降は、Johnは、Yokoとともにプラスチック・オノ・バンドとしての活動やべトナム戦争に対する反対と平和を求める活動に参加。

イギリスのベトナム戦争支持を受け、大英帝国勲章を返上。「バギズム」や「ドングリ・イヴェント」 (ともに1969年) などヨーコと共同で行ったパフォーマンス・アート、「ベッド・イン」(1969年)や ‘War Is Over (If You Want it)’(1971年)の街頭広告を行った。

2人の共同名義の音楽作品が、ソロ前に数々あるが、有名なのは、『サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ』(1972年)、『ダブル・ファンタジー』(1980年)、『ミルク・アンド・ハニー』(1984年)。

ソロデビュー

ビートルズ時代の1968年にソロ活動を開始。1969年から1976年までPlastic Ono Bandの名義で作品を発売。

1969年、シングル『平和を我等に』『コールド・ターキー』を、12月にはトロントで行われた同バンドのステージを収録したライヴ・アルバム『平和の祈りをこめて〜ライヴ・ピース・イン・トロント1969〜』を発表した。

ビートルズ存続中の1970年2月に、「インスタント・カーマ」発表、「レット・イット・ビー」とほぼ同時期に発表されチャート上昇し、米英でトップ5ヒットとなり、ゴールドディスクを獲得。

1970年4月10日、Paulが脱退を発表、ビートルズ事実上解散。

アメリカのアーサー・ヤノフ博士が提唱した精神療法である原初療法を受けた。

1971年6月、アルバム「イマジン」の制作を開始した (発表は10月)。ここではジョージ・ハリスン(ギター)、アラン・ホワイト(ドラムス)、ジム・ケルトナー(ドラムス)、キング・カーティス(サキソフォーン)らが参加。

米国1位、英国1位、日本1位(オリコン総合チャート)と大ヒットを記録。

9月、Johnはアメリカのニューヨークに移住し、グリニッジ・ヴィレッジのアパートで暮らし始めた。

ここでジェリー・ルービンやアビー・ホフマン、ボビー・シールら多くの反体制活動家やミュージシャンと知り合い、政治的活動に積極的に参加。

大麻所持で通常よりも重い10年間の禁固刑を受けた反体制活動家ジョン・シンクレアの救済コンサートへの出演、アッティカ刑務所の入所者家族のための慈善コンサート(ともに1971年12月)なども行った。

ジョンは、公式に特定政党を支持したことは一度もなかったが、「人々に力を、民衆に権力を」と主張しアメリカ国内でデモ行進をした。

大統領リチャード・ニクソンはロナルド・レーガンと同じく、50年代にマッカーシーの赤狩りに協力したような政治家だった。ニクソン時代のFBI長官ジョン・エドガー・フーヴァーとFBIによる監視については、ジョンの死後に関係者の訴訟により膨大な量の調査報告書が公開されている

このような理由から、ジョンの大麻不法所持による逮捕歴を理由としたアメリカへの再入国禁止処分について再延長の手続きをとり続けた。

6月発表の次作「サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ」は、刑務所での暴動、人種問題や性差問題、北アイルランド紛争、アメリカ合衆国のグリーンカードについて歌われているだけでなく、アルバム・ジャケットは裸踊りをするリチャード・ニクソンと毛沢東の合成写真が使われた。1972年8月30日、ジョンはエレファンツ・メモリーとともに、精神発達遅滞児童を援助する2回の慈善コンサート「ワン・トウ・ワン」をニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで行い、スティーヴィー・ワンダーとは「平和を我等に」を共演したほか、ビートルズ時代の「カム・トゥゲザー」を披露した。このコンサートのもようは「ライヴ・イン・ニューヨーク・シティ」として1986年に発表された。9月に筋ジストロフィーの患者のためのテレビ番組に出演した。

1973年4月1日、ジョンはヨーコとニューヨークで会見を開き、架空の国家「ヌートピア」の建国を宣言した。

11月、アルバム「マインド・ゲームス」を発表した。その前9月に、ジョンはヨーコのもとを離れ、個人秘書のメイ・パンとともにロサンゼルスで生活を始め、いわゆる「失われた週末」をリンゴやハリー・ニルソン、ザ・フーのキース・ムーンらと過ごした。この時期には、前妻シンシアとの間に生まれたジュリアンと再会を果たし、ビートルズのメンバーとも交流した。

1974年セルフ・プロデュースしたアルバム「心の壁、愛の橋」(Walls And Bridges)を発表。ローリング・ストーン誌でレノンの最高傑作と評価され、「イマジン」以来、ソロとして2作目の全米1位を獲得した。

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ビートルズ時代の「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」をElton John エルトン・ジョンと共演。同曲はシングルカットされ、エルトンは3枚目の全米1位を獲得した。その後、11月にエルトン・ジョンのコンサートにゲストとして出演、「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」「真夜中を突っ走れ」で共演し、コンサート後、John はYoko と再会したと一説には言われており、1975年1月には「失われた週末」を終えてYoko本へ戻った。

1975年2月、カヴァー・アルバム「ロックン・ロール」を発表。

「スタンド・バイ・ミー」のヒットが生まれた。デヴィッド・ボウイと知り合い、ボウイの「ヤング・アメリカンズ」(3月発表)でビートルズ時代の「アクロス・ザ・ユニヴァース」を共演、さらにボウイ、カルロス・アロマーと「フェイム」を共作し、コーラスとギターで参加した。この作品でボウイは初の全米1位を獲得した。ボウイによると、スタジオでの作業でジョンの発した「フェイム!」というかけ声から着想を得たという。ボウイはインタビューで「あれほどオリジナリティのある人は将来現れないであろう」と述べている。

6月テレビ番組「サリュート・トウ・サー・リュー・グレイド」に出演した。10月9日、本人の誕生日と同じ日にショーン・レノンが誕生した。

1976年にリンゴのソロ・アルバム「リンゴズ・ロートグラヴィア」に「クッキン」を提供したあと、75年に誕生した次男・ショーンの養育に専念にするため音楽活動を休止した。

7月27日にアメリカの永住権を取得した。ほぼ5年間ジョンはハウス・ハズバンド業に専念していたが、その間も自宅で作曲活動は続けており、暇を見つけてはテープに録音していた。その時期に作られた楽曲のデモ・テープの数々は1998年に「ジョン・レノン・アンソロジー」で発表されている。

1980年には友人のデヴィッド・ピールのアルバム「ジョン・レノン・フォー・プレジデント」に作曲で全面参加した。最後の年、John はB-52’s、リーナ・ラヴィッチ、現代音楽のメレディス・モンクらに興味を持っており、B-52sの「ロック・ロブスター」を気に入っていたという。ショーンが、偶然友達の家で観た映画『イエローサブマリン』の中でジョンを見つけ、「パパは本当にビートルズだったの?」と発した一言がきっかけとなったとする説があるが、本人は同年のインタビューの中で否定している。

1980年11月、ジョンはヨーコとの共作名義のアルバム「ダブル・ファンタジー」(米1位・英1位・日1位)を発表。

このアルバムからは「スターティング・オーヴァー」(米1位・英1位)、「ウーマン」(米1位・英1位)、「ウォッチング・ザ・ホイールズ」(米9位)などの大ヒット曲が生まれた(アルバムも全世界で500万枚以上セールス)。没後、1982年のグラミー賞年間最優秀アルバム賞を2人で獲得し、授賞式に参加したヨーコは謝辞を述べた。

1980年に活動を再開するも12月8日(月)23時ごろ(米国東部時間)にニューヨークの自宅アパートダコタ・ハウス」前においてファンを名乗る男性に射殺された。

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【Imagine】は、Johnのソロ時代の作品の中で極めて人気が高く、1999年に BMIは、 “Imagine” を top 100 most performed songs of the 20th centuryにした。

2002年にギネス・ワールド・レコーズ社が31,000人以上から取った「英国史上最高のシングル曲は?」というアンケートの結果、「ボヘミアン・ラプソディ」に次ぐ第2位を獲得し、2004年に『Rolling Stone』誌が選んだ「The RS 500 Greatest Songs of All Time」では3位にランクイン。

2005年1月 the Canadian Broadcasting Corporation はリスナーによる投票で本作を過去100年のうちで最も偉大な歌に認定した、、、など、数々の評価を得ている人気作品である。

Johnは完成した時に「やっと(Paul 作の)イエスタデイみたいないい曲ができた」と喜んだという

実は、原曲はビートルズ時からあり、1969年の「ゲット・バック・セッション」で演奏されたテープが残されている、、、ということは、Johnにとっては完成するまでに数年以上かかったライフワークのような重要な位置を占める曲だったと言えるのではないだろうか?

発表当時、本曲の作詞者にYokoの名は加えられていなかったが、後にジョンは「あの当時は自分勝手で男性的だった」とYokoを署名に加えなかったことを恥じていたという。

2017年6月に本作はヨーコとの共作と認定されている。元となったヨーコの詩集『グレープフルーツ』は曲が発表された年にイギリスで発行されている。

【Imagine】は、誰もが聴いてわかる平和を祈る、平和を求める歌である。

国家や宗教や所有欲によって起こる対立、憎悪は意味をなさない。

だから、この曲を聴く人自身もこの曲のユートピアの世界を思い描き、分かち合えたら、この世界は一つになり変わる、と訴えているのだ。

その歌詞はシンプルで、誰が聴いても分かる、ストレートな楽曲だ。

その想いが詰まった歌詞が、Johnの作り出した美しいメロディに乗る。

そして、優しいJohnの声で歌われると、本当にそんなユートピアが実現出来るのではないか?と信じられるのだから不思議だ。

だが、この平和を祈る歌詞が当時も今も、何かにつけてイチャモンをつけたがる面々にやり込められて来た。

近年では、曲の歌い出しである「天国は存在しない」の部分が葬儀にふさわしくない、と、イギリスの葬儀では使用が禁止されていたり、

度々問題視されて来た「宗教もない」については、死の直前のインタビューでJohnは、「完全に自由な信仰」と語った。

アメリカ合衆国のキリスト教徒には “(Nothing to kill or die for) and no religion, too” の一節が嫌悪され、カバーされる場合において、節そのものが削除されたり、極端な場合では”no”が”one”に変えられたりすることがあるとDesmond Morris は述べた。

2011-12年のニューヨークの新年カウントダウンイベントではシーロー・グリーンが当節を “and All religion’s true” に変えて歌い、賛否両論を受けた。

インタビューによれば、楽曲に権利を持つオノ・ヨーコは歌詞の改変を認めていない。

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中には、この「人類愛や平和を勧める歌」として愛されて来た【Imagine】を、共産主義的思想であるという批判もする人々もいる。

ラジオやテレビなどで時に放送禁止になったりもする。

反戦歌であるためイギリスではフォークランド紛争や湾岸戦争の時期にBBCは放送を規制し、アメリカ同時多発テロ事件によるクリア・チャンネル社のメモにもリスト入りした。

平和とは一体何なんだ?

不確かなもの。

だから流動的で良いのだろうか?

理想郷。

だからと言って、現実的ではないと軽視したり、本来の意味を湾曲して自分たちの都合が良いように非難、批判して良いのだろうか?

「Imagine」

「想像してみて」私たちに問う歌詞。

 

これは、元ネタと言われている オノ・ヨーコの詩集『グレープフルーツ』から拝借したとJohnは語っていたと言う。

『グレープフルーツ』の中にある詩「ツナフィッシュ・ピース・サンドウィッチ」の一節、「想像して、千の太陽が一度にのぼるところを…」というフレーズをJohnが凄く気に入って曲のタイトルや歌詞に使用したらしい。

ヨーコが第二次世界大戦時を東京で過ごしたことが、その平和希求の歌詞に反映したのではないかともいわれているこのフレーズを愛したJohn。

この【Imagine】は、平和を求める戦争を経験した者の心からの声なのだ。

JohnのYokoに対する愛と、尊敬の念が彼女の魂の叫びの詩にインスパイアされて生まれた平和の想い。

それは、Johnが欲した世界平和への願いであり、製作当時の真のパートナーを得て信頼や愛情で本来の自分を手に入れた平和な生活の喜びの歌だったように感じる。

だからこそ、歌声はどこまでも穏やかに私たちに訴えかけてくるのだ。

キリストになりたかった男、

理想論を述べる空回りしたミュージシャン、

赤、

政府から見た反乱分子、

その全てがJohn Lennonの側面であるかもしれない。

だが、彼の中では嘘も偽りもなかったと思う。

どんなに空回りしようとも、Johnの真の愛と平和願う気持ちは、生まれた時からずっと胸の中にあったのだ。

数々の名曲を生み出して来た中でも、自分探しの旅をしていたJohn。

インドだろうと、モロッコだろうと真の答えを探しに行ったが、見つからなかったのではないか、と思う。

でも、Yokoと出会って開眼したのだと思う。

真の愛や、信じられるパートナーを見つけられた喜び。

それをYokoとの関係の中で見つけたのだ。

平和で穏やかな気持ちでいられる、安住の地を。

「愛」と言う、答えを見つけたJohnは、力強い。

その想いを【Imagine】に託したのだ。

誰かと心を一つにする喜びの歌。

身も心も一つになれた喜びの歌。

そのプライベートな喜びが、たくさん集まったら、この世は愛に満ち溢れる。

ただそれだけなんだと思う。

難しいことは良い。

愛し愛される喜び。

思いやりを持って接し、愛のある態度で慈しむ。

それが、この世の平和。

【Imagine】してごらん。

私たちが一つになることを!

 

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The antithesis of a call to arms, John Lennon’s “Imagine” is one of the most beautiful and awe inspiring songs of all time.

Released in 1971, deep in the heart of the Vietnam War, on his solo album of the same name, “Imagine” asks listeners to envision a world of peace and unity. It peaked at #3 on the Billboard Hot 100, and remains one of the most well-known and respected songs worldwide.

Now I understand what you have to do. Put your political message across with a little honey. This is what we do… to try to change the apathy of young people.”

Despite the popularity of the song, some have criticized its message and Lennon’s sincerity in living out its message. The 1993 novel, The Giver, depicts a utopia similar to that in “Imagine” and then depicts that dream as tragically flawed, since what it takes to remove the bad from society in this manner also necessarily removes the equivalent wisdom, joy, and passion.

 

Several poems from Yoko Ono’s 1964 book Grapefruit inspired Lennon to write the lyrics for “Imagine” – in particular, one which Capitol Records reproduced on the back cover of the original Imagine LP titled “Cloud Piece”, reads: “Imagine the clouds dripping, dig a hole in your garden to put them in.” Lennon later said the composition “should be credited as a Lennon/Ono song. A lot of it – the lyric and the concept – came from Yoko, but in those days I was a bit more selfish, a bit more macho, and I sort of omitted her contribution, but it was right out of Grapefruit. When asked about the song’s meaning during a December 1980 interview with David Sheff for Playboy magazine, Lennon told Sheff that Dick Gregory had given Ono and him a Christian prayerbook, which inspired him the concept behind “Imagine”.

“The concept of positive prayer … If you can imagine a world at peace, with no denominations of religion – not without religion but without this my God-is-bigger-than-your-God thing – then it can be true … the World Church called me once and asked, “Can we use the lyrics to ‘Imagine’ and just change it to ‘Imagine one religion’?” That showed [me] they didn’t understand it at all. It would defeat the whole purpose of the song, the whole idea.”

With the combined influence of “Cloud Piece” and the prayer book given to him by Gregory, Lennon wrote what author John Blaney described as “a humanistic paean for the people”. Blaney wrote, “Lennon contends that global harmony is within our reach, but only if we reject the mechanisms of social control that restrict human potential.” Rolling Stones David Fricke commented: “[Lennon] calls for a unity and equality built upon the complete elimination of modern social order: geopolitical borders, organised religion, [and] economic class.”

Lennon stated: “‘Imagine’, which says: ‘Imagine that there was no more religion, no more country, no more politics,’ is virtually the Communist Manifesto, even though I’m not particularly a Communist and I do not belong to any movement.” He told NME “There is no real Communist state in the world; you must realize that. The Socialism I speak about … [is] not the way some daft Russian might do it, or the Chinese might do it. That might suit them. Us, we should have a nice … British Socialism.” Ono described the lyrical statement of “Imagine” as “just what John believed: that we are all one country, one world, one people.” Rolling Stone described its lyrics as “22 lines of graceful, plain-spoken faith in the power of a world, united in purpose, to repair and change itself”. Atheist author Richard Dawkins embraced it as an “atheist anthem”. Lennon himself stated that his song “did not discourage faith”.

Lennon composed “Imagine” one morning in early 1971, on a Steinway piano, in a bedroom at his Tittenhurst Park estate in Ascot, Berkshire, England. Ono watched as he composed the melody, chord structure and almost all the lyrics, nearly completing the song in one brief writing session. Described as a piano ballad performed in the soft rock genre.

Personnel

  • John Lennon – vocals, piano
  • Klaus Voormann – bass
  • Alan White – drums
  • The Flux Fiddlers – strings

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